立花さんと、連絡先を交換した。
あの日の図書室で、泣きたくなるようなことがあったら連絡してもらう約束をした。
自分のスマホの中に、女の子の連絡先が入っている今までにない出来事に、頭が未だについていかない。
「まだスマホ見てんの?」
少し呆れ気味で、帰宅時間を過ぎても暗い画面のスマホに目を落とす僕をため息混じりに見下ろしていた。
「いや、だっておかしいじゃん」
「なにが?」
「僕に女の子の友達ができるとか、そんなの」
果たして友達と言っていい関係なのかは謎だ。
もしかしたら、上下関係を気にしなくていい先輩後輩というのが一番それっぽいのかもしれない。
「俺からしたら、一週間飽きずにそればっかり思える祐朔のがおかしいと思うけどね」
……う。……確かに。
長いと思っていた夏休みの補習も、今日で終わり。
明日から、本当に本当の夏休みが始まるのだ。
それくらいの時間は流れているのに、やはりすんなりとは飲み込めない。
「だって僕だよ?友達が増えるってだけで奇跡みたいなものなのに」
そうなのだ。
立花さんに見つけてもらったことが、イレギュラーなことなのに。
連絡先まで交換しているなんて、それこそイレギュラー中のイレギュラーなのだ。
「そんなことないと思うけど」
ぼそっとそう言って荷物を持ち上げた稔は、僕のほうを見て、口を開いた。
「部活あるから、もう行くわ。また連絡するから遊び行こ」
「うん。待ってるよ」
稔を見送って、窓の外を眺める。
あれ以来立花さんとは会っていないし、まだメッセージでのやり取りはしていない。
もう一度スマホに目を向けると、初めて会ったあの時を思い出した。
そういえば、風邪の調子はどうなんだろう。
……聞いてみようかな。
勢いに任せてメッセージアプリを開き、トークルームを選択する。
まっさらでなんの文字もないトーク画面は、見慣れなくてなんだか新鮮だ。
【久しぶり。風邪の調子、どう?】
とりあえず打って、その文面につい首を傾げた。
なんか、淡々としすぎているかも。
どうしよう。なんて送ればいいんだろう。
人柄もまだしっかり掴めていない中で、変なことを言って嫌がられたくない。
バツ印を押して、全部消した。
【おつかれさま。喉の調子はどう?】
……うーん。なんか、上からっぽい?
また消そうと思ってバツを押したはずなのに、いきなり文が全て消えたかと思たら、吹き出しになって浮かんでいた。
「えっ!?やばいやばい。ミスった」
初めての誤爆メッセージに、身体中の温度が急上昇する。
エアコンが効いている教室にいるはずなのに、外に追い出された気分だ。
送信取り消しって、どうやるんだっけ?
グダグダしているうちに、既読がついてしまった。
【おつかれさまです】
【お話したいことがあるんですけど、先輩今どこにいますか?】
「えぇ!?」
ガタガタっと椅子を大袈裟に鳴らしながら、立ち上がってしまう。
いい話?それとも、悪い話?
既読をつけてしまったから、なんでもいいから早く返さないと。
【学校だよ。立花さんは?どこにいる?】
【すみません。学校出ちゃったので、すぐに戻ります】
そんなこと言うものだから、慌ててしまってスマホが手からすり抜ける。
床にぶつかる鈍い音がしたけど、割れてはいなくてほっとする。
……じゃなくて。早く返さないと。
【僕がそっち行くよ。どこにいる?】
【もうすぐ駅です】
意外と遠いじゃん。
よく戻るって言ったな、なんて思いながら、その行動力に少し、これから話される話の内容の重みを感じた気がする。
【わかった。どこか涼しいところに入ってて。すぐ向かうから】
急いでカバンを持ち上げると、手に持ったスマホが振動する。
【すみません。ありがとうございます】
そのメッセージと共に、涙を流しながら感謝するうさぎのスタンプが送られてきた。
ポケットにスマホを突っ込んで、急ぎ足で学校を出る。
肌を焼くほどの日差しは、なんだかクラクラする。
信号待ちで立っているだけでも額から、腕から、首から汗が滲む。
……臭くないよね?
会った瞬間汗臭いとか、最悪すぎる。
自分の腕を匂いながら歩いていたら、もう目的地は目と鼻の先に現れた。
駅前の涼める場所と言ったら、コンビニか、チェーンの喫茶店くらいしかない。
この時間、その両方ともが学生で溢れていて、それを狙ったかのように店の看板は堂々と佇んでいた。
どこにいるか聞かないと。
そう思ったのも束の間、僕の心の中が見えているかのように、ちょうど通知が来た。
【カフェにいます】
【わかった】
自動ドアから中に入ると、ミーアキャットのようにぴょこりと立ち上がった立花さんが、控えめに手を振っていた。
「ごめん。おまたせ」
『わざわざ来ていただいてありがとうございます』
準備していたのか、ノートに丸っこい字が並んでいた。
「全然。僕はここ、帰り道だから」
よかったと言うように、ほっと目尻を下げると、ノートの上に重ねるようにメニューを置いてくれる。
『何か食べますか?』
今度はスマホに、そう打ってくれる。
まだ喉の調子は治ってないんだ。
どうやら相当こじらせているらしい。
「立花さんは、何か食べる?」
目が合うと、こくんと頷いて、ナポリタンのプレートを指さした。
立花さんがお昼を食べるなら、僕も食べよう。
軽くメニューに目を通し、グラタンのセットに決めた。
ドリンクと共に注文を終え、早速本題に入る。
「それで、話したいことって?」
ドキドキしながら聞くと、メニューの下敷きになっていたノートを渡された。
捲られた次のページに、『読んでください』と書いてある。
立花さんは緊張気味にこちらを見ていて、なんだか僕まで背筋が伸びる。
とりあえず了承の意味で頷いて、ノートに視線を移した。
私は嘘をついていました。
風邪なんて引いていないんです。
喉も、全く痛くありません。
友達とあんな関係になってしまったのも、声が出ないことが原因なんです。
人魚姫症候群(カタカナで、リトルマーメイドシンドロームと読みます)を知っていますか?
すごく珍しい精神病で、大切な人を失ったことによる強いストレスに声を奪われることから、そう呼ばれるようになったそうです。
私が声が出ないのはそのせいで、のど飴をもらった日からずっと、朝霧先輩には言わないとと思っていました。
私の体調を気にかけてくださっていたのに、ごめんなさい。
時々震えたような筆跡が残っていて。
必死に伝えてくれていることが、よくわかる。
短いようで長い、立花さんの必死の告白は、ドリンクが来たことにも食事が来たことにも気付かないほど衝撃的だった。
「____教えてくれてありがとう」
なんて言おうか。
考えがまとまらないまま顔を上げて、目が合ったとき。
僕の口からはその一言がでてきた。
『嫌にならないんですか?』
戸惑ったように口をぱくぱく動かしながら、思い出したようにスマホに文字を打ってくれる。
どうやら、嫌われる前提でここにいたらしい。
「なんで?」
『だって、もうずっと、声を出すことができないかもしれないんですよ?』
潤んだ瞳で、震える手で、言葉と視線が僕を見る。
今にもこぼれ落ちてしまいそうな涙が、どうしようもないくらい、なんとかしてあげたい気持ちを沸き立たせる。
「そんなの、どうだっていいよ。声がなくたって言葉は交わせるし、声で話せないことが欠点だなんて思わないよ」
綺麗事だと思われるかもしれない。
でもこれは、確かに僕の本音だ。
まだ出会って間もない僕が、こんなことを言って果たして彼女に響くのかと言われたら……。
そう思ったけど、彼女は瞳からついにこぼれた涙を腕で強く擦って、何度も頭を下げた。
きっと友達に受け入れてもらえなくて。
それが当たり前だと思っていたのかもしれない。
きっと僕に話すのも、底知れない勇気が必要だっただろうに、こうして伝えてくれたんだ。
もし立花さんに必要とされるなら、そばにいよう。
嬉しそうに笑う立花さんは可愛らしくて、守ってあげたいなんて、自分でも出会ったことのない感情になる。
でもそれはきっと、そばにいようと決めたからだろう。
「ねぇ、夏休みにどこか行かない?」
すっかり冷めてしまった食事を食べながら、初めて自分からなにかに誘った。
返事が来るまでの時間は、数秒だったはずなのにすごく長く感じる。
笑って頷いてくれたとき、つい、嫌がられていなくてよかったと力が抜ける。
「どこがいい?」
『海に行きたいです』
「じゃあ海、行こう」
お互いスマホを見せ合いながら、人が少なそうな海を探す。
この真夏、人が多いところばかりだろう。
「良さげなところ、見つけたらメールするね」
結局近場にあまりいいところは見つからなくて、少し離れたところをお互い探すことになった。
八月の下旬。学生が終わらない課題に追われる頃。
初めての女の子との約束に、心が踊った。
あの日の図書室で、泣きたくなるようなことがあったら連絡してもらう約束をした。
自分のスマホの中に、女の子の連絡先が入っている今までにない出来事に、頭が未だについていかない。
「まだスマホ見てんの?」
少し呆れ気味で、帰宅時間を過ぎても暗い画面のスマホに目を落とす僕をため息混じりに見下ろしていた。
「いや、だっておかしいじゃん」
「なにが?」
「僕に女の子の友達ができるとか、そんなの」
果たして友達と言っていい関係なのかは謎だ。
もしかしたら、上下関係を気にしなくていい先輩後輩というのが一番それっぽいのかもしれない。
「俺からしたら、一週間飽きずにそればっかり思える祐朔のがおかしいと思うけどね」
……う。……確かに。
長いと思っていた夏休みの補習も、今日で終わり。
明日から、本当に本当の夏休みが始まるのだ。
それくらいの時間は流れているのに、やはりすんなりとは飲み込めない。
「だって僕だよ?友達が増えるってだけで奇跡みたいなものなのに」
そうなのだ。
立花さんに見つけてもらったことが、イレギュラーなことなのに。
連絡先まで交換しているなんて、それこそイレギュラー中のイレギュラーなのだ。
「そんなことないと思うけど」
ぼそっとそう言って荷物を持ち上げた稔は、僕のほうを見て、口を開いた。
「部活あるから、もう行くわ。また連絡するから遊び行こ」
「うん。待ってるよ」
稔を見送って、窓の外を眺める。
あれ以来立花さんとは会っていないし、まだメッセージでのやり取りはしていない。
もう一度スマホに目を向けると、初めて会ったあの時を思い出した。
そういえば、風邪の調子はどうなんだろう。
……聞いてみようかな。
勢いに任せてメッセージアプリを開き、トークルームを選択する。
まっさらでなんの文字もないトーク画面は、見慣れなくてなんだか新鮮だ。
【久しぶり。風邪の調子、どう?】
とりあえず打って、その文面につい首を傾げた。
なんか、淡々としすぎているかも。
どうしよう。なんて送ればいいんだろう。
人柄もまだしっかり掴めていない中で、変なことを言って嫌がられたくない。
バツ印を押して、全部消した。
【おつかれさま。喉の調子はどう?】
……うーん。なんか、上からっぽい?
また消そうと思ってバツを押したはずなのに、いきなり文が全て消えたかと思たら、吹き出しになって浮かんでいた。
「えっ!?やばいやばい。ミスった」
初めての誤爆メッセージに、身体中の温度が急上昇する。
エアコンが効いている教室にいるはずなのに、外に追い出された気分だ。
送信取り消しって、どうやるんだっけ?
グダグダしているうちに、既読がついてしまった。
【おつかれさまです】
【お話したいことがあるんですけど、先輩今どこにいますか?】
「えぇ!?」
ガタガタっと椅子を大袈裟に鳴らしながら、立ち上がってしまう。
いい話?それとも、悪い話?
既読をつけてしまったから、なんでもいいから早く返さないと。
【学校だよ。立花さんは?どこにいる?】
【すみません。学校出ちゃったので、すぐに戻ります】
そんなこと言うものだから、慌ててしまってスマホが手からすり抜ける。
床にぶつかる鈍い音がしたけど、割れてはいなくてほっとする。
……じゃなくて。早く返さないと。
【僕がそっち行くよ。どこにいる?】
【もうすぐ駅です】
意外と遠いじゃん。
よく戻るって言ったな、なんて思いながら、その行動力に少し、これから話される話の内容の重みを感じた気がする。
【わかった。どこか涼しいところに入ってて。すぐ向かうから】
急いでカバンを持ち上げると、手に持ったスマホが振動する。
【すみません。ありがとうございます】
そのメッセージと共に、涙を流しながら感謝するうさぎのスタンプが送られてきた。
ポケットにスマホを突っ込んで、急ぎ足で学校を出る。
肌を焼くほどの日差しは、なんだかクラクラする。
信号待ちで立っているだけでも額から、腕から、首から汗が滲む。
……臭くないよね?
会った瞬間汗臭いとか、最悪すぎる。
自分の腕を匂いながら歩いていたら、もう目的地は目と鼻の先に現れた。
駅前の涼める場所と言ったら、コンビニか、チェーンの喫茶店くらいしかない。
この時間、その両方ともが学生で溢れていて、それを狙ったかのように店の看板は堂々と佇んでいた。
どこにいるか聞かないと。
そう思ったのも束の間、僕の心の中が見えているかのように、ちょうど通知が来た。
【カフェにいます】
【わかった】
自動ドアから中に入ると、ミーアキャットのようにぴょこりと立ち上がった立花さんが、控えめに手を振っていた。
「ごめん。おまたせ」
『わざわざ来ていただいてありがとうございます』
準備していたのか、ノートに丸っこい字が並んでいた。
「全然。僕はここ、帰り道だから」
よかったと言うように、ほっと目尻を下げると、ノートの上に重ねるようにメニューを置いてくれる。
『何か食べますか?』
今度はスマホに、そう打ってくれる。
まだ喉の調子は治ってないんだ。
どうやら相当こじらせているらしい。
「立花さんは、何か食べる?」
目が合うと、こくんと頷いて、ナポリタンのプレートを指さした。
立花さんがお昼を食べるなら、僕も食べよう。
軽くメニューに目を通し、グラタンのセットに決めた。
ドリンクと共に注文を終え、早速本題に入る。
「それで、話したいことって?」
ドキドキしながら聞くと、メニューの下敷きになっていたノートを渡された。
捲られた次のページに、『読んでください』と書いてある。
立花さんは緊張気味にこちらを見ていて、なんだか僕まで背筋が伸びる。
とりあえず了承の意味で頷いて、ノートに視線を移した。
私は嘘をついていました。
風邪なんて引いていないんです。
喉も、全く痛くありません。
友達とあんな関係になってしまったのも、声が出ないことが原因なんです。
人魚姫症候群(カタカナで、リトルマーメイドシンドロームと読みます)を知っていますか?
すごく珍しい精神病で、大切な人を失ったことによる強いストレスに声を奪われることから、そう呼ばれるようになったそうです。
私が声が出ないのはそのせいで、のど飴をもらった日からずっと、朝霧先輩には言わないとと思っていました。
私の体調を気にかけてくださっていたのに、ごめんなさい。
時々震えたような筆跡が残っていて。
必死に伝えてくれていることが、よくわかる。
短いようで長い、立花さんの必死の告白は、ドリンクが来たことにも食事が来たことにも気付かないほど衝撃的だった。
「____教えてくれてありがとう」
なんて言おうか。
考えがまとまらないまま顔を上げて、目が合ったとき。
僕の口からはその一言がでてきた。
『嫌にならないんですか?』
戸惑ったように口をぱくぱく動かしながら、思い出したようにスマホに文字を打ってくれる。
どうやら、嫌われる前提でここにいたらしい。
「なんで?」
『だって、もうずっと、声を出すことができないかもしれないんですよ?』
潤んだ瞳で、震える手で、言葉と視線が僕を見る。
今にもこぼれ落ちてしまいそうな涙が、どうしようもないくらい、なんとかしてあげたい気持ちを沸き立たせる。
「そんなの、どうだっていいよ。声がなくたって言葉は交わせるし、声で話せないことが欠点だなんて思わないよ」
綺麗事だと思われるかもしれない。
でもこれは、確かに僕の本音だ。
まだ出会って間もない僕が、こんなことを言って果たして彼女に響くのかと言われたら……。
そう思ったけど、彼女は瞳からついにこぼれた涙を腕で強く擦って、何度も頭を下げた。
きっと友達に受け入れてもらえなくて。
それが当たり前だと思っていたのかもしれない。
きっと僕に話すのも、底知れない勇気が必要だっただろうに、こうして伝えてくれたんだ。
もし立花さんに必要とされるなら、そばにいよう。
嬉しそうに笑う立花さんは可愛らしくて、守ってあげたいなんて、自分でも出会ったことのない感情になる。
でもそれはきっと、そばにいようと決めたからだろう。
「ねぇ、夏休みにどこか行かない?」
すっかり冷めてしまった食事を食べながら、初めて自分からなにかに誘った。
返事が来るまでの時間は、数秒だったはずなのにすごく長く感じる。
笑って頷いてくれたとき、つい、嫌がられていなくてよかったと力が抜ける。
「どこがいい?」
『海に行きたいです』
「じゃあ海、行こう」
お互いスマホを見せ合いながら、人が少なそうな海を探す。
この真夏、人が多いところばかりだろう。
「良さげなところ、見つけたらメールするね」
結局近場にあまりいいところは見つからなくて、少し離れたところをお互い探すことになった。
八月の下旬。学生が終わらない課題に追われる頃。
初めての女の子との約束に、心が踊った。



