「わ、私が……雨衣と変わればよかったんです。そうすれば全部丸く収まったのに。母も、雨衣も、学校のみんなも……それを求めているの、わかるから……」


思っちゃいけないって、ずっと思ってた。
思わないようにしてた。
でも、どうしても心の奥にこびりついて離れなかった――。
私が雨衣と変わればよかった。苦しむのが私だったらよかったのに。
そんな想いは、いつの間にか呪いのように形を変えて、雨音と一緒に、私の心に静かに降り続けるようになった。


「でも、そんなことできないから……。私は私でしかないし、雨衣にはなれないから……。だからせめて『雨衣の姉』として、しっかりした姿を見せないとって……」


姉なんだから、しっかりして。姉なんだから、ガマンして。
それができないなら、あなたが雨衣と代わって。
……そんなふうに責め立てる雨音が、怖くて、怖くて。
でも、どこにも逃げ場なんてなくて――。


フェンスをつかんだ手に、無意識のうちに力がこもる。
紙コップの中のココアが、小さくぐらりと揺れた。
助けて。
助けて。
助けて――。

声に出さない叫びが、雨上がりの空に吸い込まれていく。誰にも届かない。そう思った瞬間、胸の奥がズキンと痛んだ。


「そうですね。君は……雨衣さんにはなれません」

「わ、わかってます……! そんなの、言われなくても……どうして……どうしてそんなこと、言うんですか……!」

「――それは、君にとっては『残念なこと』かもしれませんが、同時に『尊いこと』でもあります」


思わず顔を上げた。
カッとなって右京先生をにらみつけると、先生も静かに、まっすぐにこちらを見ていた。


「君は君でしかない。この世界に、君という存在は――たった一人しかいない。それを尊いと思わなくて、どうするんですか」

「……で、でも……」

「『雨衣さんの姉』であろうとする必要はありません。時には、そこから切り離したっていいんです。君は、君自身の世界で生きていくべきです」


風がひとすじ吹き抜けた。
雨上がりの匂いを運ぶその風に、フェンスの向こうの草木が静かにざわめく。
視線をわずかに上げると、頬にかかった前髪がふわりと揺れた。
まるで心の奥で固く凍っていた何かが、静かにほどけていくようだった。


切り離す……雨衣の姉としてでなく、私として生きる……。
それって今の私とどうちがうの?


「せ……、先生の話は難しいです……」

「そうですか。今すぐ理解するのは無理かもしれませんね」

「…………」

「でも――」


右京先生の目元が、ふっとわずかに緩んだ気がした。


「もし、そんな君を一人の『君』として見てくれる人が現れたら……その時はその人を大切にしてください」