NPC(ノンプレイヤーキャラクター)


 どれだけの時間、ただ並んで座っていたのだろうか。最初に考えることを放棄した僕は、防音壁にある汚れをずっと眺めている。さすがに、この状況で日向を置いて帰ることはできない。ふと視線を落とすと座っているコンクリートに、ペットボトルを中心にして水滴によって輪ができていた。

 深く息を吐き出した日向が、掠れた声音で「あのね」とつぶやいた。それから語られたことは、僕に聞かせたかったのではなく、懺悔だったのかも知れない。相手は誰でも良かったのだろう。

「私、中学生になった頃から、周りから見られていることに気付いたの。初めはよく分からなかったけど、入学早々に何度か告白されてその理由も分かった。自意識過剰だと笑うかも知れないけど、同級生の中ではかなり可愛いんだな、って。
 それからは身だしなみに気を付け、ネットで流行りの音楽を聴いて、話題になりそうなドラマや俳優なんかもチェックして、注目されているコスメだって一生懸命勉強した。みんなの中心でいられるように努力した。だから」

 と、そこで口ごもる。
 その先に続く言葉が分かった僕は、軽くうなずいて先を促した。

「だから、一緒にいる人も選んで、自分が特別な存在でいられるように。
 分かっちゃうんだ。自分が注目されていることも、みんなから期待されていることも、男の子が私を彼女にしたいと思っていることも、全部。でもそれって、求めているのは私の見た目だけ。私についてくるオプションが欲しいだけ。一緒にいると目立てるとか、彼女にすれば自慢できるとか。私という人間はどうでも良くて、考えているのは一緒にいることで自分が得をするということだけ。
 でもね、それが悪いとは言えない。言うつもりもない。だって、私自身が、ちょっと可愛い容姿や、選別した人たちとグループを組んでいることで得しているんだし」

 日向は「悪い子だよね」と続け、自嘲気味に笑った。

「外見だけの私は、それだけを求められている私は、とにかくイケメンの彼氏を作ろうと思った。もともとイケメン好きだし、しょせん、私はその程度の人間でしかないんだ。外見だけで近付かれるのはイヤでも、外見でしか判断していないんだから。
 だから今日、ついに罰が当たったんだよ。悪い子だから」

 建物の隙間から覗く夜空を見上げながら、日向は独白を続ける。全ての罪を吐き出すように、全身に溜まっていた膿を搾り出すように。
 僕は日向が満足できるまで、ずっと隣で静かに耳を傾けるだけだ。

「高校に入学してすぐに色んな人がすり寄ってきたし、何度も告白もされた。同じクラスのカーストトップだとか言われてる、目立つ人たちとのグループも作った。あとは、みんなが羨むような彼氏を作るだけ。全部のクラスを見に行って、その中で一番かっこよかったのが琉生、佐々木君だった。見た目だけは完璧なイケメン。ちょっと調べてみただけで、女性関係の悪いウワサが耳に入った。頭が空っぽの容姿が良いだけの人。それでも、私には佐々木君が必要だった」

 不意に日向が振り向く。
 そのまだ赤い瞳から、また涙が溢れようとしていた。

「でもね、入学してからの1年間、この1年間ずっとあの人を見てきたの。あの人だけを、ずっと、ずっと」

 涙がポロポロと玉になって落ちていく。
 それでも、日向は笑顔を作る。
 でも、いつもの人気者としてではなく、一人の女子高生として思いを紡ぐ。

「同じクラスになったとき、ホントに嬉しかった。
 声が聞けたとき、つい顔が緩んでしまった。
 すれ違ったとき、胸がドキドキした。
 言葉を交わしたとき、たぶん顔が真っ赤だったと思う。
 好きっていう気持ちはウソではなかった。
 だから、付き合おうって言われたとき、思わず泣いちゃった。
 ウソ告だと言われたときは、すぐには理解できなくて。
 笑い声が聞こえたとき、やっと気が付いた。
 遊ばれていたことに。
 全身から力が抜けて、目の前が真っ暗になった。
 ああ、本当に真っ暗になるんだなって。
 全然関係ないことを考えて。
 とにかく逃げなきゃって。
 ここにいたらダメになるから、必死に逃げ道を探して」

 もう我慢の限界だったのか、日向が僕の肩に頭を押し付けた。僕は左手をコンクリートにつき、倒れないように支える。

「でもね、でも、それでも、いい加減なきっかけで、クズみたいな人だったけど、それでも、私は本気で好きだったんだよ。だから、だから、今日だけは―――」


 人は本当に悲しいとき、声を出さずに泣く。
 誰にも知られたくないから。
 誰にも慰められたくないから。
 自分の心にある柔らかい部分に、触れられたくないから。

 僕は日向の嗚咽が止まるまで、ずっとそのまま動かなかった。