雨の匂いが、湿った風に溶け込んでいる。
ぬれた地面の上を、私はゆっくりと歩いた。

――夕方五時、いつものとこ(・・・・・・)で待ってるからな。

そう言ったのは、夏生だった。


滑り台が見えてくる。
あの土管の中に、夏生がいる。
それなのに足が鈍くなって、なかなか進まない。
会いたいのに会いたくない……なんて、変かな。


顔を見て、声を聞いて、なにかが違ったら――そう思うと、こわい。


私は、滑り台の下にある土管の前で立ち止まった。
息をそっと吸って、覚悟を決めるように中を覗き込む。
そこに、夏生がいた。
膝を抱えたまま、こちらを見上げてくる。


「……うす」

「……うす」


ほんの短いやりとり。
それだけなのに、なんだか落ち着かなかった。
夏生は、照れたように笑って、少しだけ口角を上げる。
私はその笑顔を正面から受け止めきれなくて、慌てて顔を逸らした。


「三日ぶり……くらい? まぁ入んなって」


チョイチョイ、と手でこまねいて私を誘う。

私は少し迷ってから、土管の中に入った。
なんとなく気まずくて、夏生の方は見られなかった。


「......あの......ごめん、あの時......取り乱して」


これだけは絶対言おうって決めてた。
でも、口にしたとたん、喉がひりついてうまく声が出なかった。


「……ん。それは全然いいんだけどさ……晴歌があんなふうに怒るのって、ちょっと意外だった」

「え」

「ほら前にさ、『言いたいことが言えなくなっちゃった』って話したじゃん? 晴歌は妹ちゃんに気を使って、自分のことどこかで抑えてるっしょ。だから......ビックリ、はした」

「うん......」


小さくうなずいたけれど、胸の奥にちくりとした痛みが残った。
あの時、雨衣にぶつけてしまった言葉。
あの場に夏生がいたこと。
どちらを思い出しても、苦しくて、恥ずかしくて――顔を上げられなかった。
こんな自分を、誰にも見られたくなかったのに。
よりによって夏生に、全部、見られてしまうなんて。


「でも、いいことじゃん?」


その時突然――夏生が、ぽつりと呟いた。


いいこと......?
思わず顔を上げる。
からかわれたのかと思ったけれど、夏生の表情はいつになく真剣だった。


「少なくとも、自分の気持ちを言えたってことは、悪いことじゃないはず」


まるで、あの夜の私を否定しないでいてくれるような言葉だった。