……んん、あれ?
眩しい。それに人の話し声?
ゆっくりと目を開けてみると、なぜか俺は畳の上に寝転んでいた。久々に嗅ぐイグサの匂いを不思議に感じながら、むくりと起き上がる。
十畳くらいの和室だ。部屋の中心には木目調のちゃぶ台が置かれていて、そこにお茶とミカンが並んでいる。続いて視界に入ったのは、昔懐かしい箱型テレビを眺める老婆の姿だった。
「……婆ちゃん?」
檜皮色とも称される暗い茶色の着物を纏った、白髪頭の痩せた老婆が座布団の上にちょこんと座っている。
その姿を見て、「天国でまさかの再会か!?」とも思ったが、記憶にある祖母とは顔がまるで違う。
じゃあここは、いったいどこなんだ?
「――で起きた傷害事件により、刃物で腹部を刺された二十代の男性が死亡しました。亡くなったのは現場のマンションに住む会社員の土尾練さんとみられ、警察は逃走した犯人の行方を……」
解像度の荒い画面に映る男性キャスターが、そんなニュースを淡々と読み上げている。ちなみに土尾練とは俺の名前だ。ってことは……。
「お察しの通り、お主はこの事件で死んでしもうたよ。つまり今のお主は魂の状態、というわけじゃな」
湯呑の中身をズズズと飲みながら、お婆さんは横目で俺を見た。皺だらけで目は細いが、やけに眼光が鋭い。
あー、やっぱり死んだのか。でも手足はあるし、刺された腹の痛みもない。なんだか妙な感覚だな。たしかにショックだけど、それよりも死後の世界があったことの方に驚いている。
「じゃあここは天国?」
少なくとも地獄ではなさそうだが……あれ? これってまさか、創作話でよくあるような、異世界転生ってやつの流れじゃないか? ってことは、このお婆さんはもしかして――。
「ふふふ、察しが良いの。儂は女神サクヤ。実はお主に頼みたいことがあってな。魂を儂の神域に呼ばせてもらったというわけじゃ。……なんじゃ、その『えぇー?』って顔は」
「い、いやそんなことは別に……」
こちらにジト目を向けているサクヤ様から、スススと視線を逸らす。この人に睨まれると、心を見透かされていそうで妙に怖いんだよな。
「ふんっ。さてはお主、『こういう転生イベントの女神様って普通、美人なお姉さんが定番なのに』とか失礼なことを考えておるんじゃろ。悪かったな、見た目がヨボヨボの婆さんで」
凄い、バレている。あまりにも正確に本音を読まれてしまい、ウッと息が詰まりかけた。
だって女神というより、死神と言われた方が納得できる容貌なんだもの。
「まったく……まぁよい。それよりも、ここに呼び出した理由を説明するぞ?」
「は、はい」
「お主にはまず、儂が管理しておる世界に転生してもらう。そこでとある重要な使命を果たしてほしいのじゃ」
サクヤ様は声のトーンを落としながら、俺の目を真っ直ぐに見つめる。
ていうか『儂の管理している世界』だって? サクヤって日本人っぽい名前だけど、地球の神様じゃなかったのか?
それに重要な使命ってなんだろう。まさか勇者になって魔王を倒せ……じゃないよな?
悪いがそれならお断りだ。武道の経験なんて、高校の授業でやった剣道ぐらいだし。ビビりな俺に、危険な戦いなんてできっこない。
「安心せい。お主にやってほしいのは、枯れた大地に緑を満たし、豊穣神である儂の威光を広めることじゃ」
「……え?」
「いわば、土地の再開発じゃな」
どういうことだ? 思ったよりもだいぶ平和的なお願いだったぞ?
それにサクヤ様って豊穣の神様だったんだ。でも見た目で連想するのは、豊穣っていうよりも枯れ木なんじゃ……おっと、また睨まれてしまった。
「命拾いしたな、口に出していたら問答無用で地獄に落としておったわ」
セーフセーフ。口は禍の門っていうが、危うく地獄の門をくぐらされるところだったぜ。
「……だがお主の感想もあながち的外れではない。非常に不本意ながら、な」
「え?」
サクヤ様は溜め息を一つ吐いてから、伏し目がちに事情を語り始めた。
「儂は『生命の樹』と呼ばれる神樹を通じて、豊穣の力を世界にもたらしておってな」
「まさかその『生命の樹』とやらに問題が?」
「その通り。原因不明の理由で枯れてしもうてな。それから大地が荒れ始め、豊穣神を信じる者は急速に減っていったのじゃ」
うわぁ、それは御愁傷さまだ……。
「神力の源である信仰心が薄れたことで、ピッチピチだった儂もこの通りというわけじゃ」
顔の皺をさらに深めて悲しそうにするサクヤ様。いやピッチピチて。そういう口調がもうお婆さんじゃないですか。だけどまぁ、心は乙女なのだろう。深掘りするとまた逆鱗に触れそうだし、これ以上は考えないようにしよう。
ともかく、なんとなく事情は把握した。だけど具体的に俺はなにをすれば?
「お主が死の間際に願ったことは儂に届いておる。『来世があれば田舎でスローライフがしたい』のじゃろ? ただそれを叶えればいいだけじゃよ」
――え? あぁ~、たしかにそんなことを考えていたような?
でもそんなことでいいんですか?
「儂らの世界は、学問や技術があまり発展しておらぬ。ゆえにお主が持つ農業の経験や知識は絶大な力を持つ。それらと神が与える加護を上手く使えば、枯れた大地に緑を取り戻すこともいずれ可能になるじゃろう」
えぇ~本当かなぁ?
そんな簡単に上手くいかない気がしますけれど。
「って待ってください! 今、神様の加護って言いませんでした?」
おいおいおい。サクヤ様の口から、聞き捨てならないワードが飛び出してきたぞ?
「そうじゃ。儂らの世界では、神の加護としてすべての者にジョブを与えておってな、職業に準じた便利なスキルを使うことができる。お主は儂の使徒となるわけじゃし、なにか特別なものをくれてやろう」
おぉっ!? それってまさか、チートってやつじゃないですか!
「ふふふ。そして見事目的を達成した暁には、お主が飛んで喜ぶような褒美も用意してある」
うっひょー、それなら話は別ですってば!
前世では酷い最期を迎えてしまったけれど、神様直々の加護があるなら、今度こそ幸せな人生を送れるのでは?
「よし、やる気になったようじゃし、さっそく転生させるとしよう」
サクヤ様はうんうんと機嫌が良さそうに頷くと、パチンと指を鳴らした。すると同時に、俺の全身が淡くぼんやりと光り始めた。
うーん。出逢ったばかりなのにもうお別れか。そう思うと、なんだかちょっと寂しい。
「あ、そうだサクヤ様」
「ん? なんじゃ」
自分の身体が足先から光の粒子になって解けていく。その様子を見下ろしつつ、俺はサクヤ様にとあるお願いをすることにした。
「達成したときのご褒美なんですけど……それって、他の人に譲渡できませんか?」
「……時と場合による。内容を言うてみい、手短にな」
一瞬でサクヤ様の目が鋭くなった。でも俺は怯まずに言葉を続ける。
「その相手っていうのは、田舎にいる両親なんです」
言うまでもなく、俺はとんでもなく親不孝なバカ息子だ。だけど死んだと知った母さんたちはきっと、深く悲しんでいると思う。
「両親から俺に関する記憶を失くしてほしいんです。できれば最初から、この世にいなかったことに――」
「それはできぬ」
ちょ、ちょっと待ってくれ。まだ話も途中だっただろうが!
「な、なんでだよ……神様ならそれくらいできるだろ!?」
「魂ある者を存在しなかったことにしろじゃと? たとえ其奴がどんな人間のクズであろうと、それは世界の理 に反する。いくら神でも許されぬ行いじゃぞ!」
明らかなる拒絶。サクヤ様から有無を言わせぬ圧を感じた。
こうしている間にも、固く握りしめた自分の拳が消えている。話せる時間はもう残り僅かだろう。
「そんな……どうしてだよ……」
湧き起こる感情の行き場に困って俯いていると、サクヤ様は小さく溜め息を漏らした。
「あまり気に病むでない。他人を救ったお主の善行を、ご両親は誇りに思うじゃろう。悲しみもいずれは薄れるじゃろうて」
「……そう、でしょうか」
「お主の気持ちは十分に理解した。儂のできる範囲で努力してみよう」
さっきとは打って変わって慈しみに満ちた、優しい口調だった。俺が顔を上げると、サクヤ様は困ったように「あぁもう、別れ際にそんなシケた顔をするな」と苦笑していた。
……ここで意地を張っても仕方ないか。そもそも俺が勝手に死んだのであって、サクヤ様に八つ当たりすること自体がお門違いなんだし。
「分かりました。両親のこと……どうかよろしくお願いいたします」
「儂に任せておけ。ともかくお主は異世界を楽しんでこい。その方が両親も安心するじゃろう」
「そっか……きっとそうですよね!」
サクヤ様の言う通り、やり直せるチャンスだしな。今度はきっと上手くやれるさ!
そう考えた途端、ようやく転生への期待感が湧いてきた。
ふひひ、待ってろよ異世界。スキルで美味しい野菜をたくさん育てて、夢だったスローライフを満喫するぞ!
「さぁ、ゆくが良い。願わくば、お主の新たな人生に幸多からんことを――」
手を合わせて祈る女神サクヤ様に見送られながら、俺の身体は光の粒子になって完全に消えた。
眩しい。それに人の話し声?
ゆっくりと目を開けてみると、なぜか俺は畳の上に寝転んでいた。久々に嗅ぐイグサの匂いを不思議に感じながら、むくりと起き上がる。
十畳くらいの和室だ。部屋の中心には木目調のちゃぶ台が置かれていて、そこにお茶とミカンが並んでいる。続いて視界に入ったのは、昔懐かしい箱型テレビを眺める老婆の姿だった。
「……婆ちゃん?」
檜皮色とも称される暗い茶色の着物を纏った、白髪頭の痩せた老婆が座布団の上にちょこんと座っている。
その姿を見て、「天国でまさかの再会か!?」とも思ったが、記憶にある祖母とは顔がまるで違う。
じゃあここは、いったいどこなんだ?
「――で起きた傷害事件により、刃物で腹部を刺された二十代の男性が死亡しました。亡くなったのは現場のマンションに住む会社員の土尾練さんとみられ、警察は逃走した犯人の行方を……」
解像度の荒い画面に映る男性キャスターが、そんなニュースを淡々と読み上げている。ちなみに土尾練とは俺の名前だ。ってことは……。
「お察しの通り、お主はこの事件で死んでしもうたよ。つまり今のお主は魂の状態、というわけじゃな」
湯呑の中身をズズズと飲みながら、お婆さんは横目で俺を見た。皺だらけで目は細いが、やけに眼光が鋭い。
あー、やっぱり死んだのか。でも手足はあるし、刺された腹の痛みもない。なんだか妙な感覚だな。たしかにショックだけど、それよりも死後の世界があったことの方に驚いている。
「じゃあここは天国?」
少なくとも地獄ではなさそうだが……あれ? これってまさか、創作話でよくあるような、異世界転生ってやつの流れじゃないか? ってことは、このお婆さんはもしかして――。
「ふふふ、察しが良いの。儂は女神サクヤ。実はお主に頼みたいことがあってな。魂を儂の神域に呼ばせてもらったというわけじゃ。……なんじゃ、その『えぇー?』って顔は」
「い、いやそんなことは別に……」
こちらにジト目を向けているサクヤ様から、スススと視線を逸らす。この人に睨まれると、心を見透かされていそうで妙に怖いんだよな。
「ふんっ。さてはお主、『こういう転生イベントの女神様って普通、美人なお姉さんが定番なのに』とか失礼なことを考えておるんじゃろ。悪かったな、見た目がヨボヨボの婆さんで」
凄い、バレている。あまりにも正確に本音を読まれてしまい、ウッと息が詰まりかけた。
だって女神というより、死神と言われた方が納得できる容貌なんだもの。
「まったく……まぁよい。それよりも、ここに呼び出した理由を説明するぞ?」
「は、はい」
「お主にはまず、儂が管理しておる世界に転生してもらう。そこでとある重要な使命を果たしてほしいのじゃ」
サクヤ様は声のトーンを落としながら、俺の目を真っ直ぐに見つめる。
ていうか『儂の管理している世界』だって? サクヤって日本人っぽい名前だけど、地球の神様じゃなかったのか?
それに重要な使命ってなんだろう。まさか勇者になって魔王を倒せ……じゃないよな?
悪いがそれならお断りだ。武道の経験なんて、高校の授業でやった剣道ぐらいだし。ビビりな俺に、危険な戦いなんてできっこない。
「安心せい。お主にやってほしいのは、枯れた大地に緑を満たし、豊穣神である儂の威光を広めることじゃ」
「……え?」
「いわば、土地の再開発じゃな」
どういうことだ? 思ったよりもだいぶ平和的なお願いだったぞ?
それにサクヤ様って豊穣の神様だったんだ。でも見た目で連想するのは、豊穣っていうよりも枯れ木なんじゃ……おっと、また睨まれてしまった。
「命拾いしたな、口に出していたら問答無用で地獄に落としておったわ」
セーフセーフ。口は禍の門っていうが、危うく地獄の門をくぐらされるところだったぜ。
「……だがお主の感想もあながち的外れではない。非常に不本意ながら、な」
「え?」
サクヤ様は溜め息を一つ吐いてから、伏し目がちに事情を語り始めた。
「儂は『生命の樹』と呼ばれる神樹を通じて、豊穣の力を世界にもたらしておってな」
「まさかその『生命の樹』とやらに問題が?」
「その通り。原因不明の理由で枯れてしもうてな。それから大地が荒れ始め、豊穣神を信じる者は急速に減っていったのじゃ」
うわぁ、それは御愁傷さまだ……。
「神力の源である信仰心が薄れたことで、ピッチピチだった儂もこの通りというわけじゃ」
顔の皺をさらに深めて悲しそうにするサクヤ様。いやピッチピチて。そういう口調がもうお婆さんじゃないですか。だけどまぁ、心は乙女なのだろう。深掘りするとまた逆鱗に触れそうだし、これ以上は考えないようにしよう。
ともかく、なんとなく事情は把握した。だけど具体的に俺はなにをすれば?
「お主が死の間際に願ったことは儂に届いておる。『来世があれば田舎でスローライフがしたい』のじゃろ? ただそれを叶えればいいだけじゃよ」
――え? あぁ~、たしかにそんなことを考えていたような?
でもそんなことでいいんですか?
「儂らの世界は、学問や技術があまり発展しておらぬ。ゆえにお主が持つ農業の経験や知識は絶大な力を持つ。それらと神が与える加護を上手く使えば、枯れた大地に緑を取り戻すこともいずれ可能になるじゃろう」
えぇ~本当かなぁ?
そんな簡単に上手くいかない気がしますけれど。
「って待ってください! 今、神様の加護って言いませんでした?」
おいおいおい。サクヤ様の口から、聞き捨てならないワードが飛び出してきたぞ?
「そうじゃ。儂らの世界では、神の加護としてすべての者にジョブを与えておってな、職業に準じた便利なスキルを使うことができる。お主は儂の使徒となるわけじゃし、なにか特別なものをくれてやろう」
おぉっ!? それってまさか、チートってやつじゃないですか!
「ふふふ。そして見事目的を達成した暁には、お主が飛んで喜ぶような褒美も用意してある」
うっひょー、それなら話は別ですってば!
前世では酷い最期を迎えてしまったけれど、神様直々の加護があるなら、今度こそ幸せな人生を送れるのでは?
「よし、やる気になったようじゃし、さっそく転生させるとしよう」
サクヤ様はうんうんと機嫌が良さそうに頷くと、パチンと指を鳴らした。すると同時に、俺の全身が淡くぼんやりと光り始めた。
うーん。出逢ったばかりなのにもうお別れか。そう思うと、なんだかちょっと寂しい。
「あ、そうだサクヤ様」
「ん? なんじゃ」
自分の身体が足先から光の粒子になって解けていく。その様子を見下ろしつつ、俺はサクヤ様にとあるお願いをすることにした。
「達成したときのご褒美なんですけど……それって、他の人に譲渡できませんか?」
「……時と場合による。内容を言うてみい、手短にな」
一瞬でサクヤ様の目が鋭くなった。でも俺は怯まずに言葉を続ける。
「その相手っていうのは、田舎にいる両親なんです」
言うまでもなく、俺はとんでもなく親不孝なバカ息子だ。だけど死んだと知った母さんたちはきっと、深く悲しんでいると思う。
「両親から俺に関する記憶を失くしてほしいんです。できれば最初から、この世にいなかったことに――」
「それはできぬ」
ちょ、ちょっと待ってくれ。まだ話も途中だっただろうが!
「な、なんでだよ……神様ならそれくらいできるだろ!?」
「魂ある者を存在しなかったことにしろじゃと? たとえ其奴がどんな人間のクズであろうと、それは世界の理 に反する。いくら神でも許されぬ行いじゃぞ!」
明らかなる拒絶。サクヤ様から有無を言わせぬ圧を感じた。
こうしている間にも、固く握りしめた自分の拳が消えている。話せる時間はもう残り僅かだろう。
「そんな……どうしてだよ……」
湧き起こる感情の行き場に困って俯いていると、サクヤ様は小さく溜め息を漏らした。
「あまり気に病むでない。他人を救ったお主の善行を、ご両親は誇りに思うじゃろう。悲しみもいずれは薄れるじゃろうて」
「……そう、でしょうか」
「お主の気持ちは十分に理解した。儂のできる範囲で努力してみよう」
さっきとは打って変わって慈しみに満ちた、優しい口調だった。俺が顔を上げると、サクヤ様は困ったように「あぁもう、別れ際にそんなシケた顔をするな」と苦笑していた。
……ここで意地を張っても仕方ないか。そもそも俺が勝手に死んだのであって、サクヤ様に八つ当たりすること自体がお門違いなんだし。
「分かりました。両親のこと……どうかよろしくお願いいたします」
「儂に任せておけ。ともかくお主は異世界を楽しんでこい。その方が両親も安心するじゃろう」
「そっか……きっとそうですよね!」
サクヤ様の言う通り、やり直せるチャンスだしな。今度はきっと上手くやれるさ!
そう考えた途端、ようやく転生への期待感が湧いてきた。
ふひひ、待ってろよ異世界。スキルで美味しい野菜をたくさん育てて、夢だったスローライフを満喫するぞ!
「さぁ、ゆくが良い。願わくば、お主の新たな人生に幸多からんことを――」
手を合わせて祈る女神サクヤ様に見送られながら、俺の身体は光の粒子になって完全に消えた。


