文化祭当日になった。
十一月に入ると日中の空気も穏やかで涼しく、やっと秋めいて来たように思う。
「おかえりなさいませ、お嬢様。私、執事の朝霧と申します」
練習を重ねるうちに、お客さんに呼んでもらうために名乗ろうということになった。
演劇部は、そういうところに抜かりなく頭が回って、いつしかめんどくさいを通り越して尊敬の域まで達していた。
「お席までご案内させていただきますね」
いつもは前髪はストンと落ちたストレートだけど、今日はノリノリの女子たちにしっかりセットされて、左側の髪を耳にかけられて、残りの前髪はコテをあてて軽く右側に流される。
いわゆるセンターパートという髪型だろう。
いつも前髪が視界に入るか入らないかの状態だからか、今日は見えるものが全てクリアだ。
「お食事が決まりましたら、お声がけ下さい」
何度か強制的にイメトレをさせられていたおかげか、対応はスムーズに行える。
「調子はどう?」
隣に立つ稔は元からちゃんとセットされているからか、いつも通りの髪型だった。
「視界が良好だよ」
「それは祐朔がいつも髪型に無頓着だからでしょ」
「めんどくさいんだよね」
朝から家族共用の洗面台に長居するのは、めんどくさい。
それを話せるのはまだあと少し時間が経ってからだから、やっぱり濁して話してしまう。
「それはわかるわ」
担当のお客さんが店を出るまでは目の届くところにいる。近すぎても遠すぎてもダメ。
そう言われていた僕たちは、席から少し離れた窓際に立ってお互い顔も合わせずに、背筋を伸ばして小声で会話を交わす。
「笹倉さん」
「はい。お呼びですか、ご主人様」
僕との会話を切り上げて、お客さんのところへ歩いていく。
今日の稔は、背中がいつもより大きく見えた。
「朝霧さん、注文いいですか?」
「はい。どちらになさいますか?」
常に気を張って、名を呼ばれるのを待つ。
このなんとも言えない緊張感は、どれだけ練習してもきっと慣れることはないだろう。
ただ、それなりに需要はあるらしく、暇な時間は注文を待つ時間と食事を終えるまでの時間くらいだ。
ときどき、カップルコンテストに出場することを知っていて応援してくれる人もいた。
僕たちはちゃんと、カップルに見えているかな?
口先だけでからかっているようにも取れるクラスメイトの反応だけじゃ、自信は持てない。
そんな不安は残りつつ迎えてしまった今日。
もしかしたら、今感じている緊張もこのあとのことを考えているからこそ、より肩に力が入っているのかもしれない。
「お嬢様、本日のメニューがこちらとなっております」
椅子を引き、屈んだタイミングで椅子を押す。
これに関しては簡単そうに見えて難しく、やる度手汗が滲む。
こっそり手汗を服で拭い、脇に挟んでいたメニューを差し出した。
「わぁ、美味しそう」
「お決まりになりましたら、なんなりとお申し付けください」
やっとこの忙しなさにも慣れてきたころ、想定外の質問が僕に飛んできた。
「どれがオススメですか?」
まるで本当にカフェに来た人みたいで、よく言えばありがたく、悪く言えば少しめんどくさい。
この人がではなくて、執事らしい言葉遣いをパッと浮かべて言葉に出すことが、いつも使わない言葉遣いだからこそめんどくさいのだ。
「こちらの、キャラメルバニラがオススメですよ。お嬢様の柔らかい雰囲気にとても似合っていると思います」
我ながらよかったのでは?
期待を込めてお客さんの顔を見ると、にこっと微笑んで僕のオススメしたものを選んでくれた。
キャラメルバニラなんて、バニラアイスにキャラメルソースをかけただけ。
ポイントといえば、プレートにキャラメルソースでハートが描かれていることだろうか。
といっても、そんなに難しくない。一滴のソースに竹串でスっと真ん中に線を入れた、よく見るやつだ。
「朝霧、できたよ」
「ありがとう」
裏方に手渡されたバニラアイスキャラメルソースがけをお盆に乗せて、お客さんの元へ歩く。
「お嬢様、お待たせいたしました。キャラメルバニラでございます」
商品を机に置き、胸に手を当てて一礼をして去ろうとしたとき。
教室内が軽くざわついた。
「えっ、立花さんじゃん」
その声に反応して振り向く前に、僕は左側によろめいた。
「うおっ」
執事らしからぬ声がこぼれる。
腕を引かれた方を見るも、後ろに隠れているのか頭しか見えない。
「どうしたの?なにかあった?」
ふるふると、腕越しに首を横に振るのがわかる。
『ごめんなさい、また呼び出しがあったら呼びに来ます』
まるで忍者のように、そっと見せられたスマホの文字を読み終わったかと思ったら、後ろ姿さえも見えなくなっていた。
「……稔、ちょっと僕出るわ」
「えっ……。おう、わかった」
一瞬暗い顔をしたけど、パッといつもの顔に戻って物理的に僕の背を押す。
気のせいだったのかと思ってしまうくらい本当に一瞬だったから、顔の角度でそう見えたりしたのかもしれない。
「ありがとう」
お客さんを稔に任せて、僕は教室を出る。
人がごったがえす廊下はまっすぐ歩くことさえ困難で、人の隙間に必死に身をねじ込んで全速力で歩く。
「澪っ。どうしたの?」
やっと人気の少ない場所に出ると、階段の踊り場の隅で座り込んでいる澪を見つけた。
ポンと肩を叩くと、ビクッと震えて顔を上げる。
真っ赤な顔がこっちを向いて、パクパクと口を動かしてまたそっぽを向いてしまう。
「顔真っ赤だよ。……もしかして、熱?体調悪い?」
顔を覗き込もうとすると、身体ごと僕から目を逸らす。
「保健室行く?」
僕が問いかけたところで、スマホが震えた。
【カップルコンテスト出場者の皆さんは、準備ができ次第視聴覚室に集合してください】
今回のコンテスト出場者のグループチャットだった。
「どうする?棄権する?」
聞くと、何度も首を振った。
そうだよね。ここまでやってきたんだから、最初は嫌々でもやり切りたい気持ちはよくわかる。
「体調は大丈夫?」
『すごく元気です』
やっとこっちをちゃんと見てくれた澪は、少し視線をズラしている。
相手の眉間を見るとか、そんなわかりにくいものじゃない。
僕の頬辺りが澪の視界しっかりに入っているところだと思う。
立ち上がるときもふらつく様子もなく、先導してずんずん歩いていくから、とりあえず様子見かな。
今日の澪は、ふわふわのスカートが特徴的な、ワインレッドのゴスロリ風のワンピースを着ていた。
さっきまで全然気が付かなかったけど、髪も緩く巻いていて、歩く度ゆらゆらと穏やかに揺れる。
出会ったときよりも伸びた髪は、時の流れを感じさせる。
「今日、雰囲気違うね」
僕の声に、何かを期待するような目でこちらを振り向いた。
「……その、かわいいね」
なにを言うのが正解なのかわからなくて、思ったことを口に出した。
うっすらメイクをしているのか、表情がころころ変わるからそう見えるのか、今日は全体的にかわいらしい印象を受けた。
ぽぽぽっと、やっと治まった顔色はまた赤く染まる。
これは多分、照れているんだろう。
両頬を手で包みながら、ふいっと顔を背けられる。
こういうことも友達に戻ったら、頭で、心で思っても言えないんだろうな。
依存度はどんどん増していくばかりで、この距離感を失うことが寂しいなんて思っている。
そんな自分が、気持ち悪かった。
十一月に入ると日中の空気も穏やかで涼しく、やっと秋めいて来たように思う。
「おかえりなさいませ、お嬢様。私、執事の朝霧と申します」
練習を重ねるうちに、お客さんに呼んでもらうために名乗ろうということになった。
演劇部は、そういうところに抜かりなく頭が回って、いつしかめんどくさいを通り越して尊敬の域まで達していた。
「お席までご案内させていただきますね」
いつもは前髪はストンと落ちたストレートだけど、今日はノリノリの女子たちにしっかりセットされて、左側の髪を耳にかけられて、残りの前髪はコテをあてて軽く右側に流される。
いわゆるセンターパートという髪型だろう。
いつも前髪が視界に入るか入らないかの状態だからか、今日は見えるものが全てクリアだ。
「お食事が決まりましたら、お声がけ下さい」
何度か強制的にイメトレをさせられていたおかげか、対応はスムーズに行える。
「調子はどう?」
隣に立つ稔は元からちゃんとセットされているからか、いつも通りの髪型だった。
「視界が良好だよ」
「それは祐朔がいつも髪型に無頓着だからでしょ」
「めんどくさいんだよね」
朝から家族共用の洗面台に長居するのは、めんどくさい。
それを話せるのはまだあと少し時間が経ってからだから、やっぱり濁して話してしまう。
「それはわかるわ」
担当のお客さんが店を出るまでは目の届くところにいる。近すぎても遠すぎてもダメ。
そう言われていた僕たちは、席から少し離れた窓際に立ってお互い顔も合わせずに、背筋を伸ばして小声で会話を交わす。
「笹倉さん」
「はい。お呼びですか、ご主人様」
僕との会話を切り上げて、お客さんのところへ歩いていく。
今日の稔は、背中がいつもより大きく見えた。
「朝霧さん、注文いいですか?」
「はい。どちらになさいますか?」
常に気を張って、名を呼ばれるのを待つ。
このなんとも言えない緊張感は、どれだけ練習してもきっと慣れることはないだろう。
ただ、それなりに需要はあるらしく、暇な時間は注文を待つ時間と食事を終えるまでの時間くらいだ。
ときどき、カップルコンテストに出場することを知っていて応援してくれる人もいた。
僕たちはちゃんと、カップルに見えているかな?
口先だけでからかっているようにも取れるクラスメイトの反応だけじゃ、自信は持てない。
そんな不安は残りつつ迎えてしまった今日。
もしかしたら、今感じている緊張もこのあとのことを考えているからこそ、より肩に力が入っているのかもしれない。
「お嬢様、本日のメニューがこちらとなっております」
椅子を引き、屈んだタイミングで椅子を押す。
これに関しては簡単そうに見えて難しく、やる度手汗が滲む。
こっそり手汗を服で拭い、脇に挟んでいたメニューを差し出した。
「わぁ、美味しそう」
「お決まりになりましたら、なんなりとお申し付けください」
やっとこの忙しなさにも慣れてきたころ、想定外の質問が僕に飛んできた。
「どれがオススメですか?」
まるで本当にカフェに来た人みたいで、よく言えばありがたく、悪く言えば少しめんどくさい。
この人がではなくて、執事らしい言葉遣いをパッと浮かべて言葉に出すことが、いつも使わない言葉遣いだからこそめんどくさいのだ。
「こちらの、キャラメルバニラがオススメですよ。お嬢様の柔らかい雰囲気にとても似合っていると思います」
我ながらよかったのでは?
期待を込めてお客さんの顔を見ると、にこっと微笑んで僕のオススメしたものを選んでくれた。
キャラメルバニラなんて、バニラアイスにキャラメルソースをかけただけ。
ポイントといえば、プレートにキャラメルソースでハートが描かれていることだろうか。
といっても、そんなに難しくない。一滴のソースに竹串でスっと真ん中に線を入れた、よく見るやつだ。
「朝霧、できたよ」
「ありがとう」
裏方に手渡されたバニラアイスキャラメルソースがけをお盆に乗せて、お客さんの元へ歩く。
「お嬢様、お待たせいたしました。キャラメルバニラでございます」
商品を机に置き、胸に手を当てて一礼をして去ろうとしたとき。
教室内が軽くざわついた。
「えっ、立花さんじゃん」
その声に反応して振り向く前に、僕は左側によろめいた。
「うおっ」
執事らしからぬ声がこぼれる。
腕を引かれた方を見るも、後ろに隠れているのか頭しか見えない。
「どうしたの?なにかあった?」
ふるふると、腕越しに首を横に振るのがわかる。
『ごめんなさい、また呼び出しがあったら呼びに来ます』
まるで忍者のように、そっと見せられたスマホの文字を読み終わったかと思ったら、後ろ姿さえも見えなくなっていた。
「……稔、ちょっと僕出るわ」
「えっ……。おう、わかった」
一瞬暗い顔をしたけど、パッといつもの顔に戻って物理的に僕の背を押す。
気のせいだったのかと思ってしまうくらい本当に一瞬だったから、顔の角度でそう見えたりしたのかもしれない。
「ありがとう」
お客さんを稔に任せて、僕は教室を出る。
人がごったがえす廊下はまっすぐ歩くことさえ困難で、人の隙間に必死に身をねじ込んで全速力で歩く。
「澪っ。どうしたの?」
やっと人気の少ない場所に出ると、階段の踊り場の隅で座り込んでいる澪を見つけた。
ポンと肩を叩くと、ビクッと震えて顔を上げる。
真っ赤な顔がこっちを向いて、パクパクと口を動かしてまたそっぽを向いてしまう。
「顔真っ赤だよ。……もしかして、熱?体調悪い?」
顔を覗き込もうとすると、身体ごと僕から目を逸らす。
「保健室行く?」
僕が問いかけたところで、スマホが震えた。
【カップルコンテスト出場者の皆さんは、準備ができ次第視聴覚室に集合してください】
今回のコンテスト出場者のグループチャットだった。
「どうする?棄権する?」
聞くと、何度も首を振った。
そうだよね。ここまでやってきたんだから、最初は嫌々でもやり切りたい気持ちはよくわかる。
「体調は大丈夫?」
『すごく元気です』
やっとこっちをちゃんと見てくれた澪は、少し視線をズラしている。
相手の眉間を見るとか、そんなわかりにくいものじゃない。
僕の頬辺りが澪の視界しっかりに入っているところだと思う。
立ち上がるときもふらつく様子もなく、先導してずんずん歩いていくから、とりあえず様子見かな。
今日の澪は、ふわふわのスカートが特徴的な、ワインレッドのゴスロリ風のワンピースを着ていた。
さっきまで全然気が付かなかったけど、髪も緩く巻いていて、歩く度ゆらゆらと穏やかに揺れる。
出会ったときよりも伸びた髪は、時の流れを感じさせる。
「今日、雰囲気違うね」
僕の声に、何かを期待するような目でこちらを振り向いた。
「……その、かわいいね」
なにを言うのが正解なのかわからなくて、思ったことを口に出した。
うっすらメイクをしているのか、表情がころころ変わるからそう見えるのか、今日は全体的にかわいらしい印象を受けた。
ぽぽぽっと、やっと治まった顔色はまた赤く染まる。
これは多分、照れているんだろう。
両頬を手で包みながら、ふいっと顔を背けられる。
こういうことも友達に戻ったら、頭で、心で思っても言えないんだろうな。
依存度はどんどん増していくばかりで、この距離感を失うことが寂しいなんて思っている。
そんな自分が、気持ち悪かった。



