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病院には母が先に着いていた。
雨衣の退院準備を進めていると聞き、私は一人エレベーターに乗り込む。

いよいよだ……。

静かに上がっていく箱の中で、鼓動だけがやけに大きく響いていた。
ドキドキするのは緊張のせいなのか。
それとも、雨衣の心がこっちにまで伝染しているのかも。


ポーン、と軽い音がして扉がゆっくり開く。
まっすぐ伸びた廊下を見つめながら、夏生の言葉を胸に、小さく息を吐く。
大丈夫。「なんとかなるなる」。
雨衣の退院を、ちゃんと笑って迎えよう。


雨衣の部屋の前で深呼吸。
笑顔を作ってドアノブに手をかけた、その時――。


「――本当にお世話になりました。先生に変わってから雨衣、毎日ウキウキしてましたもの」

「もう、お母さんやめてよぉ」


中から聞こえてきたのは、母と雨衣の笑い混じりの声。


「退院後は十分気を付けてください。特に学校生活」

「はーい、先生」


右京先生の落ち着いた声も聞こえてくる。
相変わらず抑揚のない口調だけど、そこにどこか優しさが滲んでいる気がした。


「ふふ、雨衣のことは姉の晴歌に頼んであるので大丈夫です」


ホッとしたのもつかの間、母から自分の名前が飛び出してドキッとした。
上田くんの時といい、私ってなんでこんなにもタイミングが悪いんだろう。
なんとなく気まずくて、入るに入れない。


「晴歌さん、ですか」

「ええ。しっかり者で妹思いなんです。お恥ずかしい話なんですけどね、私がここに来ている間、家のことも任せていたんです。雨衣のことで一喜一憂する私のことも支えてくれて……晴歌には感謝しかないわ」


褒められているはずなのに……ちっとも嬉しくない。
でも、それも結局は私自身が選んできた道。
「しっかり者の姉」「妹の面倒を見る姉」――そんな役割を、まるで鎧みたいに自分にまとわせたのは他でもない、私なのだから。


「――晴歌さんのことは心配されてましたか?」


え……――。
右京先生の問いかけに、思わず耳を澄ませた。


「心配……? そんな、先生。晴歌はしっかりしていますから、なんの心配もしていませんよ」


母の返答はあまりにも予想通りで、思わず笑ってしまいそうになる。
それにしても、右京先生はどうしてそんなことをわざわざ母に訊いたんだろう。
わかりきったことを聞かされて、テンションが下がる。


「……そうですか、失礼しました。では僕はこれで。雨衣さん、次は来週の検診で会いましょう」