「あ、そういえば」


何気ない調子で夏生が呟くと、リュックの中をごそごそと探り始めた。
しばらくして取り出したのは、くしゃっとした茶色い紙袋。
手渡されたそれを思わず見つめてしまう。


「え……なにこれ」

「中見てみて」


差し出された袋は、ほんのり温かい。
折り曲げられた口をそっと開いて中に手を入れると、ラップで包まれた小さな塊がいくつか手に触れた。
一つ取り出してみると、それはちょっと不格好で、だけどどこか懐かしい形をしている。


「ドーナツ?」

「そ。ばーちゃんの手作り。『友達と会うかも』って伝えたら張り切って作ってくれたんだよね。見た目はこんなだけど、まぁ味はおいしいからさ」

「え……いいの?」

「むしろ食ってくれると助かる。みんなあんまり食ってくれなくてさー。ばーちゃん凹むの嫌だから、俺が余った分食ってんだけど……さすがに食いすぎてヤバイ」


と、悪戯っぽい顔で片方のドーナツを持ち上げて言った。


「かんぱーい」


その軽やかさに釣られて、私も思わず笑ってしまう。


「……いただきます」


恐る恐るひと口かじる。
サクッとした食感のあとに、ほんのりとした甘さがじわりと広がった。
どこか懐かしい味。派手さはないけれど、素朴で温かい。


「……おいしい」

「だっろ? 油っこくないから食べやすいっしょ」

「うん……人の作ってくれたものって、なんか、ほっとする」


ぽつりとこぼしたその言葉に、夏生は「わかるわー」と頷いた。


「夏生っておばあちゃんと仲良いよね」

「仲良いんかなー? 口うるさいっすよ」


それでも無関心よりはずうっとマシだ。
雨音ラジオでもおばあちゃんとのエピソードを面白おかしく語っているし、夏生の家は暖かなもので充満しているのだろう。
いいな。それが羨ましく思う。


「あ、そだ。今度うち来てよ。晴歌が来たらばーちゃんも喜ぶし」

「ええ? 喜ぶって、そんなまさか」

「いやいや、マジで。ほら、あそこね。大きな柿の木があるのが俺んち」


夏生が土管の入り口から指をさす。
視線をたどると、並ぶ家々の中でひときわ目を引く、背の高い一本の木が見えた。
雨に濡れた葉が静かにきらめき、重たげな空気の中に、そこだけほのかな明るさが宿っている気がした。
まるで、夏生の家だけが「帰る場所」として灯りをともしているみたいだった。


「あの……塀で囲まれてる?」

「そそ。もしまた俺がここにいなくて晴歌が泣きそうになっちゃったら、あの家に来て」

「な!? 泣きそうにはならない……!」


ムキになって返した言葉に、夏生がケラケラ笑い出した。


「顔、真っ赤」

「うるさい……」


悔しいけど、私もつい笑ってしまう。
こういう時間、久しぶりだった。
誰かとただ話して、笑って、心がほどけるような感覚。
この安心できる時間が、いつまでも続いてくれたら――そんなことを、願わずにはいられなかった。