ある日、リハビリの帰り。
ベッドに戻って、天井を見ながら、ふと口が勝手に動いた。
「……家族は......妹は、元気なの」
そんなふうに言うつもりじゃなかったのに。
ずっと胸の奥に引っかかってた言葉が、こぼれたんだ。
一瞬、看護師の手が止まった。
けれどすぐに動き始めて、やわらかく言った。
「今は夏生くんの治療を最優先しようね」
その笑顔が、やけにまぶしかったことを覚えてる。
でもよく見ると――少しだけ目元が揺れていた。
誰も家族の話には触れない。
「きっと聞きたくないだろう」と決めつけるように、「今はそのときじゃない」と言い聞かせるように、触れそうになった話題はまるで布でそっと隠すみたいに流されていった。
無言の「了解」だけが病室の中に広がっていた。
天井の白がやけに遠くて、どこか冷たくて、声に出してはいけない空気がその一面にぴんと張りついていた。
俺はただ、そこにいた。
問いかけることも、追いかけることもできずに。
そんな時だった。
その先生が病室に現れたのは。
見覚えのない顔だった。
白衣の胸元に見える名札には、「右京」と書かれている。
まだ若い。研修医……なのかもしれない。
でも雰囲気は、新人らしくなかった。
優しそうな目元なのに、どこかに冷静な鋭さを感じる。
先生が口を開く前から、病室の空気が変わった気がした。
鼻の奥がひりつくような静けさ。
呼吸のリズムが、ふと乱れる。
……なにか、よくないことを言われる。
そんな予感だけが、妙に確かだった。
「夏生君。少し……お話があります」
その一言で、すべてが変わった気がした。
ベッドのそばに立った右京先生は、ゆっくりと、息を整えてから言葉をつないでいく。
一言ずつ慎重に。まるで――心を切り裂かないようにするみたいに。
でも、その内容は……容赦がなかった。
「君のご家族は――」
頭では理解しても、心が追いつかなかった。
耳で聞こえているのに、意味がわからなかった。
けれど、確かにわかってしまった。
その瞬間、世界が静かに傾いた。
支えなんて最初からなかったみたいに――音もなく、すべてが崩れ落ちた。
あの日は、妹の誕生日だったんだ。
でも、俺たちは一言もしゃべらなかった。
くだらないことでケンカして、俺はふてくされて、窓の外を見てた。
……「誕生日おめでとう」って、言ってやればよかった。
なんで、それくらいの一言が、言えなかったんだろう。
もう二度と言えなくなるなんて、思いもしなかったんだ。
気づいたときには、もう遅かった。
胸の奥がぐしゃぐしゃに潰れて、息ができなくなる。
涙が止まらない。止めようとしても、まぶたの奥が熱くて、ひたすらあふれてきた。
世界が――色をなくしていく。
白も、青も、あたたかさも、全部。
ただ、重たい灰色だけが、視界の全部を埋めていった。
戻れない。
もう、取り戻せない。
ベッドに戻って、天井を見ながら、ふと口が勝手に動いた。
「……家族は......妹は、元気なの」
そんなふうに言うつもりじゃなかったのに。
ずっと胸の奥に引っかかってた言葉が、こぼれたんだ。
一瞬、看護師の手が止まった。
けれどすぐに動き始めて、やわらかく言った。
「今は夏生くんの治療を最優先しようね」
その笑顔が、やけにまぶしかったことを覚えてる。
でもよく見ると――少しだけ目元が揺れていた。
誰も家族の話には触れない。
「きっと聞きたくないだろう」と決めつけるように、「今はそのときじゃない」と言い聞かせるように、触れそうになった話題はまるで布でそっと隠すみたいに流されていった。
無言の「了解」だけが病室の中に広がっていた。
天井の白がやけに遠くて、どこか冷たくて、声に出してはいけない空気がその一面にぴんと張りついていた。
俺はただ、そこにいた。
問いかけることも、追いかけることもできずに。
そんな時だった。
その先生が病室に現れたのは。
見覚えのない顔だった。
白衣の胸元に見える名札には、「右京」と書かれている。
まだ若い。研修医……なのかもしれない。
でも雰囲気は、新人らしくなかった。
優しそうな目元なのに、どこかに冷静な鋭さを感じる。
先生が口を開く前から、病室の空気が変わった気がした。
鼻の奥がひりつくような静けさ。
呼吸のリズムが、ふと乱れる。
……なにか、よくないことを言われる。
そんな予感だけが、妙に確かだった。
「夏生君。少し……お話があります」
その一言で、すべてが変わった気がした。
ベッドのそばに立った右京先生は、ゆっくりと、息を整えてから言葉をつないでいく。
一言ずつ慎重に。まるで――心を切り裂かないようにするみたいに。
でも、その内容は……容赦がなかった。
「君のご家族は――」
頭では理解しても、心が追いつかなかった。
耳で聞こえているのに、意味がわからなかった。
けれど、確かにわかってしまった。
その瞬間、世界が静かに傾いた。
支えなんて最初からなかったみたいに――音もなく、すべてが崩れ落ちた。
あの日は、妹の誕生日だったんだ。
でも、俺たちは一言もしゃべらなかった。
くだらないことでケンカして、俺はふてくされて、窓の外を見てた。
……「誕生日おめでとう」って、言ってやればよかった。
なんで、それくらいの一言が、言えなかったんだろう。
もう二度と言えなくなるなんて、思いもしなかったんだ。
気づいたときには、もう遅かった。
胸の奥がぐしゃぐしゃに潰れて、息ができなくなる。
涙が止まらない。止めようとしても、まぶたの奥が熱くて、ひたすらあふれてきた。
世界が――色をなくしていく。
白も、青も、あたたかさも、全部。
ただ、重たい灰色だけが、視界の全部を埋めていった。
戻れない。
もう、取り戻せない。
