文化祭の準備は、クラスの出し物以外のものまで手を出していると、結構忙しくなる。
これは本当に計算ミスだった。
明日話そう。明後日話そう。
声をかけようとは思うのだけど、タイミングがどうしても噛み合わない。
僕はクラスのこととカップルコンテストのこと。
稔はクラスのことと、部活の出し物のこと。
午後の授業の時間が文化祭の準備に充てられるようになる一ヶ月前になれば、まだマシになるかもしれない。
でも休み時間も削ってちょこちょこ進める段階の今は、多分お互いに一番時間が取れない期間だ。
「朝霧お前、彼女いたのかよ」
「それな。リア充だったなんて聞いてねぇよー」
二学期に入っている中で、今年初めて話す人たちが馴れ馴れしく話しかけてくる。
ただバッジをつけているだけなのに。
まだポスターの写真も撮ってすらいないのに。
やけに注目を浴びている。
きっとこれも、稔との時間が取れない理由の一つ。
「いやー……。あはは」
詳しいことは話せないし、こういうときになんて言うのが正解か、全然わからない。
笑って誤魔化しつつ、鬱陶しいと思っていることがバレないように時計をチラ見するも、まだ一分くらいしか経っていない事実に落胆してしまう。
「どんな子?同級生?」
空いている前の席に座って、僕の机に肘をつく。
……長くなりそうだな。
「……一個下の子」
「へー!出会いは?馴れ初めは?」
どうやら僕はそれなりの対応ができているらしく、名前も知らない彼らは僕の顔を見ても一切引く様子がない。
そんな僕を見て、稔は教室を出ていった。
スマホを片手に、扉を閉める。
後ろ姿は、あまりいつもと変わらないように見える。つまり、イライラしていたりはしないということだろうか。
それとももう、友達の枠から外されてしまったということも有り得るのか?
それもこれも、早く行動を起こせなかった自分に原因はあるのだけど。それでもやっぱり寂しい。
テストが終わると同時に席替えが行われて、席が離れてしまったから、尚更。
僕らの友情は一度の喧嘩で崩れるほどヤワなものだったのかと悲しくなる。
「ごめん、先輩に呼び出されてるの忘れてた」
「マジ?引き止めてごめんな」
まるでずっと友達だったかのように、僕が席を立つと彼らは馴れ馴れしく手を振る。
今まですれ違っても挨拶さえしない関係だったのに、恋人がいるっていう建前だけで昨日までの自分が嘘みたいに、人に囲まれている。
複雑だ。
それが親友と仲直りはできないくせに、クラスメイトと話している時間があるからなのか。
はたまた、バッジ一つでこうも人からの見方が変わるのかと、露骨にわかってしまうからなのか。
稔の後を追うように教室を出るも、姿は見えなかった。
スマホも教室に置きっぱなしにしてしまったし、どこにいるかも検討がつかない。
こうして離れると、親友と言っていた割に稔のことを知っているようで、全然知らないことに気がついた。
まだ授業まで少し時間はあるから、澪の顔でも見に行こうかな。これでも表向きはカップルで進めるわけだし。
別に、稔と仲直りのチャンスが掴めなかったから行くわけじゃない。ちゃんと恋人同士だと見せるための演出も大事だと思ったのだ。
一年生のフロアへ上がり教室をのぞき込むと、彼女はポツンと窓際の席から、窓の外を覗いている。
「澪!」
僕が呼んでも、誰も振り返らない。
声が小さいのかと、もう一度呼びかけようとして、やめた。
澪の耳にイヤホンが挿さっていたから。
今誰かと話すことなく一人で過ごしていても、あのぼんやりとしか顔を覚えていないあの人たちに囲まれていないのを見れただけで、ほっとした。
今日も明日も、文化祭の準備で嫌でも顔を合わせるわけだし、ここで呼ばなくてもいいか。
立ち去ろうとすると、いきなり澪がこちらを見た。
ガタガタっと、椅子の音が教室の外まで聞こえるほどの慌てようを見せながら立ち上がり、僕に駆け寄る。
『どうしたんですか?』
「暇だったから、様子見に来た。夏休み明けてからも相変わらず愚痴とかは言わないから」
ちょっと、いじわるだったかな。
疑っているみたいに聞こえていたらどうしよう。
でもそんな不安はすぐに吹き飛んだ。
『それが、パッタリなくなったんです。祐朔先輩と一緒にいることが増えたからですかね?彼氏がいるって嘘じゃなかったんだって、驚いてるんじゃないかな』
二カッと歯を見せて笑う。
トクトクと、小さく胸が鳴っていた。
『あとはきっと、祐朔先輩になにかされるのが怖いんですよ。あの子たち、ああ見えて億秒なので』
まるで反抗期の子どもを微笑ましく見つめている母親のような。
そんな、愛のある笑顔だ。
僕の知らない愛を、澪は持っているんだ。
「僕は、澪の心を守る盾になれてる?」
こんなことを聞くなんて、まるで僕が子どもみたいだ。
縋るように、行かないでと手を伸ばすように。
無意識のうちに聞いていた。
『何よりも頼り甲斐がある、素敵な盾ですよ』
一瞬戸惑っていたのが、瞳の揺れでわかった。
年下の女の子に気を遣わせてしまった。
心地よい胸の鼓動は、一気に耳の奥に嫌に響く心音に変わってしまった。
「ごめん。取り乱した」
それだけ言って、僕は澪に手を振り逃げるようにその場を去った。
稔に言われたことが、今やっと、ちゃんとわかった気がした。
理由は言わないくせに、勝手に相手に縋る。
自分のことは、親友である稔にさえもちゃんと話していない。
相手は色々な自分を見せて、全力で接してくれているのに。
僕はここまでと線引きをして、自分を守ることにいつも必死になっている。
自分のことを誰にも知られないことに命をかけている。
「酷いもんだなぁ」
一人になった階段の踊り場で、ついぼそっと呟いた。
慌てて周りを確認して、誰もいないことにほっとする。
この秘密主義みたいな、誰にもこれだけは話せないみたいな。
これから長く付き合っていきたい友人の稔には、長く隠し通すことなんてもうきっとできないのだから、いいタイミングといえば、そうかもしれない。
それに澪は、勇気を出して僕に病気を打ち明けてくれた。
僕の心の内を探るような質問にも、条件を出して話そうとしてくれている。
それなのに、僕だけこうして逃げるのは誠意に欠けるのではないか?
それならもういっそ、意を決して澪にも話そう。
この文化祭のための偽装カップルが終わりを告げる日に。
澪から病気になったきっかけを教えてもらうときに。
僕の中に大きな覚悟が決まった。
まだ話していないくせに、つい笑ってしまうほど、情けなく手が震えていた。
……だってこれは、大切な人に嫌われる覚悟でもあるから。