軽くノックすると、ドアの向こうから「どうぞー」という明るい声が聞こえてきた。
扉を開けると、ベッドの上で枕を背に体を起こした雨衣が、ぱっと顔を輝かせる。


「晴歌ちゃん!」


その声の調子と、頬の赤みに、昨日よりずっと調子がいいことがすぐにわかった。
心のどこかがほっとするのと同時に、胸がきゅっとなる。


「雨衣、寝てなくていいの?」

「うん、今日はすっごく調子いいんだぁ。あのね、このままいけば一時退院も夢じゃないって!」


そう言いながら、雨衣はお気に入りの大きなウサギのぬいぐるみをぎゅうっと抱きしめる。
キャーキャーと嬉しそうに声を上げて、バタバタと足を動かすその姿は、まるで小学生のようだ。
雨衣って、年の割にちょっと幼いところがある。
そういうところが可愛いって、みんな言うんだけど。


「こら、あんまり興奮するとまた逆戻りだよ」

「はぁい。でも嬉しいんだもん。早く学校行きたいな! 授業ついていけるかな」


購買の三角チョコパン食べるんだぁとか、先生に質問したいなぁとか、雨衣は夢を語るように、キラキラとした目で言葉を並べていく。
それを聞きながら、私は思わず小さくため息を漏らしていた。
雨衣がよくなるのは嬉しいことのはずなのに、手放しで喜べない私がいるのだ。
そしてそんな自分が現れるたびに、私は私自身にうんざりする。


「……あ、ねぇ晴歌ちゃん、右京先生には会えた?」

「右京……あー、新しい先生? ついさっき会ったよ」

「かっこよかったでしょ~!」


雨衣は「ね、言った通りでしょ」と得意げにニヤついている。


「どーだろ……。ちょっと怖くない?」

「そっかなぁ、いつも優しいよ?」

「えー、想像できない」


だとしたら、やっぱり患者にだけ優しいタイプなのかも。
それか、考えたくないけど、雨衣にだけ(・・・・・)優しいか。
そんな風に考えてしまう自分が、嫌だった。
なんでもかんでも穿った見方をしてしまう。
嫌な私。雨衣といると、それが際立ってしまう。
こんな自分……嫌いなのに。


早く……――。


早くなにも考えなくていい時間が来てほしい。
晴れてもなお聞こえてくる、この雨音(ノイズ)を消し去ってほしい。


雨衣は私をチラリと見て、わざとらしく口を尖らせた。


「でも退院したら先生ともサヨナラなんだけどね。あーあ、どっちがいいんだろ」

「なに言ってんの。退院の方がいいに決まってるでしょ? みんなも雨衣のこと待ってるよ。早く元気にならないと」


いつもの調子でそう言ったつもりだった。
けれど、その言葉の一つひとつが、どこか空を滑っていくような気がした。
それでも、雨衣は嬉しそうにはにかむ。


「……えへへ。晴歌ちゃんも待ってる?」

「当たり前じゃん。わからないこと、いろいろ教えてあげる」

「わーい、さっすがお姉ちゃん。晴歌ちゃん大好きっ」


なんの疑問も持たない、花が咲いたような笑顔に胸が痛んだ。



――ムリヤリ取り繕うのには、限界があるから――。