とうとう学校にポスターが貼られてしまった。
昇降口を通った先の緑色の大きなコルクボードに、でかでかと展示されている。
左から、ミスコン、カップルコン、ミスターコン。
真ん中にあるということは、コンテストの中でもこれが一番みんなの期待の星ということだろう。
「『声がなくても、心で通じ合えるふたり』か」
誰かが僕らのポスターを見て、そう呟いた。
澪が決めたキャッチフレーズは、半透明の白い文字で儚く記載されていた。
「すげー。なんか、美しいな」
「うわっ」
気配もなく横に現れた稔は、視線を僕らのポスターに向ける。
「おはよ」
「おはよう。こう見るとたしかに、立花さんはモテる顔してるね」
「でしょ?僕なんかじゃ、申し訳ないよ」
隣に立つと、柔らかい美しさを持った澪が僕のせいで廃れてしまいそうで。
現実を見た澪の友達が、あいつならいいかと、また澪を傷つけることになってしまったら。
ネガティブな方へと進む思考を、首を振って必死に振り払う。
「バランス取れてるよ。十分だよ」
「……お世辞でも嬉しいよ」
珍しく澪に会わずに教室まで辿り着いた。
いつも通り中に入ると、みんなの視線が一気にこちらを向く。
「ちょっと、カップルコンテスト出るなんて聞いてないんだけど」
「いつあんなに可愛い子ゲットしたんだよ」
「俺にも紹介してくれよー」
口々に僕に向かっていろんな声が飛んでくる。
友達でもないクラスメイトに、それを言う必要があったのかと言われると、僕は全くその必要性を感じられない。
それに、盛り上がっていたと聞いていたけど知らない人もいたんだと、そこに驚いていた。
「あの子は、僕の大事な子だから。ごめんね」
解釈は人それぞれだから、それを恋と取るか、諸々の愛と取るかは各々に任せてしまった。
まぁ、嘘じゃないし。
澪は、僕の大事な友達なんだ。
「お似合いじゃん。応援するよ」
誰かがそう声をかけてくれる。
「あ、ありがとう」
思わず顔を上げると、先に席に荷物を置いた稔の顔が一瞬曇ったように見えた。
「お前もそう思う?俺も同じこと思ってたんだよ」
気のせいだったのか、太陽の前を横切る雲が通り過ぎたみたいに普通に僕とさっきまで話していた表情でクラスメイトに話を振った。
「ところで、あのキャッチコピーってどういう意味?」
「あー……」
なんて答えようか。
全振りじゃなくて、平等に話し合って考えればよかった。
当人同士しかわからないようなことをテーマにした僕らとは違い、他の人は、もっとわかりやすい感じだった。
雨の日、相合傘をして振り向いた写真。
その写真に『赤い傘は、僕らの赤い糸』とか。
きっと雨の日に赤い傘で相合傘をしたのが、初めての出会いなのだろう。
いい意味でわかりやすく、想像しやすい。
それに比べて僕らは、プールで見つめ合う。
『声がなくても、心で通じ合えるふたり』なんて。
難易度の星が三つほど付いたなぞなぞを出題されたような感じなのだろう。
別にそれが、悪いとは思わない。
むしろミステリアスで美しいとまで思った。
きっとこれは僕らの中では最大級の愛し愛されることを意味している。
ただそれを、それだけを話したところで、相手はもっと訳がわからなくなるのも目に見えている。
「それくらい仲がいいってことだよ」
なんて、パッと頭に浮かんだことをそのまま口にした。
三人で会話をしているはずなのに、僕たちの話に聞き耳を立てていたのか、拍手も聞こえる。
「俺も出るから、ライバルだな!」
そう、爽やかに話す陰キャにも対等に接してくれるような陽キャ男子が僕の肩に手を置いた。
「そうだね。お互い楽しく頑張ろう」
別に僕は、君をライバルだと思っていないけどさ。
そんなことを言ったら、本気でやっている人に申し訳ないから。
僕もちゃんと、手を抜かずにしっかりやろうと思ってる。
「はい、席ついてー!朝のホームルーム始めるよ」
どうやってこの場を去ろうか。
本気でそう考えたタイミングで、安治川先生が元気よく教室の扉を開けた。
またあとで、という声もかからないまま、僕たちはそれぞれの席へとバラける。
全員が席についたことを確認すると、安治川先生はキラキラした目で教卓に手をついた。
それもそのはず。
今日から午前は授業、午後は完全に文化祭準備の時間になるのだ。
これに関しては、先生よりも生徒の方が喜びに満ちている。
授業を受けなくていいのだ。
学校に遊びに来ている感覚になる人もいるだろう。
いいことばかりではないだろうけど、眠気と戦いながら授業を受けるよりずっとマシだ。
そして予想どおり、安治川先生は僕の頭の中と同じようなことを話し、楽しめと激励した。
そして、こういうときはつまらない時間はいつもより早く過ぎていき、僕は今、執事服を合わせていた。
スーツのようなピシッと背筋が伸びる服を着させられている。
胸元には真っ白なハンカチーフ。
首元に、稔は黒いネクタイなのに、僕は黒の蝶ネクタイを付けられていた。
「僕も普通のネクタイがよかったな」
白くて薄い手袋をはめながら、稔に軽く不満を吐く。
ただの黒いネクタイのほうが客引きへ行くにしてもあまり目立たないだろうから、羨ましいのに。
「いいじゃん。似合ってるから」
僕のことを頭のてっぺんから足先まで見定めるように視線を移動させて、納得したように頷いている。
「そう?」
「うん。立花さんも喜ぶんじゃない?」
「だから、そういうんじゃないってば」
でももしこの格好を見せたら、澪はどんな顔をするんだろう。
____かっこいいって思ってくれたりするのかな。
いやいや、そんなわけない。
僕らは友達で、そういうことを思う関係性じゃない。
僕は一体、何を考えているんだろう。
多分、浮かれてる。授業を受けなくていいこの時間に浮き足立っているのだ。
「うん。みんなピッタリだね」
家庭部の人たちは満足そうに頷いて、終わったかと思いきや、今度はそのまま演劇部にバトンタッチして接客についての指導が始まった。
「おかえりなさいませ。お嬢様、ご主人様」
プリントを片手に、一人一人読み上げをさせられる。
国語の授業の丸読みよりも気が乗らない。
「朝霧くん、顔死んでる。笑顔で!もっと声のトーンも明るめにして」
「……はい」
……なんなんだろう。この罰ゲームみたいな役は。
次から次へ、どこからかき集めてきたのか、口に出すのが恥ずかしいセリフ集の音読は続く。
「朝霧くん。大切な人を迎え入れる感じで読んでみて」
「わかりました」
そのアドバイスを受けて、一旦休憩となった。
僕の頭は、やっぱりおかしいのかもしれない。
大切な人と言われて、誰よりも最初に澪の顔が浮かんだのだから。
「気にすんなって。誰にでも得意不得意があるんだから」
背中をバシッと叩いて、全力で励ましてくれる。
「稔はなんであんなにちゃんとできるのさ」
「大事な人を思っているからかな」
じゃあ僕は頭に浮かんだ澪を思ってこのセリフを話すべきなのだろう。
……ただの友達なのになんだか申し訳ないけど、そう思っていることを誰かに話すなんて絶対にできない。
「おかえりなさいませ。お嬢様、ご主人様。お食事のご用意をさせていただきますので、こちらへどうぞ」
休憩が終わり、緊張しつつもセリフを読み上げる。
ドキドキしながら演劇部の人の顔を見る。
「いいじゃん。さっきの何十倍もいいよ」
ほっと、大袈裟に上がっていた肩が下がるのを感じた。
「彼女のこと思うと、気持ちも入るでしょ?」
「うん。自分でも違うのがわかった」
確実な手応えを感じて、少し気分が上がる。
よくよく考えたら、澪のことは恋人じゃないからと否定的なことを考えていたけど大切な人なことに変わりないじゃないか。
今、一番に頭に浮かぶのも嘘偽りなくちゃんと大切だからだし、心が思うまま、彼女を大切にしたい。
この気持ちに間違いはなかった。
「いい感じだよ。その調子でいこう」
安心と共に顔を上げるも、目に入った時計に焦りが込み上げてくる。
「すいません。僕、カップルコンテストの集まりがあって」
「そうなの?行って行って!」
背中を押されるように、僕は執事たちに送り出された。
まるで大富豪の豪邸の、主を迎え入れる前の執事たちを見ている気分になった。
「ごめんなさい、遅れました」
視聴覚室の扉を開けると、みんなの視線が一気に僕に集中する。
遅れてきたのだから、みんなが一斉に開いた扉を見るのは普通の流れだけど。
……それにしても見すぎじゃないか?
「お疲れさま。彼女の隣、座って」
立ち上がって僕に手を振る澪は、なぜか少し赤いように見える。
「遅くなってごめん。体調大丈夫?」
僕の質問に、澪はこれでもかと首を横に振る。
「でも顔、赤いけど……」
遠巻きに見たときより、近くで見た今の方がより赤く見える。
つい、手を澪の額に添える。
体温は僕とたいして変わらないように感じる。
「よかった。熱はないね」
身体を離すと、澪は目を合わせてくれない。
『近いです!』
僕と澪の顔の隙間に壁を作るように、目の前に現れたスマホ越しに、ムッとした顔を浮かべて睨むように僕を見る。
ぴったり合った瞳の近さに、今度は僕が赤くなってしまった。
「あ、ごめん」
慌てて周りを見ると、幸いそれなりにそれぞれでザワついていたこともあり、目立っている様子はなかった。
『照れてるんですか?』
僕の視界にノートが入り込んでくる。
澪の丸っこい字が、なんだか懐かしかった。
『照れてないですよ』
彼女の書いた行の少し下に、取り出したシャーペンで書いて、澪に返した。
誰が見ても嘘だとわかる嘘をついた。
それは澪にもお見通しだったのか、帰ってきたノートには僕をからかうかのごとく、文字が並ぶ。
『耳まで真っ赤ですよ。可愛いですね』
なんて。絶対にからかわれている。
「それぞれ今週中に衣装の準備をしてほしいです。実物じゃなくても画像とかでいいので、次回の集会までに確認できるものの用意をお願いします」
これは重要なことだと言わんばかりに、会話をしっかり遮って、実行委員の人の声がハッキリと耳に入ってくる。
次の集会は四日後の金曜日。
土日で誘おうと思っていたけど、そういうわけにはいかなくなってしまった。
「澪、明日の放課後って空いてる?」
集会が終わって、なんとなく残ってしまった僕らは視聴覚室に二人きりになっていた。
『空いてます。放課後デートですね』
「そうやって、またからかう」
友達同士なんだから、デートとは言わない。
遊びに行く。それだけ。
それなのに、遊びに行くことにデートという名称がついたことが不思議と嬉しい。
こういうとき、やっぱり僕は澪に依存していると感じるのだ。
特別な友達になれている。
今までの喜びも、きっとそこから来ている。
何も疑問に思うことはなかった。
全ては僕の勝手な、依存心だ。
「明日、教室まで迎えに行く」
でも今は、彼氏役だから。
教室まで迎えに行くことも、不自然じゃない。
友達としての依存心があるくらいが周りから見たらきっとちょうどよくみえるだろう。
これで話は終わりだと、席を立つ僕の右腕の袖を澪に掴まれた。
『私が行きます』
「え?」
思わず硬直してしまう。
別に嫌とかじゃない。
ただ、そんなことを言ってもらえるなんてと嬉しく思った。
「いいの?」
こくんと頷く澪は、まるで好きな人の前にいる女の子を連想させるほど可愛らしい。
いつかきっと、この表情を見せる本当の恋人ができるんだろう。
そのときまでには、澪に対する依存心をなくしておかないといけないな。
「じゃあ、待ってる」
僕の返事に嬉しそうに顔をほころばせる澪は、出会ったときに比べてずいぶん僕に甘えるようになった。
ここ最近のことではあるけど、必要とされているみたいで、これに関しては素直に嬉しい。
「一緒に帰る?」
僕もこのあとは、やることはなかったはず。
荷物も全部持ってきているから、このまま帰れるし。
それなのに、澪はどこか戸惑っているように見える。
『このままですか?』
「うん。あ、トイレ行きたい?」
ふるふると首を振る。
先約があるのかな。それともこのあとも文化祭の準備があるとか。
『着替えないんですか?』
僕の予想とは全く違うことを気にしていて、思わず自分の服を確認した。
サーッと血の気が引くのがわかる。
僕は、ずっとこの格好で集会に参加していたのか。
……最悪だ。
『素敵ですけど、さすがに目立ちますよ』
もしかして、僕が好んでこの格好をしていると思われてる?
声がなくても、心で通じ合える。
キャッチコピーのまま、心が通じあえていたら。
澪が今、何を考えているのかわかるのに。
「着替えてくる。先帰ってていいよ」
恥ずかしさで早く立ち去りたい気持ちが逸る。
荷物を片手に、先にこの場から離れようとする僕は、また澪の手によって引き止められた。
『待ってます』
『一緒に帰る』
驚いた。
敬語じゃないのは、初めてだったから。
「じゃあ、すぐ着替えてくる。ここで待ってて」
僕が言うと、澪はどこか嬉しそうに頷いて、また椅子に座った。
僕は、この依存から抜け出せるのかな。
いつか澪に、ちゃんとした恋人ができたら。
笑顔でおめでとうって、幸せになってねと伝えられるのかな。
つい、顔を見る度、会話を重ねる度、考えてしまう。
何気ない会話をしながら彼女を家まで送ったあとも、僕の頭の中は澪のことでいっぱいになっていた。