「海に行くことになったんだよね」
「マジで?あの連絡先交換した女の子と?」
夏休みも中盤に入り、久々に会った稔は明らかに日焼けしていた。
その黒さは去年も見ていたからか、一年ぶりのくせにもうすっかり目に馴染んでいた。
「うん」
「はー。世の中何があるかわかんないな」
「そんなに?」
「当たり前だろ」
何故か目の奥の光が無くなったような、寂しそうな目をしていた。
僕がよく、鏡で見るような。
何かを失って希望を見いだせないときの目だ。
「でも、友達に優劣つけるつもりはないから。後にも先にも、親友は稔だけだよ」
コンビニで買ってきたカップのバニラアイスを稔の部屋でつつきながら、顔を逸らした。
いつもは言わないようなことを話して、恥ずかしくなってしまったから。
「……うん。祐朔なら、そう言ってくれると思ってた」
顔を見ていないからその目に光が戻ってきているか確認はできていないけど、きっと大丈夫だ。
稔とは、ちょっとやそっとでダメになるような関係じゃないってわかってるから。
信頼しているから。
「俺は、祐朔が楽しいならなんでもいいよ」
「いや、流石に一緒には行けないけどね」
まるで一緒について行く人の視点で言うから、ちょっと強めの口調で答えてしまった。
「んなもん、わかってるよ。ただの親友愛だよ。前、祐朔も言ってたろ?」
「あぁ、あったね」
下手な笑い方が気になるけど、見て見ぬふりをした。
作り笑いをするってことは、きっと話したくないことがあるからだろう。
上手く何か言ってあげられる自信はないし、話したくなったらきっと、ちゃんと話してくれるってわかってるから。
稔はまだ少し固いアイスをスプーンで荒めにつつていて、僕はそれを眺めながら微量のアイスを口に運ぶ。
稔がアイスをつつくその姿は、鉱山をツルハシで掘っているみたいだな、なんて思うと笑えてくる。
そう、今は口には出せないことを、考えた。
「____好きとかじゃ、ないんだよな?」
居心地の悪くない沈黙を破ったのは、稔だった。
衝撃的な質問に、思わず稔の顔を見ると、彼は真剣な瞳で僕を見ていた。
「稔に対する気持ちと一緒だよ。まだ、ここまで深くはないけどね」
出会ったころの、見つけてもらったときの。
あのときの喜びと同じものを感じている。
二人には感謝している。
だから、この感謝の気持ちを大切に伝えていきたい。
……誰にも僕の詳細は語らずに。
「僕はしちゃダメだと思うから。恋愛なんて」
「……え?」
「だから、立花さんを恋愛的に好きになることはないよ」
「ふーん。そっか」
「なんでそんなに不服そうなんだよ」
僕が笑うと、稔は持っていたアイスのカップを机に置いて、まっすぐ僕を瞳に映した。
「いや、だって。そんな人生でいいのかよ」
「うん。今のままが、僕にはちょうどいいんだよ」
恋の行き先は、家族だ。
もし仮に好きな人ができて、結婚したとして。
いずれ、子どもができたとして。
僕と同じような性格の子だったら可哀想だ。
そして、成長していくにつれ、僕と同じような境遇に立つことになったら。
それこそ僕は後悔するに決まっている。
子どもが生まれた事実を。
結婚したことを。
恋をしたことを。
そして、その相手と出会ったことを。
そこに至るまでの全ての原因に、後悔を重ねることになる。
何かで人の性格の数十パーセントは遺伝だと読んだことがあるから、尚更だ。
「それなら、余計な口出しはしないけど」
「うん」
きっと今思ったことを話したら、考えすぎだって笑われるだろう。
そして、彼が冷静になったとき。
引っかかるところに気が付いて、尋ねてくるから。
だから言わずに黙っておいた。
稔にとっても、聞いていて気持ちのいい話ではないだろうし。
「俺は、初恋くらいは経験しといた方がいいと思うけどね」
完全に諦めきった声色で、ちらりと僕を見て、アイスに視線を落とした。
「稔はあるのかよ」
そこまで言うなら、ない訳がない。
そうじゃないとおかしい。
「それなりにな。恋人がいたことはないけど」
「まぁ、まだこれからだよ。稔は僕と違ってちゃんとしてるから大丈夫だよ」
なんだか空気が重い。
メンタルがやられて、食欲がないときの胃みたいに、ずんと重い。
恋バナは、なんだかわっと盛り上がる、話に花が咲いてしまうようなものだとばかり思っていたのに。
なんだか、不本意に始まったこの話は、思ったのと違った。
その原因はきっと僕にあって、ちょっとでも盛り上げようとしてくれた稔に申し訳なくなる。
「僕には稔がいてくれるから。それでいいんだよ」
「そうか?」
僕を見る顔色が、少し明るくなった。
「うん。それが、いいんだよ」
嬉しそうに、納得したように頷くから、僕まで嬉しくなった。
そして、僕の気持ちを理解してくれた喜びは、心の安息そのものだった。
「_____海、楽しんでこいよ」
もうすっかり頭から飛んでいた話題を呼び戻し、僕の背中を強く叩いた。
「いってーな」
「しゃんとしろよ、しゃんと!」
「なんだよいきなり」
じわじわと液体の比率が高くなったアイスを口に運びながら、僕は笑ってしまった。
だってあまりにも、スッキリした顔をしているのだから。
「俺は新しい友達ができても譲らないからな。この立場」
「はぁ?なんだよそれ」
「何があっても、親友でいるってことだよ」
「どうしたんだよ、いきなり」
「照れるなよ。お前の方が、もっとずっと、すごいこと言ってるんだから」
……うぅ……。
思い出して死にたくなるような、そんなことをいくつも口にした。
掘り起こしたくないのに、僕の気持ちは知らんぷりで楽しそうに笑っていた。
……まぁいいか。あの暗い顔が、いつも通りに戻ったんだ。
稔には、笑顔がよく似合うから。
笑っていてくれるほうが、ずっといい。
「そんなこと、もういいから。教えろよ。どっか人が少なくて、いい海ないの?」
「そんなこと言われたって、どこも今がピークだろ」
そんなことを言いながら、スマホを開いて調べてくれる。
友達と遊ぶための行き先を、親友と決めるなんて、寿司と焼肉を同じ日に食べるくらい、贅沢だ。
「ありがとう」
「俺も。ありがとう」
稔も僕も、何がとは言わない。
でもきっと伝わってるし、伝わってきている。
お互いのスマホ画面を覗き込みながら、夏のひと時をこの上なくしっかり味わっていた。