殺人事件ライラック(ブリキの花嫁と針金の蝶々)


「やあ、楽しんでますか?」二人の前に近藤がやってきて話の輪に加わった。「やはりお二人が揃うと話題はミステリーのことですか?」
「いや、もっと現実的なしみったれた話ですよ」
「そうですか」近藤は少し申し訳なさそうに「今日はめでたい――自分で言うのも何ですが――まあ、そういうパーティなので、こういう話はしない方がいいのかもしれませんが……」
「何でしょう?」
「今日は、お二人とも現役のミステリー作家、ということで招待していますが、坂東さんはミステリー作家を諦めるんでしたね。それで既に新しい職に就いている。おや? 尾崎さんは知らなかったのですか?」
「え? ええ」思わず彼を見る。
 彼は素知らぬ顔をしていた。
「尾崎さんは――うまく行ってますか?」
「四作目が暗礁に乗り上げています。そう正直に言っておきますよ」
「ふむ、そうですか。私に何かできればいいのですが……」近藤はふっと笑った。「ところで、発行部数はどれくらいでしたか? それと坂東さんの作品は書籍化されるんでしょうか?」
 再び長い沈黙……
「やはり、ちょっと失礼なことを訊いてしまったようですね」近藤は少し哀れみの表情を浮かべて「何か、私でできることがあればいつでも相談に乗りますよ」
 それで再び長く気まずい沈黙……
「あなたにお願いしたいことは、ちょっとそっとしておいてほしい、ということだけですよ。できればペンネームで呼びかけないでほしい、というか……。それより――」私は話題を変えた。「近藤さん、あなたのその首の……」
 近藤は何故か首におしゃれなチョーカーを巻いていた。
「ああ、これは説明したはずですが、接待ゴルフで――」
「いえ」私は近藤の返答を遮った。「ゴルフはどうでもいいのです。先ほど見た時に、日焼けの跡――いや、逆だ、白い、日に焼けなかった跡がぐるりと首を一周していたように思えたんです、襟で隠されていたので定かではないですが――。まるでチョーカーでも巻いたかのように――。それがそのチョーカーなのですか?」
「いえ、あなたに指摘されたので気になってこうして隠しているんですよ。まあ、おしゃれでしょ。良美に借りたのです。私は華奢な体つきなので、良美とサイズがぴったりなんです。ゴルフの時はこれではなくチョーカーのようなものをゴルフの間中、首に巻いていました」近藤はそう答えた。
「ようなもの――とは?」
「まあ、ある種のプローブです。皮膚の電位を計る精密なセンサーを仕込んだプローブを首に巻いていました」
「何のために」
 しかし近藤は困った顔で答えない。
「何のために」私は重ねて同じ質問をした。
「いや、ちょっとですね」近藤は私の肩をそっと叩くと「これ以上は企業秘密です。あなたが出資してくれるのなら別ですが」そう言ってその場を離れた。
「あの研究員はその企業秘密とやらを結構ベラベラ喋ってたようだがな」社長が去った後、彼がそう言って笑った。
 
 書いている今、ふと思う。あの時私はどう思ったのだろう?
 ――そうだな
 なのか
 ――いや、お前だろ喋ったのは
 どっちなのか? よくわからない……

 彼と再度二人きりになり本音の話に戻った。
「話を戻すが大丈夫なのか?」
「何が?」
「生活費とか……」
「蓄えは少しはあるし……、それに――」
「それに?」
「こっちだってバカじゃないからな」
 それで再び沈黙が訪れる。お互い少し距離を置きたいのかもしれなかった。
 それで二人の話はお開きとなった。

 夜も更けてきて、バーベキューも粗方すべての食材が食い尽くされていた。何人かはテラスに向かって開いている吐き出し窓から別荘内の玄関ホールに入り込み、良美は招待した女友達とはしゃいでいた。
「今日、みんなを呼んだのには訳があるんだ」良美は嬉しそうに「ちょっと待ってて」そう言って階段を駆け上がり二階に消えていった。
「ジャーン。どう、これ?」良美が再び踊り場に現れた時、手にはウェディングドレスがあった。「あと、三着あるの。みんなで一緒にどれがいいか? 考えてくれない?」
 さすがに一人で着るのは無理があったのか、良美はドレスを胸に当ててスカート部分をさっと横に広げただけだった。しかし、それがどんな感じなのかは大体はわかった。
「これ、どう? いい感じだと思うけど」
 良美の質問に女性たちが口々に「あーだこーだ」言い始めたが、一人が「残りの三着も見てみないとわからない」そう言ったので、良美は再び二階に消えていった。
 結局、残りの三着も次々と女性客の前に披露され、姦しい歓声と共に、「似合わない」だの、「ちょっと渋すぎる」だの「一つ前の方がいいんじゃない」だの、結局意見の一致はみられなかった。
「男にはドレスの違いなんてさっぱりわからんな」彼がボソッと呟く。
 ――確かに……
「えー、結局どれがいいのよ!」良美が少しヒステリックに言った。
「もうよさないか!」近藤が少し声を荒らげた。「最初のやつが一番いい。婚約者が言うんだからそれで決まりでいいだろう」
「何よ。偉そうに! あんたに何がわかるのよ!」良美も負けていない。
「とにかく、階段の上で危なっかしい――」
 近藤が言い終わらないうちに良美はドレスの裾を踏んでしまい、危うく階段を転げ落ちそうになってしまった。
「危ない!」近藤が飛んで行って良美を支える。
「触らないで! 汚らわしい!」良美が叫ぶ。
「お前、なんという……」近藤の声は震えていたが、すぐに正気を取り戻したように「さぁ、皆さん今夜はこの辺でお開きにしましょう。今日はどうもありがとう」来客の方に向かってそう宣言した。

 客人はそれでそれぞれの帰途についた。私と彼は宿泊するのでそのまま残った。
 困ったことに近藤と良美の喧嘩はまだ続いていて、お互い、特に声を荒らげることはなかったが気まずい雰囲気のまま、だった。
「私、離れで寝るから」良美はそのままサンダルを履いて玄関から外に出ていってしまった。もうすっかり暗くなってきてはいたが、月明かりで、廊下の腰窓の外の小路を離れに向かう良美の頭が見えた。
「子供じみたところは魅力だが、時々ヒステリーを起こすのはどうもね」近藤が困った顔で言った。「まあ、こういう夫婦喧嘩に備えて離れを作ったようなものか。方丈庵ではなくて――」
「喧嘩がなければ二階が夫婦の寝室ですか?」私は思わずそう尋ねてしまっていたが、すぐに「いや、失礼なことを聞きました」と質問を取り消した。
「ええ、そうですよ」近藤は別に気にするようでもなくそう答えた。「まだ夫婦ではないですけどね。一応ね、まだ」
 近藤の「一応、まだ」という言い方が妙にいやらしく感じた。
 
 結局、良美がそのまま離れに引っ込んだせいで、近藤がバーベキューの跡片付けをしていた。客人面をするのも悪いので私と彼もそれを手伝った。
「バーベキュー・パーティーは準備が楽でいいですね。食材を適当に切って並べて置けば、各人が勝手に調理してくれるんでね」近藤がそう笑う。
「しかし、後片付けは面倒ですね。まったく」彼が愚痴を言う。
 ――そういえば―― 
 彼も同じことを思ったようで「近藤さんとこの研究員さんがまだいるんじゃないですか? 手伝ってくれないのかな?」
 しかし、近藤は少し可笑しそうに笑って「まあ、少し変わった困ったやつらしいのでね。代表たる私はあまりよくは知りませんが」
「いや、ご馳走になっていて愚痴を言うのは間違いでした。失礼」彼が肩をすくめていそいそと手を動かした。
 ――しかし彼は妙に笑っていた。
 
 書いている今の時点で「あの時確かに近藤も彼も可笑しそうに笑っていた」のを少しハッキリ思い出した。やはり彼と近藤は何か隠している――そんな気がしている。

 テラスのテーブルに散らかった食器などをキッチンに運び込み、シンクで洗う。キッチンにはバーベキューの準備で使った道具がそのままだったので、近藤の指示に従ってそれらも片づけていった。
「おー、この牛刀、切れそうですね」彼が大きな肉切り包丁を洗いながらおどけた。「今宵の村雨は血に飢えておる」
「牛刀、と言ったからには『鶏を割くにいずくんぞ~~』じゃないのか?」
 私のチャチャを彼は無視した。
 そんなこんなでバタバタと跡片付けをし、パーティーは完全にお開きになった。
「それではお休みなさい。部屋にシャワーもありますし、浴衣もあります」近藤はそう言って階段を上がって行った。