*
最近茜の様子が変だ。
元気だけが取り柄のあいつが、時々顔を曇らせる。
どうしてそんな顔をするんだ?
あいつがそんな顔をすると調子が狂う。
小さい頃から茜は俺の側にいた。兄弟みたいに育って、最早空気みたいな存在で、いないとしっくりこない。だから告白されたときは驚いた。茜が俺に好意を抱いていることは分かっていたが、そこまでとは思っていなかったからだ。
あの日公園で、瑠璃のキスをする姿にショックを受けた。俺は瑠璃に惹かれ始めていたから、目の前の状況に脳が追いつかなかった。しかし茜が側にいたから……側にいてくれたから、そんなに落ち込まずにすんだ。
そんな茜からの告白を俺は利用した。
茜がそうしていいって言ったから。
悲しみを少しでも和らげるために、茜と付き合うことにした。それだというのに茜は従順に、俺を好きだと言ってくれる。屈託の無い笑顔で、キラキラした瞳で俺を見る。
こいつ……こんな顔をして笑うんだな。
忘れていた。
茜の顔を久しぶりに見た気がした。
夏祭り、足を痛がる茜のためにハンカチを濡らしてベンチに戻ると、茜が男達にナンパされていた。
ウソだろう。
ちょっと目を離した隙に……。
もやりとした感情と共に、怒りが湧く。
「あんたら何?そいつ俺の連れだから」
俺の口から自分の声とは思えないほどの低い声が出た。
驚きだった。
男達は俺に気圧されたのか、すぐにその場から立ち去ってくれた。フーッと息を吐き出すと、茜も安堵したように俺を見た。
「怖かった……」
その言葉を聞いて俺は思わず茜を抱きしめた。
こいつこんな可愛い格好して、無防備すぎるだろ。
あんなナンパ野郎なんかに連れ去られてたまるか。
「少し目を離した隙に……心配させんな。焦るだろうが」
「焦ったの?」
「当たり前だろ。連れて行かれるかと思った」
「あはは、私も連れて行かれるかと思った。怖かった」
「怖い思いさせてごめん。もう俺から離れるなよ」
俺の気持ちを伝えると、茜が嬉しそうに笑った。
「私は空太から離れない。約束したから……私はずっと空太の隣にいるよ。ずっと、ずぅっと、空太の隣は私の場所だよ」
そう言いながら茜がニッコリと笑ってきた。
その笑顔と言葉を聞いてブワッと俺の中に、何かが流れ込んでくる。心臓がドキドキと大きく音を立てて、全身を駆け巡る。
体が熱い。
茜に対してこんな感情……初めてだ。
俺はこの感情をごまかすために、素っ気ない態度をとってしまう。
「お前そう言うことよく言えるよな」
「本当の事だから」
素直に表現する茜が羨ましい。
俺はホント素直じゃ無いから。
こんな俺でも態度で示せるだろうか?
俺は茜を見つめてからゆっくりと茜の唇を奪った。唇が重なると、ふにっと柔らかくて、いい匂いがして、愛おしさが込み上げる。
もう隠せない……。
認めるしか無い。
俺は茜が……。
*
空太と別れる話をしなくては……そう思いながら数週間が過ぎた。
「茜?お前ホントにどうした?」
「えっと……何が?」
「いつもの元気は何処行った?」
「私は元気だよ」
私は空太に空元気を見せて笑うが、見透かされたように空太が眉を寄せた。
「俺に相談できないこと?」
「えっと……」
「何?」
「ごめん……」
*
「ごめん……」
茜は最近俺に謝ってばかりだ。
口を開けば最後にごめんと謝ってくる。
何だこの違和感は……。
嫌な予感しか無い。
茜……お前は何を考えているんだ?
部活の帰り道。
茜の名と同じ茜色の空を見つめながら帰っていると、防波堤の上に茜の姿を見つけた。
「あか……」
俺は茜に声を掛けようとして、それを止める。
茜色に染まった茜の横顔は悲愴に染まり、涙を流していたからだ。
何でそんな顔を?
茜の泣いている姿を見てから、俺達の間にぎこちない空気が流れていた。俺達の間でこんなことは初めてだった。茜もそれに気づいているのか、居心地が悪そうにソワソワとしている。そして何かを言いかけては口を閉じるを繰り返す。
何だ?
俺に何か言いたい事でもあるのか?
いい加減ハッキリしてもらいたい。
「お前何がしたいの?そういう態度ムカつくんだけど?」
苛立ちから強い口調でそう言うと、茜の体がビクッと跳ねた。
茜を見ると、あの日見たような悲愴に染まった顔でこちらを見ている。クリッとした大きな瞳に涙が溜まり、今にもこぼれ落ちそうな顔でこちらを見ている。
違う……。
こんなことを言いたかったんじゃない。
*
茜色の夕日……水色の空がオレンジ色に染まる。全てがオレンジ色になる世界で、私は涙を流した。海風が私の髪を後ろに流すと、風に乗って潮の香りが強気なる。子供の頃から嗅ぎ慣れたこの匂いを嗅ぐと、小さな頃を思い出す。あの頃もずつと空太は私の隣にいたな……。昔を懐かしみながら、今朝の出来事を思い出す。
「お前何がしたいの?そう言う態度ムカつくんだけど?」
朝言われた空太の言葉が、何度も頭の中で響いては消える。
嫌われてしまっただろうか?
私の態度は空太を苛つかせてしまった。
でもどうしたらいいのか分からない。
私は空太が大好きすぎて、離れたくないのに、空太を私から解放するためには離れなければいけない。
空太は私が好きなわけじゃない。
私が泣きながら告白したから、同情もあっただろう。
空太の弱みにつけ込んで、私を利用して欲しいと思ったのは自分のくせに、今更自分を好きになってもらいたいなんて、何を言っているんだろう。
空太の中では私はただの幼馴染みのままなんだから。
私との想いの差は縮まらない。
このまま同情で付き合うのには限界がある。
きっと空太は後悔する。
私と付き合ったことを後悔して離れたいと思うだろ。
空太からそれを言われるぐらいなら、自分から離れなければ……そう思うのに、離れたくなくて言葉が出ない。空太を前にすると、何も言えなくなってしまう。
むしろ好きという感情が暴れ出てしまい、抑えられなくなってしまう。
好き……。
好き……。
大好きだよ。
「空太……」
空太の名前を呼ぶと、茜色の空が急に陰った。
「何?」
ハッと顔を上がると夕日を背に空太が立っていた。
「空太?」
「ん?」
バクバクとなる心臓を抑えて空太を見つめていると、空太も防波堤に腰を下ろした。
「お前いつもここで何してんの?」
「あっ……えっと……」
空太が話しかけてくれたのに、涙が出そうになってしまう。
「最近そんな顔しかしないな」
「……ごめん」
「またごめんか……。何で謝んの?」
空太の語気からが苛ついているのが分かる。
ごめんね空太……。
今日で最後だから……。
こうして空太の隣にいるのは最後だから許して。
グッと手を握りしめて覚悟を決めると、気持ちが落ち着いてきた。
最後だからきちんと話をしないと……。
「空太……私ね。空太のことが大好きなんだ」
「ん……知ってる」
「へへへっ……だよね。だからね……空太とお別れしようと思う」
別れを口にして、一気に悲しみが込み上げる。唇がワナワナと震えて、喉が詰まり、声が震える。
「空太と……一緒に……っ……いた時間は……私にとってっ……ぐっ……かけがえのないものだった……同情でも……利用でもっ……えくっ……側に入れて……すっごく幸せだった……っ」
「お前、何言って……」
私は空太の言葉を遮ってもう一度、別れの言葉を告げる。
「空太……これが最後……大好きだったよ。別れよう」
笑いながらそう告げたつもりだったが、私の瞳からはボロボロと涙が溢れ出していた。
止まれ……止まれ……涙なんか流したら、空太が困るだけだ。
最後の瞬間は笑顔がいいのに、涙が止まらない。
そんな私を見た空太の顔が歪んだ。それから顔を伏せると、グッと力を込めるのが分かった。
「……んだよ。何だよそれ。大好きだったって……過去形かよ。別れようって何だよ」
空太はイライラしながら私に言葉をぶつけてきた。
「最近何かを悩んでると思ったら……勝手に終わらせようとすんな!お前、俺のこと見てたんだろ。なら分かるだろ」
そう言った空太の顔を見ると、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
どうしてそんな顔をするの?
「……んで、分んねーんだよ!」
苛立ちながら空太は私を引き寄せると、強く抱きしめてきた。
「ふざけんな!お前は俺の隣にいないとダメなんだ。これからも……その先もずつだ!」
そう言った空太の声は震えていた。
うそ……。
空太がこんなことを言うなんて……。
信じられない……。
だって……空太は私なんて見ていないと思っていた。
それでも記憶をたどっていけば、空太の笑顔が思い描かれる。普段滅多に笑わない空太は私の前だと笑ってくれる。
その答えは……。
「空太……それって……」
しびれを切らしたみたいに空太が声を荒げた。
「あ゛ー!もう!俺は茜が好きだ!」
そう言って空太は勢いよく立ち上がると、私の前に手を差し出した。
「茜が好きだ!俺と付き合って下さい!」
空太からの突然の告白に、茜は両手で口元を覆い、息を呑む。
うそ……。
ホントに……?
うそじゃないよね……?
「空太……私……っ……空太の……んっ……隣にいても……っ……いいの?」
「ばかっ……たりめーだろ!」
茜色の涙が頬をつたい、ポロポロとこぼれ落ちていく。しかし今の涙は悲しみの涙では無い。
感動と喜びの涙を流しながら、私は笑った。
「空太……っ……好き、大好き!」
「知ってる」
先ほどまで茜色に染まっていた空は、徐々に青から紺色へと変化を始めていた。そんな中で、私達のシルエットは寄り添うように重なり合う。
茜色はもう悲しみの色では無い。
ハッピーエンドの恋の色に変わった。
*
「空太、おはよう。えへへ……」
「はよ」
家まで迎えに来てくれた空太に挨拶をしながら、顔がにやけてしまう
何だかくすぐったい。
「何だそのだらしない顔は」
「だって……」
両思いになって初めての登校だ。
長い長い片思いからの両思いなのだ。
こうなってしまうのは仕方が無い。
「えへへへ……」
「たく、しょうがねえな」
素っ気ない態度をとりながら前を歩く空太の後を追っていると、空太の手がこちらに差し出される。顔は前を向いているが手はこちらを向いている。
これって……。
「ほら……手……」
素っ気なく言ってきた、空太の耳は真っ赤だった。私は嬉しくてピョンと跳びはねるように空太の隣に行くと、元気いっぱいに答えた。
「繋ぐ!」
私と空太の距離は0センチ、もうもどかしい距離では無い。
どうかこの距離がずっと続きますように……。
*
私達は二年生になっていた。
瑠璃とはまた同じクラスになれたが、空太とはま違うクラスになってしまった。こればかりは仕方の無いことなので、来年に期待するしか無い。
そして今年もやって来ました体育祭!
今年は思いっきり空太の応援がしたいが、なにせクラスが違うため、大声で応援することが出来ない。
「どうして応援したらダメなの!」
私が悲痛な叫びを上げると、クラスの女子達がまあまあと背中を叩いてきた。
「しょうが無いでしょう。クラスの士気が下がるし、男子達が悲しがるよ」
「瑠璃ー。私がちょっと空太の応援した位じゃ士気は下がらないよね?」
「そんな事無いよ。茜の笑顔は皆を笑顔にするからね。それに茜を狙ってた男子は多かったんだよ。空太くんと付き合いだしたって知った男子達の落胆は凄かったんだから」
「あはは……まっさかー!」
「茜は空太くんしか見ていないから分らないんだよ。去年の体育祭のダンスの後から、茜への男子のアプローチはエグかったと思うんだけど?」
そうだっただろうか?
全く記憶に無いんだけど?
そう思いながらキョトンとしていると、クラスの女子達が溜め息を付いてきた。
「茜は空太くん一筋だねー」
「ぶれないねー」
そんな声が女子達から聞こえてきた。
その通りだ。
私には空太だけ。
空太がいればそれでいい。
私は今年のクラスカラーである青いポンポンを手に、元気にダンスを踊る。そして「頑張れ二組!」そう叫ぶところで思わず叫んでしまう。
「頑張れ空太!」
あれ?
やっちゃった?
でも言ってしまったのは仕方が無い、ぴょんっと大きく跳ねて笑顔でごまかす。
そんな私をクラスの女子達が「茜!」と叫びながら小突いてきた。
「ごめんーー!!」
私はそう言いながら笑顔で笑った。
そんな私の応援を聞いた空太は右手で顔を覆い、空を仰いでいた。
「空太ずりーぞ!」
「お前ばっかり!」
「俺もあんな彼女欲しい」
そんな事を言われながら背中を叩かれていた。
私は女子達から逃げながら、空太の方へと向かって走って行く。
「そーらーたー!」
大きな声で叫んでから、両手を広げで空太の胸の中に飛び込んだ。
すると「きゃー!」と女子生徒達から悲鳴が上がる。
空太は私のだからね。
牽制、牽制。
次は空太の200メール走だから、空太を好きになっちゃう子もいるかもだからね。
これだけしておけば、手を出そうなんて考える女子はいないだろう。
ふっふっふっ……。
そんな中で始まった200メール走。
空太の真剣な顔。
この横顔が格好いいの!
私は祈るように手を組み、空太を見守る。
ピストルの合図で走り出した空太はぐんぐんと加速する。
風を切るように走る空太。
そして見事に一番でテープを切った。
そんな空太を見た女子達から悲鳴が上がる。
「きゃー!」
私も一緒になって悲鳴を上げる。
空太格好良すぎ!
でも誰も見ないで!
こんな格好いい空太を見たら、皆好きになっちゃうよ。
不安が押し寄せた時だった。
空太がこちらに振り返り、グッと親指を立ててきた。
しかも、ニッと口角を上げている。
貴重な空太の笑顔だ。
私にしか見せないその顔に、私の頬は緩む。
私も空太に向かってブイサインをすると、皆に冷やかされた。
「リア充~!茜ずるい」
「茜ばっかりー」
「バカップル」
えへへ……。
何て幸せなんだろう。
青春の一ページ。
それは人生のうちでほんの一瞬。
そんな世界で私は生きている。
そんな一瞬の一時だから、大切に生きていきたい。
あなたの隣に肩を寄せ合い、ずっと隣で……。
* fin *