文化祭のクラスの出し物は、執事カフェに決まった。
何が楽しくて、人前で執事の格好をしなければならないんだろう。
この案に賛成した人達の気が知れない。
「……稔も執事なんだね」
たまたま横にいた稔に、つい声をかけた。
ドクドクと、緊張と不安で心音が嫌に耳に響いてくる。
「ジャン負けだから、しょうがないよ」
まるで半月一言も交わさなかったとは思えない、前と変わらない雰囲気で返事が返ってきた。
こういうとき、ノリのいい男子はノリノリで立候補するけど、うちのクラスのそういう奴らは指折りで数えられる程度だ。
ちなみに、稔はジャン負けだけど、僕はカップルコンテストのバッジのせいで推薦されてしまった。
「なぁ、ごめんな」
「え?」
「別に友達だからって何もかも話す必要は無いわけだし、ちょっと言いすぎた」
「いや、何も話さない僕もさすがに頑なだった。ごめん」
何がきっかけになったんだろう。
よくわからないけど、僕も同じタイミングで謝ろうとはしていた。
文化祭まで、一ヶ月半。
やっとこうしてまともに顔を合わせることができたのだ。
「俺さ、やっぱり祐朔と話せないと寂しいんだわ」
「それはこっちのセリフ。寂しかったよ、僕も」
例えるのなら、遠距離恋愛のような。
話したくても話せないもどかしさがお互いの心にあったんだ。
「____どうしてこうなったのか、聞いてくれるか?」
さっきまでの勢いとは裏腹に、落ち着いた声が僕の耳に届いた。
「うん。僕も、稔に聞いて欲しい話があるんだ」
「わかった。でもそれ、文化祭が終わってからでもいい?文化祭はちゃんと親友として、祐朔と楽しみたいんだ」
そんなこと言われると、少し身構えてしまう。
どんな話をされるんだろう。
深刻な顔で頼み込んでくるから、僕は勢いのまま頷いた。
「いいよ。ただ、澪……彼女のことだけはちゃんと、先に話したい。だから時間作ってほしい」
「……わかった。調節する」
渋々という感じではあったけど、苦い顔をしながらも頷いてくれたから、まぁよし、かな。
家庭部の人たちに採寸されながら、スマホを見ながら予定を合わせる。
家庭部の人たちは、まるでプロだ。
僕らの話には一切入ってこなくて、任された仕事をテキパキとこなす。
「朝霧くんと笹倉くん、身長いくつ?」
「百六十九。祐朔もそうだったよな」
「うん」
春に身体測定をしたとき、ほとんど同じ数字が並んでいた。体力面では稔が上回っていて、並んでいたのは本当に身長だったなんだか悲しい思い出が蘇る。
「本当に仲良いんだね。じゃあ、二人の採寸終わったから帰っていいよ」
家庭部の女子はそう言って、半ば強引に僕らを追い出した。
きっと帰宅部で何もないなら、このあとどうする?みたいな会話を交わし、どこかしらに寄り道したりするものだろう。
でも今日は僕も稔も、予定が入っているようだ。
「じゃあ、俺部活行くわ。また空いてる日教えるから」
「うん。頑張って」
「お前もな!」
軽い足取りで廊下を走っていく。
僕もなんだか肩の荷が降りたように、ふっと身体が軽くなった感じがする。
『仲直りできたんですか?』
澪を迎えに行こうと教室を出ると、嬉しそうに画面をこちらへ向ける彼女がいた。
想定外の出来事に驚きつつも、喜んでいる自分がいた。
僕のことを心配してくれるなんて。
僕のことを迎えに来てくれるなんて。
多少取り乱しても、いつも通りでいてくれるなんて。
嬉しい。嬉しい。嬉しすぎる。
「うん、仲直りできたよ」
感情に飲み込まれそうになりながらも、冷静でいることを心がけて言葉を返す。
やっぱり、澪には笑顔でいてほしいな。
……できれば、僕がそうできたらいいのに。
そう思ったあとに、最後に出てきた感情はなんだ気色悪くて、見て見ぬふりをした。
僕は澪を笑顔にできるほどの力は持っていないから。
「それにしても、僕のクラス知ってたんだね」
『提出したプリントに書いてあったので。今日は私が迎えに来てみました』
そう、いたずらっ子みたいに笑いながら身体の揺れで僕を急かす。
「あれだよね。ポスターの撮影だよね」
『はい。行きますか?行けますか?』
「うん」
普通のカップルみたいに手を繋いだりというスキンシップはないものの、もう澪が横にいる日々が当たり前みたいになっていた。
スマホを抱えて歩く澪の後ろを着いていく。
指定した撮影場所は、学校のプール。
大体の写り方も澪が考えてくれた。
上履きと靴下を脱いで水が張られているプールに足をつけると、海に行ったあの日のことを思い出した。
そういえば、最近は忙しくてあまり澪の声のことを考えてあげられていなかった。
ふと頭に浮かんでも、他のことに対する気持ちが強かったり、それどころじゃなかったり。
僕は不器用だけど、そこら辺はちゃんとしてあげたい気持ちだけはちゃんとあるんだけどな。
行動に移せないところが難点だ。
「今度、一緒に衣装買いに行こう」
足から流れる冷えた血液が、まだまだ暑くて火照る身体を涼ませてくれる。
『楽しみです。デートですね』
最近たまに見せる小悪魔な姿は、異様に僕の心を鷲掴みにする。
澪が笑うと嬉しい。
そういう気持ちが大きいから、きっとそうなるだけなのだけど。
「澪もおいでよ。冷たくて気持ちいいよ」
僕の横で、上履きを履いたまましゃがんでいる澪に声をかける。
すると何故か恥ずかしそうに、上履きと靴下を脱いで、パチャンと足を水面に浸けた。
まっすぐ足を伸ばした僕を真似するように、澪も足をそっと伸ばした。
水面に浮かぶ足は、水に揺られて意思もなく小さく揺れる。
その様子を、澪は写真に収めていた。
「需要ある?僕の足なんて入れて」
『チャットアプリのアイコンにしたいんです』
「僕は別にいいけど……。澪はいいの?」
どこか照れくさそうに、そっぽを向いてゆっくり頷く。
「ごめんごめん。お待たせ!」
鉄製のドアを押し開けて、実行委員の人たちがカメラやらなんやらをもって元気よく現れた。
「いえ、僕らも今来たところなので」
言葉を交わしながら、彼らは手際よく撮影の準備をしている。
たった一枚のポスターの写真を取るだけなのに、割と大掛かりだ。
「位置は、そこでいい?」
「あ、はい。大丈夫です」
「じゃあ、ポージングお願いします」
「はい。わかりました」
澪が頷くのを確認して、僕が返事をする。
打ち合わせも何もしていないのに、息ぴったりだ。
澪に手を動かされ、顔の角度を整えられる。
彼女の表情は、真剣そのものだ。
完全に完成系になったらしい僕の右手に、澪の左手が重なった。
言葉のないコミュニケーションを取ることに必死になっていたから何も感じなかったけど、いざ撮影体制に入ったらつい、意識してしまう。
僕に触れた手が柔らかくて、温かくて。
心拍数は上がる一方なのに。
上目遣いで僕を見つめながら僕の頬にそっと触れる。
澪の髪が彼女の頬に触れる腕に触れてくすぐったい。
パチッと目が合うと、澪の顔がじわじわと赤くなる。
でもきっと僕も同じくらい、もしかしたらもっと赤く染まっているだろう。
何回かシャッターを切られて、写真の確認を促されるまで、時間が止まったみたいだった。
決して嫌じゃない。むしろ、このまま時間が進まなければいいとさえ思ってしまった。
自分でもなんでそう考えているのか、理解ができないけど。
やけに澪が輝いて、同時に灰色に見えるんだ。
「朝霧くん、立花さん。どう?」
そこまで変わらない画像を何枚か見せられる。
その最中に僕はつい、画像を見る澪を見つめていた。
「澪は、どれがいい?」
僕の問いかけに、真面目に悩んで決めてくれた。
日が暮れて来ている中で、光の入り方が綺麗だと思った一枚を、澪も選んだ。
「じゃあ、この画像でポスターを作りますね。キャッチコピーもつけるので、明日までに連絡お願いします」
ぼーっとしている僕を見てか、澪が率先して連絡先を交換してくれた。
なにしてるんだろう。
僕が、澪を守らないといけないのに。
これ以上傷つかないように、盾になりたいのに。
僕は澪の後ろをついていくばかりで何もできていない。
【実行委員の人に、もう連絡しちゃいました】
夜、澪からそんな連絡が入っていた。
【ありがとう。全部やってもらって、ごめんね】
もっと僕が、澪に並ぶくらい頑張らないと。
澪をリードできるように、しっかりしないと。
この気持ちを見て、やっとわかった。
澪の前で感じた、鼓動や景色、感情の答えが。
これは、依存だ。
僕は、女性に対する依存心が強いらしい。
それはきっと、母親のせいだ。そして僕自身のせいでもある。
……やだなぁ。こんなんで僕は自分の家庭のことをきちんと二人に話せるのだろうか。
取り乱して、本当に嫌われてしまったら。
僕はどうするんだろう。
【とんでもないです。祐朔先輩は、私の事情に付き合ってくれているんですから、これくらい当然です】
ふと、澪の顔が頭に浮かぶ。
もう息苦しい蒸し暑さは少ない秋めいてきた夜は、なぜか大切な人に会いたい気持ちを掻き立てる。
【ねぇ、今から会いに行ってもいい?】
そう文字にして、消した。
これが許されるのは、男同士の友達の場合と、本当の恋人同士だった場合だけだ。
きっと一人暮らしの澪は、僕のことを心配して、自分の感情よりも僕の感情を優先して、頷いてくれるに違いない。
プールに浮かんだ僕と澪の足のアイコンを眺めながら、ブランコの上で空を眺める。
【明後日の放課後なら空いてるけど、祐朔は?】
震えたスマホには、稔からのバナー通知が映し出されていた。
予定を確認すると、タイミング良く僕もその日は何も予定が入っていない。
【いいよ。明後日の放課後ね】
稔に返信して、スマホをポケットに入れる。
さすがにそろそろ帰らないと。
いつしか時刻は二十一時を回り、補導される可能性がでてきたので、重い足取りで家へと歩いて行った。