ガラガラのバスに乗って、僕達は海辺へとやってきた。

 そのまま海に突撃しそうな高嶺(たかね)玲香(れいか)ちゃんと、大人のふたりを。
 春香(はるか)先輩が必死にひとりで、止めている。
「ちょっと〜、月子(つきこ)どうにかして〜!」
「仕方ないわ、海原(うなはら)くん。こっちはお願いするわ」
 一緒にレジャーシートを広げて、店開きをしていた三藤(みふじ)先輩は。
 僕にそう告げると、やや小走りで親友の援軍に向かう。
 制服のスカートが横に揺れるだけだけれど、先輩が走るということ自体が珍しい。
 おまけに……。

「月子ちゃんでも、ウインクとかするんだ……」
 都木(とき)先輩の声が聞こえて僕が、驚いて振り返る。
「あ、ごめん! たまたま見えちゃっただけなの!」
「い、いえ。僕もちょっと驚きました……」
「そ、そっか……。だよね、わたしも初めて見たかも」
 ややぎこちなく、都木先輩が笑顔になって。
 なんとなくそのあとは、無言で大きなシートを広げ終えてから。
 みんなの荷物をあいだに挟んで、僕たちは一旦腰をおろす。

「カメラマン、早く撮ってよー。お腹すいたー!」
 遠くの高嶺の声が、青い空の中。
 僕たちしかいないこの海辺に、響き渡る。
 僕は藤峰(ふじみね)先生がどこかから借りてきたという、重量感のある一眼レフのカメラを手に取ると。
「いきましょうか」
 そういって、歩き始めたのだけれど。
「海原君、待って……」
 その声に振り返ると、都木先輩が。
 白い左手を差し出し、僕を呼んでいた。


「握らなくていいよ。でも、連れていって欲しい」
 ……む、難しい注文だ。
 それが偽らざる、正直な感想だった。
 そもそもどうして、都木先輩がそんなことをいうのだろう?
「こ、困らせてごめんね。なんだかきょうは、落ち着かなくてね……」
 初めて見る都木先輩の表情に、僕がどうしたものか戸惑っていると。
「なにをしているの、海原くん?」
 三藤先輩の声と足音が、聞こえてくる。

 都木先輩の伸ばした手と、その前で固まる僕を。
 間違いなく三藤先輩は認識しただろう。
 ところが三藤先輩は、いつもならいいそうな嫌味のひとつもなく。
「まったくどうしたんですか? はい、いきますよ」
 あっさりと都木先輩の手を取り、立ち上がらせてしまうと。そのまま、波打ち際へと向かっていく。
 いつもなら、確実に見えるであろう背中の怒りのオーラも、きょうはまったく見えず。
 ……って、どういうことなんだこれ?
「ぶ、部活の写真だから。気をつかってくれているのかな?」
 都木先輩が、遠慮がちにささやくけれど。
 僕たちはふたりとも、三藤先輩の真意を図りかねたまま、そのあとを追いかけた。


「……ま、まだ撮るんですか」
 一眼レフで、ささっと集合写真を撮るだけだと思っていたのに……。
 どうやらスマホなるものには機能が、色々と盛り込まれているらしい。
 高嶺も玲香ちゃんも、藤峰先生も高尾(たかお)先生も。
 容赦無く僕に、次々とあれやこれやと命じてくる。
「そのモードでちゃんと撮れてんの? ちょっと持ってきなよ」
(すばる)くん、海の色とかちゃんと撮れた? 確認させて〜」
「いまので撮れたの? ちょっとチェックさせて」
「あ〜、タイミングがずれて撮れてないんじゃない? 見させてもらっていい?」
 そ、その地味な数メートルの砂浜の往復が……。
 僕の体力を奪うんですよ……。

「海原君に、おまかせね!」
 都木先輩だけが、そういってくれるけれど。
「横のほうがいいかなぁ? もう一回見てもいい?」
 春香先輩がその代わりにスマホをチェックして、注文をつけてくる。
 ちなみに、三藤先輩は。
「もういいわよね?」
 集合写真以外は必要ないと。さっさとひとり、読書をしに戻ってしまった。
 ……ようやく撮影が終わったと思い、僕がひと息つこうとすると。
「よし! じゃぁ次はもう一度、その一眼レフでよろしく!」
 女王が、容赦なく撮影を続けろと僕に告げる。
「ふ、藤峰先生……。さ、さっき撮りませんでしたか……?」
「あのねぇ、そこのカメラマン君さぁ〜!」
 カメラマンと呼べば、聞こえはいいだろうけれど。
「やっと美女たちの表情がこなれてきのよ! いま撮らなくて、どうするの!」
 実際はただの、召使いじゃないか……。

「いいから、早く撮りなさい」
 あぁ。再度連れてこられた三藤先輩も、やさしくない……。
「あの〜、三藤先輩。アルバム用ですけど、ちゃんと笑顔になれますか?」
「高嶺さん、それくらいはお付き合いするわよ」
「ご、ごめんねぇ、月子ちゃん」
「都木先輩、お気になさらず。ただ……」
 えっ?
 ……あ、そうか。
 みんなの視線が、僕に集まる。
「部長抜きはないねぇ!」
 藤峰先生、いまごろ気づいたんですか?


「じゃぁ、わたしが撮るよ!」
 玲香ちゃんが、当然のようにいってくれて。
 ただ、僕はなぜだかわからないけれど。
 それもまた違うような、感じがした。


「……みんなで撮っておきましょう。たぶん、その写真を載せても平気ですよ」
 僕にしては。
 珍しく、大胆な提案をしたと思う。
 そのときのみんなも、いったいどこまで深く考えていたのかは、知らないけれど。
「そうだね!」
「どうにかなるでしょ!」
 そんな感じで。
 誰ひとり、玲香ちゃん抜きの写真は撮らないと心をひとつにした。

 そして、もうひとり。
「それなら是非、高尾先生も入ってくださいね」
 都木先輩が、ごく自然にそういうと。
「あのブロックでも使えば、タイマーで撮影できるわよね?」
 三藤先輩がやや遠くのほうを指差してから、僕を見る。
「まかせてっ!」
「きゃ〜!」
 高嶺と、春香先輩がなぜか競争し始めて。
「なにしてんだかねぇ〜」
 それを藤峰先生が、少し誇らしそうな目で見ていた。


「……昴君、ありがとう」
 玲香ちゃんが、僕の隣でそっとつぶやく。
「そういう決断、嫌いじゃないわよ」
 三藤先輩が、僕をほめてくれて。
「そうだね、ありがとう、海原君」
 都木先輩が、感謝を伝えてくれた。

「部長らしくていいぞ、海原君!」
 バシッ! 
 藤峰先生が、思いっきり僕の背中を叩いてくる。
「痛いですよっ!」
「部長なんだ、我慢しなさい海原君!」
「あれ、佳織?」
 高尾先生が、ふと気づいたようで。
「あぁ、もうミスター・ウナハラって、長いじゃん。昇格ね!」
 そういって、藤峰先生が。
 妙にかわいく右目でウインクしながら、僕を見た。



 ……大きな四つの紙袋に入っていた、たくさんのパンは。
 恐ろしい勢いで、あっさりと無くなった。
 僕が楽しみにしていたジャーマンドッグは。
「おいしいから、それも食べてあげる!」
 高嶺がわざと、食べ尽くした。
 藤峰女王は、ドライフルーツたっぷりのハードパンの中から。
 自分の苦手なレーズンだけ器用に抜き取って、ドロドロに溶けたチョコリングドーナツにわざわざ埋め込むと。
「はい、スペシャル!」
 そういって笑顔で、ふたつも渡してきた。
「海原君、あ……。ご、ごめん!」
 これは、運悪く振り向いた僕の頬に。
 春香先輩が恵んでくれようとした、ウインナーパンの串が刺さったときで。
 三藤先輩と玲香ちゃんは、自分たちの食べようとしたパンを、半分にわけてくれたのだけれど。
 焼きリンゴの入った、激甘のキャラメルデニッシュと。
 チーズがたっぷりかかったガーリックトーストを、左右の手に持つことになって。
「このふたつを、同時に食べるんですか?」
 思わず僕は、そう口にしてしまった。

 極めつきは、高尾先生だ。
「はい! お土産も兼ねてどうぞ。よく冷えてるわよ〜」
 ちゃっかり持ってきた保冷バッグの中で、キンキンに冷やされた缶ビールの隣から取り出したのは。
 温めてからお飲みくださいと記された、『ふかひれスープ』の缶で。
 高尾先生の肩が、肩が……。
 笑いをこらえようと、プルプル震えていた……。


 こうして、僕にとって散々だったランチタイムが終わると。
 大人女子が昼寝に入り、元気組は再び波遊びにいく。
 三藤先輩は、一度保護者代わりに付き添っている春香先輩に軽く手を振ると。
「さっきの続きが気になるの」
 そういって、そのまま読みかけの本のページをめくり始めた。


「……ねぇ、海原君。飲み物を買いにいかない?」
 その声は、都木先輩?
 そういえば、ランチのときはやけに静かだったよな……。

 僕がそんなことを考えながら。
 すでに歩き出したうしろ姿を、目で追っていると。
「早く、いってあげなさい」
 三藤先輩が本から目を逸らさず、僕に告げた。


 いったいこのとき、三藤先輩は。
 どこまで正確に理解していたのだろう?

 ただ、僕はまだ。
 都木先輩のひとつの決心には。


 ……ちっとも、気づいていなかった。