異世界の国々が驚いた異界国家日本は本当にすごーいデス~ネ

アースティア暦1000年・西暦2030年・9月12日・午前10時30分頃・アースティア世界・ユーラシナ大陸東側地方・西太平洋地域・日本列島・日本国・関東地方・神奈川県・横須賀市・夏島町1・追浜自動車産業株式会社・本社工場・追浜工場・自動車完成組み立てラインにて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




幕張メッセでの東京サミット企業交流会は、4日間の開催期間を大盛況と大成功と言う形で幕引きを終えて、東京サミット参加アースティア世界諸国御一行らは、複数の行き先に別れて日本各地に在る主力企業の主力工場を視察に赴いて居た。



アルガス公国のブレックス・ファーミラ公王とラクロアナ王国のフランシェスカ・アブヒム・ラクロアナ王女の二人は、追浜自動車産業株式会社との戦時事業契約に成功し、その生産能力を視察しようと彼の有名な追浜工場へとやって来て居た。



追浜自動車産業株式会社

 追浜自動車産業株式会社は、日本の神奈川県横浜市に本社を置く多国籍の自動車メーカーで、オッサンと言う略称兼あだ名で知られる会社でトヨカワに次ぐ売り上げ生産力を誇っている会社で、フランスのルドーと言う自動車会社と提携している。追浜に大工場と車両試験場を持って事でも知られて居る。

インフィニティーズブランドでも自動車を販売しており、かつてはダットオッサンブランド(前身はダット日本自動車製造株式会社)も展開して居たり、また社内チューニング部門としてオスモおよびオーッサンズテックブランドの車両・部品も手掛けて居て、そのオッサンの起源は20世紀初頭にまでさかのぼり、「追浜財閥」または追浜コンツェルンとして知られる企業グループに端を発して居る。


1905年(明治38年)に、歩川義介が最先端技術であった鋳物技術の習得へ渡米した際に、米国工業の頂点に自動車工業があると見たことに端を発して居り、義介の帰国後、大叔父の井上馨の斡旋により、親戚の久原家、貝島家、藤田家、三井家の出資を受け、1910年(明治43年)に福岡県戸畑市(現在の北九州市戸畑区)において戸旗鋳物株式会社(現在の常陸中金属)を創設し、義介が専務技師長となり鋼管製造の傍ら、1924年(大正13年)には農業用・工業用・船舶用石油発動機製造販売へ事業を発展させた。
戸旗鋳物東京製作所(深川)を新設し1929年(昭和4年)に自動車用マレブル鋳鉄製造を始める一方で、久原家が興した久原加工鉱業の社長に就任して同社を改組し、1928年(昭和3年)に追浜工場を開業したのを切っ掛けに社名を追浜産業株式会社(略称、追産)とした。のちの追浜産業コンツェルンの基となる。

戸旗鋳物株式会社の傘下として、1931年(昭和6年)にダット日本自動車製造株式会社を収めるものの、1933年(昭和8年)にダット日本自動車製造株式会社が、株式会社石川自動車製作所と合併し自動車工業株式会社(現在のミスズ自動車工業株式会社)を設立するに際して、戸旗鋳物株式会社がダットの商標と製造権、および大阪工場を無償で譲り受け、日本産業株式会社の出資を加えて同年12月に、改めてダットの製造のために神奈川県横浜市神奈川区に自動車製造株式会社を設立した。

そんな同社を翌1934年(昭和9年)に自動製造を本格化させたこと理由として、社名を追浜自動車産業株式会社と改称したのが、現在の社名に繋がる興りである。

1936年(昭和11年)9月14日には、自動車製造事業法に基づき豊川自動織機製作所とともに政府から自動車製造許可を受けた。

なお、先のダット日本自動車製造株式会社は、橋本益治郎が1911年(明治44年)に設立した快進社がルーツであり、1914年(大正3年)に誕生したダット号が初の自動車の開発・製造であった。しかし、ダット日本自動車製造株式会社の知財と大阪工場を得たのはオッサンであった。

創業期より先進技術の吸収に積極的で、追浜自動車は日本版フォーズや日本版ゼネラミック・モータースなみの大型乗用車を製造するため、1936年にアメリカのグラハム・ペイジから設計図や設備などを購入し、また戦時中の技術的空白を埋めるため、1952年にイギリスのオースティックチンと技術提携している。

1958年には、当時世界で最も過酷なオーストラリア大陸一周ラリーに自社開発のダットオッサン・210型で出場してクラス優勝を飾り、1960年には業界初のデミング賞を受賞するなど、創業時より技術力の高さから「旗は日の丸、車はダットオッサン」、「技術の追産」として親しまれ、故障が少なく高速走行を得意としたことで医者の往診に愛用されたことから「医者のダットオッサン」としても親しまれた。

主な主力工場

神奈川県・横須賀市・夏島町1・本社工場・神奈川県横須賀市・追浜工場

主に主力普通自動車の製造を担って居る主力工場で試験場も併設されて居る事でも知られ、その生産能力は年間約24万台である。

『LEAF』・『e-POWER』・『ノート・オーラル』・『マーチ・ノート』・『e-POWER・キックス』

福島県いわき市・泉町下川・字大剣386・いわき工場 エンジン製造工場

神奈川県・横浜市・神奈川区宝町2・横浜工場・エンジン製造工場

福岡県・京都郡・苅田町・新浜町1―3・自動車九州株式会社・九州工場 

ダット日本自動車製造株式会社の創業地でオッサンのルーツの一つであり、生産累計が1500万台に達した事でも知られて居る

神奈川県・平塚市・湘南工場

軽自動車・ライトバン・ミニバンなどの自動車生産を請け負って居る工場で年間生産量は15万台。


以上がオッサンに付いての概要と成って居る。


ピーピーと言う警告音が鳴り響く工場内を貸し出され作業着の姿格好で練り歩く120名の見学者らは、40人づつに別れて順番に各工程を見て行く形で見学会が模様されて居た。



「速度はゆっくりと進んで居ますが・・・・」

「手早くやらなければあっという間に次から次へと来てしまう仕上げ工程のようだな。」と述べて行く国家元首と代理の二人は、1時間半ほど視察見学会の為に、作業工程をわざとゆっくりさせて居る工程を見せて貰って居た。



「はい、その通りです。エアーコンプレッサーを使用してのねじ締めや電動工具を使っての工程も多々あって、素早く汲み上げ事もして居ますが、手作業の部分も有るので如何にチームワークと個人技量がモノを言う作業でも有ります。」と組み立ての最終工程を見て行く中での説明をオッサン広報部社員が説明をして行く。




ピーピーと言う警告音が鳴り響く工場内を貸し出され作業着の姿格好で練り歩く視察団一行らは、ロボットアーム溶接棒を見て驚かさされてしまう。


「乗り物のフレームがあっと言う間に接合されて行くぞっ!!」


「これなら年間数十万台の生産が可能のも納得できるな。」と言うジュデオ・ファーミラ・アルガス公国・第二王子とカミュ・ファーミラ・アルガス公国・第一王子の二人は、初めて見た自動製造工程ラインを見て興奮してしまって居た。



 そんな普通自動車が生産されて行く工程の中で、違う物が生産されて行く工程を目の当たりにした


「ほほう、74式戦車ですな?」

「これは何所からの注文てじょうか?」と言うアルガス公国・宰相大臣・ルオ・ウオーミングとアルガス公国・外相大臣・ベルナ・トーチカの二人は、偶々見かけた74式戦車の現代生産方式ラインを見て質問をする。



「今は主に東南アジア諸国からの受注生産が始まった所ですね。主力戦車である10式戦車と90式戦車を行き成り他国に売り渡す訳にも行きませんので、既に第一線を退き始めて居る旧式74戦車を現代版方式で造り、生産をして居る所ですが、我が社は三葉重工業へと車体を供給させて頂き、大松製作所や常陸那珂製作所からは履帯を供給して貰い、車体を自社で製造して、その仕上げ作業を請け負う事に成って居ます。」


「最後に転移災害前に業績不振で閉鎖予定だった軽自動車生産工場であった平塚工場を早期改修して 、其処で三葉重工業から砲塔を供給して貰い、最後に完成品を送り出して居るんです」



「更には、このアースティア世界の安全保障問題に対処するべく、この防衛装備品の生産ライン作業に慣れてもうら為にも各社員の指導を受けて、ここ追浜工場では戦車生産を代替生産させて貰う事に成りましたので、この追浜工場の普通自動車生産ラインの幾つかを代替生産ラインとして使用して居ると言う訳です。」


「それと三葉重工業の本社・支社工場にも車体の代替え生産ラインを自動製造工場各社で請け負って居るので、需要に応じた生産ラインの確保して居ります。」



「ほかの工場でも三葉重工業と三葉自動車に、豊川自動車や大松製作所なんかの車体代替生産も請け負う事に成りましたので今後は忙しくなる予定と成って居ります。」と説明して行く。


「やはり、国内産業での日用品の売れ行きが悪いのでしょうか?」と聞くのはのラクロアナ王国・外務大臣・エマリー・ロズリーである。


「はい、悪いと言うよりは、地球世界での貿易網が消え去ってしまった事による弊害により、生産量を大幅に縮小しなければなりませんでしたが、日本政府は転移災害によるアースティア世界の安全保障問題が逼迫して居るとの認識により、地球世界での防衛装備品輸出緩和政策を更に推し進める形で、東京サミットに参加した諸国に限り防衛装備品を生産・販売して行く事が決定されました。」



「これにより生産需要が大きくなり、防衛装備品生産を担って居た国内企業各社は、別業種で自動製造を担って居る会社と業務委託締結をする事に成り、一部の生産ラインを防衛装備品様に改修して切り替えると担ったのです。」


「我が国とオッサンは業務提携をする事に成ったが、戦車の製造と受け渡しは貴社で請け負うのかね?」と聞くのはラクロアナ王国軍・軍務大臣・ティアントム・ミドラルである。



「そうですね・・・・・栃木工場での生産が予定されて居ますが・・・・動くのは、早くても11月上旬に成りそうですね。何しろ、生産ラインの改修工事と従業員の補習と座学に技術指導を受けねばなりませんし、その技術者も他社が忙しい中での融通してもらうのにも、時間が必要と成ります。」


「ティアントム閣下っ!!そう急かしても仕方がありません。この巨大工房も含めて、日本国はつい数ヶ月前までは平和な平時だったのですから、日用乗降車を造るだけの工房を戦時体制へと移行させるのは、そう簡単では無い筈ですの」と言う女性秘書官の言葉に頷くティアントム。



因みに旧式74戦車を現代版方式と言うのは、74式戦車の砲塔は鋳造式生産なので、今や一品物であり、もう金型は存在していないので再生産が不可能な代物と成って居る。


其処て防衛省・防衛装備庁・経済産業省は、16式戦闘車に注目し、砲塔やバランサーシステムやソフト関係を16式戦闘車物にして、車体を新たに作り出す事にした。


反帝国同盟諸国に初期生産版として100ミリ砲塔と自衛隊共通機関砲と機関銃を装備させたバージョンで販売し、地球連合諸国の東南アジア諸国向けに105ミリ砲塔バージョンを販売する事に成った。


その売り上げから出た税収入から、今度は10式戦闘車の量産型バージョンを造って陸上自衛隊に納入すると言う計画を立てて居る所である。


アルガス公国とラクロアナ王国の東京サミット参加アースティア世界諸国御一行らは、日本国でも1・2を争う自動車製造工場を視察し、異世界の国々は正に驚いたっ!!異界国家日本は本当にすごーいデス~ネと言う気持ちを実感するのであった。