―――僕にはできなかったこと、ね。
「え、なに?」
桐島のつぶやいた言葉がよく聞こえなくて、僕はすぐに聞き返す。でも、桐島は左右に首を振るだけで何も答えなかった。
暫く沈黙が続いた後、不意に桐島が振り返り、口を開きかけて逡巡し、目を伏せて大きくため息を吐いた。何がしたいのか分からず眺めていると、シャッターにすがり直して話し始めた。
「私がギターを弾き始めたのは小学生のとき、父に連れられて行ったコンサートがきっかけだったんだ。まだ小学生だった私は、そのシンガーソングライターの名前さえ知らなかった。えっと、今なら分かるけど、かなり有名な人だよ。
ホントに偶然。元々は私を預けて夫婦で行こうとしていたらしいんだけど、たまたま母が体調を崩して行けなくなったんだ。這ってでも行きたかったみたいだけど、廊下の途中で力尽きたみたい。だから、もったいないからって私が一緒に行くことになったんだ」
そのときの母親の姿を思い出したのか、桐島がクククっと含み笑いをする。
「肩からギターをぶら下げて弾く姿がかっこよくて、会場に響く歌声に全身が震えた。ああ、すごいなって。自分もこんな演奏がしたい。自分の歌で誰かの心を揺さぶりたいって。そのときに、決めたんだ。絶対になってみせるぞ、って。
コンサートの後で興奮してたのか、「ギターが始めたい」っておねだりしたら簡単にオッケーしてくれて、翌日には早速楽器屋に見に行くことになったんだ。初心者用のギターを私に手渡し、「頑張れよ」って言ってくれた。後で聞いたら、父が自分のお小遣いで買ってくれたらしかった」
「へえ、それからずっと続けてるんだ」
「うん、まあ、いろいろあったけどね」
軽く相槌を打つつもりで口を開くと、桐島が少し表情を曇らせた。
「一生懸命練習した。指の先が切れても、毎日毎日弾き続けたよ。小学生としては、かなり上手かったと思う。家族は当然として、友達やクラスメートも褒めてくれた。だから、中学生になったとき、意気揚々と弾き語りをするために駅前に乗り込んだ。だって、ずっと練習してきたし、他の人より上手い自信もあった。ぶっちゃけ、歌は昔から上手かったしさ、ハハッ」
正直なところ、桐島がなぜ自分語りをしているか、まったく意味が分からなかった。他人のサクセスストーリーなどどうでも良いし、イラつく以外に何もない。
「でもね、現実は全く違っていた。休日の昼間に駅前で演奏している人たちは、自分の遥か上の存在だったんだ。そのことを知らなかった私は、ギターケースを背負ったまま、ただ他の人が歌っている姿を眺めることしかできなかった。まだ駅前は早かった。あっちは大人だし、まだ私は中学生。だから、今はまだ負けて当然。普通のことなんだって自分に言い聞かせて、そのまま帰宅した」
続く言葉を耳にした瞬間、僕は思わず桐島の顔を凝視した。
「そして、その日から私はギターを弾かなくなった」



