友達で良いから隣にいさせて…幼馴染みに恋した私は今日も涙する


 *

 体育祭当日。

 クラスカラーであるオレンジ色のポンポンを手に、私達はクラス応援のためのダンスを披露する。元気いっぱいに両手を広げて、大きな声で応援すれば、皆が私達を見てくれた。その中に空太もいて私達を見てくれていた。しかし私と視線は合わない。空太が熱心に見つめる先には瑠璃がいる。それでも自分を見て欲しくて、その瞳に映り込みたくて、元気いっぱいに最高の笑顔を振りまいた。

「一組ファイト!」

 私の声で皆のフォーメーションが変わり、最後に思いっきりジャンプ!

 これでもかと楽しげに笑顔で演技終了。すると沢山の拍手が私達に向けられた。私達は一礼して一組の場所へと戻ると、皆が頑張ったと言いながら迎えてくれた。そんな中で私は俯き、手にしているオレンジ色のポンポンを見つめていた。

「茜、疲れちゃった?」

「瑠璃……えっと……うん。疲れちゃったみたい」

「毎日頑張ってたもんね。でもまだ応援残ってるでしょ。ほら、もうすぐ空太くんの出番だよ」

 そう。

 もうすぐ200メール走だ。

 空太順番が近づき、校庭がざわめき出す。位置に着いた空太がふーっと息を吐き出し、真剣な表情で視線を前に向けると「パンッ」と言う合図で走り出す。グンっと加速した空太は速度を落とすこと無く走り続ける。今日一番の歓声が校庭をこだまする。しかし私の耳に歓声の音は聞こえない。空太の一瞬を見逃さないよう集中すると、キーンッという耳鳴りの世界で音が消えた。空太の姿を目に焼き付けるように、両手を握り絞めて……。

 100メール……200メール……音の無い世界で空太が走り続ける。

 そしてゴールテープを切った。

 珍しく嬉しそうな顔をした空太が右手を空に突き上げた。私も自分の事のように嬉しくて、体が熱くなった。

 やっぱり空太は格好いい。

 私は興奮から体の熱を抑えられず、空太に会いたくて空太の姿を探した。

 今すぐに空太に会いたい。

 お疲れ様、頑張ったね、格好良かったって言いたい。

 私は空太の姿を探したが、空太はもう校庭にはいなかった。……と言うことは、きっとあそこに違いない。私は校舎の隅にある水飲み場までやって来た。するとそこに空太はいた。空太は走った後、必ず水飲み場で頭を冷やす。寒くても暑くてもそれは変わらない。今も頭から水をかぶっていた。

「空太お疲れ様。格好良かったよ」

「ああ……茜か」

 私は持っていたタオルを渡すと、空太はそれを受け取り顔を拭きだした。

「タオルありがとな。洗って返す」

「良いよそのままで」

 そう言ってタオルを受け取った時、少し離れた場所で瑠璃の声がした。

「茜!空太くん!」

 小走りに走ってくる瑠璃が小石につまずいた。危ないと私が走り出そうとした横を、何かが通り過ぎた。

 空太だ。

 空太は転びそうになった瑠璃を支え、照れくさそうに頬を染めている。

 私はそれを目にして、ドロリとした嫌な感情が湧き上がる。大好きな瑠璃に対して憎悪で体が震えた。嫌いに何てなりたくないのに、感情が抑えられない。

 空太のそんな顔、見たこと無いよ。

 私以外にそんな顔……。

「ハッ……ハッ……っ……ハッ……」

 呼吸が上手く出来ない。

 苦しい。 

 心臓が握りつぶされたみたいに、ギュッと締め付けられる。私は右手で胸を服ごと鷲づかみにして、痛みに耐えた。

 空太……瑠璃から離れて。

 お願いだから、二人とも離れてよ。

 私は二人を見ていることが出来ずに背を向けた。

 二人から逃げるように校舎内に駆け込み、教室の隅で両膝を抱え込む。ここは学校だ。ここで泣けば皆に心配をかけてしまう。ゆっくりと深呼吸をしながら悲しみを逃がし、心を落ち着かせようと試みるが上手くいかない。

 ダメだ。

 泣くな。

 我慢しろ。

 そう思っていても瞳に涙が集まり出し、感情を抑えることが出来なかった。

 辛く悲しい思いが、涙となってこぼれ落ちていく。

「ふっ……うっ……っく……」

 両手で口元を覆い、誰にも気づかれないように声を殺して泣いた。

「やだよ……空太……っ……まだっ……くっ……私の……隣にいてよ……」

 お願いだから……。

 空太の隣を歩く事を許してよ。

 静かな教室、何も書かれていない黒板、少し乱れた机。

 薄暗い教室の片隅で、私の初めての体育祭は幕を閉じた。

 

 *

 次の日、体育祭は水曜日だったため今日は木曜日で通常授業だ。何だかだるいと思いながら、私は今日も空太の隣を歩いて登校した。さすがに今日は一人で登校しようかと思ったが、私は空太の隣にいることを選んだ。いつかこの幼馴染みの隣を奪われる日が来る……それまではと、私は必死だった。

 もうすぐ空太の隣は私では無い誰かに取られてしまう。

 そう思うとまた胸がズキリと痛み、締め付けられた。

 そっと空太の横顔を盗み見ては、涙で瞳が潤むのを必死で我慢する。

 私はいつまで空太の隣を歩けるのだろう……。

 いつかは離れなければならない時が来ると、それは分かっている……。

 それでも……。

「空太……もう少しだけ一緒に……」

 隣を歩く空太には聞こえないように小さな声で呟く。

 まるで願いを込めるように、一緒にいさせて欲しいと呟いて、ズキリと痛む胸を押さえた。

 空太に暗い顔を見せたくなくて俯いていると、突然背中に何かが飛びついてきた。

「茜!おはよう。空太くんもおはよう」

 空気を変えるような爽やかな声。

「瑠璃?!ビックリした。おはよう」

 瑠璃に挨拶をしながら空太を見ると「はよ……」そう言って、すぐに緩んだ顔を背けた。前を向く空太の耳が赤くなっているのが見える。

 わかりやすいな……。

 そんな顔を見せられたら上手く笑う事なんて出来ないよ。

 思わず苦笑してしまう。

 引きつった笑顔になってしまっただろうか?
 
 そんな私を見て、瑠璃が心配そうに覗き込んだ。

「茜どうした?大丈夫?何かあった?」

「へへ……ごめん。大丈夫、何でも無いから」

「そう?」

「ところで今日の昼休みに話があるんだけど……良いかな?」

「話?良いけど?」

 ニッコリと瑠璃が嬉しそうに笑った。

 一体何の話だろう?


 それから昼休み、人の少ない校庭の隅でお弁当を食べ終えると、頬を染めた瑠璃が話し出した。

「私、彼氏が出来ました!」

 ドクンッと心臓が大きく跳ね、そこからドキドキと忙しなく動き出す。

 うそ……。

 まだそんな関係にはなっていないって思っていたのに……。

 喉の奥が詰まって、声を出すことが出来ない。

 私は何て言えばいい?

 良かったね?

 頑張れ?

 お幸せに?

 どうしたらよいか分からず固まっていると、瑠璃の口からとんでもない言葉が飛び出した。

和哉(かずや)先輩と付き合えるなんて夢みたい!」

 私はポカンとしてから、何とか言葉を絞り出した。

「えっ……和哉……先輩?」

「そう!サッカー部の先輩で二年生なの。実は中学の頃から好きで、この学校にも先輩を追いかけてきたんだ」

 空太の名前では無いことにホッとしつつも、驚きである。

「そんな話全然してなかったじゃない」

「だって、絶対振られると思ってたんだもん。でも体育祭の帰りに、告白したらOKしてくれて……もう嬉しくって」

 ふふふっと思い出し笑いをしている瑠璃を見て、私も一緒に笑ってしまった。 

 しかし問題はここからである。

 瑠璃に彼氏が出来たのなら、空太の想いはどうなるのだろうか?

 失恋の痛みは私が一番よく知っている。

 空太の悲しそうな顔を思い浮かべると、ズンと心が重くなった。

 *

 瑠璃の告白から二週間、瑠璃と先輩は上手くいっているようで、毎日惚気を聞かせれている。

「先輩が格好良すぎる……」

 溜め息交じりに瑠璃はそう言いながら、頬を染めている。

「はいはい。リア充ごちそうさま」

 私は冷やかすようにそう言いながら微笑んだ。

 幸せそうで何よりだ。

 一時は瑠璃を嫌いになりそうだったというのに、今は心がとても穏やかだ。

 親友の笑顔が見られてとても嬉しい。

「ところで……茜はどうなの?」

「どうって?」

「空太くん……」 

「何で空太?」

「分かってるんだからね。茜の気持ち」

 え?

「気づいて無いとでも思った?茜はわかりやすすぎるよ!」

「そんなにわかりやすい?」

「バレバレだよ」

「空太も気づいてると思う?」

「んー?それは分からない……けど、薄々は?って感じじゃないかな?」

 はーっと私は大きく溜め息を付いた。

「大丈夫だよ頑張れ!茜の笑顔は回りを幸せにするんだから、茜も幸せになれるよ」

「ありがとう」


 *

「空太!今日部活休みでしょう?一緒に帰ろう」

 一組の教室まで行くと、空太は椅子に座りクラスの男子達と楽しそうに話をしていた。

「あれー?二組の女子じゃん」

「幼馴染みちゃんだっけ?」

「いいなー!可愛い幼馴染み俺も欲しい」

 そんな声が聞こえてくるが、空太はそれを無視して立ち上がった。

「帰るぞ」

 素っ気ないが、一緒に帰ってくれるようだ。私は嬉しくて空太の後ろをついていった。

 校門を出ると蝉の鳴き声がうるさいくらいに聞こえてくる。少し歩いただけで汗が滲み出てきて、それを手で拭った。

「熱いね。もうすぐ夏休みだけど、空太は部活だよね?」

「ああ、そうだな」

 相変わらず素っ気ない返事しか返ってこないが、それでも良かった。

 空太の隣を歩けるだけで嬉しくて仕方が無いのだから。

「公園寄って行こうよ。小さいときに行った公園覚えてる?」

「めんどくせぇー」

「いいじゃん!少しだけ、ね?」

 空太の腕を無理矢理に引っ張り、公園へと向かって歩いた。

 懐かしい見覚えのある道。

 ここを曲がると自動販売機があって、いつもそこでジュースを買ってから公園に行っていた。自動販売機の前まで来ると、空太が立ち止まる。

「何にする?」

「えっ?」

「ジュース、飲むだろ?」

 ジワリと胸が温かくなる。

 覚えていてくれた。

 それが嬉しくてはにかみながら私は答えた。

「オレンジジュース」

「だと思った。おまえいつもそれな」

「へへ……好きなんだもん」

「ほら」

 オレンジジュースを手渡せれ、とびっきりの笑顔を見せる。

「ありがとう」

「おっ……おう」

 空太が照れくさそうに、頬を掻いた。それは空太の癖で、恥ずかしいときや照れているときにする動作だ。まるで子供の頃に戻ったみたいで嬉しくなる。

「向こうにベンチがあったよね?行こう」

 早く早くと、空太をベンチの前まで引っ張って来た時だった。空太がピクリとも動かずに、一点を見つめているのが分かった。

「空太?」

 空太の視線を追いかけて、視線をたどっていくとそこには……。

 瑠璃と……先輩……。

 二人は仲良く見つめ合い、ゆっくりと顔を近づけていく。

 空太、見たらダメ!

 私は空太を引き寄せるとベンチに無理矢理座らせながら抱きしめ、視界を塞いだ。空太は呆然とした様子でされるがままになっている。相当ショックだったのだろう。私に抱きしめられているというのに何も言ってこない。

 私はどうしたらいい?

 私に何が出来る。

 振られた時のショックは私が一番知っている。

 告白する前に振られるショックは……。

 空太を抱きしめる腕に力を込めると、空太がボソリと呟いた。

「茜は知ってたんだな……」

 瑠璃が先輩と付き合っていたこと?

 それとも空太が瑠璃を好きなこと?

 どちらかは分からないが私は答えるしかない。

「うん……」

「そっか……」

 空太はそれだけ言って、黙ってしまった。

 泣いているんだろうか?

 そっと抱きしめていた腕を緩めると、唇を噛みしめて涙を堪える姿が目に入る。空太のそんな姿を見て、私の中に悲しみの感情が流れ込み、心臓を握りつぶされたみたいに痛くなる。

「空太……」

 空太の名前を呼ぶと、私の瞳から涙がこぼれ落ちた。ポタポタと止めどなく落ちる涙は空太の頬や手を濡らしていく。私の涙に気づいた空太は驚いた様にこちらを見た。

「何でお前が泣いてんの?」

「……っ……くっ……そんなのっ……空太が……っ泣かないからじゃん!っ……そんな顔……っ……」

 空太……そんな悲しいそうな顔をしないで。

 私に今出来ることは何?

 少しでも心を和ませる言葉は何?

 どうしたら空太は笑ってくれる?

 私の大好きな空太。

 あなたが悲しむ姿は見たくない。

 空太はこんなにも悲しんでいるというのに、私の中にある空太への想いが溢れ出す。

 空太の素っ気ないところも、優しいところも、不器用なところも、私は全部知ってる。私はそんな空太が大好きだ。

 私で気休めになるなら……私を使って欲しい。

 傷ついた空太にこれを言うなんて卑怯だと分っている。

 弱っている時にこんなこと……それでも言わずにはいられない。

「空太……好きだよ。……っ……ずっと、ずつと大好きだよ。……くっ……これから先もずっと大好き。ずっとっ……側にいるから……私にしなよ……私を利用してっ……っ……いいから……」

 空太は私からの告白を黙って聞きながら「うん……」と静かに答えた。

 弱みにつけいる形になるが私は空太に、もう一度告白した。

「空太……大好きです。私と付き合って下さい」

 それを聞いた空太は一瞬目を見開いてから、スッと表情を戻した。

「いいよ……」



 *

「空太!おはよう」

「おう」

 相変わらず素っ気ない返事だが、少しだけ変わったことがある。

 それは空太が私を見てくれるようになったこと。

 挨拶をすれば視線が合う。

 それがくすぐったくて、嬉しくて、飛び上がりたい気持ちになる。 

「明日から夏休みだね」

「だな……」

「それで……あの……夏祭り……一緒に行かない?」

「……いいよ」

「やったー!約束ね」

 そう言って小指を差し出すと、空太は私の小指に自分の小指をからめてくれた。

 約束完了。

 私は鼻歌交じりに教室に入ると、クラスの女子に囲まれた。

「ちょっと見たわよ。朝からイチャついてくれるじゃない」

「いつから付き合ってるの?」

「どっちから告白したの?」

「さっきのは何?何の約束?」

 瑠璃の質問を皮切りに、クラスの女子達が質問攻めにしてくる。

「ちっ……ちょっと待って!待ってったらーー!」

 茜は質問に答えながグッタリとしていた。今日は終業式、体育館に全生徒が集まり校長先生の長い話を聞く日だ。生徒達が集まり出し、雑談が始まる。

 そんな中、探してしまうのは空太の姿。

 私は空太を見つけ出し、小さくVサインをしてみせる。するとそれに気づいた空太は、一瞬目を細めたがすぐに顔を逸らした。相変わらず素っ気ないが、一瞬の笑顔に心が躍る。そんな私達を見て皆が冷やかしてくる。一組の男子は空太の背中をバシバシと叩きながら何かを言っている。

 何だか幸せだな。



 *

 夏休みが始まり家でだらだらと時間を過ごす日々が始まった。帰宅部の私にやることは無い。ゴロゴロとベッドに寝転びながら考えるのは空太のこと。

「もうすぐ夏祭り……」

 そう独りごちて、ふふふっと声を出して笑ってしまう。

 気持ちがフワフワして、くすぐったくて、恥ずかしくて、何とも言えない気持ち。

「空太……」

 空太の名前を呼んでは、ベッドで「キャーッ」と悲鳴を上げながら転がるの繰り返し。こんな日が来るなんて、茜色の空を見つめながら泣いていたときは、思ってもいなかった。あの日の私に伝えて上げたい。もう少し我慢すれば幸せになれるよって。

 ふふふっ……私はだらしなく顔を崩しながら、もうすぐやって来る夏祭りを楽しみにしていた。




 *

 夏祭り当日。

 私はお母さんに浴衣を着付けてもらい、待ち合わせの場所へと急いだ。紺色の浴衣には百合の花が咲き誇り、少し大人っぽいデザインだが、高校生になったのだからと、母がこれを進めてくれた。髪飾りも少し大人っぽいモノを選び、高い位置でまとめた髪に後れ毛を出した。

 可愛いって言ってくれるかな?

 私は着慣れない浴衣に苦戦しながら、空太の待つ場所へと急いだ。

「空太お待たせ」

 空太の前まで行くと、空太は驚いた様な顔をして私を見た。

「どう……かな?」

「まあ……いいんじゃね」

 言わせた形になったが、褒めてくれた。

 嬉しくて両手で頬を包みながら笑っていると、空太が頬を掻きながら手を差し出した。

「ん……」

「え?」

「手……」

 手?

 それって……。

 そっと手を差し出すと、空太は私の手を握り歩き出した。

「迷子になると面倒だからな」

 素っ気ない言葉だが、前を向いたままの空太の耳はほんのり赤くなっていた。そんな空太の反応が嬉しくて、私はニマニマする顔をどうすることも出来なかった。

 それから私達は屋台を見て回り、焼きそばやたこ焼きを食べながら、メインである花火が始まるのを待った。花火が見えるメイン会場までもう少しの所で、右足に違和感を覚える。

 それにいち早く気づいたのは空太だった。

「茜、足どうした?」

「あっ、履き慣れない草履で痛くなっちゃった」

「ハンカチ濡らしてくるから、少しここで待ってろ」

「うん……」

 近くにあったベンチに座り、空太が戻って来るのを待っていると、大学生くらいの男性二人がやって来た。

「あれー?きみここで何してるの?可愛いね。友達待ち?」

 男二人に囲まれ怖くて声を出せずにいると、無理矢理手を引かれた。

「止めて下さい。彼氏を待っているんです」

「えー?彼氏なんていないじゃん。一緒に遊ぼうよ」

 男性に力強く引っ張られると、女子の力ではどうにも出来ない。

 やだ……連れていかれちゃう。

 怖い……。

 恐怖で体を震わせると、それを見た男達が笑い出す。

「あれー?震えてる?かっわいー。きみホント可愛いね」

 男がそう言って、私を抱き寄せようとしたところで、空太が戻ってきた。

「あんたら何?そいつ俺の連れだから」

「あ?何だ?ホントに男がいたのかよ」

 チッと舌打ちをして、ばつが悪そうに男達は去って行った。

「怖かった……」

 張り詰めていた息をそっと吐き出すと、空太が私の体を抱きしめてきた。

「少し目を離した隙に……心配させんな。焦るだろうが」

「焦ったの?」

「当たり前だろ。連れて行かれるかと思った」

「あはは、私も連れて行かれるかと思った。怖かった」

「怖い思いさせてごめん。もう俺から離れるなよ」

 俺から離れるな……。

 そんな空太の言葉が嬉しくて、私はニッコリと笑った。

「私は空太から離れない。約束したから……私はずっと空太の隣にいるよ。ずっと、ずぅっと、空太の隣が私の場所だよ」

 それを聞いた空太の顔が赤くなるのを、私は真っ正面から見てしまった。

「お前そう言うことよく言えるよな」

 赤い顔をした空太を前に、私の顔もつられて赤くなる。

「ほっ……本当の事だから」

 空太がフーッと息を吐き出すと、いつものクールに戻った顔で、こちらを見つめてきた。その瞳には熱がこもっていて、いつもの雰囲気とは何かが違う。

 これは……。

 私の喉がコクリと鳴ると、空太の顔がゆっくりと近づいてくる。

 あっ……唇が触れる。

 どちらから共無く目を瞑り、重なり合う唇。

 それと同時に花火の上がる音が聞こえてきた。

 私のファーストキスは、夏祭り……花火の音が響き渡る中での事だった。



 *

 長かった夏休みも終わり二学期が始まった。

 今日からまた空太と一緒に登校できる。それが嬉しくて早起きをしてしまった。少しでも可愛く見られたくて、髪を何度もブラシでとかし、鏡の前でチェックする。

 早く空太に会いたい。

 私は時間より早く玄関の外に出ると、空太が立っていた。

「空太?」

「ん、迎えに来た」

 こんなこと初めてだ。

 私は嬉しくて空太に飛びついた。

「ありがとう」

 そう言って笑い掛けると、空太が私の頭を優しく撫でてくれた。

 嬉しい嬉しい嬉しい……。

 朝から幸せすぎて辛い。

 真っ赤な顔で空太にしがみついていると、空太が呆れたように言ってくる。

「これじゃあ学校に行けないだろ」

「へへ……空太、大好き」

「ばあーか、知ってるっつーの」


 *

 その日の放課後。

「空太、二組の幼馴染みとはどうなんだよ?」

「俺もそれ聞きたかった」

「付き合ってんだろ?」

 クラスの男子達に、空太がからかわれている声が聞こえてくる。私は廊下で空太がどんな風に答えるのか、ワクワクした気持ちで聞き耳を立てていた。

「あ?ただの幼馴染みだけど?」

 何でも無いように言った空太の声が、私の脳裏を何度も反芻(はんすう)する。

 ただの(・・・)幼馴染み……。

 体からサーッと血の気が引き、指先がカタカタと震え出す。息を上手く吸うことが出来ずに、ハッハッと呼吸を繰り返すと、よろけながら私はトイレへと駆け込んだ。

 空太にとって私はただの幼馴染み……。

 そう言われてみれば、好きだなんて言われたことが無い。

 いつだって好きだと言っているのは私だけ。

 それでも……それでも……少しずつだけど変化はあった。少しずつ歩み寄ってるっていう確信があったのに……。

 空太に告白してからの日々を思い出す。

 付き合いだして……視線が交わうようになって……肩がぶつかる距離にいれるようになって……夏祭りでのキス……。

 浮かれていたのは私だけ……。

 好きだったのも私だけ……。

 全部、全部、私だけ……。

 空太は私を好きじゃない。

 私の片思い。

 空太にとって自分は、ただの幼馴染み。

 その事実を思い出し落胆した。

 そうだよ。

 そうだった。

 空太が失恋を忘れるために、私を利用してもらったんだ。そうして欲しいと望んだのは私だ。

 空太は私が好きで付き合っているわけじゃない。

 忘れていたわけじゃ無い。

 ずっとモヤモヤしていた。

 不安もあった。

 それでも……と。

 分っていたけど、考えないようにしていた。

 もしかしたら空太も私を……なんて期待していた。

 バカだな……そんなことがあるわけ無いのに……。

 空太は私を好きなんかじゃ無い。

 それに気づいて目の前が真っ暗になった。

 空太が好きなのは今だって……。

 ひゅっと喉が詰まって、鼻の奥がツンと痛くなると、瞳に集まった涙がポタポタと落ちてくる。トイレは音が響くから、口を両手で覆って強く押し当てた。

「……つっ……くっ……っ……ふっ……」

 強く押し当てた口元から、くぐもった声が漏れる。必死で声を抑えると呼吸が乱れて苦しくなった。それでも必死に口元を押さえて声を抑える。

 苦しい……。

 胸が苦しいのか、息が苦しいのか分からなくなってきた。

 押さえた手を緩めて、一気に肺に酸素を送り込むと、ボロボロと涙がこぼれ落ちてくる。

 溢れ出した涙は、止めることは出来ない。

「……うっ……っ……くっっ……ふっ……っ……」

 私はこれからどうしたいい?

 どうすればいい?

 空太の隣にいていいの?

 全てがネガティブな思考になってしまう。

 ダメだ。

 一旦外に出て、頭を冷やそう。

 涙を拭い、顔を見られないように俯きながら校舎を出た。