ドアが開く音に、私は反射的に物陰に身を隠そうとした。
だけど間に合わなくて、病室から出てきた右京先生と視線がぶつかる。


「…………」

「…………」


無言の右京先生に、とりあえず軽く頭を下げた。
だけど先生は、私をじっと見たまま微動だにしない。
このまま病室に入るのは気が重いし、どこかで時間をつぶせないかな。そう思いかけた、その時。

「……ちょっと話しませんか」

「え……?」


右京先生に、まるで見透かされたみたいに呼び止められた。



︎︎ ︎☂︎︎︎ ︎☂︎ ︎☂︎ ︎︎☂︎


「どうぞ。コーヒー……は飲めないと思ったのでココアにしておきました。僕はコーヒーですけど」


ほかに人のいない屋上で、右京先生は、両手に持っていた紙コップのうち一つを私に差し出した。
なにその言い方……。いや、たしかにコーヒーは飲めないけど。


「え、と、お金……」

「いりませんよ。僕が勝手に連れてきたんですから」

「はぁ……ありがとうございます」


いまいち真意がわからないまま、先生の手からココアを受け取る。
「話しませんか」と言った割に、右京先生はフェンスにもたれながら、コーヒー片手に地上をぼうっと見下ろしている。
なにがしたかったんだろう。しかもわざわざ屋上(こんなところ)まで移動して。


屋上、か……。
雨衣がここに入院するようになって何年も経つけど、そういえば屋上には初めて来た。
手持無沙汰のまま、私も仕方なく地上を見下ろす。
地方都市の、さらに田舎に建つ病院なだけあって、見晴らしは悪くない。
連なる家屋の合間に田畑が広がり、遠くには山並みがぼんやりと浮かんでいる。
雨上がりの地上は、どこかしら鈍く、でもやわらかく輝いて見えた。


思えば、ここに来る時はいつも、あの長い廊下を通って雨衣の病室に向かうだけだった。
ただそれだけで、いつも胸のどこかがきゅっと縮こまっていた気がする。
でも、こんなふうに立ち止まれる場所も、ここにはあったんだ。
先生はそれを、私に見せたかったのだろうか。


「もしかして……気を使ってくれてます?」


そうとしか考えられない。
私がさっきの話を偶然聞いちゃったから、不憫に思った右京先生が場所を変えたんだ。
そんなことまでしてくれなくていいのに。


「だとしたら……大丈夫ですよ。母のあの言い方には慣れてるので」


そう――慣れた。慣れるしかなかった。
いちいち傷ついてなんかいられないし、同情される筋合いもない。
私はココアをひと口、喉に流し込んだ。
甘さだけが妙に喉にまとわりついて、不快だった。


「いえ、僕はただ、晴歌さんと話をしてみたかっただけなんです」


少し視線を落としたまま、右京先生は静かに言葉を継いだ。


「雨衣さんが、君のことをよく話していたものですから」