つめたい指で文庫本をひらいたら、不登校の描写が飛び込んできたので、即座に本をとじた。
 中学生のころ貪るように読んだ物語も、いまは現実を突きつけるようなことばが延々と並んでいる。目を背けたくて、文庫本を書棚に戻した。もちろん小説は悪くない。物語はずっと私のたからものであり、心の奥のやわらかいところで眠っている。
 いまはただ、とてもじゃないけれど小説を読んで夢や希望を抱ける心境ではない。さらにいえば登場人物の心情が自分のそれと重なると、爪を立てて全身がりがりと掻きむしりたくなる。そもそもいまの私は、ペーパーブックの字面を追うだけで頭がぼんやりしてくる。
 いずれにせよ高校二年生の私は、本すら読めなくなったというわけだ。
 読書だけではなく、リモコンに手を伸ばしてテレビをつけることもできないし、用意されたごはんを咀嚼するのも億劫だし、お風呂は最後にはいったのがいつかわからないし、なにより横になっても眠れない。
 必死に目をつむり、瞼の裏に広がる闇を見つめているうちに頭の隅のほうから冴えてきて、ベタだけれど羊を数えれば二百匹を超えたあたりから私には意味がないことを悟るし、からだが痺れるたびに寝返りをうって、白みはじめた空を遮光カーテンのすきまから眺めている。
 しかし寝れなくなって三日が過ぎてくると、からだのあちこちがエラーを出しはじめ、いきなりショートし、手足がふるえたり寒気がとまらなかったり吐き気が込みあげたりしてくる。そうすると、親に過剰に心配されるのも煩わしいので、睡眠薬の力を借りて白昼夢をみたりする。
 時間なんて視界にいれたくなくて、部屋の掛け時計の電池を取りはずしたため、長針と短針は午前か午後かわからない一時三分を永遠に指している。けれどスマートフォンは学習机のまんなかに置きっぱなしなので、ふとしたときに発光する画面で時間なんてすぐにわかる。
 ちょっと考えればわかることなのに、私の発想はいつも短絡的で衝動的だ。私のすることなんてぜんぶ無駄。時間は私を置いて着実に進んでいる。それなのに私だけ六畳一間の子ども部屋に取り残されている。むだ、むだ、無駄、無駄無駄。

「ナナちゃん、起きてる?」

 その声は腫れ物に触るみたいに、扉一枚を隔てた向こうから聞こえる。私が返事をしないのは平常運転で、それを心得ている母もわざとらしい声で一方的に話しかけてくる。

「食べられそうだったら、テーブルの上にお味噌汁とあまい卵焼きが置いてあるからね。ラップかけてあるよ。白いごはんは炊飯器のなかにあるから、よそって食べてね」

 一呼吸置いたあと、ストッキングに包まれた足が階段を降りる音が響く。それから、ぴかぴかに磨かれたパンプスを玄関で履く音。ヒールを二度、こつこつと鳴らして、開錠の音とドアがしまって施錠の音。沈黙。
 どうやら無意識のうちに息をとめていたようで、誰もいなくなったことがわかると、張りつめていた空気ごとからだがふっと軽くなる。
 父は銀行、母は証券会社に勤務している。起床時間、トイレの時間、朝食の時間、身だしなみを整える時間、それらは毎日決まっていて、父には父の、母には母の朝のリズムがあり、お互いが干渉しすぎない程度に調和がとれていたはずだった。
 夏休みが明けてから、父と母は家庭のリズムが狂いはじめたことに気がつき、困惑した。一人娘の私が高校にいかなくなったからだ。声をかけても自室から出てこない、ごはんを食べようとしない、けれど大人たちは会社にいかなければならないので家を出る。ひとたび乱れたリズムは歯車がずれるように噛み合わなくなり、動かなくなれば錆びつき、そしてもとに戻らなくなった。
 スマートフォンの画面が明るくなり、メッセージアプリの通知が届いた。ナナ最近どう、の文字がみえて画面を暗くする。そうやって未読が蓄積されていく。砂時計をひっくり返したように刻々と溜まりつづける。あとどれくらいしたら砂時計の砂はすべて下に落ちるんだろう。
 あまい卵焼きなら食べられる気がして、のろのろとドアをあけた。自室とそれ以外とのあいだに引かれた境界線がなくなると、廊下から乾いた風がはいる。目にはみえないけれど、時間をかけて部屋の淀んだ空気と廊下の風がじっくり混ざりあう。青と赤がぐちゃぐちゃになって紫になる。どちらかといえば、おいしい豆のスープに魚醤を突っ込んで、緻密に計算された味を台無しにする感覚に似ている。

「今夜は平地でも冷えこみ、週末に向けて広範囲で雨が強まる予報です」つけっぱなしのテレビから、女性の気象予報士の声がする。

 ふんわりした淡いブルーのニットに、グレーのミモレ丈のスカート。つややかな黒髪は鎖骨の位置でていねいにワンカール。洗練されたほほえみ。それ以上、みていられなくて目を逸らす。
 私は席につき、皿にのった卵焼きを箸でつついた。すっかり冷めた汁椀のとなりに、郵便物が無造作に積んである。公共料金の請求書、スーパーの特売チラシ、ジム開業のしらせ、大きな茶封筒。封筒の差出人は私の通う高校で、宛先には都川奈々子(とがわななこ)さまと印字されている。開封した痕跡はない。
 茶封筒を手で破けば、プリントが二枚ほど落ちる。追試のおしらせと、クラス担任からのおたより。期日までに追試を受けないと留年になること。別室または保健室で受験できるのでクラスに登校する必要はないこと。お元気ですか、心配です、都川さんからの連絡を待ってます。私は叫び出したくなる。
 リビングの固定電話が鳴る。バッハかモーツァルトかわからないクラシック音楽の間延びした着信音。耳を澄ませる。お尻と椅子のクッションが糊づけされたみたいに、私はその場から動けない。社会から断絶された空間に、スマートフォンやら備えつけの電話やらインターホンやらで外部からすき勝手にアクセスされることがおそろしい。ピー、という電子音とともに留守番メッセージが吹きこまれる。

「都川奈々子さんのお宅でしょうか。都川さんのクラスを受けもっている担任の……」

 私はリビングを飛び出した。ひんやりした床を歩くと、油っぽい足の裏がこすれてぺたぺたと鳴る。髪も皮膚も爪もぼろぼろだ。頭は湿っぽく、ふけなのか埃なのかわからないものが毛先に落ちてくる。弾かれたようにお風呂場に飛びこんだ。
 べとついた髪の毛はシャンプーをつけても泡立たない。何度も、何度も、繰り返しているうちに、目に薄い水膜が盛りあがった。大量の髪と垢と汗と涙と鼻水と嗚咽を熱いシャワーで流せば、まとまって排水溝に吸いこまれていく。私はこんなふうになりたくなんてなかった。どうしてなったのかもわからなかった。
 友だちは多いほうだった。公立中学校ではテニス部の副部長をつとめ、学業成績もわるくなかった。テニス部を引退してからは朝から晩まで机に向かい、高校は都内でも指折りの進学校に合格した。
 高校は努力することをよしとする環境で、くだらないいじめが起こることもなく、将来を待ち望むクラスメイトは輝いてみえた。医者になりたいから国立医学部を目指している子、憧れの私大でスペイン語を学びたい子、弁護士になりたい、アナウンサーになりたい、薬剤師がいい、研究がしたい、小学校の先生になるのが夢。とくだん将来の夢はないけど、この大学でこんなことを学べたらすてきじゃない。大学では彼氏をつくってお酒を飲んでみたい。留学もいいかもね。バイトも、サークルも、ボランティアも。職業の希望はないけど、これがすきだから大人になっても続けたい。
 そういえば私って、なにがしたいんだっけ?
 どうして勉強しているのかわからなくなった。漠然と頭のなかにある、それなりにいい大学を出てそれなりの企業に勤める、陳腐なイメージが崩壊していく。それはほんとうに私がしたいことなのだっけ。もしかしてそのイメージって植えつけられたものなのだろうか。自分のこころが信じられなくなり、目の前が真っ暗になる。
 優秀なクラスメイトに遅れをとった瞬間、授業の内容が一気にわからなくなった。教師の話している内容が理解できない。授業中に指名されても答えられない。テストの答案用紙はバツで真っ赤。サイン、コサイン、タンジェント、なにこれ、記号の羅列でしかない。私は人生で初めて挫折した。
 ことばの通じない異世界に、突然ぽんと放り出された気持ちになった。これではまずいと焦り、基礎から学びなおそうと親に頭を下げて塾に通いはじめたものの、膨大な数のひらがな、カタカナ、漢字、数字、アルファベットを頭がまるで処理できない。旧型のコンピューターみたいに、幾度となくフリーズする。そのあいだにも押し寄せてくる記号の濁流に、あっという間に呑まれ、溺れていく。あぶくが口から溢れ、あちこちから血が吹き出し、からだは酸素のない深いほうへ沈んでいく。そのうち眠れなくなり、食欲が落ち、やる気が失われる。
 夏休みになったら弾け飛ぶように思考回路が焼け切った。朝、ベッドから出られない。ほんとうは出たくないだけなのかもしれない。
 起きたくないから起きない、食べたくないから食べない、眠りたくないから眠らない、お風呂にはいりたくないからはいらない、学校にいきたくないからいかない。つまるところ私は怠けものなのだと知り、愕然とした。ふつうの人であれば、やりたくなくても意思の力で完遂できることが、私は着手さえできない。同じところをぐるぐる回っていて、一向にまえに進まない。私は私を見失っていく。
 濡れた髪にバスタオルを巻きつけたまま、すっぱいにおいの残る自室に戻った。スマートフォンの画面をなぞれば、いろんな通知が視界にはいって気持ち悪くなる。メールをひらいて、高校からのおたよりに記載されていた担任のメールアドレスを打ちこみ、ふるえる指で送信した。
 こんな状況なのに、私はまだ自分がぼろ雑巾になるのがこわいらしい。出席日数もリーチで留年待ったなしなのに、追試を逃して留年が確定すること、さらに落ちこぼれて退学になるのがこわい。最終学歴が中卒になるのがこわい。とっくに途方に暮れている。最低以下のラインまで落ちたつもりでいて、つまらないプライドと見栄に雁字搦め。あちこち死んでいく自分にずっと向きあえていない。
 高校を欠席しはじめたころ、中学テニス部でダブルスのペアを組んでいた千波(ちなみ)からメッセージが送られてきた。今度みんなで集まろうよ、という内容のもので、何度か返信をするうちに話題は将来のことになっていた。

「美容師になりたいから専門にいきたいけど、最近は服飾も面白そうだと思う。まあどうなったところで、毎日働いて楽しく暮らしてそうな気もするなー」

 通知表には白鳥が並んでいた千波のほうが、よほど将来をあたりまえのこととして捉えている。いまの自分と未来の自分が、きっちりと線でつながっている。「高校の勉強はあんまりしてない」の語尾には「笑」がついていたけれど、いまを前向きに楽しみ、やがて訪れるであろう未来を祝福している。一方、私はテニス部の集まりさえ顔を出さない。それどころか家から一歩も出ていない。
 だれか助けてと叫んでいるのに、架空の幼なじみが「一緒に学校にいこう」と手を引いてくれることもなければ、彗星のごとく転校生が現れて不潔な私をこの家から外に連れ出してくれることもない。親はひきこもる私を不思議がる。担任の教師は来年度の進学実績づくりで頭がいっぱい。不登校なんてありえない。現実なんてそんなもの。それなのに、自分でどうにかしないといけないとき、どうすればいいのか、学校の教科書はなにも教えてくれない。

 明日は追試を受けにいく、と伝えたら、残業を終えて帰宅した父があからさまにぎょっとした。接待帰りでお酒くさい母も「大丈夫なの」と当惑している。大丈夫なの、に込められている意味を邪推してうんざりする。そうして、今日も眠れないまま夜が明ける。