なぜ先生が患者じゃない私のことを気にするのか、さっぱりわからない。
でも先生は、そのガラス玉の目で私の心を見透かしている。
今もそう。先生を前にすると嘘がつけない感じがする。


「なんでそんなこと聞くんですか」

「君みたいな人をたくさん見てきましたから」

「私みたいな人って……」

「なにも患者だけが辛いわけではないですからね」

「…………」

「よかったらまた話しましょう」


それだけ言い残して、先生は背を向けて歩き出す。
白衣の裾が視界の端で揺れて、それがやけに印象に残った。
話しましょうと言ったって、雨衣の病状以外で医者と患者の家族が話すことなんて、普通はない。


雨衣......。
本当に、雨衣が言っていた通りの人かもしれない。
無表情だけど、他の医者とは、ちょっとだけ違うのかも――。




︎☂︎︎︎ ︎☂︎ ︎☂︎ ︎︎☂︎


雨衣は、右京先生の言う通り元気そうだった。
一時退院のことを知らされているようで、ベッドの上ではしゃいでいた。


「新学期、初登校だよ!」


そう言って、小さなガッツポーズ。
お気に入りのうさぎのぬいぐるみを抱きしめながら、顔をくしゃくしゃにして笑っている。


「制服、着られるかな~。スカート、きつくなってないといいけど」

「それは……うーん、ちょっと怪しいかもね」

「ひどーい! ちゃんと体重管理してたもん!」


そんなやりとりに、思わず笑ってしまった。
この雰囲気、懐かしい。
雨衣が家にいた頃は、毎朝こんなふうにくだらない会話をしていた気がする。


「でもさー、授業ついていけるかな。私だけ取り残されてたらどうしよう」

「大丈夫だよ。ちゃんと予習してたんでしょ?」

「うん! 晴歌ちゃんのノートのおかげで、なんとかなりそう。ありがとうね、ほんと」


照れたように笑う雨衣を見ていると、「よかったね」と素直に返したくなる。

でも――


「……うん、よかった」


口ではそう言いながら、心はどこか別のところにあった。
カバンの中のスマホが気になって仕方ない。


そっと取り出しては、アプリを開く。
「雨音ラジオ」の配信通知は、まだ届いていなかった。
配信がなくても、もしかしたら今ちょうど準備中かもしれないし。
そう思うと、落ち着かなくなって何度も画面を更新する。
こんなときに限って、時間が過ぎるのがやけに遅く感じるんだ。
画面の数字は、なかなか進んではくれない。


……もう、ここにいてもしょうがないかも。
私はそっと立ち上がり、ドアに向かって歩き出す。


「……じゃあ、帰るね」


雨衣は顔を上げ、「うん、気をつけてね」と、あっさりした口調で言った。
その何気ない言葉に、なぜか少し胸がざわついた。
ちゃんと帰るわけじゃないのに。
雨の日の公園。土管の中でのラジオ配信。それらは雨衣には伝えてない。
伝えられない。


私は曖昧に笑って、小さく手を振ると、そのまま病室をあとにした。