寒い。とにかく寒い。そとに出た瞬間、つめたい雪が頬を打った。私はマフラーを口許まで引き上げる。
「やっぱさみーな、雪国」
ニット帽を被った亮司さんが、灰色の空から絶え間なく降り落ちる雪を見上げてそう言った。黒いダウンで身を包んでいるけれど、その下に黄色のアロハシャツを着ていることを私は知っている。
そのとなりに立つ麦穂さんが「北海道はきたことあるけど、釧路は初めてだなあ」と声を弾ませた。一眼レフのカメラを首から下げていたけれど、降り注ぐ雪を見て、すぐにリュックサックに仕舞っている。
「亮司くん、さっさとレンタカー借りにいこうよ」
「だな。蛍人とナナちゃんは準備万端か?」
「問題ない」
「はい、大丈夫です!」
たんちょう釧路空港を背に、私たちは空港前のロータリーの奥にあるレンタカー屋を目指した。車は亮司さんが予約済み。運転のメインは亮司さん、サブは麦穂さんということになっている。
私はスーツケースで来たものの、道に積もった雪にタイヤがずぼっと埋まり、なかなか前に進まない。リュックひとつのキラくんが、私の手からスーツケースを取り上げると、持ち上げて歩きはじめた。
「ごめんなさ……じゃなかった、ごめん、キラくん」
まだ慣れていない私の砕けた話し方に、キラくんがひっそりと笑う。
「平気。軽いし」
そんなことはないだろうと思いつつ、ここは素直に甘えることにした。
「にしても亮司さんは雪道の運転、大丈夫?」
「おう蛍人、任せろ。年末年始になると毎年山形のばあちゃんちで運転してるからな」
「トータルでたった数回の話なんじゃないの」
「ひでーな。まあ超絶安全運転でいくから」
予約していたのはコンパクトカーだったけれど、レンタカー会社の事情でワゴンタイプの普通乗用車になった。料金は予約時のままでいいらしい。
レンタルの手続きが終わると、さっそくバックドアをあけて荷物を積む。亮司さんが運転席、麦穂さんが助手席、キラくんと私は後部座席に乗り込んだ。
「わあ! 車内、結構広いね。車幅もありそうだけど、亮司くんの運転は大丈夫?」
「だれも俺のドライビングテクニックを信用してないのかよ……」
「こういうのは過信しちゃだめなんだよ、亮司くん」
亮司さんはがっくりと肩を落としたまま、エンジンをかけるとナビを操作している。車内に生暖かい風が流れ、窓ガラスが曇りはじめたので、亮司さんが空調の設定をいじっている。
曇りは徐々に消えていき、うっすらと黒っぽい窓ガラスから、そとの景色が見えた。大粒の綿のような雪がしんしんと降っている。まだお昼頃だけれど、雲に覆われた空は仄暗い。空港の玄関口の近くには丹頂鶴のオブジェがある。
「飛行機に乗るまえに軽食を食べたからか、俺はぜんぜんお腹がすいてないけど、麦穂は?」
「うーん、私もあんまり」
キラくんと私も目を合わせ、首を横に振る。空きっ腹のままだと頭が痛くなるぞ、と言われ、搭乗前にせっせと食べたサンドイッチが胃の中に残っている。
「じゃー、観光するか。どうする、蛍人」
「なにが」
「夏樹が立ち寄ったと思われる細岡展望台、いくか?」
キラくんは一瞬だけことばを詰まらせたけれど、すぐに眉間に力を入れて淡々と返事をした。
「冬季は積雪で道が狭くなっている上に傾斜もあって危ないんだろ。やめたほうがいいんじゃね」
「俺、行ったことあるから。無理そうだとわかったら早めに引き返す」
「じゃあその判断は私がするよ? 未来ある若者の命がかかってるんだもの」
蛍人くんを案内してあげたい亮司くんの気持ちはわかってるつもりだけど、と麦穂さんが付け加えて、ふうと息を吐いた。キラくんは目を伏せていた。
亮司さんはほんとうに安全運転だった。極力スピードを落として運転するので、後方から地元民と思われる車やトラックにびゅんびゅん追い抜かされる。けれども亮司さんは気にもせず、真剣な表情でハンドルを握っている。
麦穂さんはリュックサックのなかからカメラを取り出すと、じっとレンズを覗き、たまにシャッターを下ろしていた。
「ただいまの気温、マイナス一度みたい」
道路標識と並ぶように立っている電光掲示板は外気温を示していて、それは赤く点滅していた。
「これでも気温が高めらしいぞ。一月とか二月になると、マイナス二桁になる日もあるらしい」
「二桁かあ。一回くらいは体感してみたい気もする。鼻毛凍るかな? ねえどう思う、亮司くん」
「やめろ麦穂、無邪気に言うな」
「ええー、どうして」
肩の上で切り揃えられた蜂蜜色の髪を揺らしながら、麦穂さんが屈託なく笑っている。亮司さんは赤信号で車を停めると、カラスの羽みたいに黒いダウンを脱いで、黄色いアロハシャツのすがたになった。
「これ、なにかのギャグだよね? ナナちゃんはどう思う? 冬の北海道に来て、わざわざアロハシャツなんて着てるのこの人くらいだと思わない」
ぶほっ、だか、ぶはっ、みたいな音を立てて吹き出してしまった。亮司さんは「うるせー、これが普段着なんだよ」と口を尖らせている。
キラくんは完全に呆れ返っていた。
「にしても亮司くんひどくない? 私にも黙ってたのよ。お友だちと釧路にいってたこと」
「……おまえまで巻き込みたくなかったんだよ」
「どうだか。まあいいけどね、今回こうしてこられたし。蛍人くんもナナちゃんもいるしね」
麦穂さんはくるりと振り返ってウインクした。そしてカメラを構えたかと思えば、キラくんと私にシャッターを切る。
「蛍人くん、そんな怖い顔しないで。旅が終わったら、とびきりすてきな写真を送ってあげるから」
「そりゃどうも」
「あっ、そういえば二人とも試験おつかれさまでした」
キラくんは肩をすくめている。
結城先生から聞いた話だけれど、キラくんは学年一位だったらしい。三年生の廊下に順位が張り出されていたそうだ。
一方の私はといえば、平均点に届く教科があったりなかったり、という出来映えだったけれど、落ちこぼれていた日々を思えば前進したと思う。ふと、藤川先生が手を叩いて喜んでいたのを思い出す。
「試験なんて懐かしいなあ」
「だな。もうしばらく勉学からは遠ざかってるし」
「あの」
思わず口を挟んでしまった。ルームミラー越しに、サングラスをつけていない亮司さんと目が合う。麦穂さんも耳を傾けてくれている。
「お二人にとって、学校ってどんな場所でしたか」
どんな場所かあ、と麦穂さんがフロントガラスから遠くの方角を眺めている。
「俺はまあ普通に楽しかったけどな。勉強はそんなに得意ではなかったけど」
亮司さんがそう言えば、麦穂さんがふたたび振り返って穏やかな笑みを浮かべ「ナナちゃんはどうして気になったの」と問う。
「えっと、それは」
口ごもりつつも、私は自分のことばを探し、バラバラのパーツを並べていくように返事をした。
「いま、なんで学校にいっているのか、自分自身がよくわかっていないから、です。いったほうがいいのかさえ、判断できていなくて。留年したくない一心で勉強してるんだと思います。いまの私は」
目標もないまま過ごしている。留年しなければ、高校卒業まであと一年ちょっとしかない。それまでに進路を決めなければならない。
進路についてはなにも考えられていない。期末試験の勉強がなんの役に立つのか、結局のところ私は腹落ちできていないのかもしれない。
「学校にいくべきか否か、っていう話については、俺と麦穂じゃ微妙に意見が分かれるな」
それまで無反応だったキラくんが、視界の端で眉を跳ね上げたのがみえた。どうやら意外だったらしい。
麦穂さんはそうだね、と目尻をゆるめた。
「俺はさ、学校には行ったほうがいい派。それはたぶん、夏樹のことがあるからだと思う。学校やめてひきこもって、挙句消えちまったんだ。せめて学校いっておけば未来が変わったんじゃないか、って思っちゃうんだよ。でも麦穂はちがうだろ?」
麦穂さんはしっかりとうなずくと、「あのねナナちゃん」と囁くように言った。
「私ね、高校でいじめられてたの」
驚いたのは私だけではなくキラくんもで、二人で目を合わせてぎゅっと唇を結んだ。
「小学校までは地元の友だちと一緒だし、中学だって亮司くんと夏樹くんの通ってた小学校と私の通った小学校の子しかいなかったから、比較的平和だったの。だから、高校で友だちを作れなくて挫折した」
「……」
「友だちなんて簡単にできるものだと思ってた。はじめは四人グループで、でもそのうち外されちゃって。物捨てられたり、制服切られたり、古典的ないじめを受けたけど、私は高校を休まなかったの」
麦穂さんは、学校を休んだら負けだと信じていたらしい。それは時代的な背景もあるかもしれないけれど、親は子どもが体調不良以外で欠席することを認めなかったし、麦穂さんもそれが正しいと思っていたそうだ。
「なにされても、背筋を伸ばして学校に通って、無事大学受験も終わって、高校卒業したら糸が切れちゃって」
「糸が切れた?」
「私、大学中退。カメラは天職だと思ってるけど、それでも大学を卒業しなかったことは心底後悔してる。糸が切れたとき、夏樹くんもこんな気持ちだったのかもって思った」
そんなの今更だよね、と麦穂さんは自嘲した。
「だからね、休んでもよかったと思うの。それで、可能であれば転校して、環境を変えてもよかった。やめてもいい。必ずしも固執する必要はなかった。心身を病むくらいなら、高卒認定を取って大学受験をしたほうがよかったかも、って。甘いかもしれないけど」
麦穂さんは前を向くと、膝の上に置いてあるカメラをそっと撫でている。慈しむような仕草でもあり、悲しげな愛情表現にもみえた。
「学校って、たぶん、選択肢を増やす場所なんだと思う。なりたい職業を目指して専門学校に行くのもそうだし、就職要件が四大卒の企業もあるでしょ?」
それはまるで自分に言い聞かせているかのようで、胸を打たれた私はなにも言うことができなかった。キラくんも黙って話を聞いている。
「行けば選択肢が増える。でも、ひどい環境なら自分が潰れちゃうから、その前に場所を変える、やめる、とか。あくまで私はね」
「やっぱさみーな、雪国」
ニット帽を被った亮司さんが、灰色の空から絶え間なく降り落ちる雪を見上げてそう言った。黒いダウンで身を包んでいるけれど、その下に黄色のアロハシャツを着ていることを私は知っている。
そのとなりに立つ麦穂さんが「北海道はきたことあるけど、釧路は初めてだなあ」と声を弾ませた。一眼レフのカメラを首から下げていたけれど、降り注ぐ雪を見て、すぐにリュックサックに仕舞っている。
「亮司くん、さっさとレンタカー借りにいこうよ」
「だな。蛍人とナナちゃんは準備万端か?」
「問題ない」
「はい、大丈夫です!」
たんちょう釧路空港を背に、私たちは空港前のロータリーの奥にあるレンタカー屋を目指した。車は亮司さんが予約済み。運転のメインは亮司さん、サブは麦穂さんということになっている。
私はスーツケースで来たものの、道に積もった雪にタイヤがずぼっと埋まり、なかなか前に進まない。リュックひとつのキラくんが、私の手からスーツケースを取り上げると、持ち上げて歩きはじめた。
「ごめんなさ……じゃなかった、ごめん、キラくん」
まだ慣れていない私の砕けた話し方に、キラくんがひっそりと笑う。
「平気。軽いし」
そんなことはないだろうと思いつつ、ここは素直に甘えることにした。
「にしても亮司さんは雪道の運転、大丈夫?」
「おう蛍人、任せろ。年末年始になると毎年山形のばあちゃんちで運転してるからな」
「トータルでたった数回の話なんじゃないの」
「ひでーな。まあ超絶安全運転でいくから」
予約していたのはコンパクトカーだったけれど、レンタカー会社の事情でワゴンタイプの普通乗用車になった。料金は予約時のままでいいらしい。
レンタルの手続きが終わると、さっそくバックドアをあけて荷物を積む。亮司さんが運転席、麦穂さんが助手席、キラくんと私は後部座席に乗り込んだ。
「わあ! 車内、結構広いね。車幅もありそうだけど、亮司くんの運転は大丈夫?」
「だれも俺のドライビングテクニックを信用してないのかよ……」
「こういうのは過信しちゃだめなんだよ、亮司くん」
亮司さんはがっくりと肩を落としたまま、エンジンをかけるとナビを操作している。車内に生暖かい風が流れ、窓ガラスが曇りはじめたので、亮司さんが空調の設定をいじっている。
曇りは徐々に消えていき、うっすらと黒っぽい窓ガラスから、そとの景色が見えた。大粒の綿のような雪がしんしんと降っている。まだお昼頃だけれど、雲に覆われた空は仄暗い。空港の玄関口の近くには丹頂鶴のオブジェがある。
「飛行機に乗るまえに軽食を食べたからか、俺はぜんぜんお腹がすいてないけど、麦穂は?」
「うーん、私もあんまり」
キラくんと私も目を合わせ、首を横に振る。空きっ腹のままだと頭が痛くなるぞ、と言われ、搭乗前にせっせと食べたサンドイッチが胃の中に残っている。
「じゃー、観光するか。どうする、蛍人」
「なにが」
「夏樹が立ち寄ったと思われる細岡展望台、いくか?」
キラくんは一瞬だけことばを詰まらせたけれど、すぐに眉間に力を入れて淡々と返事をした。
「冬季は積雪で道が狭くなっている上に傾斜もあって危ないんだろ。やめたほうがいいんじゃね」
「俺、行ったことあるから。無理そうだとわかったら早めに引き返す」
「じゃあその判断は私がするよ? 未来ある若者の命がかかってるんだもの」
蛍人くんを案内してあげたい亮司くんの気持ちはわかってるつもりだけど、と麦穂さんが付け加えて、ふうと息を吐いた。キラくんは目を伏せていた。
亮司さんはほんとうに安全運転だった。極力スピードを落として運転するので、後方から地元民と思われる車やトラックにびゅんびゅん追い抜かされる。けれども亮司さんは気にもせず、真剣な表情でハンドルを握っている。
麦穂さんはリュックサックのなかからカメラを取り出すと、じっとレンズを覗き、たまにシャッターを下ろしていた。
「ただいまの気温、マイナス一度みたい」
道路標識と並ぶように立っている電光掲示板は外気温を示していて、それは赤く点滅していた。
「これでも気温が高めらしいぞ。一月とか二月になると、マイナス二桁になる日もあるらしい」
「二桁かあ。一回くらいは体感してみたい気もする。鼻毛凍るかな? ねえどう思う、亮司くん」
「やめろ麦穂、無邪気に言うな」
「ええー、どうして」
肩の上で切り揃えられた蜂蜜色の髪を揺らしながら、麦穂さんが屈託なく笑っている。亮司さんは赤信号で車を停めると、カラスの羽みたいに黒いダウンを脱いで、黄色いアロハシャツのすがたになった。
「これ、なにかのギャグだよね? ナナちゃんはどう思う? 冬の北海道に来て、わざわざアロハシャツなんて着てるのこの人くらいだと思わない」
ぶほっ、だか、ぶはっ、みたいな音を立てて吹き出してしまった。亮司さんは「うるせー、これが普段着なんだよ」と口を尖らせている。
キラくんは完全に呆れ返っていた。
「にしても亮司くんひどくない? 私にも黙ってたのよ。お友だちと釧路にいってたこと」
「……おまえまで巻き込みたくなかったんだよ」
「どうだか。まあいいけどね、今回こうしてこられたし。蛍人くんもナナちゃんもいるしね」
麦穂さんはくるりと振り返ってウインクした。そしてカメラを構えたかと思えば、キラくんと私にシャッターを切る。
「蛍人くん、そんな怖い顔しないで。旅が終わったら、とびきりすてきな写真を送ってあげるから」
「そりゃどうも」
「あっ、そういえば二人とも試験おつかれさまでした」
キラくんは肩をすくめている。
結城先生から聞いた話だけれど、キラくんは学年一位だったらしい。三年生の廊下に順位が張り出されていたそうだ。
一方の私はといえば、平均点に届く教科があったりなかったり、という出来映えだったけれど、落ちこぼれていた日々を思えば前進したと思う。ふと、藤川先生が手を叩いて喜んでいたのを思い出す。
「試験なんて懐かしいなあ」
「だな。もうしばらく勉学からは遠ざかってるし」
「あの」
思わず口を挟んでしまった。ルームミラー越しに、サングラスをつけていない亮司さんと目が合う。麦穂さんも耳を傾けてくれている。
「お二人にとって、学校ってどんな場所でしたか」
どんな場所かあ、と麦穂さんがフロントガラスから遠くの方角を眺めている。
「俺はまあ普通に楽しかったけどな。勉強はそんなに得意ではなかったけど」
亮司さんがそう言えば、麦穂さんがふたたび振り返って穏やかな笑みを浮かべ「ナナちゃんはどうして気になったの」と問う。
「えっと、それは」
口ごもりつつも、私は自分のことばを探し、バラバラのパーツを並べていくように返事をした。
「いま、なんで学校にいっているのか、自分自身がよくわかっていないから、です。いったほうがいいのかさえ、判断できていなくて。留年したくない一心で勉強してるんだと思います。いまの私は」
目標もないまま過ごしている。留年しなければ、高校卒業まであと一年ちょっとしかない。それまでに進路を決めなければならない。
進路についてはなにも考えられていない。期末試験の勉強がなんの役に立つのか、結局のところ私は腹落ちできていないのかもしれない。
「学校にいくべきか否か、っていう話については、俺と麦穂じゃ微妙に意見が分かれるな」
それまで無反応だったキラくんが、視界の端で眉を跳ね上げたのがみえた。どうやら意外だったらしい。
麦穂さんはそうだね、と目尻をゆるめた。
「俺はさ、学校には行ったほうがいい派。それはたぶん、夏樹のことがあるからだと思う。学校やめてひきこもって、挙句消えちまったんだ。せめて学校いっておけば未来が変わったんじゃないか、って思っちゃうんだよ。でも麦穂はちがうだろ?」
麦穂さんはしっかりとうなずくと、「あのねナナちゃん」と囁くように言った。
「私ね、高校でいじめられてたの」
驚いたのは私だけではなくキラくんもで、二人で目を合わせてぎゅっと唇を結んだ。
「小学校までは地元の友だちと一緒だし、中学だって亮司くんと夏樹くんの通ってた小学校と私の通った小学校の子しかいなかったから、比較的平和だったの。だから、高校で友だちを作れなくて挫折した」
「……」
「友だちなんて簡単にできるものだと思ってた。はじめは四人グループで、でもそのうち外されちゃって。物捨てられたり、制服切られたり、古典的ないじめを受けたけど、私は高校を休まなかったの」
麦穂さんは、学校を休んだら負けだと信じていたらしい。それは時代的な背景もあるかもしれないけれど、親は子どもが体調不良以外で欠席することを認めなかったし、麦穂さんもそれが正しいと思っていたそうだ。
「なにされても、背筋を伸ばして学校に通って、無事大学受験も終わって、高校卒業したら糸が切れちゃって」
「糸が切れた?」
「私、大学中退。カメラは天職だと思ってるけど、それでも大学を卒業しなかったことは心底後悔してる。糸が切れたとき、夏樹くんもこんな気持ちだったのかもって思った」
そんなの今更だよね、と麦穂さんは自嘲した。
「だからね、休んでもよかったと思うの。それで、可能であれば転校して、環境を変えてもよかった。やめてもいい。必ずしも固執する必要はなかった。心身を病むくらいなら、高卒認定を取って大学受験をしたほうがよかったかも、って。甘いかもしれないけど」
麦穂さんは前を向くと、膝の上に置いてあるカメラをそっと撫でている。慈しむような仕草でもあり、悲しげな愛情表現にもみえた。
「学校って、たぶん、選択肢を増やす場所なんだと思う。なりたい職業を目指して専門学校に行くのもそうだし、就職要件が四大卒の企業もあるでしょ?」
それはまるで自分に言い聞かせているかのようで、胸を打たれた私はなにも言うことができなかった。キラくんも黙って話を聞いている。
「行けば選択肢が増える。でも、ひどい環境なら自分が潰れちゃうから、その前に場所を変える、やめる、とか。あくまで私はね」
