緑色のラインを引いた鈍行列車が稲月駅のホームへと滑り込んだ。
 私が大きなキャリーバッグを引きずりながら改札口を出ると、もう何年も会っていなかった祖父が出迎えてくれた。

「凜、よく来たな」
「おじいちゃん、久しぶり」
「遠かっただろ。東京から何時間かかった?」

 尋ねられて、私は慌てて計算した。

「ええと……8時間くらい、かな。家を出たのが7時半過ぎだったから……」
「そうか、疲れたか?」
「うん……すごく疲れた。座りっぱなしでお尻が痛い」

 そう言ってお尻のあたりをさすると、祖父は「ははは、そうだよな」と声をあげて笑った。祖父の笑い声にそれらしい笑い声を返しながら、私は心の中で安堵していた。

 よかった、ちゃんと笑える。
 ちゃんと会話できる。
 ちゃんと人間らしくできる。

 私が両親以外の人とまともに会話をするのは、実に3ヶ月ぶりのことだった。

 祖父と一緒に稲月駅を出ると、熱気を孕んだ風が頬を撫でた。時刻は16時を回っているが、うだるような暑さは健在だ。電車の中は冷房が効いていたから、思わず顔をしかめてしまう。

「……暑いね」
「そうだな」
「北海道はもっと、涼しいと思ってた」
「最近は北海道も暑いんだ。今日、十勝の方では35度を超えたってよ」

 十勝というのが町の名前なのか、地域の名前なのかよくわからなかったので、適当に相槌を打った。
 稲月駅の駐車場には数台の車が止まっていた。私と一緒に電車を降りた何人かの人々が、慣れた様子で車へと乗り込んでいく。
 祖父は、私のキャリーバッグを黒い車の後部に積みながら話を続けた。

「東京はもっと暑いんだろ」
「うん……暑いよ。40度とか普通にいってるから」
「内地の人は大変だなぁ。安心しろ、じいちゃんちは涼しいぞ。周りに建物がないから風がよーく抜けるんだ」
「そうなんだ……」

 私が助手席に乗り込むと、祖父はすぐに車を発進させた。稲月駅の駐車場を出て、片側一車線の国道を進む。東京では見かけることのない農業機械の販売店や、『JAいなつき』と書かれた倉庫のような建物が窓の外を通りすぎていく。
 ビルはない。おしゃれな街灯も街路樹もない。歩道を歩く人でさえ稀。たくさんの人と建物で溢れ返る東京とは別世界のような風景だ。

「凜は、中学2年生になったんだったか?」
「そうだよ」
「凜の学校は……何ていったかな。じいちゃん、聞いてもすぐに忘れっちまう」
「三津原学園、中等部」
「ああ、そうだそうだ。学校は楽しいか?」

 一瞬、言葉につまった。

「……うん、楽しいよ」
「友達はたくさんいるのか」
「うん……たくさん、いるよ」

 祖父の言葉をオウム返しにしながら、私は心の中で嘘だよとつぶやいた。

 嘘だよ、おじいちゃん。
 私、学校楽しくないの。
 春からずっと不登校なの。