翌日。補習が終わってすぐ、一年生のフロアに向かった。
どこに行くのか気にしていた稔も、部活があるからと階段で別れた。
一年三組……。
懐かしい。僕も去年、同じクラスだった。
同じ校舎で過ごしているのに、何十年越しに足を踏み入れたかのようにぶわっと思い出が蘇る。
ここの窓からよく外を眺めていたな、とか。
あそこの席が稔と出会った場所だったな、とか。
後ろの扉から教室を覗いて立花さんのことを探しながら、思い出に浸っていた。
ドンッ。
結構大袈裟に覗いていたと思うのに、僕がここにいることに気付いたのは誰かとぶつかった衝撃があったからだろう。
「あ、すみません」
「いえ、こちらこそ……。うちのクラスになにか用ですか?」
気を利かせてか、僕の上履きの色を見て声をかけてくれた。
「立花さんを探してるんだけど」
僕が言うと、その人は考えるような素振りをした。
「立花……?」
ついにはわからないのか、そう呟くほど。
「立花澪さんって、このクラスじゃないの?」
貸し出しカードを見せるも、まだピンとくる人はいないようだ。
「ほら、あの子だよ。____人魚姫ちゃん」
隣にいた子が、やっと閃いたように僕と話していた子の肩を叩いて言った。
「あぁ!それなら、あの子です」
指をさされた先。
窓際で帰る準備をしている子は、確かに昨日見たあの子だった。
人が少なくなってきたからか、やっと見つけられた。
「ありがとう」
僕が言うと、じゃあ、と彼女たちはそそくさと帰って行った。
……さて、どうしよう。
ここで出てくるのを待ち伏せる?
ここから名前を呼ぶ?
それとも、教室の中に入る?
熟考しているうちに、立花さんは教室から出てきてすぐ、僕に気がついた。
前の扉と、後ろの扉。
教室一つ分の距離があるのに、しっかりと目が合う。
『どうしたんですか?』
そのまま通り過ぎることもできたかもしれないのに、立花さんはわざわざスマホを取り出して、話しかけてくれた。
「あ、えっと……。これ、本に挟まってたから」
握りしめていた貸し出しカードを差し出すと、手を合わせて何度も頭を下げた。
『ありがとうございます!探してたんです』
本当に嬉しそうに、にこにこ笑いながらスマホを見せてくれる。
『あの、お名前聞いてもいいですか?』
おずおずと、さっき書いたものを消して、打ち直したものを見せてくれる。
確かに、相手の名前を知らないのに自分の名前は知られているって、いい気はしないかも。
気が利かないよな、僕という人間は。
「ごめん。先に名乗るべきだったね」
思い切り首を振る立花さんは、きっとすごく優しい人だ。
「二年の、朝霧祐朔です」
軽く会釈をする。
『一年の立花澪です。よろしくお願いします』
にこっと微笑んで、会釈をした。
なんて、なんて温かい人なんだろう。
僕のまわりにはいない人だ。
もう会うこともないだろうに、最後の印象がこんなにも別れがたいものになるなんて。
「あ、そういえば。立花さんって、人魚姫が好きなの?」
少しでも話していたくて、その気持ちだけで聞いた質問が、立花さんの表情を一瞬暗くした。
「ごめん。昨日、帰ってきた絵本見て」
僕が言うと、時折首を傾げながらスマホのキーボードを打つ。
その健気さに、考えなしの質問をしたことに申し訳なさで胸がいっぱいになる。
『人魚姫は、私の憧れなんです』
少し考えたけど、よくわからなかった。
あまり考えすぎたらよくないかなと単純に考えようとするけど、昨日読んだあの話の中に憧れるポイントは特に見受けられなかった。
「そうなんだ」
結局自分から聞いて答えてもらったくせに、相槌をうつことしかできなかった。
「あ、じゃあ僕、帰るね」
聞くだけ聞いてふざけるなって思われそうだけど、どうしてもこの沈黙に耐えられなくて。
軽く手を振って、返事を待たずに背を向けた。
きっともう、本当に会うことはない。
次の委員会は夏休み真っ只中で、それこそ本当に、物好きの暇人のために開けているようなものだ。
一ヶ月もしたら、頭の片隅に名前があるかないかくらいの存在までに成り下がる。
そしたらもう、顔を合わせても話すことなんてなくなるだろう。
『ちょっと待ってください』
その文字ともに、腕を引かれる。
なにか覚悟を決めたような、大きな決断をしたような。
とにかく必死な顔つきだった。
「どうかした?」
パチッと目が合うと、すっと逸らされて。
女の子はよくわからない。
口が動くのはわかるけど、声が全く聞こえない。
集中して耳をすましても驚くほど無音で、もう一度聞き返してもいいものか、つい悩んでしまう。
『海に、行ったことはありますか?』
結局、僕の顔を見て何かを察したのか、文字にして見せてくれた。
「え、海?海は……。ない、かな」
唐突な質問に慌てて記憶を遡るけど、当然海はどこにも出てこなかった。
唯一出てきたのは、中学の修学旅行の帰り道。
高速道路を走る車内から見える窓越しの海くらいで、それを行ったとカウントする人は僕を含め、誰もいないだろう。
「なんで?」
わかりやすく肩を落とすと、なんでもないと言わんばかりに首を振った。
『引き止めてごめんなさい』
ぱっとそれだけ見せられたと思ったら、ちょうど読み終わったころに廊下を小走りで進んで去って行ってしまった。
なんだったんだろう。
置いていかれた僕は、一年生のフロアで一人、首を傾げていた。
どこに行くのか気にしていた稔も、部活があるからと階段で別れた。
一年三組……。
懐かしい。僕も去年、同じクラスだった。
同じ校舎で過ごしているのに、何十年越しに足を踏み入れたかのようにぶわっと思い出が蘇る。
ここの窓からよく外を眺めていたな、とか。
あそこの席が稔と出会った場所だったな、とか。
後ろの扉から教室を覗いて立花さんのことを探しながら、思い出に浸っていた。
ドンッ。
結構大袈裟に覗いていたと思うのに、僕がここにいることに気付いたのは誰かとぶつかった衝撃があったからだろう。
「あ、すみません」
「いえ、こちらこそ……。うちのクラスになにか用ですか?」
気を利かせてか、僕の上履きの色を見て声をかけてくれた。
「立花さんを探してるんだけど」
僕が言うと、その人は考えるような素振りをした。
「立花……?」
ついにはわからないのか、そう呟くほど。
「立花澪さんって、このクラスじゃないの?」
貸し出しカードを見せるも、まだピンとくる人はいないようだ。
「ほら、あの子だよ。____人魚姫ちゃん」
隣にいた子が、やっと閃いたように僕と話していた子の肩を叩いて言った。
「あぁ!それなら、あの子です」
指をさされた先。
窓際で帰る準備をしている子は、確かに昨日見たあの子だった。
人が少なくなってきたからか、やっと見つけられた。
「ありがとう」
僕が言うと、じゃあ、と彼女たちはそそくさと帰って行った。
……さて、どうしよう。
ここで出てくるのを待ち伏せる?
ここから名前を呼ぶ?
それとも、教室の中に入る?
熟考しているうちに、立花さんは教室から出てきてすぐ、僕に気がついた。
前の扉と、後ろの扉。
教室一つ分の距離があるのに、しっかりと目が合う。
『どうしたんですか?』
そのまま通り過ぎることもできたかもしれないのに、立花さんはわざわざスマホを取り出して、話しかけてくれた。
「あ、えっと……。これ、本に挟まってたから」
握りしめていた貸し出しカードを差し出すと、手を合わせて何度も頭を下げた。
『ありがとうございます!探してたんです』
本当に嬉しそうに、にこにこ笑いながらスマホを見せてくれる。
『あの、お名前聞いてもいいですか?』
おずおずと、さっき書いたものを消して、打ち直したものを見せてくれる。
確かに、相手の名前を知らないのに自分の名前は知られているって、いい気はしないかも。
気が利かないよな、僕という人間は。
「ごめん。先に名乗るべきだったね」
思い切り首を振る立花さんは、きっとすごく優しい人だ。
「二年の、朝霧祐朔です」
軽く会釈をする。
『一年の立花澪です。よろしくお願いします』
にこっと微笑んで、会釈をした。
なんて、なんて温かい人なんだろう。
僕のまわりにはいない人だ。
もう会うこともないだろうに、最後の印象がこんなにも別れがたいものになるなんて。
「あ、そういえば。立花さんって、人魚姫が好きなの?」
少しでも話していたくて、その気持ちだけで聞いた質問が、立花さんの表情を一瞬暗くした。
「ごめん。昨日、帰ってきた絵本見て」
僕が言うと、時折首を傾げながらスマホのキーボードを打つ。
その健気さに、考えなしの質問をしたことに申し訳なさで胸がいっぱいになる。
『人魚姫は、私の憧れなんです』
少し考えたけど、よくわからなかった。
あまり考えすぎたらよくないかなと単純に考えようとするけど、昨日読んだあの話の中に憧れるポイントは特に見受けられなかった。
「そうなんだ」
結局自分から聞いて答えてもらったくせに、相槌をうつことしかできなかった。
「あ、じゃあ僕、帰るね」
聞くだけ聞いてふざけるなって思われそうだけど、どうしてもこの沈黙に耐えられなくて。
軽く手を振って、返事を待たずに背を向けた。
きっともう、本当に会うことはない。
次の委員会は夏休み真っ只中で、それこそ本当に、物好きの暇人のために開けているようなものだ。
一ヶ月もしたら、頭の片隅に名前があるかないかくらいの存在までに成り下がる。
そしたらもう、顔を合わせても話すことなんてなくなるだろう。
『ちょっと待ってください』
その文字ともに、腕を引かれる。
なにか覚悟を決めたような、大きな決断をしたような。
とにかく必死な顔つきだった。
「どうかした?」
パチッと目が合うと、すっと逸らされて。
女の子はよくわからない。
口が動くのはわかるけど、声が全く聞こえない。
集中して耳をすましても驚くほど無音で、もう一度聞き返してもいいものか、つい悩んでしまう。
『海に、行ったことはありますか?』
結局、僕の顔を見て何かを察したのか、文字にして見せてくれた。
「え、海?海は……。ない、かな」
唐突な質問に慌てて記憶を遡るけど、当然海はどこにも出てこなかった。
唯一出てきたのは、中学の修学旅行の帰り道。
高速道路を走る車内から見える窓越しの海くらいで、それを行ったとカウントする人は僕を含め、誰もいないだろう。
「なんで?」
わかりやすく肩を落とすと、なんでもないと言わんばかりに首を振った。
『引き止めてごめんなさい』
ぱっとそれだけ見せられたと思ったら、ちょうど読み終わったころに廊下を小走りで進んで去って行ってしまった。
なんだったんだろう。
置いていかれた僕は、一年生のフロアで一人、首を傾げていた。



