【ごめん。感情的になりすぎた】
【ちゃんと話がしたい】
稔とのチャット画面を見つめながら、待ち合わせの視聴覚室で文字を打っては消していた。
謝るのは僕の方だし、謝るには早い方がいい。
わかっているけど、きっと僕の、誰にも話したくないことを話さないといけなくなる。
それがどうしても嫌で、メッセージを送れずにいた。
『お待たせしました』
横から肩を叩かれると、いつの間にか立花さんが隣の席に座っていて驚いてしまう。
『なんか元気ないですね』
「……それが、友達と喧嘩してさ」
『朝霧先輩も、喧嘩とかするんですね』
なぜか興味津々で僕の顔を覗き込んでくる。
どれだけ顔を背けても、追いかけてくる。
「あんまりしたことはないけどね」
こうして文字を打つとよくわかる。
感情的になったときに一呼吸置いて考える大切さとか、今なにを一番伝えたいのかとか。
頭に浮かんだ一瞬の言葉で、勢いだけでものを言うのはどれだけリスクがあることなのか。
「僕が立花さんの病気を変わってあげられたらいいのに」
そうしたら。僕と稔も画面越しに言葉を伝える関係性だったら。
僕の一瞬の失言で、仲違いをすることもなかったかもしれないのに。
『人間はないものねだりな生き物なんですよ。私は同じ苦しみを、朝霧先輩に味わってほしくないです』
苦しそうな表情で、僕を見る。
今日の僕は、人を傷つけてばかりだ。
「ごめん。軽率だった」
『そういう日もありますよ』
立花さんの優しさが身に染みる。
優しくない僕に、この子はどこまで優しさをくれるんだろう。
「ないほうがいいんだけどね」
続々と人が集まる中で、ほとんど独り言のように話す僕を物珍しそうに見てくる。
周りに座る人たちは、僕らのことがどんな風に見えているんだろう。
「お忙しい中集まっていただきありがとうございます」
集合時間が過ぎると、左腕に文化祭実行委員の腕章を付けた男子生徒が頭を下げた。
「二ヶ月後の文化祭の目玉であるこの大舞台に立っていただくにあたって、準備がいくつかあるので説明しますね」
背の高い三年生の先輩は、プリントを配りながら話している。
その後ろで、同じく腕章を付けた女子生徒が黒板に何かを書き始めた。
手元に来たプリントを眺めながら、目玉なだけあるなと納得してしまう。
まずは、一つ目。
・文化祭当日一か月前からの昇降口前にポスターを展示。
今年のポーズテーマは、つい買いたくなる雑誌の表紙とのこと。
ちなみに去年は釘付けになる一ページだったと、括弧書きで記載があった。
・当日のステージでは最も自分たちらしい衣装を着用すること。
ミスコン、ミスターコンの人は、自分に一番似合うもの。カップルコンの人は、その上ペアの衣装の着用をしなければならないらしい。
衣装代は、領収書を渡せばちゃんと帰ってくるシステムだそうで、一安心だ。
そして、これがきっと一番の目玉。
・ミス・ミスターコンテスト出場者は、観客へ胸きゅん告白をすること。カップルコンテスト出場者は、告白の再現をすること。
これに関しては、学生の考えた浅さが否めない。
考えた人は、アイドルが好きな人だろうか。
たまにテレビで芸能人がやっているような、視聴者ウケを狙っているものと同じ匂いを感じる。
「以上三点が主な内容となります。来年度の新入生獲得もかかっているので、出場者一丸となって盛り上げていきましょう!」
実行委員の人たちが拳を上に持ち上げると、イベント好きの人たちの集まりなのか、周りの人が一斉に湧いた。
「おぉー!」
そんな、気合いの籠った声を上げながら、やる気に満ち溢れた目をしている。
「ねぇ、これって一位になるとなにかあるの?」
わいわいしている中で、一緒になって盛り上がれない僕は、同じくひっそりしている立花さんに小声で聞いた。
『確か、購買で使える金券五千円分がもらえるとか、そういうのがあったと思います』
そうだったんだ。
興味がなくてまともに話も聞いていなかったから、追いつくのに時間がかかる。
「狙ってる?」
一応聞いてみると、軽く笑って首を振る。
ありえないと言っているようだ。
「だよね。立花さんも、はめられなければこういうの参加しないタイプでしょ?」
『はい。声が出ても出なくても、それは変わらないです』
だよね。
これで、病気じゃなければミスコンに出たかった!とか言われたら、僕は驚きのあまり椅子からひっくり返って転げ落ちてしまうだろう。
「じゃあ、いい思い出になるように、ゆるく楽しもう」
下手に力を抜いて黒歴史にならないように、そこだけは頑張らないといけない。
だからとりあえず、それなりに努力はすることになるだろうけど。
まぁ、ちょうどいいかもしれない。
必死になるものがあれば、嫌なことは考えなくても時間はすぎていくのだから。
『このあとお時間ありますか?』
集会が終わり、持ってきた荷物を持ち上げる。
「うん。なんで?」
『本屋さんに寄っていきませんか?』
「いいよ。行こう」
立花さんと昇降口を出て空を見上げると、もうオレンジ色に染まっていた。
部活が終わった人たちが、自転車に乗って横を通り過ぎて行く。
正門を抜けたところで、スマホを片手に誰かを待っている様子の稔と目が合ってしまった。
一瞬にして史上最強に気まずい時間が流れる。
僕がピタッと立ち止まったのを不思議に思ったのか、立花さんが僕の目の前で手を振った。
「……俺には、本当に何も話してくれないんだな」
立花さんのほうをチラッと見て、不服そうに呟いた。
いや、話したよ。
話したじゃんか。女の子と連絡先を交換した僕を見て、補習最終日に呆れていたじゃないか。
海に行く話だって、相談したし。
稔が今、何を思ってそう言っているのか僕にはさっぱりわからなかった。
「なんか、あれだな。祐朔は友情よりも、恋愛なんだな」
それを聞いて、ハッとした。
まともに話を聞いていなかったせいで、忘れていたのだ。
制服の胸ポケットに、『カップルコンテストエントリー中』と書かれたバッジを付けることを強制されたことを。
「いや、違っ」
「いいよ。そんなに必死にならなくても、もう俺なんて必要ないだろうし」
僕に有無を言わせずに、あとから自転車でやってきた人と一緒に背を向けて歩いていってしまった。
『あの人、朝霧先輩のことが大好きなんですね』
いたずらに笑う立花さんは、稔を追いかけようと足に勢いをつけた。
「立花さん、待って」
僕が止めたことに疑問を抱いているのか、不機嫌そうな顔でこっちを振り向いた。
『私たちの関係性、ちゃんと話したほうがいいですよ。現にあの人、私たちが付き合ってるって勘違いしてるわけですし』
今まで見てきた中で一番早いフリック入力に、早く訂正しないといけないという彼女の中にある焦りが伝わってくる。
だってこんなにハイスピードで入力しているのに、チラチラ稔を見ている。
「ちゃんと僕から話すから。ほら、本屋に行くんでしょ?」
立花さんの腕を引き、逆方向へと足を進める。
納得できない様子だったけど、しょうがない。
僕らのいざこざに、立花さんを巻き込むわけにはいかないから。
『まぁ、こういうのに割り込んで悪化するパターンも無きにしも非ずですよね』
落ち込みながらも、しばらくすると納得してくれたようだ。
「僕のことを考えてくれる気持ちは、すごく嬉しかったよ」
内心、ほっとしている。
立花さんが隣にいてくれなかったら、あの場で冷静に話を聞けなかっただろう。
今以上に僕らの築き上げてきた友情にヒビが入るところだった。
「稔……さっきの友達には、本当のこと話してもいい?」
立花さんの答えは、聞かずともわかっていた。
もちろん、僕の思った通り。
彼女は優しい笑顔で頷いた。
『必要だったら病気のことも、洗いざらい全部話していいですからね』
「わかった。ありがとう」
僕は頷きながらも、立花さんの病気のことまでは話さないつもりだ。
というのも、久しぶりに手が震えているのを見たものだから、それほどの覚悟でさっきも稔を追いかけようとしていたんだと伝わってくる。
自分の辛い部分をさらけ出してでも、僕のことを、僕の中にある稔を大切に思う気持ちを一緒に守ろうとしてくれている。
こんな人、なかなかいないだろう。
「立花さんって、眩しいね」
太陽の光とも、向日葵とも違う。
静かで優しい眩しさに、僕は救われている。
照れたのか、顔を隠しながら僕の腕をバシッと叩く。
逃げるように早歩きで僕を追い越す立花さんの腕の隙間から、顔が見えた。
夕日に照らされていて、ぼんやり赤い。
「澪……さんって、呼んでいい?」
無意識のうちに口から出ていた。
顔がぶわっと熱くなる。
立花さんも、さっき見えたときよりも赤い顔でこっちを見た。
『他人みたいじゃないですか。澪でいいですよ』
「ごめん、忘れて!」
なんか、こんなこと前にもあった気がする。
立花さんが画面を見せてくれるのと、僕の誤魔化しが被る瞬間。
二人して吹き出して笑った。
この場に響くのは、僕の声だけ。
これももう、慣れたものだ。
ここにいない人と話している感覚。
笑った瞬間、僕だけ違う世界に飛ばされた感覚。
きっと同じようなものを、立花さんも感じてるだろう。
他の誰の声も聞こえないこの場所に、自分も笑っているはずなのに僕の声だけが響くのだから。
「立花さんは、どんな衣装がいい?」
早く、声を取り戻してほしい。
声が聞きたい。
立花さんは、どんな声をしてる?
伝えられない気持ちが、心の中に積もっていく。
『澪でいいですよ、本当に。コンテストもあるし、名前で呼んでる方が自然だと思うし』
まぁ、それは確かに一理ある。
ただ、さっきのは事故だ。
今までの人生で、女の子をファーストネームで呼んだことがないから、慣れるのに時間がかかりそうだ。
『それに、変に悪目立ちして、黒歴史なんかになったら最悪じゃないですか?祐朔先輩』
「……そう思います」
声に乗せないって、やっぱり少し羨ましい。
小悪魔みたいに微笑みながら、僕の名前を呼ぶ。
……ずるい。
立花さん……。いや、澪はずるい。
『衣装、人魚姫がいいです。台車に乗るので、押してください』
僕が何を言おうかと頭を悩ませているうちに、僕の質問の答えまで出した。
……いっか。楽しそうだし。
稔が呼べるなら、澪も余裕だ。
ほら、頭の中でならこんなに簡単に呼べるし。
男も女も関係ない。名前は名前だし。
うん。なんか、いける気がしてきた。
「じゃあ、……澪。今日から恋人役として、よろしく」
声が震える。
慣れないことをしているから、緊張が隠しきれていない。
『よろしくお願いします。祐朔先輩』
にこっと笑った澪は、僕の手を握った。
握手をして、ぶんぶん上下に振る。
大丈夫。ちゃんと話せば、稔もわかってくれる。
僕たちは友達同士で、恋愛感情は全く関係ない。
これも友情の上に成り立っている人助けだって、きっとちゃんと理解してくれる。
もしこれが女友達で、僕に恋愛感情を抱いているとかそんなのだったら、ちょっとややこしくなるところだけど。
幸い、誰も僕にはそんな感情を抱かない。
友達も稔と澪しかいないし。
だからあとは、ちゃんと話すだけ。
僕の、まだ誰にも話したことのない秘密を。
そして、この深い理由のない偽装カップルのことを。
「行こう。日が暮れる前に」
もういない稔の後ろ姿を探すように振り向いた澪に声をかける。
とりあえず、澪の前では澪とのことだけを考えよう。
文化祭までにやることは、山ほどあるのだから。