祈りの届く距離





「まあ、昨日色々あったしな」とこちらに目配せしてくる史郎に、再び横腹を狙う。

「ちょっ、痛いって。結構クリーンヒットしてんねんそれ」

「誤解を生むような言い方してるけど、家のことでちょっとこの人に助けてもらっただけだから」

「へぇ、それはお礼を言わないと。葵を助けてくれてありがとう。史郎くん」

「いーえ、どういたしまして」

「それはそうと、葵。帰りに話があるから迎えに行くね」

「……う、うん。分かった」


そう言って悠斗は引き返す。


私と史郎はぽつんと取り残されたように、無言の時間が続いた。


「めっちゃピリついたな」

史郎が引きつったような笑みを浮かべる。

「史郎がピリつかせたんでしょ、余計なこと言って。なんで、そんな風になっちゃうかな」


「なんか、昔の俺みたいでムカついてん」

「……意味が、分からない」

「ややこしい事してごめんやで」


史郎がそれ以上教えてくれることはなく、はぐらかされたまま帰りの時刻を迎えた。


宣言通り迎えに来た悠斗と帰路に着く。自転車を押しながら歩く悠斗の、夕陽で伸びた影をなぞって歩く。


いつものような弾んだ会話などはなく、終始ぎこちない居心地の悪い空気が続いた。痺れを切らして私は「話ってなに?」と背中に投げかける。


すると悠斗は覇気のない声で「あの子を助けたの今日が最初じゃないんだ」と言った。


横並びで歩いていなくて良かったなと、私は思った。
そのほんの一瞬の動揺で、貼り付けていた道化の仮面にヒビが入った気がした。私は平静を装い、話の続きを促す。


「だんだん、いじめがさエスカレートしていってて、それで助ける機会が多くなって。あの子も俺に彼女がいることを知ってるから、気を使って助けなくていいとは言われたんだけれど」

「見て見ぬふり、できなかったんでしょう?」

「……うん。けど、葵に対しても不義理な感じがして」

「私、疑ってないよ? 悠斗は誰にでも優しいから」


その虚勢は、私の通常運転でオートマチックなのだ。
もう虚勢なんていう大それたものでもない、感情と言動が全く伴わないお遊びみたいな付き合い方だった。


他の女の子に構わないで、と素直に言えたらもっと楽になるのにと俯瞰する。


「葵はそういうと思った」


ふっと息を吐くように悠斗は笑った。

平等に優しく、自分の中の正義があって、それを大事にしている人。それは彼の美点であり、時に残酷に私に突きつけられる。


平等に優しいといいことは、特別がないということでもあるから。


「葵は、なんでもいいよって言ってくれるけど……俺はそうじゃないんだ。ものすごく、無茶苦茶なこと言う自覚はあるんだけど、葵が誰か他の男と仲良くしているところを見ると……その……腹が、立つんだよね」

「それって史郎のこと?」

「……そうだね。しかも、葵が俺といる時より楽しそうだから、余計に」

「そうかな、普通だと思うけど」

「楽しそうというより、素に近いんじゃないかなって」

悠斗はそこで区切って、振り返った。
逆光で溢れる光が滴り、少し悲しげな顔をしていた。

「葵、俺といて疲れてない?」