……ふたりが部室から出たあとで。
「いや〜、今年後輩ができるなんて思っていなかったよ〜」
 わたしは、つとめてのんびりとした声でいう。
 で、そろそろ聞いてもいいのかな?
「ま、それはそれでうれしいんだけどね〜」
 たぶん、いいんだよね?
「そろそろさぁ、どうしてあのふたりにこだわっているのか、教えてくれない?」
 
 残念……。
 三藤(みふじ)月子(つきこ)は、浮かない顔でわたしを見る。
 あぁ、そんなにいいたくないことだったのかと悟ると同時に。
 じゃぁどうして月子は誘ったのかと。わたしはより、理解に苦しむ。

「あのね、陽子(ようこ)。……正直いうと、海原(うなはら)くんだけいてくれたらいいの」
「えっ?」
 親友がようやく口にしてくれた本音なのに、わたしは……。
「それはひどいよ。だったら高嶺(たかね)さんに失礼じゃん!」
 思わず、いってしまった……。

「陽子が怒るとは思っていた、だからいいたくなかったのよ」
「ちょっと、意味がわからない!」
「仕方がないでしょう。海原くんひとりを誘う方法が、わからなかったのよ……」
「理由になってないよ! それに、それってさ、なんかよくわからないけど。ちょっと海原君にも失礼だよ」
 わたしは、月子に本音に驚きつつも。そんな理由を、認めてはいけない気がした。

 わたしは、月子の親友だ。
 だから、いわなければならないことがある。
「誰ともしゃべらないっていう、自分のキャラ変えてまで、みんなに迷惑かけてさぁ……」
 あれ、でもこの出だしで、いいんだろうか?

「そんなに海原君が大事なら、巻き込まないであげたらよかったじゃん!」
 でも、もう口にしてしまった。
「それにさ!」
 伝えるのは、わたしの役目なのだから。
「『おまけ』みたいに扱われた高嶺さんの気持ちだって、考えてあげなよ!」
 これはきっと、正しい……はずだ……。



 ……違うの陽子。
 わたしだって。わたしにだって、いい分がある。
 陽子にまだ伝えられていないことだってある。
 それに……。陽子がそんなことをいうのは、ずるい。
 いわなくても済むことを、あえていう自分を、わたしは嫌いだ。
 でももともとわたしは、そんな人間なの……。

 わたしは、覚悟を決めると。
「陽子、やめてよ。去年だって、わたしだって。『おまけ』みたいな存在だったじゃない!」
 一気に陽子に、自分の気持ちをぶつけた。



 ……去年だって?
 ねぇ月子、いまそういったよね?


 ……一年前の並木道。

 たくさんの部活の勧誘のチラシを受け取り、ようやく玄関にたどり着くと。
「陽子、入学おめでとう!」
 幼馴染の美也(みや)ちゃんは、そういって笑顔でわたしを迎えてくれた。
「部活の勧誘、すごいねぇ……」
 わたしがそういうと、美也ちゃんは静かにうなづいて。次の日も、その次の日も同じことが繰り返された。

「そういえば美也ちゃんは、勧誘とかしないの?」
 たくさんの部活が、並木道で部員を誘っているのに。
 四日目にようやく、美也ちゃんはその輪に加わっていないことにわたしは気がついて。無邪気に聞いてしまった。

「……いまから、陽子にだけするよ」
 あのときのわたしは……。
「ねぇ陽子? 『機器部』に入らない?」
 美也ちゃんの誘いだ、わたしが断るはずがない! ようやく誘ってもらった!
 そのうれしさのあまり。
 美也ちゃんの悲しげな表情に、気づけなかった。

「……ねぇ陽子、入部してくれるなら、お願い」
「なぁに? 美也ちゃん?」
「あともうひとり、陽子の友達誘ってくれない?」
 だからわたしは、その言葉の持つ重みも。深く考えていなかった。
 ただ、美也ちゃんが望むならと。
 わたしは誰かを誘うことに決めた。

 ただ、最大の問題は……。
 そう、わたしにはまだ『友達』がいなかった。


 ……もめごとを大きくしたくない主義のわたしは。
 これまで大抵のことは愛想笑いですべてをかわして生きてきた。
 高校に入学したばかりで、よくわたしのことを知らない人たちも。いままでと同じように、そんなわたしを『やさしい子』だねと、勝手に評しだしていた。

 だから……。
「陽子、お願い!」
「だって陽子なら『やさしいから』平気だよ。お願い!」
 その頃月子は既に、入学早々孤高の存在として有名になっていて。わたしは皆から、月子にプリントを渡したり、伝言する役を任された。

 ……その日の放課後。
 玄関ホールを出ると、急に強い雨が降り出して。
「しばらく待つしかないかぁ……」
 天気予報とか、ちゃんと見ないとダメだなぁ……。そんなことを考えいた、そのとき。
「わたしのお世話係をさせられた上、傘もないのね。気の毒だからバス停までならいいわよ」
 ……妙な話だが。
 その月子の物いいが、なんだかわたしのもやもやした心を、一気に洗い流してくれた。

 ぎこちない距離のふたりが入ったひとつの傘は、無言で並木道を進み。
 発車待ちのバスに乗ると月子は無言で、わたしから離れていく。
「あっ!」
 わたしはそのとき初めて。
 月子の左側がずぶ濡れだったのに、気がついた。

 ……気づいてみれば、あれだけ強い雨だったのに。わたしはほとんど濡れていない。
「ダメだよ、風邪ひくよ!」
 わたしは慌てて月子を追いかけると、その勢いのままに隣の席に座わってハンカチを差し出す。
「なによ、これ?」
「ハ、ハンカチ……」
「ハンカチくらいわかるわ。わたしはなぜハンカチが出てきて、あと……」
「あと、勢いで隣に座っちゃった!」
 勢いでそういったわたしは。
 美也ちゃん以外の前で、『丘の上』に入学して初めて、愛想笑い以外の笑顔になれた。
「ねぇ、座ってもいいかな?」
 この笑顔のまま、まだ誰かと話していたい。そう願いながらわたしが質問する。

 月子は一瞬だけ迷う素振りを見せたあと、ため息をつきながら。
「もう座っているじゃない……」
 そう答えながら迷惑そうに。ハンカチも受け取ってくれた。

 月子の瞳が、わたしをじっと見つめる。
 大丈夫。わたしはあなたの、敵ではない。
 そしてあなたも、わたしの敵ではない。

「念のためにいうけれど」
「うん」
「……わたしは。……傘に入れてあげたあなたが、濡れるのが嫌だっただけ」
 バスが動き出すと月子が、変な理由をわざわざ口に出してくれたから。
 わたしはもう一度、素直な気持ちで笑顔になれた。

 そのときわたしは。これからは、なにあっても月子のそばにいたいと思った。
 月子を理解できるのは、わたしだけなのだと思った。


 ……翌日の放課後、玄関ホールでわたしは月子を待っていて。
 わたしを見かけた月子は、思っいた通り。明らかに迷惑そうな顔をする。

「きょうは、晴れているわ」
 ……うん、それは知っているよ、三藤さん。

「だから、『月子』が濡れないでいいのが、うれしい!」
 わたしは、月子がそれ以上なにかをいうよりも先に。自分の気持ちを、どんどん月子にぶつける。
「ねぇ、わたしたち同じ部活に入らない?」
「えっ?」
「きっと部室でなら、もっと自由にしゃべれるよ!」
 そう……。
 わたしはもっと、月子の声が聞きたくて。
 月子と、いつまでも話しがしたくて。

 ……誰にも邪魔されず、ふたりだけの空間があればもっともっと、仲良くなれる。

 そんなふうに考えた。


 それからしばらくすると、美也ちゃんは。
「あとはふたりなら、平気だね!」
 バレー部のマネージャーになりたいといって『機器部』を辞めた。
 わたしは美也ちゃんが、同じ中学からやってきた長岡(ながおか)先輩とようやく恋をかなえたのだと思い祝福した。
 でも、本当は美也ちゃんは。
 わたしに、ついに心を許せる親友が出来たので。
 変に気をつかっただけだった……。

 ……ただ、月子はそんなことを知らないから。
 美也ちゃんとわたしは、月子を傷つけた。それが月子のさっきいったこと。

「わたしは、『おまけ』みたいな存在だったじゃない!」

 ふと、我にかえると。
 月子の、やや物憂げでほんのり潤みがちで、それでいてどこまでも澄んだ紺色のふたつの瞳が。
 まっすぐにわたしを、見つめていた。


 ……心から、通じ合っているつもりだった。

 でも、だからこそ伝え切れていない思いがあるのを。
 互いに知ってしまった。

 だからこのとき、わたしたちは。
 ふたりで同時に……。
 こういうしかなかったんだ。

「わたしの気持ちだって、考えてよ!」
「ぜんぶ知ってるなんて、いわないでよ!」

 わたしたちのベクトルの向きが、違ってしまって。
 それからどんどん、加速されていって……。


 そして、次の日から。
 三藤月子とわたしは。学校に行くのをやめた。