友達で良いから隣にいさせて…幼馴染みに恋した私は今日も涙する


 キラキラと輝く水面、優しい波音、空を気持ちよさそうに飛ぶ海鳥、私の目に映るのは美しい景色。海のさざ波は心地よい。小さな頃から私はこの音を聞いて育ってきた。私の住む町は海に面しているとても美しい町だ。私はこの海の町が大好きだ。しかしその反面潮風で髪はベトついたり、洗濯物を干せば塩が付着したり、自転車は錆びやすいしと嫌なことも多いが、私はこの町が気に入っている。そんな私は海のさざ波を聞きながら、茜色に染まった海を防波堤の縁に座り、一筋の涙を流していた。その理由は今朝に遡る。

 私の名前は朝比奈茜(あさひなあかね)16歳、高校に入学したばかりの高校一年生。少しお洒落にも目覚め、毎朝鏡の前で前髪をチェックし、肩より少し長い黒髪をブラシでセットする。

 女子高生は前髪命なのだ。

 鏡の前で笑顔を作り微笑む、すると鏡にクリッとした瞳の可愛い女の子が笑った。自分で言うのも何だが、それなりの見た目だと思う。まあ、美少女では無いがそれなりの見た目、普通というやつである。

 高校に入学して1ヶ月、新しい生活にも慣れ、毎日順風満帆だ。私の隣を歩くのは同じ年で幼馴染みの林野空太(はやしのそらた)。陸上部で毎日汗を流していて、黒いサラサラの髪に部活で健康的に焼けた肌に、切れ長の二重の瞳がクールな男子高校生だ。彼との距離は歩いていても肩がぶつからない程度の距離。つまりただの幼馴染みで友達で恋人にはなり得ない距離。私はこの距離がもどかしくて仕方がない。私はずっと空太に恋をしている。だからいつかはこのもどかしい距離を縮めたいと思っている。

「空太聞いてる?」

「ああ……」

 素っ気ない返事……空太はいつも私の話をつまらなそうに聞き流す。

「もう、ちゃんと聞いてよ。親友が出来たんだよ。すっごく良い子なの!水島瑠璃(みずしまるり)ちゃんって言って、サッカー部のマネジャーやってるんだよ」

「へー。入学して1ヶ月で親友って……ねえだろ」

 皮肉な言い方だが、空太が気のない返事だけでは無く、言葉を返してくれたことが嬉しくて私は話し続けた。

「いいの!1ヶ月でも親友なの!すっごく気も合って、昔からずぅっと一緒にいたみたいな感じなんだから。それにね凄い美人で大人っぽいの」

「へー……」

 また素っ気ない返事を返されてしまったが、私はそれでも良かった。空太が私の隣で私の話を聞いてくれるならそれだけで良かった。

 この時までは……。

 私は空太から視線を前に向けると、前を歩く人物を見つけた。

「瑠璃ーー!!」

 私は先ほど空太に話していた親友の名前を呼んだ。すると長いストレートの髪を揺らしながら振り向いた瑠璃が、嬉しそうに私の名前を呼んだ。

「茜おはよう!」

「おはよう!」

 瑠璃に向かって手を振りながら空太を見ると、空太の視線は瑠璃を見たまま動かない。瞳を大きく開き、息を吸うのも忘れているといった感じで、更にはほんのりと頬を染めていた。私はその空太の表情に息を呑む。

 空太は私の幼馴染みだ。

 私はずっと空太だけを見つめてきた。

 だから私には分かる。

 この表情の意味が……。

 目元を赤く染め、瞳をキラキラとさせた空太を見つめていると、心臓がドクドクと嫌な音を立てて動き出す。

 ダメだよ空太……。

 そっちじゃ無いよ……。

 心の中で呼びかける。

 しかし私の心の声は空太に届くことは無く、空太は瑠璃を見続けていた。そんな空太を見つめていると、全身の血の気が引いていく。

 ああ……とうとうこの日が訪れてしまった。

 空太が私ではない人に、心を奪われている。

 ダメだよ、その人では無いと何度も心の中で叫んでも、空太の瞳に私は映らない。

 空太が恋に落ちた。

 私は目を見開いたまま、空太が恋に落ちたその光景を凝視した。そして私の世界から色が消えた。先ほどまで鮮やかに色ずいていた世界がモノクロに変わる。

 空太の瞳の色だけが鮮明に残っている。

 そんな世界で大好きな人が私の隣で、私の大好きな親友に恋をした。

 こんなことってある?

 大好きな人が恋に落ちる瞬間に立ち会う羽目になるなんて……。

 辛すぎるよ。

 ジワリと瞳に涙の膜が張る。

 ダメだ……涙が出そう……。

 グッと唇を噛みしめて涙を耐える。

 私は必死にその場を乗り切るため、気丈に振る舞った。

「空太、紹介するね。こちらが親友の瑠璃だよ。瑠璃、こいつが幼馴染みの空太」

 上手く紹介できただろうか?

 指先が冷たくなり、唇が震えるのを我慢する。二人に唇を噛みしめていることを気づかれないように、無理矢理微笑んだ。

 ダメだ。

 泣くな。

 笑え。

 口角を上げ続けろ。

 涙に気づかれないように、笑い続けてなくちゃ。

 大丈夫、笑えているはず。

 グッと喉が詰まるのを感じながら、震える唇で私が紹介し終えると、瑠璃が嬉しそうに空太を見た。

「茜が言っていた幼馴染みくん!空太くんだね。よろしくね」

 私の気も知らず、空太の視線は瑠璃に向き続けている。

 違うよ空太そっちじゃ無いよ。

 こっちだよ。

 私を見て。

 そう思いながら空太を見ても、空太が私に視線を向けることは無い。

 私は思わず空太の裾を引っ張り、無理矢理にこちらを向かせた。驚いた顔をしながら空太は私を見たが、すぐに視線を瑠璃に戻してしまった。

 嫌だよ。

 お願いだからこっちを向いてよ。

 空太……。

 必死に心の中で空太に呼びかける。

 それでも空太が私を見ることは無い。

 心臓が締め付けられ、胸が痛くて仕方ない。

 それでも私は苦虫を噛み潰したような顔にならないよう、必死に笑顔を貼り付ける。
 
 瑠璃が嬉しそうに空太に挨拶すると、空太はフイッと顔を背けて挨拶だけして行ってしまった。しかしその耳は赤く染まっていて、どことなく後ろ姿が嬉しそうだった。私はそんな後ろ姿を見ながら、唇を噛みしめることしか出来ない。空太の後ろ姿を見送りながら、瑠璃が私に今日の授業について何かを言ってくるが、先ほどの空太の表情が脳裏に焼き付いて離れず、瑠璃の話を聞き流した。

 嫌だよ空太……私から離れないで。

 お願いだから、もう少しだけ私の隣にいてよ。



 夕日の沈みかけた防波堤。

 オレンジ色の海。

 穏やかな波音。

 美しい景色。

 私は自分と同じ名の茜色の空を見つめながら涙をこぼす。

 空太が瑠璃に恋をした。

 恋に落ちた瞬間の空太の表情を思い出す。

 あれは一目惚れの瞬間だった。

 空太は瑠璃だけを見つめて、目元を染め、キラキラと瞳を輝かせていた。私にはあんな表情を見せてくれないのに……。

 空太の表情を思い出すと、胸がギュッと締め付けられた。

「キツいな……」

 今朝までは高校生、順風満帆!何て思っていたのがウソみたいだ。明日からどう生活したら良いのか分からない。

 もし空太が瑠璃と付き合いだしたら……私はどうなってしまうだろう。

 二人はまだ付き合いだしてもいないのに、それを想像して涙が溢れ出す。

 やだ、やだ、やだ……。

 妄想が現実みたいに頭の中で映像化する。

 想像したくないのに勝手に脳が妄想を繰り返す。

 二人が幸せそうに手を繋いで微笑み合う。

『好きな人が出来た』

『俺達付き合うことになったんだよ』

 そんな言葉聞きたくない。

 嫌だよ。

『茜、ありがとな。茜のおかげで瑠璃に会えた。運命かな』

 照れくさそうな空太の顔……。

 幸せそうな顔……。

 見ていられない。

 無理だよ……。

 ボロボロと涙が頬をつたって落ちていく。

 想像しただけで、こんなにも涙か出てくるんだよ。

 現実で言われたらどうなってしまうんだろう……。

 寄り添う二人を見ていることが出来るだろうか?

「無理だよ……。そんな二人を見ていられないよ……。……っ……うっ……ふぇっ……空太っ……やだよ」

 幸せそうな二人を想像しただけで、ぽろぽろと涙が溢れ、防波堤を濡らしていく。

 どうしてこんなことになっちゃうの。

 明日からの学校生活が憂鬱になった。





 *

 空太が恋に落ちた次の日、今日も空太の隣を歩く。

 一方的に私が喋ると、いつもと変わらない素っ気ない返事を返してくる。何も変わらない朝の会話。昨日のあれは勘違いだったのでは?そう思った。そこで思い切って瑠璃の話をすると、空太の表情が変わった。先ほどまでつまらなそうにしていた表情を一変させ、こちらに視線を向けてくる空太。やはり勘違いでは無かった。瑠璃の話に「ふぅーん」と反応してはこちらに顔を向けてくる。

 違うよ空太。

 そんな顔で私を見て欲しいんじゃ無い。

 空太は私を見ながらその先にいる瑠璃を見ている。

 それが悲しくて俯きながら私は瑠璃の話をした。

 バカだな……こんなに悲しいのに、自分の話を聞いてくれるのが嬉しいなんて。
 
 矛盾している……。

 こんな日が毎日続くんだろうか……。

 空太の隣にいるのに、悲しく辛い日が続いた。

 空太を想うと眠れない……。

 そんなある日、空太がそれに気づいた。

「おまえどうした?目の下クマが出来てるぞ?」

 そっと手を伸ばされ、目の下を空太の手が触れる。

 空太が私の変化に気づいてくれた。

 私を見てくれている。

 嬉しくて、嬉しくて、私は『大丈夫だよ』と言おうとして、息を呑む。空太は私を見ていなかった。私に触れながら、私の横にいる瑠璃を見ていた。

 なんで……。

 どうして……。

 酷いよ。

 心の奥底でモヤっとしたドス黒いもの広がり、感情的に空太の手を払いのけた。パンッと乾いた音が鳴り、一瞬静寂が訪れる。私はハッとして空太を見ると、空太は驚いた様な顔をしてから、私から視線を逸らした。

「可愛くねえな」

 その言葉が私の胸に突き刺さる。

 どうして私にはそんな言葉しかくれないの?

 可愛くない……ホントにその通りだ。

 分ってるけど……。

 こんな態度を取って、ホント可愛くないって分ってるけど、瑠璃にたいする嫉妬から酷い態度をとってしまった。顔を伏せる私を心配して瑠璃が手を差し伸ばしてくれた。

「茜……大丈夫?」

 優しい瑠璃。

 瑠璃が嫌な子だったら良かったのに……。

 そうじゃないから胸が苦しい……。

 勝手に瑠璃に嫉妬してごめん。

 心配させたらダメだ。

「ん……ごめんね。大丈夫だから心配しないで」
 
 瑠璃は本気で心配してくれているというのに、こんな顔をしていたらダメだ。私は顔を上げると、にっこりとを微笑んだ。


 *

 今日も私は防波堤に腰を下ろし、茜色の空を見つめながら涙を流す。ここで涙を流すのが日課のようになっている。寄せては返す波を見ながら、頬をつたい落ちていく涙は、夕日でオレンジ色に染まりながら落ちていく。これから長い人生を歩んでいく中で、きっとこの時のこの切なさは、一瞬の出来事なのだろう。年老いて振り返った時には、青春の1ページの彩りとして切り取られるのだろうが、今はただただ切なくて、悲しくて、辛い。

 幼馴染みとして長い時間を共に過ごしてきた空太。この先、私と空太は同じ時間を隣で歩むことが無いのかもしれない。そう考えただけで、心が悲鳴を上げる。

 ずっと隣にいたいのに……。

 それを許してもらえない時が来る。

 それはいつなのだろう。

 もうすぐなのだろうか?

 それを考えただけで辛い……辛くて苦しい。

 こんな思いをするなら、この恋を終わらせて次の人に……そう思うのに、それが出来ない。

 長く煩った恋煩(こいわずら)いは、何ともややこしい感情で、今更違う人を好きになんてなれそうに無い。

 もう失恋しているのだから、忘れてしまえば良いのにと、頭では分かっている。分かっているのに、空太を見るとまた時めいてしまう。悪あがきのように話しかけて、また落胆する。空太の視線を追いかけて、それが瑠璃に向いてるのを見て涙する。

 空太の視線の先には必ず瑠璃がいる。あの日から空太の瞳に映るのは私では無く瑠璃だけ。

 私には気づかないのに、私の隣を歩く瑠璃には気づくんだね。

 その度に目の前が涙でにじむ。

 ズキリと痛む胸を押さえて、涙を我慢する。

 空太とは交わう事の無い視線が悲しくて、瞳の奥に集まる熱をどうにかごまかすために、笑顔を振りまいた。元気いっぱいに振る舞って、私に気づいて欲しいとアピールして笑顔で空太を見つめる。

 瑠璃の隣には私もいるんだよ。

 私に気づいて……私も見てよ。

 私はずっと空太を見ているよ。

 こんなにも空太が好きなのに、空太に私の想いは届かない。



 *

 入学してまだ2ヶ月だというのに、学校行事である体育祭が行われるのだと担任教師がホームルームで説明を始めた。クラスの団結力を深めるための行事で、これから実行委員を決め、各自が出る種目を決めるのだという。運動部がメインで進められるこの行事に、私はあまり乗り気では無い。昔から運動は苦手だし、体を動かすのは好きでは無い。それでも中学の頃は体育祭が好きだった。それは陸上部である空太の走る姿が見られるからだ。

 姿勢の良いフォームで颯爽と走る姿は、ホントに格好いい。私はそんな姿をキャーキャー言いながら見ていた。しかし今年はそんな気持ちになれるだろうか……。

今日も少しだけ離れた距離に空太がいる。ぶつからない程度の、幼馴染み距離……もどかしい距離。今日も私を見ずに前を向く空太に瑠璃の話をすれば、私の方に視線を向けてくれるため、話したくも無いのに瑠璃の話をしてしまう。

「クラスカラーはオレンジでね。私は玉入れと、ダンスをするんだけど、瑠璃は障害物競走とダンスなんだよ」

「へー……障害物競走とダンスか」

 空太が確認するようにボソリと呟くのを私は聞き逃さなかった。きっと私の出る競技については、もう忘れているんだろうな。そう思うと、ズキズキと胸が痛んだ。

 放課後……私はダンスの練習のため、クラスメイト達を集め練習を開始した。まだ話をしたことの無かったクラスメイトとも仲良くなり、楽しく練習していると、外が騒がしくなった。皆の視線が外へと向いたため、私も視線を外に向けると、そこには空太の走る姿があった。誰よりも早く走る姿に歓声が上がる。

「2組の林野空太くんだっけ?足が速いんだね。しかもイケメン!」

「そうそう。先輩達も話してたよ。一年に格好いい子がいるって」

「そう言えば茜は空太くんといつも登校してるよね?付き合ってるの?」

 皆の視線が私に向けられ、私は首を横に振った。

「違うよ。空太は幼馴染みなんだ」

「空太くんが幼馴染みとか最高じゃん!恋が始まる予感しか無い!」

 それなー!と皆が会話するのを、私は曖昧に笑うことしか出来ない。

 恋なんて始まらない。

 始まるわけが無い。

 今日もズキズキと痛む胸をグッと右手で押さえる。

 空太にとって私はただの幼馴染み。

 空太の思い人は私では無いのだから……。


 *

 体育祭当日。

 クラスカラーであるオレンジ色のポンポンを手に、私達はクラス応援のためのダンスを披露する。元気いっぱいに両手を広げて、大きな声で応援すれば、皆が私達を見てくれた。その中に空太もいて私達を見てくれていた。しかし私と視線は合わない。空太が熱心に見つめる先には瑠璃がいる。それでも自分を見て欲しくて、その瞳に映り込みたくて、元気いっぱいに最高の笑顔を振りまいた。

「一組ファイト!」

 私の声で皆のフォーメーションが変わり、最後に思いっきりジャンプ!

 これでもかと楽しげに笑顔で演技終了。すると沢山の拍手が私達に向けられた。私達は一礼して一組の場所へと戻ると、皆が頑張ったと言いながら迎えてくれた。そんな中で私は俯き、手にしているオレンジ色のポンポンを見つめていた。

「茜、疲れちゃった?」

「瑠璃……えっと……うん。疲れちゃったみたい」

「毎日頑張ってたもんね。でもまだ応援残ってるでしょ。ほら、もうすぐ空太くんの出番だよ」

 そう。

 もうすぐ200メール走だ。

 空太順番が近づき、校庭がざわめき出す。位置に着いた空太がふーっと息を吐き出し、真剣な表情で視線を前に向けると「パンッ」と言う合図で走り出す。グンっと加速した空太は速度を落とすこと無く走り続ける。今日一番の歓声が校庭をこだまする。しかし私の耳に歓声の音は聞こえない。空太の一瞬を見逃さないよう集中すると、キーンッという耳鳴りの世界で音が消えた。空太の姿を目に焼き付けるように、両手を握り絞めて……。

 100メール……200メール……音の無い世界で空太が走り続ける。

 そしてゴールテープを切った。

 珍しく嬉しそうな顔をした空太が右手を空に突き上げた。私も自分の事のように嬉しくて、体が熱くなった。

 やっぱり空太は格好いい。

 私は興奮から体の熱を抑えられず、空太に会いたくて空太の姿を探した。

 今すぐに空太に会いたい。

 お疲れ様、頑張ったね、格好良かったって言いたい。

 私は空太の姿を探したが、空太はもう校庭にはいなかった。……と言うことは、きっとあそこに違いない。私は校舎の隅にある水飲み場までやって来た。するとそこに空太はいた。空太は走った後、必ず水飲み場で頭を冷やす。寒くても暑くてもそれは変わらない。今も頭から水をかぶっていた。

「空太お疲れ様。格好良かったよ」

「ああ……茜か」

 私は持っていたタオルを渡すと、空太はそれを受け取り顔を拭きだした。

「タオルありがとな。洗って返す」

「良いよそのままで」

 そう言ってタオルを受け取った時、少し離れた場所で瑠璃の声がした。

「茜!空太くん!」

 小走りに走ってくる瑠璃が小石につまずいた。危ないと私が走り出そうとした横を、何かが通り過ぎた。

 空太だ。

 空太は転びそうになった瑠璃を支え、照れくさそうに頬を染めている。

 私はそれを目にして、ドロリとした嫌な感情が湧き上がる。大好きな瑠璃に対して憎悪で体が震えた。嫌いに何てなりたくないのに、感情が抑えられない。

 空太のそんな顔、見たこと無いよ。

 私以外にそんな顔……。

「ハッ……ハッ……っ……ハッ……」

 呼吸が上手く出来ない。

 苦しい。 

 心臓が握りつぶされたみたいに、ギュッと締め付けられる。私は右手で胸を服ごと鷲づかみにして、痛みに耐えた。

 空太……瑠璃から離れて。

 お願いだから、二人とも離れてよ。

 私は二人を見ていることが出来ずに背を向けた。

 二人から逃げるように校舎内に駆け込み、教室の隅で両膝を抱え込む。ここは学校だ。ここで泣けば皆に心配をかけてしまう。ゆっくりと深呼吸をしながら悲しみを逃がし、心を落ち着かせようと試みるが上手くいかない。

 ダメだ。

 泣くな。

 我慢しろ。

 そう思っていても瞳に涙が集まり出し、感情を抑えることが出来なかった。

 辛く悲しい思いが、涙となってこぼれ落ちていく。

「ふっ……うっ……っく……」

 両手で口元を覆い、誰にも気づかれないように声を殺して泣いた。

「やだよ……空太……っ……まだっ……くっ……私の……隣にいてよ……」

 お願いだから……。

 空太の隣を歩く事を許してよ。

 静かな教室、何も書かれていない黒板、少し乱れた机。

 薄暗い教室の片隅で、私の初めての体育祭は幕を閉じた。

 

 *

 次の日、体育祭は水曜日だったため今日は木曜日で通常授業だ。何だかだるいと思いながら、私は今日も空太の隣を歩いて登校した。さすがに今日は一人で登校しようかと思ったが、私は空太の隣にいることを選んだ。いつかこの幼馴染みの隣を奪われる日が来る……それまではと、私は必死だった。

 もうすぐ空太の隣は私では無い誰かに取られてしまう。

 そう思うとまた胸がズキリと痛み、締め付けられた。

 そっと空太の横顔を盗み見ては、涙で瞳が潤むのを必死で我慢する。

 私はいつまで空太の隣を歩けるのだろう……。

 いつかは離れなければならない時が来ると、それは分かっている……。

 それでも……。

「空太……もう少しだけ一緒に……」

 隣を歩く空太には聞こえないように小さな声で呟く。

 まるで願いを込めるように、一緒にいさせて欲しいと呟いて、ズキリと痛む胸を押さえた。

 空太に暗い顔を見せたくなくて俯いていると、突然背中に何かが飛びついてきた。

「茜!おはよう。空太くんもおはよう」

 空気を変えるような爽やかな声。

「瑠璃?!ビックリした。おはよう」

 瑠璃に挨拶をしながら空太を見ると「はよ……」そう言って、すぐに緩んだ顔を背けた。前を向く空太の耳が赤くなっているのが見える。

 わかりやすいな……。

 そんな顔を見せられたら上手く笑う事なんて出来ないよ。

 思わず苦笑してしまう。

 引きつった笑顔になってしまっただろうか?
 
 そんな私を見て、瑠璃が心配そうに覗き込んだ。

「茜どうした?大丈夫?何かあった?」

「へへ……ごめん。大丈夫、何でも無いから」

「そう?」

「ところで今日の昼休みに話があるんだけど……良いかな?」

「話?良いけど?」

 ニッコリと瑠璃が嬉しそうに笑った。

 一体何の話だろう?


 それから昼休み、人の少ない校庭の隅でお弁当を食べ終えると、頬を染めた瑠璃が話し出した。

「私、彼氏が出来ました!」

 ドクンッと心臓が大きく跳ね、そこからドキドキと忙しなく動き出す。

 うそ……。

 まだそんな関係にはなっていないって思っていたのに……。

 喉の奥が詰まって、声を出すことが出来ない。

 私は何て言えばいい?

 良かったね?

 頑張れ?

 お幸せに?

 どうしたらよいか分からず固まっていると、瑠璃の口からとんでもない言葉が飛び出した。

和哉(かずや)先輩と付き合えるなんて夢みたい!」

 私はポカンとしてから、何とか言葉を絞り出した。

「えっ……和哉……先輩?」

「そう!サッカー部の先輩で二年生なの。実は中学の頃から好きで、この学校にも先輩を追いかけてきたんだ」

 空太の名前では無いことにホッとしつつも、驚きである。

「そんな話全然してなかったじゃない」

「だって、絶対振られると思ってたんだもん。でも体育祭の帰りに、告白したらOKしてくれて……もう嬉しくって」

 ふふふっと思い出し笑いをしている瑠璃を見て、私も一緒に笑ってしまった。 

 しかし問題はここからである。

 瑠璃に彼氏が出来たのなら、空太の想いはどうなるのだろうか?

 失恋の痛みは私が一番よく知っている。

 空太の悲しそうな顔を思い浮かべると、ズンと心が重くなった。

 *

 瑠璃の告白から二週間、瑠璃と先輩は上手くいっているようで、毎日惚気を聞かせれている。

「先輩が格好良すぎる……」

 溜め息交じりに瑠璃はそう言いながら、頬を染めている。

「はいはい。リア充ごちそうさま」

 私は冷やかすようにそう言いながら微笑んだ。

 幸せそうで何よりだ。

 一時は瑠璃を嫌いになりそうだったというのに、今は心がとても穏やかだ。

 親友の笑顔が見られてとても嬉しい。

「ところで……茜はどうなの?」

「どうって?」

「空太くん……」 

「何で空太?」

「分かってるんだからね。茜の気持ち」

 え?

「気づいて無いとでも思った?茜はわかりやすすぎるよ!」

「そんなにわかりやすい?」

「バレバレだよ」

「空太も気づいてると思う?」

「んー?それは分からない……けど、薄々は?って感じじゃないかな?」

 はーっと私は大きく溜め息を付いた。

「大丈夫だよ頑張れ!茜の笑顔は回りを幸せにするんだから、茜も幸せになれるよ」

「ありがとう」


 *

「空太!今日部活休みでしょう?一緒に帰ろう」

 一組の教室まで行くと、空太は椅子に座りクラスの男子達と楽しそうに話をしていた。

「あれー?二組の女子じゃん」

「幼馴染みちゃんだっけ?」

「いいなー!可愛い幼馴染み俺も欲しい」

 そんな声が聞こえてくるが、空太はそれを無視して立ち上がった。

「帰るぞ」

 素っ気ないが、一緒に帰ってくれるようだ。私は嬉しくて空太の後ろをついていった。

 校門を出ると蝉の鳴き声がうるさいくらいに聞こえてくる。少し歩いただけで汗が滲み出てきて、それを手で拭った。

「熱いね。もうすぐ夏休みだけど、空太は部活だよね?」

「ああ、そうだな」

 相変わらず素っ気ない返事しか返ってこないが、それでも良かった。

 空太の隣を歩けるだけで嬉しくて仕方が無いのだから。

「公園寄って行こうよ。小さいときに行った公園覚えてる?」

「めんどくせぇー」

「いいじゃん!少しだけ、ね?」

 空太の腕を無理矢理に引っ張り、公園へと向かって歩いた。

 懐かしい見覚えのある道。

 ここを曲がると自動販売機があって、いつもそこでジュースを買ってから公園に行っていた。自動販売機の前まで来ると、空太が立ち止まる。

「何にする?」

「えっ?」

「ジュース、飲むだろ?」

 ジワリと胸が温かくなる。

 覚えていてくれた。

 それが嬉しくてはにかみながら私は答えた。

「オレンジジュース」

「だと思った。おまえいつもそれな」

「へへ……好きなんだもん」

「ほら」

 オレンジジュースを手渡せれ、とびっきりの笑顔を見せる。

「ありがとう」

「おっ……おう」

 空太が照れくさそうに、頬を掻いた。それは空太の癖で、恥ずかしいときや照れているときにする動作だ。まるで子供の頃に戻ったみたいで嬉しくなる。

「向こうにベンチがあったよね?行こう」

 早く早くと、空太をベンチの前まで引っ張って来た時だった。空太がピクリとも動かずに、一点を見つめているのが分かった。

「空太?」

 空太の視線を追いかけて、視線をたどっていくとそこには……。

 瑠璃と……先輩……。

 二人は仲良く見つめ合い、ゆっくりと顔を近づけていく。

 空太、見たらダメ!

 私は空太を引き寄せるとベンチに無理矢理座らせながら抱きしめ、視界を塞いだ。空太は呆然とした様子でされるがままになっている。相当ショックだったのだろう。私に抱きしめられているというのに何も言ってこない。

 私はどうしたらいい?

 私に何が出来る。

 振られた時のショックは私が一番知っている。

 告白する前に振られるショックは……。

 空太を抱きしめる腕に力を込めると、空太がボソリと呟いた。

「茜は知ってたんだな……」

 瑠璃が先輩と付き合っていたこと?

 それとも空太が瑠璃を好きなこと?

 どちらかは分からないが私は答えるしかない。

「うん……」

「そっか……」

 空太はそれだけ言って、黙ってしまった。

 泣いているんだろうか?

 そっと抱きしめていた腕を緩めると、唇を噛みしめて涙を堪える姿が目に入る。空太のそんな姿を見て、私の中に悲しみの感情が流れ込み、心臓を握りつぶされたみたいに痛くなる。

「空太……」

 空太の名前を呼ぶと、私の瞳から涙がこぼれ落ちた。ポタポタと止めどなく落ちる涙は空太の頬や手を濡らしていく。私の涙に気づいた空太は驚いた様にこちらを見た。

「何でお前が泣いてんの?」

「……っ……くっ……そんなのっ……空太が……っ泣かないからじゃん!っ……そんな顔……っ……」

 空太……そんな悲しいそうな顔をしないで。

 私に今出来ることは何?

 少しでも心を和ませる言葉は何?

 どうしたら空太は笑ってくれる?

 私の大好きな空太。

 あなたが悲しむ姿は見たくない。

 空太はこんなにも悲しんでいるというのに、私の中にある空太への想いが溢れ出す。

 空太の素っ気ないところも、優しいところも、不器用なところも、私は全部知ってる。私はそんな空太が大好きだ。

 私で気休めになるなら……私を使って欲しい。

 傷ついた空太にこれを言うなんて卑怯だと分っている。

 弱っている時にこんなこと……それでも言わずにはいられない。

「空太……好きだよ。……っ……ずっと、ずつと大好きだよ。……くっ……これから先もずっと大好き。ずっとっ……側にいるから……私にしなよ……私を利用してっ……っ……いいから……」

 空太は私からの告白を黙って聞きながら「うん……」と静かに答えた。

 弱みにつけいる形になるが私は空太に、もう一度告白した。

「空太……大好きです。私と付き合って下さい」

 それを聞いた空太は一瞬目を見開いてから、スッと表情を戻した。

「いいよ……」



 *

「空太!おはよう」

「おう」

 相変わらず素っ気ない返事だが、少しだけ変わったことがある。

 それは空太が私を見てくれるようになったこと。

 挨拶をすれば視線が合う。

 それがくすぐったくて、嬉しくて、飛び上がりたい気持ちになる。 

「明日から夏休みだね」

「だな……」

「それで……あの……夏祭り……一緒に行かない?」

「……いいよ」

「やったー!約束ね」

 そう言って小指を差し出すと、空太は私の小指に自分の小指をからめてくれた。

 約束完了。

 私は鼻歌交じりに教室に入ると、クラスの女子に囲まれた。

「ちょっと見たわよ。朝からイチャついてくれるじゃない」

「いつから付き合ってるの?」

「どっちから告白したの?」

「さっきのは何?何の約束?」

 瑠璃の質問を皮切りに、クラスの女子達が質問攻めにしてくる。

「ちっ……ちょっと待って!待ってったらーー!」

 茜は質問に答えながグッタリとしていた。今日は終業式、体育館に全生徒が集まり校長先生の長い話を聞く日だ。生徒達が集まり出し、雑談が始まる。

 そんな中、探してしまうのは空太の姿。

 私は空太を見つけ出し、小さくVサインをしてみせる。するとそれに気づいた空太は、一瞬目を細めたがすぐに顔を逸らした。相変わらず素っ気ないが、一瞬の笑顔に心が躍る。そんな私達を見て皆が冷やかしてくる。一組の男子は空太の背中をバシバシと叩きながら何かを言っている。

 何だか幸せだな。