それでも俺はあなたが好きです

「せっかくの土曜だし楽しもーよ!ね?」

 聞こえる声にもイラつきを抑えつつ席に戻ると、ソファー席に座る先輩の左右に居た男たちはこっちを見て笑顔を凍り付かせた。
 とりあえず無言でスープをテーブルに置くと、男たちはパッと立ち上がる。

「か、彼氏デカくね?」

 ポンポンと俺の腕を軽く叩いてきた男を睨むと、男はビクッと跳ねた。

「邪魔」

 もう一人の男も睨んでやると、二人はヘラヘラ笑って誤魔化しながら去って行く。
 昼過ぎのファミレスは客もそんな多くはなくてすぐに男たちが店を出て行くのが見えた。
 ホッと息を吐き出しつつ、すぐに先輩を見る。

「変なことされてないですか!?」

 慌てて先輩に聞くと、先輩はくすくすと笑い出した。

「ちょっ、先輩?」

 聞いても、先輩はまだ笑っている。

「な、何ですか!?」

 俺も慌てて座ると、先輩は手を伸ばしてきて俺の手を握った。

「あんな怖い顔するんだねぇ」
「はい?」
「カッコよかったよ?」

 言ったのは自分なのに照れたらしく顔を隠す先輩。

「っ……」

 俺まで釣られてしまって、二人で手を繋いだまましばらく俯いていた。
 月曜日になって……

「おはよ」

 朝練の準備中、声を掛けてきてくれたのは三木先輩。

「おはようございます」

 挨拶を返しながら三木先輩が居るということは……と菊川先輩を探してしまう。
 すると、三木先輩はくすくすと笑い出した。
 
「キクのこと、よろしくね!」
「はい!」

 即答した俺に満足そうな顔を見せると、三木先輩は準備をしている菊川先輩の方を見る。
 俺もそっちに視線を向けて眺めていると、三木先輩はゆっくり息を吐き出した。

「私はキクをいっぱい傷つけちゃったから……ごめんね」

 先輩が謝ってくるのをただ黙って聞く。

「キクと小嶋を応援しようと思った時もあったのに……結局私は小嶋と……一番残酷だよね」

 少し眉を寄せた三木先輩はそのまま両手で抱いていたボールに力を込めた。

「俺は感謝してますよ」
「え?」

 俺が本音をぶつけると、三木先輩は目を見開く。

「そのお陰で先輩はこっちを向いてくれたんで!」

 笑うと、先輩もフッと力を抜いた。

「凄いなぁ。吉井くんは」

 ポーンとボールを真上に投げるとキャッチして笑う。

「そうですか?」
「ずっと想い続けて振り向かせちゃうんだもん」

 またボールを両手で持った三木先輩に言われて、笑うしかなかった。

「先輩が誰を見ていようと好きだっただけですよ」

 俺の諦めが悪かっただけ。だが、

「そんだけ“好き”って言えるのがそもそも凄いよ!」

 先輩に言われて、そういうもんか……ととりあえず会釈を返した。
「おはようございます!」
「おはよ」

 歩いてきた先輩に満面の笑みを向けるのに、菊川先輩はいつもの人前でのクールなままでとりあえず挨拶を返してくれる。
 この先輩もカッコいいと思うからもうどうしようもない。

「何話してるの?さっさと準備……」
「気になった?」

 三木先輩が遮ってニヤリと笑うと、菊川先輩は表情も変えずにじっと三木先輩を見上げる。

「別に」

 その言葉に感情は一切ない。
 でも、先輩の心の中は本当はそんなんじゃないことを知っている俺はペコリと頭を下げて急いで準備に戻った。

「彼氏に優しく!とかないの?」
「ミキは小嶋くんにそんな優しくしてるのね」
「そういうことを言ってるんじゃなくて!」

 言い合いながら女バスの方に戻って行く先輩たちの後ろ姿を少し振り返って見る。
 すると、先輩もちょうどこっちを見て、一瞬たまに見せる甘えたような顔が見えた。
 すぐにパッといつものクールな顔に戻るのがかわい過ぎてヤバい。

「後で目一杯抱き締めよ……」

 呟いてまた目を戻すと、

「チッ!ノロケんなよ」

 舌打ちしつつフッと笑う力也が目の前に居て、慌てて緩んでいるであろう顔を引き締めた。

「はいはい、ラブラブで何より」

 本当、思っていた以上にラブラブでヤバい。
 いつもの中庭のいつものベンチ。

「……何かご機嫌じゃない?」

 隣に座る先輩に見上げられて、ギュッとその小さな体を腕の中に収める。

「だって先輩があまりにもかわいいから!」

 しっかり抱き締めると、先輩は照れたらしく俯いて俺の胸に顔をくっつけてきた。
 朝練と夕練中のあのキリッとした顔とのギャップにまたグッとくる。

「本当……何でそんなかわいいんですか」

 思わず溢すと、先輩は真っ赤な顔を少し上げてフルフルと首を横に振った。
 その眉が寄っていて、戸惑っているようなその姿もかわい過ぎて悶える。
 どんな先輩もかわい過ぎてヤバい。

「キス、していいですか?」

 色々堪え切れなくなってきて聞くと、先輩はピクッと跳ねてそろりとこっちを見た。
 そして、すぐにまた俺の胸にくっついて隠れる。

「先輩?」

 答えを聞きたくてもう一度言おうとすると、

「何でそんなの聞くの……」

 先輩は耳まで真っ赤にしながら小さ過ぎる声を出した。

「しちゃダメですか?」

 ちょっと落ち込んでそれが声にも出てしまうと、先輩は俺の腰辺りをギュッと握ってくる。

「……そうじゃなくて……」

 どんな顔をしているのか覗こうとすると、先輩はフィッと顔を背けて逃げた。

「……じゃあ、してもいいんですか?」

 逃げられたことで耳になったそこに聞いてみる。
 すると、ビクンと大きく跳ね上がった先輩はこっちを見て目が合うと、真っ赤な顔のままポカポカと俺の胸を叩いてきた。
「何でそんなのいちいち聞くの!?」
「はい?」

 掠れているその声を逃さないように聞きながら首を傾げる。

「そんなの聞かれたら……恥ずかしくて逃げちゃうでしょ!」

 こんな照れまくる先輩は反則じゃないか?

「じゃあ、聞かずにしていいんですか?」
「……ダメ」

 顔を寄せると、先輩は俺の顔に手を押し付けてきた。
 その手にチュッと音を立てるとビクッと先輩が跳ねる。
 そろりとこっちを見る姿がかわい過ぎた。

「どっちですか」

 笑ってしまうと、先輩はプクッと頬を膨らませる。

「……だって……ここ学校……」
「でも、部活終わり(こんな時間)だし、こんな寒い時に中庭(ここ)には誰も居ないですよ?」

 俯く先輩に再び近づいてその手を握った。
 先輩がこっちを見たお陰で絡む視線。
 間近にあって伸びたまつ毛の長ささえハッキリとわかる距離。
 初めてのキスに心臓をバクバクさせつつ、首を傾けながら角度を合わせて……フワッと触れた瞬間見たことないほど真っ赤になって逃げようとした先輩を引き寄せた。

「ダメ……見ないで」
「じゃあ、くっついてて下さい」

 ギュッと抱き締めつつ、俺だって一瞬感じた柔らかさを思い出して騒ぎ出しそうになっている。
 今、どんな顔になっているかわからなくて見られたくなかった。
 全く余裕はなくて、どうしたらいいかわからなくて……でも、嬉しくて、何度も反芻してしまって……。
「先輩、好きです」

 腕の中に閉じ込めたままついに言葉が溢れ出す。
 ギュッと先輩も俺の背中に手を回してしがみついてきて、俺たちはしばらく初めてしたキスの気恥ずかしさを誤魔化すようにただ抱き締め合っていた。
 できるなら先輩の口から気持ちを聞いてみたい気もする。
 でも、ちょっと怖くて……だけど、最近はかなり笑って素を見せてくれることが多くて舞い上がるような言葉を聞けそうでもある。
 ただ、それは無理強いしたくなかった。
 理想を言えば、先輩も自然に溢れ出たような言葉が聞きたい。

「……先輩、そろそろ寒くないですか?」

 さすがにこんな二月の上旬にいつまでも外に居させるのは心配で顔を覗き込もうとするが、先輩はギュッとまだ俺の胸にしがみついてきた。

「無理……むしろ、暑い」
「それはそれで心配ですけど?」

 そうやって無理矢理引き剥がしてみると、まだ耳まで真っ赤にして眉を寄せた先輩と目が合う。
 その黒い瞳に吸い寄せられるようにリップが光るピンクの唇に近づいた。

「待っ……」

 グキッと音がするほど勢いよく顔を押されて呻く。

「もー!何でそんな手慣れてるの!?」
「俺、初めてでしたけど?」

 バシバシと叩いてくる手首を掴むと腰を屈めて顔を寄せた。

「え?」

 そろりと顔を上げた先輩の頬にキスをすると、ボンと音でもしたかの勢いでまた顔が赤くなる。

「どこが初めてよーっ!!」

 ワタワタしている先輩がかわいくて仕方ない。
「先輩が初彼女で、俺は何もかも初ですって!」

 寒くて先輩を俺のコートの中に入れてみる。

「本当に?」

 すっぽりと俺に簡単に包まれる小さな先輩はまだ驚きを隠せないようだった。

「力也に聞いてみます?あいつは幼稚園入る前から一緒の幼なじみなんでいらんことまで知ってますよ?」
「いらんことまでって」

 少し笑った先輩を抱き締める。

「本当に先輩が初彼女で、初デートだって先輩で……さっきのが俺のファーストキスですよ」

 その頬に触れて微笑むと、先輩はまた少し照れくさそうにしてこっちを見た。
 先輩も……ではないとはわかっているが、何となく妬けてしまう。

「先輩……」

 冷たいその頬に触れたまま呼んで腰を折った。

「もう一度……ダメですか?」

 じっと強請るように見つめてみると、先輩が赤くなってうぐっと言葉を詰まらせる。
 そのかわい過ぎる反応に満たされつつ、顔を近づけた。
 冷たい唇が触れて……今度は頬と腰に手があるからか逃げられない。
 少し押し付けて離れると、先輩はまた俺の胸元に顔を隠した。
 さっきの倍は長く触れていた唇。
 俺の口までちょっと潤うほどのキスに今更恥ずかしくなる。
 ヤバいな。
 幸せ過ぎて……死ねるかも。
 いや、死にたくねぇな……ハマるわ。
 先輩を抱き締めながら反芻して、一人脳内でアレコレ想いを膨らませていた。
 そんな不意にくる甘えモードの先輩に悶えながらもイチャつく日々で俺たちは距離を縮めていた……と思っていた。

「え?」
「だから、明日からしばらく私、マネ休むから」

 部活終わり、突拍子もなく言われた言葉で固まる。
 体育館を出たところでしれっと言ってさっさと踵を返した先輩の腕を掴んで止めると、先輩は特に表情の読めない顔でこっちを見た。
 人の気配がある場所での先輩はいつものクールで冷静な顔をなかなか崩さない。
 それはわかっているのに、今日はちょっと俺にも余裕がなかった。

「ちょっ!!しばらくってどういうことですか!?」
「しばらくはしばらくでしょ?」

 食い下がっても先輩は俺の腕をそっと外そうとする。

「聞いてません!」

 簡単に外されるわけにはいかなくて指先に力を込めると、先輩はピクッと眉を動かした。

「だから、今言ったでしょ?」

 その声に有無を言わせない威圧がこもる。
 すると、一瞬怯んでしまったその隙に腕がすり抜けていった。
 何で急にマネを休むのか?
 どうして明日からなんてこんな急に……もっと早く教えてくれたり、相談してくれたりしなかったのか?
 去っていく後ろ姿を見たまま俺はため息を吐いた。

「大丈夫?」

 すぐに三木先輩が声を掛けてくれたが、言葉が出て来ない。

「……休む理由……吉井くんも知らないんだね」

 言われて、三木先輩も知らなかったことは驚きつつも少しホッとしてしまう。
 俺だけではない。
 それなら……。
 中庭に行くと、いつものベンチで縮こまっている先輩を見つけてその目の前に立つ。
 顔を上げた先輩は眉を寄せて泣きそうな顔でこっちを見上げた。

「……怒ってる?」
「何でですか?」
「だって……」

 シュンとしたその顔はさっきまでの冷たい反応とは全く違ってヒドく不安げに見える。

「何で休む?とか、何でこんな急に?とか、少しくらい相談してくれたって……とは思いましたけどね」

 隣に腰を下ろすと、先輩はまだ眉を寄せてこっちに手を伸ばそうかためらっていた。
 その肩を引き寄せて小さな頭に顔をくっつける。

「……ごめん」
「理由とか話してはくれないんですか?」

 聞くと、先輩は少し身を縮めた。

「先輩?」

 顔に掛かって隠しているサラサラの黒髪を指で退けると、先輩はためらうようにこっちを見る。

「……来月、昔からお世話になってた教室の発表会なのよ」
「発表会?」
「そう。新体操のね」
「あぁ!」

 やっと理解して頷くと、先輩は少しだけ笑った。

「その教室に行くから部活は休むってことですか?」
「そう。発表会のお手伝いは今までもしてたんだけど……」

 言葉を切った先輩は一度俯いてまたゆっくりこっちを向く。

「今回は少し私もやってみようと思って」
「え?」

 やってみる?
 先輩が!?それは……

「だから……見に来てくれる?」
「もちろんですよっ!!」

 食い気味に答えてしまって先輩に笑われた。