「私の話はいいからさ、雨衣はなにかないの?」



――あ、しまった。


これ以上あのことを思い出したくもない。
ましてや雨衣に「雨衣の代わりに告白されたけど『やっぱいいや』って言われたんだよね」なんて死んでも言いたくない。
でも……だからって、今の言葉はあまりにも意地悪だ。


だけど雨衣は特に気にしていないのか、


「ええ⁉ 晴歌ちゃんこそ知ってるくせにー。毎日ここから同じ景色を眺めるだけですよーだ」


と、おどけた声で「べー」と舌を出して見せた。
よかった……いつも通りだ。私はホッと胸をなでおろす。


「あ、でも、担当の先生が変わったんだった! 晴歌ちゃんはまだ会ったことなかったよね?」

「……そうなんだ。どんな人?」

「それがね? すっごーくイケメンなの!」


頬に両手をあてて「きゃあ」と小さな悲鳴をあげる。
雨衣ってば…………本当、こういうところ、昔から変わらないよね。
呆れて黙っていると、雨衣がベッドから身を乗り出してきた。


「いつも親身になって話を聞いてくれるし、こないだなんて私向きだからってアプリを紹介してくれたんだよ?」

「アプリって……なにそれ、うさん臭い。本当に医者?」

「もーっ。変なアプリじゃないよ? えっとね、こんな……ラジオ配信アプリって言って、素性も知らない誰かが話してるのを聞けるの。面白いよ?」


こんな、と言いながら見せてくれたスマホ画面には、アイコンと再生ボタンがズラッと並んでいた。
意外と、しっかりしたアプリっぽい。 私はふーん、とだけ言って肩をすくめた。


「……でも、どうせオジサンでしょ?」

「ちがうもん! まだギリギリ二十代って言ってたもん! お母さんだって『かっこいいわねぇ』って一緒に騒いで――」

「お母さん、知ってるんだ……?」

ああ、嫌だ。雨衣の何気ない言葉に引っかかってしまう。
いつも顔を合わせているのに、新しい先生が来たことなんて、母は私に言わなかった。


「……? うん、『歳の近い先生だから雨衣は話しやすくなってよかったわね』って」


何でもないように言う雨衣。 けれどその言葉が、なぜか私をひどく孤独にさせた。
今この場に母はいないのに、雨衣と二人で盛り上がっていたことが目に浮かぶ。


「そう……。今日もあとでお母さん来るんでしょ?」

「うん! 私は大丈夫って言ってるんだけど、『心配だから』って」


お母さんって心配性だよねー、と雨衣は頬を膨らませた。


「いいなぁ、晴歌ちゃんは」

「え」

「お母さんと毎日一緒にいられるんでしょ? 手作りのご飯も食べられて……いいなぁ」


雨衣はズルい。
自分に向けられた愛情を、なんの疑問も持たずに、誰しもが平等に受け取っていると思い込んでいる。
上田くんにしても、母にしても。
雨衣はトクベツなんだってことに気づいてない。
気づいていないっていうのは、それだけで罪なことだ。


「……ご飯、は、わりと私が作ってるけどね」

「あれ、そうだっけ?」

「お母さん、仕事終わってすぐここ来てるでしょ。そういう日は私担当……ってことで、そろそろ帰るね。ご飯作らなきゃ」


私はそう言うと、カバンを持って立ち上がった。
雨衣はおずおずと私を見上げる。


「晴歌ちゃん……?」

「……雨衣も退院したらお母さんのご飯たくさん食べられるよ、大丈夫」


私は、少しだけ口角を上げて微笑みを作った。
――よかった、今日もちゃんと笑えた。 ちゃんと、いい姉(・・・)でいられた。