年季の入った扇風機が生ぬるい風を吐き出していた。
私は扇風機の風を背中に浴びながら、和室の床にだらりと寝転がっていた。
祖父母の自宅にやってきてから一晩が明け、時刻は午前10時を回ろうとしている。祖父母は朝食を食べ終えてすぐ畑仕事に出てしまったから、家の中にいるのは私一人だけだ。
「暇だなぁ……」
呟く声はにぎやかな蝉の鳴き声にかき消されてしまった。
祖父母の自宅には娯楽と呼ぶべき物がなにもない。
ゲーム機や漫画は置いていない。スマホで動画を見ようにもネット回線が遅すぎる。徒歩で行ける場所に店がないから雑誌を買うこともできない。ゲームセンターや映画館があるはずもない。
本当に、畳に寝転がる以外にすることが何もないのだ。
とはいえ寝転がってばかりでは脳味噌が溶けてしまいそうだったので、かけ声をかけて起き上がった。運動靴をつっかけて祖母の元へと向かう。
「おばあちゃん。何か暇をつぶせるような物ないかな……?」
私が遠慮がちにそう尋ねると、祖母は野菜畑の草取りを一区切りにした。日よけ帽子の長いつばを持ち上げ、私の顔をまぶしそうに見上げる。
「どんな物がいいの?」
「どんな物……だろう。本とか?」
「凜ちゃんが読めそうな本、あったかなぁ」
悩ましい表情を浮かべながらも、祖母は自宅にあがり、私のために暇つぶしの本を探してくれた。しかし手渡される本は農業関連誌と古い文学書ばかりで、読みたいと思う本は1冊もない。
私がそのことをやんわりと伝えると、祖母は思いついたように和室の押し入れを開けた。
「幸恵が使っていた玩具を取っておいたはずだけど……あ、あったあった」
押し入れの奥からは、一抱えもある段ボール箱が引っ張り出された。『特選メロン』と文字書きされたその段ボール箱は、あちこちにへこみや染みができている。もう何十年もの間、押し入れの中にしまわれていたのだろう。
「雨が降れば、仕事ができないから買い物に連れて行ってあげられるんだけど。今日はこれで我慢してね」
「うん……ありがとう」
和室を出て行く祖母の背中を見送ってから、私は段ボールのふたに手をかけた。宝箱を開けるときのように胸がドキドキした。
段ボールの中には母の過去が詰まっている。今でこそ天笠原村を嫌う母は、東京とは別世界のようなこの村でどのような子供時代を送っていたのだろう。好奇心と背徳感が入り混じる不思議な気持ちだった。
深呼吸をして段ボールのふたを開ける。
「……あ」
初めに目に飛び込んできた物は、猫の絵が描かれたクッキー缶だ。ふたを開けると様々な色合いのビー玉が姿を見せる。赤い花びらを閉じ込めたような物、水滴のように澄んだ物、飴玉のようにざらりとした質感の物。50個はあるだろうか。
「お母さん、ビー玉が好きだったのかな……」
ビー玉の他にも段ボールの中にはたくさんの物が入っていた。ちりめん細工の万華鏡、ビニールの指人形、落書き帳と色鉛筆、数種類のカードゲーム、学業成就のお守り。他にもキーホルダーや、使い方のわからない玩具などがざらざらと無秩序に詰め込まれていた。
少し考えたあと、指人形を人差し指にはめぴこぴこと動かしてみた。何が面白いのかよくわからない。万華鏡を覗いてみても1分と経たずに飽きてしまう。カードゲームは一人では遊べないし、ビー玉に至っては遊び方がわからない。
「私、何もできないなぁ……」
溜息と一緒にまた畳の上に寝転がった。
物心がつく頃には当たり前のように塾に通っていた。自宅にはおもちゃも置かれてはいたが、ドリルをしたり知育動画を見ている時間の方が長かった。小学生になっても中学生になっても、私の生活は勉強が中心に回っていた。
勉強ができなくなった私は空っぽだ。段ボールいっぱいの玩具を渡されても一人では何もすることができない。
段ボールを開けたときのドキドキは霞のように消えて、ただ虚しさが募るばかりだった。
◇
結局、名前のつくことは何もできないまま午前中が終わった。
昼食のとき、なすの油炒めを頬張りながら祖父が言った。
「凜。表に出してある自転車、乗っていいぞ」
「え?」
「昔、智輝が乗っていた自転車が倉庫の奥にしまってあったんだ。手入れはしておいたから、サドルの高さだけ自分で調節したらいい」
智輝は母の弟の名前――つまりは私の叔父にあたる人物だ。北海道内の大学を卒業し、道内で金融関係の仕事に就いていると聞いているが、私は顔を合わせた経験がない。智輝さんは実在の人物だったんだなぁ、とよくわからない感動を覚えてしまう。
昼食を食べ終えると祖父はすぐ仕事に戻ってしまったが、祖母がサドルの調整を手伝ってくれた。「おじいちゃん、こんな古いのよく見つけてきたね」と懐かしそうに目を細めながら。
「あまり遠くへは行かないと思うけど、迷子にならないように気を付けてね」
「うん……スマホのGPSがあるから大丈夫だと思う」
「用水路に水が流れる時期ではないけど、水場には近づかないんだよ。昔、溜池に子どもが落ちて死んだこともあるんだから」
「わかった、気をつける」
「野生動物には触るんじゃないよ。病気を持っていることもあるからね」
「う、うん」
「あとは……そう、ヒグマだ。ヒグマにあったら助からないからね。人気のない山道には入るんじゃないよ」
「ヒグマ……」
祖母の言葉を胸に刻みつけ、自転車を漕ぎ始めた。目的地があるわけではない。でも家の中でうだうだと寝転がっているくらいなら、あてもなく自転車を漕いでいる方がまだ健康的だ。
私の選択は正しかったとすぐにわかった。祖父母の自宅は農道のT字路に位置しており、人も車もほとんど通らない。視界に入るものは青々とした田んぼといくつかの家屋、そして遥か遠くにそびえる白岳連峰だけ。信号や横断歩道に行く手をはばまれることもなく、道路の真ん中をのんびりと走っていると、世界が自分のものになったみたいで気分がいい。
道ばたに置かれた農業用トラクター、家屋よりも大きな倉庫、地区会館と書かれた小さな建物、荒れ果てた墓地、撤去が済んでいない踏切。何もかもが古びていて、しかし私にとっては真新しさを感じるものばかりだ。
「あ、神社がある」
森の中に緋色の鳥居を見つけ、私は自転車を停めた。
不登校になってからまともに運動をしていなかったから、自転車を漕いだだけで息が弾んでいる。高く上った太陽が頭皮を焼き、帽子を持ってくれば良かったと今さらながら後悔した。
自転車を降り、散歩気分で鳥居を目指すことにした。
鳥居がある場所までは砂利をしきつめた一本道が延びている。砂利の多くは苔むして、隙間からぼうぼうと雑草が生えている。周囲の草木も伸び放題だから、頻繁に人が立ち入る場所ではなさそうだ。
間もなくして目の前に現れたのは、想像していたよりもずっと小さな鳥居だった。長いこと手入れがされていないのだろう、塗装が禿げ蜘蛛の巣まみれになってしまっている。
私は鳥居をくぐった。
次の瞬間、驚いて飛び上がった。鳥居の柱に隠れるようにして少年が座り込んでいたからだ。
「きゃああーっ⁉⁉」
「うわああーっ⁉⁉」
私が悲鳴をあげると、少年もまた悲鳴をあげて飛び上がった。空中で視線が交わる。
藍色のTシャツを着た、私と同じ年頃の少年だった。つり上がった目元がどこか勝ち気な印象を与える。
「おいあんた、びっくりさせんじゃねぇよ!」
「ご、ごめんね。まさか人がいるとは思わなかったから、つい……」
私が素直に謝罪すると、少年はさして気に留めた様子もなく話題を変える。
「まぁ別にいーけど。あんた、誰? 初めて見る顔だけど」
「ええと……私、真柴凜です。東京からおじいちゃんの家に遊びにきてて……」
「おじいちゃん、なんて名前?」
「えーと……高橋、光弘」
私が名前を伝えると、少年はぽんと手を打った。
「ああ、高橋さんとこね。向こうにある赤い屋根のうちだろ」
「うん、そう。わかるんだ」
「わかるわかる、小せぇ村だもん」
少年はぴょんと立ち上がった。座っているときは小柄に見えたが、私よりも背が高い。たったそれだけのことなのに鼓動が跳ねた。
「あんた、何歳?」
「14……」
「あ、同い年だ。中2?」
「うん、そう」
自分ばかりが答えているような気がしたので、私は勇気を出して質問した。
「あなたはこの辺りに住んでるの?」
「そう、近くにお寺があんのわかる? あのお寺の真向かいの家」
「どうしてここにいるの?」
「どうしてって……暇だったから?」
「ふーん……まぁ、夏休みだもんね……」
そう相槌を打ってから、まだ少年の名前を聞いていないことに気がついた。
「あ、名前。名前はなんていうの?」
「内緒」
「ええ……」
「あててみなよ。チャンスは10回」
少年が悪戯げに笑うので、私は唇を尖らせた。
「そんなの、あたらないよ」
「あたるかもしれないじゃん。試しに言ってみって」
少し、考える。
「……あおい」
「外れ」
「りく」
「外れ」
「みなと?」
「外れ」
「れん、りつ」
「どっちも外れ」
「はるま、はるき、はると、はるや、はるひ!」
「ぜぇーんぶ外れ!」
少年は勝ち誇った顔で笑うと、軽い足取りで社殿のある方へと駆けていった。私は慌ててその背中を呼び止めた。
「ちょ……答え、教えてくれないの⁉」
少年は足を止めて振り返った。
「回答権は1日10回! 名前をあてられたら、俺の秘密を教えてやるよ」
「ええー……」
つまり、名前をあてるために毎日ここへ来いという意味だろうか。今日、初めて会ったばかりの少年の秘密など知ったところで感動もないだろうに。
それでも不思議と、また明日ここに来ようと思った。
私は扇風機の風を背中に浴びながら、和室の床にだらりと寝転がっていた。
祖父母の自宅にやってきてから一晩が明け、時刻は午前10時を回ろうとしている。祖父母は朝食を食べ終えてすぐ畑仕事に出てしまったから、家の中にいるのは私一人だけだ。
「暇だなぁ……」
呟く声はにぎやかな蝉の鳴き声にかき消されてしまった。
祖父母の自宅には娯楽と呼ぶべき物がなにもない。
ゲーム機や漫画は置いていない。スマホで動画を見ようにもネット回線が遅すぎる。徒歩で行ける場所に店がないから雑誌を買うこともできない。ゲームセンターや映画館があるはずもない。
本当に、畳に寝転がる以外にすることが何もないのだ。
とはいえ寝転がってばかりでは脳味噌が溶けてしまいそうだったので、かけ声をかけて起き上がった。運動靴をつっかけて祖母の元へと向かう。
「おばあちゃん。何か暇をつぶせるような物ないかな……?」
私が遠慮がちにそう尋ねると、祖母は野菜畑の草取りを一区切りにした。日よけ帽子の長いつばを持ち上げ、私の顔をまぶしそうに見上げる。
「どんな物がいいの?」
「どんな物……だろう。本とか?」
「凜ちゃんが読めそうな本、あったかなぁ」
悩ましい表情を浮かべながらも、祖母は自宅にあがり、私のために暇つぶしの本を探してくれた。しかし手渡される本は農業関連誌と古い文学書ばかりで、読みたいと思う本は1冊もない。
私がそのことをやんわりと伝えると、祖母は思いついたように和室の押し入れを開けた。
「幸恵が使っていた玩具を取っておいたはずだけど……あ、あったあった」
押し入れの奥からは、一抱えもある段ボール箱が引っ張り出された。『特選メロン』と文字書きされたその段ボール箱は、あちこちにへこみや染みができている。もう何十年もの間、押し入れの中にしまわれていたのだろう。
「雨が降れば、仕事ができないから買い物に連れて行ってあげられるんだけど。今日はこれで我慢してね」
「うん……ありがとう」
和室を出て行く祖母の背中を見送ってから、私は段ボールのふたに手をかけた。宝箱を開けるときのように胸がドキドキした。
段ボールの中には母の過去が詰まっている。今でこそ天笠原村を嫌う母は、東京とは別世界のようなこの村でどのような子供時代を送っていたのだろう。好奇心と背徳感が入り混じる不思議な気持ちだった。
深呼吸をして段ボールのふたを開ける。
「……あ」
初めに目に飛び込んできた物は、猫の絵が描かれたクッキー缶だ。ふたを開けると様々な色合いのビー玉が姿を見せる。赤い花びらを閉じ込めたような物、水滴のように澄んだ物、飴玉のようにざらりとした質感の物。50個はあるだろうか。
「お母さん、ビー玉が好きだったのかな……」
ビー玉の他にも段ボールの中にはたくさんの物が入っていた。ちりめん細工の万華鏡、ビニールの指人形、落書き帳と色鉛筆、数種類のカードゲーム、学業成就のお守り。他にもキーホルダーや、使い方のわからない玩具などがざらざらと無秩序に詰め込まれていた。
少し考えたあと、指人形を人差し指にはめぴこぴこと動かしてみた。何が面白いのかよくわからない。万華鏡を覗いてみても1分と経たずに飽きてしまう。カードゲームは一人では遊べないし、ビー玉に至っては遊び方がわからない。
「私、何もできないなぁ……」
溜息と一緒にまた畳の上に寝転がった。
物心がつく頃には当たり前のように塾に通っていた。自宅にはおもちゃも置かれてはいたが、ドリルをしたり知育動画を見ている時間の方が長かった。小学生になっても中学生になっても、私の生活は勉強が中心に回っていた。
勉強ができなくなった私は空っぽだ。段ボールいっぱいの玩具を渡されても一人では何もすることができない。
段ボールを開けたときのドキドキは霞のように消えて、ただ虚しさが募るばかりだった。
◇
結局、名前のつくことは何もできないまま午前中が終わった。
昼食のとき、なすの油炒めを頬張りながら祖父が言った。
「凜。表に出してある自転車、乗っていいぞ」
「え?」
「昔、智輝が乗っていた自転車が倉庫の奥にしまってあったんだ。手入れはしておいたから、サドルの高さだけ自分で調節したらいい」
智輝は母の弟の名前――つまりは私の叔父にあたる人物だ。北海道内の大学を卒業し、道内で金融関係の仕事に就いていると聞いているが、私は顔を合わせた経験がない。智輝さんは実在の人物だったんだなぁ、とよくわからない感動を覚えてしまう。
昼食を食べ終えると祖父はすぐ仕事に戻ってしまったが、祖母がサドルの調整を手伝ってくれた。「おじいちゃん、こんな古いのよく見つけてきたね」と懐かしそうに目を細めながら。
「あまり遠くへは行かないと思うけど、迷子にならないように気を付けてね」
「うん……スマホのGPSがあるから大丈夫だと思う」
「用水路に水が流れる時期ではないけど、水場には近づかないんだよ。昔、溜池に子どもが落ちて死んだこともあるんだから」
「わかった、気をつける」
「野生動物には触るんじゃないよ。病気を持っていることもあるからね」
「う、うん」
「あとは……そう、ヒグマだ。ヒグマにあったら助からないからね。人気のない山道には入るんじゃないよ」
「ヒグマ……」
祖母の言葉を胸に刻みつけ、自転車を漕ぎ始めた。目的地があるわけではない。でも家の中でうだうだと寝転がっているくらいなら、あてもなく自転車を漕いでいる方がまだ健康的だ。
私の選択は正しかったとすぐにわかった。祖父母の自宅は農道のT字路に位置しており、人も車もほとんど通らない。視界に入るものは青々とした田んぼといくつかの家屋、そして遥か遠くにそびえる白岳連峰だけ。信号や横断歩道に行く手をはばまれることもなく、道路の真ん中をのんびりと走っていると、世界が自分のものになったみたいで気分がいい。
道ばたに置かれた農業用トラクター、家屋よりも大きな倉庫、地区会館と書かれた小さな建物、荒れ果てた墓地、撤去が済んでいない踏切。何もかもが古びていて、しかし私にとっては真新しさを感じるものばかりだ。
「あ、神社がある」
森の中に緋色の鳥居を見つけ、私は自転車を停めた。
不登校になってからまともに運動をしていなかったから、自転車を漕いだだけで息が弾んでいる。高く上った太陽が頭皮を焼き、帽子を持ってくれば良かったと今さらながら後悔した。
自転車を降り、散歩気分で鳥居を目指すことにした。
鳥居がある場所までは砂利をしきつめた一本道が延びている。砂利の多くは苔むして、隙間からぼうぼうと雑草が生えている。周囲の草木も伸び放題だから、頻繁に人が立ち入る場所ではなさそうだ。
間もなくして目の前に現れたのは、想像していたよりもずっと小さな鳥居だった。長いこと手入れがされていないのだろう、塗装が禿げ蜘蛛の巣まみれになってしまっている。
私は鳥居をくぐった。
次の瞬間、驚いて飛び上がった。鳥居の柱に隠れるようにして少年が座り込んでいたからだ。
「きゃああーっ⁉⁉」
「うわああーっ⁉⁉」
私が悲鳴をあげると、少年もまた悲鳴をあげて飛び上がった。空中で視線が交わる。
藍色のTシャツを着た、私と同じ年頃の少年だった。つり上がった目元がどこか勝ち気な印象を与える。
「おいあんた、びっくりさせんじゃねぇよ!」
「ご、ごめんね。まさか人がいるとは思わなかったから、つい……」
私が素直に謝罪すると、少年はさして気に留めた様子もなく話題を変える。
「まぁ別にいーけど。あんた、誰? 初めて見る顔だけど」
「ええと……私、真柴凜です。東京からおじいちゃんの家に遊びにきてて……」
「おじいちゃん、なんて名前?」
「えーと……高橋、光弘」
私が名前を伝えると、少年はぽんと手を打った。
「ああ、高橋さんとこね。向こうにある赤い屋根のうちだろ」
「うん、そう。わかるんだ」
「わかるわかる、小せぇ村だもん」
少年はぴょんと立ち上がった。座っているときは小柄に見えたが、私よりも背が高い。たったそれだけのことなのに鼓動が跳ねた。
「あんた、何歳?」
「14……」
「あ、同い年だ。中2?」
「うん、そう」
自分ばかりが答えているような気がしたので、私は勇気を出して質問した。
「あなたはこの辺りに住んでるの?」
「そう、近くにお寺があんのわかる? あのお寺の真向かいの家」
「どうしてここにいるの?」
「どうしてって……暇だったから?」
「ふーん……まぁ、夏休みだもんね……」
そう相槌を打ってから、まだ少年の名前を聞いていないことに気がついた。
「あ、名前。名前はなんていうの?」
「内緒」
「ええ……」
「あててみなよ。チャンスは10回」
少年が悪戯げに笑うので、私は唇を尖らせた。
「そんなの、あたらないよ」
「あたるかもしれないじゃん。試しに言ってみって」
少し、考える。
「……あおい」
「外れ」
「りく」
「外れ」
「みなと?」
「外れ」
「れん、りつ」
「どっちも外れ」
「はるま、はるき、はると、はるや、はるひ!」
「ぜぇーんぶ外れ!」
少年は勝ち誇った顔で笑うと、軽い足取りで社殿のある方へと駆けていった。私は慌ててその背中を呼び止めた。
「ちょ……答え、教えてくれないの⁉」
少年は足を止めて振り返った。
「回答権は1日10回! 名前をあてられたら、俺の秘密を教えてやるよ」
「ええー……」
つまり、名前をあてるために毎日ここへ来いという意味だろうか。今日、初めて会ったばかりの少年の秘密など知ったところで感動もないだろうに。
それでも不思議と、また明日ここに来ようと思った。



