『お待たせしました』
文化祭の準備期間と言うだけあって、それなりに人が残っているというのに。
澪は足軽に僕の席まで駆け寄ってきた。
上履きと床がぶつかり合う軽い音が、僕の耳にまっすぐ届く。
教室内の空気が一瞬で変わり、誰とも目が合っていないのに身体中に視線が刺さるのを感じる。
「全然待ってないよ。行こっか」
気づいていないフリをしながら、僕は応えてそそくさと教室を出ようとする。
でもやっぱり、何もないまま買い出しに行けるなんてことにはならなかった。
「例の立花ちゃんじゃん!」
「うわ、めっちゃ美人!朝霧には勿体ないわ」
「ねぇねぇ。朝霧くんのどこが好きなの?」
僕が慌てて澪を隠しても、クラスメイトのだる絡みは止まらない。
澪は戸惑っているのか、僕の腕をぎゅっと、ぬいぐるみを抱きしめるように掴んでいる。
「僕の一目惚れだよ」
「えっ!そうなの?」
みんなの視線が澪から僕に移る。
最近しょっちゅう、こうして僕に視線が集まることがあるのに、こういうことにはまだ慣れない。
「うん。ごめん、予定あるから」
離れない澪を引きずるように学校から出ると、やっときちんと息が吸えた気がする。
「ごめんね。嫌だったでしょ」
寄ってたかって何かを聞かれるのは、あまり得意ではなさそうだ。
それに、未だに僕を掴む腕は離れていない。
『女の子の友達、私の他にいたんですね』
なぜかムスッとした顔をして、僕の顔にスマホを近付ける。
ほとんどゼロ距離で読む想定外な澪の言葉に、僕はつい笑ってしまった。
「違うよ。だってあの人たちの名前も知らないし。今日初めて話した人だよ」
あれが友達に見えたのか。
クラスに彼女がいる人がいるから、期間限定の興味という感じだろうに。
『それはそれで、どうなんですか?』
不満をこぼしている感じなのに、スマホ越しに見る澪はほっとしたようにゆるゆると口角を上げている。
「僕には、澪と稔がいればそれでいいんだよ」
それだけで十分なんだよ。
二人がいれば、他に誰もいらない。
『私も祐朔先輩がいれば、それでいいです』
「じゃあ僕たち、相思相愛で最高の友達だね」
両思いだね、とは言わなかったけど、心の中ではそう思った。
……あれ?相思相愛って両思いと同じか?
いやいや、違うよね。友達同士で使うのが、相思相愛みたいなイメージがあるし。
スイッチがオフになったように静かになる澪の歩幅に合わせるように、駅までの道を歩く。
「そういえば、澪のクラスは文化祭で何やるの?」
人が少ない車内で、ボックス席に向かい合って座る。
最近は隣にいることが多かったからか、向き合って座ることに懐かしさを感じた。
『コスプレ写真館です。私たちも衣装着るんですよ』
「そうなんだ。何着るか決まってるの?」
『祐朔先輩は、あの格好でなにやるんですか?』
質問に質問で返される。
なにか気に食わないらしい。
澪の頬は、ぷくっと膨れていた。
……つつくとどうなるんだろう。
興味本位で頬に手を伸ばしかけて、触れるのはダメだと自制をかけた。
「執事カフェ。昨日のも、衣装合わせしててさ」
『……じゃあ、人前に出るのがメインなんですね』
「そうだね」
今日もセリフの練習があったし、執事らしい振る舞いの練習もさせられた。
当日まで一ヶ月を切っているからか、なかなかハードだった。
それでもこうして放課後は時間が作れるのは、部活の出し物だったり、コンテストの準備だったりをしないといけない人がそれなりにいる上で、休息も取らないといけないという学校の配慮だろう。
「見られるの、恥ずかしいからさ。来なくていいからね」
あんな、普段話さないような言葉を使って、一生着ないような衣装を身にまとっている姿はあまり見られたくない。
『私、まだ衣装決まってないんです。だから、遊びに来てくれますか?』
「うん。わかった」
きっと澪なら、何を着ても似合う。
和も洋も、バッチリ着こなせるだろう。
そう思った矢先、ショッピングモールで同じ境遇になるような質問をされた。
『何が似合うと思いますか?』
僕たちは今、一台のスマホを覗き込んでいた。
「こういうのがいいんじゃないかな」
さすがに人魚姫すぎる格好は露出が多くなるから、僕的にNG。
学校的にも気候的にも、きっと澪自身それは望んでいないと思う。
それに、最初の方に案が出た台車に乗ってそれを押すというのは、実行委員から危険だからとNGが出た。
そこで見つけたのが、通販サイトのドレス。
マーメイドスカートのように、腰から足首の辺りまでふんわり締まっていて、裾は人魚のヒレのようにヒラヒラと広がっている。
主張の弱いエメラルドグリーンと淡い空色が人魚姫らしさを演出している。
ボトムスと繋がっているトップスは、パールホワイトのフリルが特徴的で、袖の透け感のあるパフスリーブはきっと澪に良く似合う。
色々な画像を見たけど、これを見た途端何よりもこのドレスを身に纏う澪が頭に浮かんだ。
「これがいいと思う」
『一緒です!私もこれ、可愛いなって思いました』
食い気味でスマホを取り出して文字を打つ。
そのスピード感に、無理して合わせている様子は見受けられなかった。
「じゃあ、これ注文しとくね。僕のは……」
『私、これがいいと思います』
そう指さしたのは、同じサイトの、澪のドレスの関連商品で出てきた王子服。
「あ、これなら着やすいかも」
まさに誰もが思い浮かべるような、キラキラ王子様系アイドルが着るような衣装を想像していて気乗りしなかった部分があるけど、澪が選んだのは至ってシンプルなものだ。
空色のジャケットとスラックス。
中のベストはグレーで、同じ色味の蝶ネクタイが付いていた。
キラキラした装飾はなくて、王子服というよりタキシード……いや、洒落たスーツに近い。
『ドレスもシンプルなので、こっち系がいいかなって』
「うん。色味も近いし並んでも違和感なさそう」
なにより、澪が選んでくれたものを着られるのなら、それが一番だ。
「じゃあ注文するね。また届いたら連絡する」
そこまで値段が張らなかったこともあり、僕は安堵していた。
「せっかく寄り道したし、ご飯食べて帰ろうか」
結局、衣料品売り場を見て回って目当てのものがなかったから、フードコートでフラッペを飲みながらスマホを見るだけになってしまった。
偽物だとしても、恋人として一緒に過ごすのはあと一ヶ月を切っている。
こうして澪と二人で過ごすことも、もう残り少ないかもしれない。
それが寂しいなんて、僕はやっぱり澪に依存している。
『プリクラ撮りませんか?』
ゲームセンターの前で立ち止まった澪は、まるで夢を語る人みたいにキラキラした目で僕を見る。
「いいけど……。僕、やり方とかわかんないよ?」
『私、知ってるので任せてください』
先導するように僕の手を引いてゲームセンターの中を進んでいく。
僕の一足前を歩くその背中が一筋の光に見えるなんて。
僕の目は本当にどうかしている。
プリ機の前で、僕がお金を払おうと小銭を入れると、負けじと澪が半額分機械の中に百円玉を入れた。
僕が全額払おうとしているのに気付いたのか、そうはさせない!と言いたげな顔つきだ。
「ありがとう」
お金を払うから恋人というのも変な話だけど。
そういう風習が抜けない世の中で、率先してお金を出す澪を見ると対等な友達という同じ視点でお互いを見ているような感覚になれる。
満足気に頷いた澪は、少し迷いを見せながらもタッチパネルでの操作をして、僕の背を押してグリーンバックの中に入った。
初めてのプリクラで、見るもの全てが新鮮なんて、久々の感覚につい心が高ぶる。
機械の横に荷物がおけるスペースがあるとか、スマホを置けるスタンドもあるとか。
澪が撮影が始まる前のカメラの前で前髪を整えているのを可愛らしいと感じながら、僕はつい色々な所へ視線を向けてしまう。
「撮影を始めるよっ!」
いきなり声がしたかと思ったら、慌ててカメラを見ている間にシャッターが切られた。
撮れた写真が映し出されると、そこには楽しそうに笑っている澪と、明らかに瞬きのタイミングを間違えて白目になっている僕がいた。
「なにこれ、やばっ!撮り直し効く?これ」
ただ爆笑している澪は、僕が聞いたことに答えようとはせずに機械から流れる音に耳を傾けている。
なんとか撮り終えた写真は、棒立ちでピースとか、流行に追いつけていない事実がよくわかるような写りだ。
「こんな写真いる?」
写真うつりのいい澪の横の僕は、一昔前の古びた人みたいだ。
唯一理解できたハートの作り方さえ古臭い。
「今どきのハートって、指だけなの?」
未だツボにハマっている澪は、流れ作業で落書きとやらを終えて、顔を隠して笑っていた。
全身がプルプル震えていて、今ならどんなにつまらないことを言っても笑ってくれそうだと思うほど。
「印刷終わったって。ほら、取りに行くよ」
とうとうタッチパネルに突っ伏してしまった澪を引っ張って落書きブースを出ると、今度は澪が僕の腕を引いて印刷された写真を取り出した。
『本当に初めてなんですね』
僕が併設されたハサミで写真を切り分けていると、さすがに落ち着いてきたくせにまた、思い出し笑いをしながら指摘する。
「そうだよ。印刷されたものがどこから出てくるのかすらわからないような陰キャですよ、僕は」
少し不貞腐れたように返すと、そんな僕を見てまた余計に笑った。
『私、こっちがいいです』
ひょいと、澪の写りがいいものよりも僕が一番捨てたいと思っていた最初の一枚目の写真を奪い取った。
「ちょっと。それは捨てるからこっちにしなさい」
奪い返そうと、澪の手にある写真に手を伸ばすも軽々と隠されてしまう。
『祐朔先輩には、そっちあげるので』
「なんでだよ。女の子は、自分の写りがいいものの方が嬉しいんじゃないの?」
『こっちも写りいいですよ?』
「それはもちろんそうだけど。てゆうか、澪は全部写りいいからね?どれ取っても一緒でしょ?」
なにを言っても、僕に渡すつもりはないらしい。
最終的には丁寧に生徒手帳の中にしまい込まれて、ポケットの中へ入ってしまった。
『より写りのいい姿は、大切な人に持っていてもらいたいものですよ』
なんて、忘れたころに思い出させるように言うものだから、ちょうど僕らのところへちょうど運ばれてきた夜ご飯はあまり味がしなかった。