こんな簡易的な釣竿で出来るものなのか、と読者の方々は思うだろう。私自身も半信半疑だった。そもそもザリガニがいるのかも分からないし。
「……あ、いる!」
なんて心配は一瞬でクリアした。池の縁に沿うように、それはじっと息を潜めていた。2本の長い触覚を伸ばし、赤黒い鎧で身を守る、両の爪が立派な。
おぉ、と感嘆の声が上がる。先陣を切って私が、恐る恐る釣り糸を垂らしてみた。小さな波紋を広げ、さきいかが水面下で揺蕩う。
次の瞬間。
「かかった!」
水中で砂埃が舞った。手のひらに乗る程の小さな生物だというのに、餌を狙うその引力は凄まじかった。大きな爪でがっちりとさきいかを掴んだザリガニは、私が空中に引きあげても尚離す気配がない。
「すげぇ、釣れた!」
「え、マジで居るんだザリガニ」
各々の感想が飛び交う。私たちの空気には興奮が満ちていた。かつての、子供時代の好奇心を刺激された瞬間だった。皆一斉に散り散りになり、己の縄張りを作り始める。
だが、私はその場で、釣り上げたばかりのザリガニと見つめあっていた。糸が回転し、連動してザリガニも展示台のように回る。何故か突然、冷めた感情になったのだ。
こんな風に、何かの”生”に触れ合ったのはいつぶりだろうか。地元を離れ、人間の為だけに整備された街中で暮らす私にとって、自然の中に生きるものと正対するのは酷く久しいような気がした。あの頃は全てが遊びの毎日だった。容赦なくトンボの羽を掴んでは放し、蝶を素手の中に収めた。子供の無垢な感覚は、時に残酷だ。それを今になってまた再現しようとしているのだろうか。夏の思い出作りの為だけに。
小学三年生の頃、クラスで飼育していた2匹のアメリカザリガニが、共食いで死んでいたことを思い出していた。
