風が止む。
私と雨衣、ふたりだけが、その場に取り残されていた。


「……晴歌ちゃんが、ずっとガマンしてたの、わかってたよ。でも、怖くて……聞けなかった」


一呼吸置いて、顔を上げた。どこか吹っ切れたような表情だった。


「私のせいで、晴歌ちゃんにガマンさせて、ごめんね」


私は、黙って立ち尽くしていた。
何か言わなきゃって思った。でも、口がうまく動かないんだ。
さっきまで、あんなに言葉が溢れてきたのに。
今は何を言っても、うまく伝えられる気がしなかった。


怒りは吐き出した。涙も流した。
それなのに……胸の奥にはまだ、重たい何かが残っている。
スッキリなんて、しなかった。
……きっと、そんな簡単な気持ちじゃなかったんだ。


「――私ね、そんな晴歌ちゃんのこと、尊敬してるの」


えっ、と小さく息をのんで、私は思わず雨衣を見た。
雨衣……?


「いつも頑張ってる。弱音も吐かないで。たとえ、私のせいでそうするしかなかったとしても……。家のことも、学校のことも、頑張ってる……そんな晴歌ちゃんが、私の目標だったの。かっこいいなって……晴歌ちゃんみたいになりたいなって……ずっと思ってた。晴歌ちゃんがいてくれたから、私も……頑張れたんだよ」


その言葉が、心に静かにしみ込んでいく。
雨衣、そんなふうに思ってくれていたなんて……知らなかった。


「なんて、ちょっと恥ずかしいけど……ずっと晴歌ちゃんに伝えたかったこと……でした」

「雨衣……」

「……へへ、私、変かな。今すごく嬉しいんだ。晴歌ちゃんはいつも私に気を使ってたでしょう? だから私たち、いつも表面上は仲がよかったよね。でも私ね、本当はこんな風に、晴歌ちゃんと、ちゃんと本気の口喧嘩……してみたかったんだ……ぁ……」


言葉の最後が、ほんの少しだけ弱々しくなった気がした。
不自然な間。だけど、まさか、と思ってしまった――その一瞬の隙を突くように。
笑みを浮かべながら、雨衣はふらりと体を傾けた。
そのまま前のめりに、力が抜けるように崩れ落ちる。


「――えっ……?」


世界が、一瞬、静まり返った。


「……え? ちょっと、雨衣……?」


頭が真っ白になった。足が動かない。喉がつまる。
心臓の音だけが、やけにうるさく響いていた。雨衣は……動かない。


……動かない。


「だ、誰か……! 誰かっ……!」


気づけば叫んでいた。
救急車のサイレンが近づいてくる。
赤と青の光が、濡れた地面に滲んで、ゆっくり揺れていた。
誰かの声も、雨の音も、全部遠くでこだましているみたいで――。





世界の音だけが、ずっと遠くで鳴り続けていた。