「またね〜!」
高尾先生が、とびきりの笑顔で『坂の上』の校門から手を振っている。
「ありがとうございましたー!」
まっすぐな声を届けながら、都木先輩と高嶺が大きく手を振り返す。
三藤月子と春香陽子の両先輩は、少し控え目に手を振ると、きれいなお辞儀で返礼する。
僕ももちろん、ぎこちないけれどそれにならう。
藤峰先生は、そんな僕たちを満足げに眺め終えると。
「さぁ、帰るよ!」
無駄に大きな声を出して、楽しそうに歩き出す。
坂道を下りながら、僕は帰り際に、玲香ちゃんにこそっと告げられたことをを思い出す。
「駅の近くに本屋さんがあるから、そこで待っていてくれる?」
「えっ?」
「片付け終わらせたら急いでいくから。お願いっ!」
……特に、断る理由もないのだけれど。
恐らくこのままなら、僕は三藤先輩と高嶺と同じ列車で帰ることになる。
あ……。これは、断る理由、じゃなくて。
むしろ、断ったほうがいい理由だった、とか……?
「ねぇ海原、なに考えてんの?」
野生の勘鋭く、高嶺が僕の顔を覗き込んでくる。
「きっと部活動のことよ。高嶺さんと違って海原くんは真面目だから」
「いや、この顔見てからいいません?」
「どういうことかしら?」
三藤先輩が高嶺より近くにきて、僕の顔を覗き込もうとして。
「ちょっと、近いんで、離れてください」
「高嶺さん、あなたが下がればいいでしょう」
また無駄にふたりで、もめだした……。
「も〜、帰り道でやめてよ〜」
「陽子、ここなら誰もいないし、多少大声でも平気かもよ?」
「美也ちゃん、あおっちゃダメ〜!」
「じゃあ、代表してわたしが見てあげよっか?」
「先生、もっとややこしくなるからやめて〜」
そんなことをやりながら。華やかな女子たちがにぎやかに、駅への坂道を下っていく。
「確かに、部活ではないなにかを考えている顔ね……」
「えっ?」
「もしかしてなにか、浮かれている?」
「でしょ! やっぱアンタ、なに考えてるかいってみなよ!」
高嶺に噛みつかれそうで、慌てて僕が離れようとしすると。
「ちょっと……、静かに。並んで!」
春香先輩が、静かだけどピシャリと告げてきた。
……なるほど。
視線の先に、玲香ちゃんと同じ制服の女生徒たちの集団が見える。
彼女たちは、まるで隊列を組むかのように、揃って坂道をのぼっている。
先頭の女生徒ふたりが、僕たちの存在に気づく直前。なぜか藤峰先生が脇道に隠れてしまう。
間違いなく、三藤先輩は気づいたはずだけれど。
特になにも、口にしない。
僕たちの先頭を歩く三藤先輩が、すれ違う瞬間にわずかに会釈をする。
相手の先頭のふたりも、無言で会釈を返す。
するとにぎやかだった三十人ほどの集団が、一気に静かになると。ぎこちなく会釈をして通り過ぎる。
だが後方になると統制も乱れ気味になり、わずかな話し声がして。
僕にはそれが、聞こえてしまう。
「あの制服『丘の上』じゃない?」
「あー、玲香先輩『だけ』残っていいっていわれてたヤツ?」
「でも顧問らしき先生がいないよ?」
「違うのかな、でもうちの高校からの帰りだよね?」
「でさ、伝説の話しって、本当かな……?」
「……放送部の人たちだったようね」
集団から随分と離れたあとで、三藤先輩が口を開く。
「なんかちょっと感じ悪かったですよねー」
高嶺が話を続ける。
「まぁ、不審な動きをした人がいたからかも知れないわね」
「そうだよ海原。アンタさぁ、よその女子高生までジロジロ見ないでよ!」
「高嶺さん。今回は海原くんではなくて。突然消えて、ちゃっかり戻ってきた藤峰先生よ」
「い、いや〜。きょうの訪問は、半分非公式みたいなものだからねぇ〜」
あれ?
珍しく、女王が恐縮している。
「では、いきの大量の飲みものはいったい?」
「あ〜。あれはちゃんと、名も無きどこかからの差し入れということで。そのうち響子が配るからそれでいいんじゃない……かな?」
うーん、三藤先輩に押されっぱなしの藤峰先生が。
いつもとは、なにか雰囲気が違う気がする。
……そういえば高尾先生も。
わざわざこんな機会を作ったのに、玲香ちゃんだけ残したのも、いったいどうしてだったんだろう?
答えがわからないまま、僕たちは駅に着く。
藤峰先生は学校に戻り、都木先輩は予備校の見学にいくらしい。
春香先輩は、せっかくなので普段こないこの街でもう少し過ごす、ということで。
先に戻るふたりを改札で見送ってから。
「ま、春香先輩とご一緒できるなら。わたしもいこっかな〜」
高嶺が、で? アンタどうすんの?
そんな顔をしながら、僕に口を開きかけると……。
「海原くん。申し訳ないのだけれどきょうは、三人にさせて貰ってもいいかしら?」
「えっ?」
僕ではなく、高嶺が驚いた声を上げる。
いつもなら、三藤先輩にそういわれたら少し落ち込むのだろうけれど。
きょうはこのあと、非常にいい出しづらい予定が入っている僕としては……。
まさに渡りに船、の提案だ。
「うわっ、海原が振られた!」
「ねぇ月子、別にわたしはさぁ。海原君が居てくれても、構わないんだけど?」
「いいえ。きょうに限ってはきっと海原くんは、わたしに感謝しているはずよ」
……ひょっとして三藤先輩は、超能力者かなにかなのか?
ところが。
僕がその実力を試す必要など、まったく不要で。
先輩が僕をほかのふたりから離して、耳元にささやいてくる。
「海原くん、念のため聞くのだけれど……。赤根さんとは、節度を持って接してくれるわよね?」
「えっ?」
先輩が僕に構わず、続けていうには。
「じ、仁義を切られたから……。止むを得ず応じるだけよ……」
な、なんだ、そういうことか……。
じゃなくて! い、いつのまにそんな話しを……。
「それに彼女、きょうくらいは楽しく過ごしたいでしょうし。仕方がないわ」
いい終わると先輩は、ふたりの元に戻ると。
「そのまま帰るのはどうやら寂しいみたいだから、この先の角の本屋でお使いを頼んでおいたわ」
わざわざそんなことをいってから。
「だから海原くん、きょうは『女子会』に参加しなくても大丈夫ね?」
僕をジッと見ながら、いいからいきなさいと暗に告げてくれた。
三藤先輩は、やさしい人だ。
そして玲香ちゃんは、正しい人だった。
「じゃ、じゃぁ。『女子会』楽しんでください!」
僕は三人に大袈裟に手を振り、先輩たちを見送る。
春香先輩はきょうはごめんね、みたいな苦笑いをして。
高嶺は、つまらないなのか同情なのかよくわからない表情で、小さく僕に手を振る。
三藤先輩は、左手でその長くて黒い髪を少し大袈裟に肩に流すと、僕を見ずに歩き出す。
だが数歩進んだ、そのあとで。
うしろ手で、二度だけ素早く。
僕に小さく、手を振ってくれた。
「……ごめんね!」
玲香ちゃんは、少しだけ遅れてやってきた。
息を切らしながら手を合わす彼女の姿を見れば、それでも全力でここにきてくれたのは明らかだ。
「列車まだ、まにあいそうだから急ごっ!」
そんな玲香ちゃんの声に、せかされて。
僕たちはそのまま駅に戻るとプラットフォームに上がり、発車間際のいつものローカル線に乗る。
車内は、いつものように空いていて。
ふたりが座席に並んで腰かけると、玲香ちゃんの息が整う前に。列車は静かに駅を発車する。
「はい、どうぞ」
僕は、先に買っておいたアップルティーのペットボトルを渡す。
「あ、ありがと……」
ずっと前の玲香ちゃんは、公園でよくこれを飲んでいたのだけれど。
高校生になっても、それは変わっていないのだろうか?
玲香ちゃんが、しばらくそのまま動きを止める。
「……これって。もしかして、覚えててくれた?」
よかった。どうやら正解だ。
「昴君、ありがと」
僕の知っている笑顔で、彼女が僕を見る。
返事代わりに、僕は。
自分用に買っておいた、甘い炭酸飲料のボトルを取り出す。
「あ、覚えてるー。昴君、昔もそれ飲んでたよね!」
紅茶の香りなのか、つけ直したであろうデオドラントの香りなのか。
玲香ちゃんが少し動くたびに、甘い空気がやさしく漂ってくる。
「あ、でもきょう最初に会ったときはさぁ……。わたしのこと忘れてたんだよね〜」
あれは不意打ちだし、そんなこと予想してなかったから……。
僕は、改めてそういいかけたけれど。
彼女の瞳が、そんなことはすでにどうでもよいんだと僕に告げている。
列車が、ひとつトンネルを抜けたあとで。
「……わたしね、放送部居心地悪いんだ」
予期せぬ告白が、唐突に訪れて。
思わず僕は、口に入れたばかりの炭酸飲料をこぼしかける。
「ごめんごめん! 別にいまいわなくても、よかったよねー」
少し寂しそうだけど、笑顔を取りつくろって、彼女がいう。
「なんかきょうの昴君たち見てたら、ちょっとくらい愚痴ってもいいかな、って思っちゃってさ……」
ああ、なんてことだ……。
僕の知っている玲香ちゃんは。
無理をしなくても、笑える子だったのに……。
……なんとか、乗ろうとしていた列車にまにあった。
いまのわたしに、駅の周りのお店でのんびりする選択肢なんてなくて。
かといって、プラットフォームで話しているのも落ち着かない。
「なんかひさしぶり〜。駅前のどっかでお茶でもしない?」
そんな軽い『ノリ』になっていない君に、ホッとしたけれど。
昴君が準備よく、既に飲み物を購入しておいてくれたことが……。
わがままなことにほんの少しだけ、ガッカリした。
予期せぬ再会は、唐突に訪れて。
ずっと前のわたしの好みを覚えていてくれた昴君を前に、思わずわたしは。
ちょっと弱音を、吐いてしまった……。
「……ねぇ、もっと『機器部』のこと話してよ!」
悲しそうな顔のわたしを見ても。
昴君はきっと、うれしくないよね。
そう思ったわたしは。
楽しい話しをして欲しい、そんなわがままに付き合わせた。
個性豊かな四人と藤峰先生が騒いでいる話しが、おもしろくて。
響子先生が即席ボックスシートを作って、四人で座ることになったエピソードは、最高で。
おかげでわたしは、ひさしぶりに。
……誰かの前で、遠慮せずに笑うことができた。
「……そっか〜。響子先生って隣の駅だなんて、ちっとも知らなかった!」
ひとしきり笑ったあとで、玲香ちゃんは。
「もう朝練とかもいかないし、遅い列車だったから。これまで全然会わなかったんだね……」
思い出したように、静かにそんな感想を漏らしていた。
ふたりが同じ駅で降り、列車が出発してほどなくすると。
駅前は、ぐっと静かになる。
「わたしの家は、あっちね」
「僕の家は、こっちだよ」
互いの家は、並木道を逆向きに進んだ先に変わらずある。
同じ駅で、違う高校で。
行きも帰りも違う時間帯だった。
だから、これまで出会うことがなかったけれど。
僕たちはこうして再び、出会うことができた。
「ねぇ、昴君……」
信号待ちをしていたら、玲香ちゃんは僕の真正面に移動してきて。
「朝は、別々だけど。帰りは、一緒に帰れない?」
突然そう聞いてきた。
「朝はほら響子先生もいるから、『ボックスシート』は満席でしょ?」
でもね、と小さく口にしてから。
「帰りは、普段先生遅いし。まだ、一席空いてるよね?」
……僕の考えていることなど、すでに玲香ちゃんはお見通しだ。
「無理にとはいわないよ。だから一度、あのふたりにも聞いてもらえると……。うれしいかも」
信号が、青になる。
すると玲香ちゃんは。
「じゃぁねっ!」
そういって、胸の前でやや控え目に手を振ると。一気に家の方角へと走り出す。
「あぁ、返事する前に、帰っちゃったよ……」
明日、ふたりに聞いてみよう。
でも僕はもう、答えを知っている。
嫌味もいわれそうだし、ため息もつかれそうだ。
でもあのふたりは、絶対に断らない。
もめごとが増えそうなのは仕方がない、でもきっとそれ以上に。
……楽しいことが、増えるはずだ。


