*
夏休みが始まり家でだらだらと時間を過ごす日々が始まった。帰宅部の私にやることは無い。ゴロゴロとベッドに寝転びながら考えるのは空太のこと。
「もうすぐ夏祭り……」
そう独りごちて、ふふふっと声を出して笑ってしまう。
気持ちがフワフワして、くすぐったくて、恥ずかしくて、何とも言えない気持ち。
「空太……」
空太の名前を呼んでは、ベッドで「キャーッ」と悲鳴を上げながら転がるの繰り返し。こんな日が来るなんて、茜色の空を見つめながら泣いていたときは、思ってもいなかった。あの日の私に伝えて上げたい。もう少し我慢すれば幸せになれるよって。
ふふふっ……私はだらしなく顔を崩しながら、もうすぐやって来る夏祭りを楽しみにしていた。
*
夏祭り当日。
私はお母さんに浴衣を着付けてもらい、待ち合わせの場所へと急いだ。紺色の浴衣には百合の花が咲き誇り、少し大人っぽいデザインだが、高校生になったのだからと、母がこれを進めてくれた。髪飾りも少し大人っぽいモノを選び、高い位置でまとめた髪に後れ毛を出した。
可愛いって言ってくれるかな?
私は着慣れない浴衣に苦戦しながら、空太の待つ場所へと急いだ。
「空太お待たせ」
空太の前まで行くと、空太は驚いた様な顔をして私を見た。
「どう……かな?」
「まあ……いいんじゃね」
言わせた形になったが、褒めてくれた。
嬉しくて両手で頬を包みながら笑っていると、空太が頬を掻きながら手を差し出した。
「ん……」
「え?」
「手……」
手?
それって……。
そっと手を差し出すと、空太は私の手を握り歩き出した。
「迷子になると面倒だからな」
素っ気ない言葉だが、前を向いたままの空太の耳はほんのり赤くなっていた。そんな空太の反応が嬉しくて、私はニマニマする顔をどうすることも出来なかった。
それから私達は屋台を見て回り、焼きそばやたこ焼きを食べながら、メインである花火が始まるのを待った。花火が見えるメイン会場までもう少しの所で、右足に違和感を覚える。
それにいち早く気づいたのは空太だった。
「茜、足どうした?」
「あっ、履き慣れない草履で痛くなっちゃった」
「ハンカチ濡らしてくるから、少しここで待ってろ」
「うん……」
近くにあったベンチに座り、空太が戻って来るのを待っていると、大学生くらいの男性二人がやって来た。
「あれー?きみここで何してるの?可愛いね。友達待ち?」
男二人に囲まれ怖くて声を出せずにいると、無理矢理手を引かれた。
「止めて下さい。彼氏を待っているんです」
「えー?彼氏なんていないじゃん。一緒に遊ぼうよ」
男性に力強く引っ張られると、女子の力ではどうにも出来ない。
やだ……連れていかれちゃう。
怖い……。
恐怖で体を震わせると、それを見た男達が笑い出す。
「あれー?震えてる?かっわいー。きみホント可愛いね」
男がそう言って、私を抱き寄せようとしたところで、空太が戻ってきた。
「あんたら何?そいつ俺の連れだから」
「あ?何だ?ホントに男がいたのかよ」
チッと舌打ちをして、ばつが悪そうに男達は去って行った。
「怖かった……」
張り詰めていた息をそっと吐き出すと、空太が私の体を抱きしめてきた。
「少し目を離した隙に……心配させんな。焦るだろうが」
「焦ったの?」
「当たり前だろ。連れて行かれるかと思った」
「あはは、私も連れて行かれるかと思った。怖かった」
「怖い思いさせてごめん。もう俺から離れるなよ」
俺から離れるな……。
そんな空太の言葉が嬉しくて、私はニッコリと笑った。
「私は空太から離れない。約束したから……私はずっと空太の隣にいるよ。ずっと、ずぅっと、空太の隣が私の場所だよ」
それを聞いた空太の顔が赤くなるのを、私は真っ正面から見てしまった。
「お前そう言うことよく言えるよな」
赤い顔をした空太を前に、私の顔もつられて赤くなる。
「ほっ……本当の事だから」
空太がフーッと息を吐き出すと、いつものクールに戻った顔で、こちらを見つめてきた。その瞳には熱がこもっていて、いつもの雰囲気とは何かが違う。
これは……。
私の喉がコクリと鳴ると、空太の顔がゆっくりと近づいてくる。
あっ……唇が触れる。
どちらから共無く目を瞑り、重なり合う唇。
それと同時に花火の上がる音が聞こえてきた。
私のファーストキスは、夏祭り……花火の音が響き渡る中での事だった。
*
長かった夏休みも終わり二学期が始まった。
今日からまた空太と一緒に登校できる。それが嬉しくて早起きをしてしまった。少しでも可愛く見られたくて、髪を何度もブラシでとかし、鏡の前でチェックする。
早く空太に会いたい。
私は時間より早く玄関の外に出ると、空太が立っていた。
「空太?」
「ん、迎えに来た」
こんなこと初めてだ。
私は嬉しくて空太に飛びついた。
「ありがとう」
そう言って笑い掛けると、空太が私の頭を優しく撫でてくれた。
嬉しい嬉しい嬉しい……。
朝から幸せすぎて辛い。
真っ赤な顔で空太にしがみついていると、空太が呆れたように言ってくる。
「これじゃあ学校に行けないだろ」
「へへ……空太、大好き」
「ばあーか、知ってるっつーの」
*
その日の放課後。
「空太、二組の幼馴染みとはどうなんだよ?」
「俺もそれ聞きたかった」
「付き合ってんだろ?」
クラスの男子達に、空太がからかわれている声が聞こえてくる。私は廊下で空太がどんな風に答えるのか、ワクワクした気持ちで聞き耳を立てていた。
「あ?ただの幼馴染みだけど?」
何でも無いように言った空太の声が、私の脳裏を何度も反芻する。
ただの幼馴染み……。
体からサーッと血の気が引き、指先がカタカタと震え出す。息を上手く吸うことが出来ずに、ハッハッと呼吸を繰り返すと、よろけながら私はトイレへと駆け込んだ。
空太にとって私はただの幼馴染み……。
そう言われてみれば、好きだなんて言われたことが無い。
いつだって好きだと言っているのは私だけ。
それでも……それでも……少しずつだけど変化はあった。少しずつ歩み寄ってるっていう確信があったのに……。
空太に告白してからの日々を思い出す。
付き合いだして……視線が交わうようになって……肩がぶつかる距離にいれるようになって……夏祭りでのキス……。
浮かれていたのは私だけ……。
好きだったのも私だけ……。
全部、全部、私だけ……。
空太は私を好きじゃない。
私の片思い。
空太にとって自分は、ただの幼馴染み。
その事実を思い出し落胆した。
そうだよ。
そうだった。
空太が失恋を忘れるために、私を利用してもらったんだ。そうして欲しいと望んだのは私だ。
空太は私が好きで付き合っているわけじゃない。
忘れていたわけじゃ無い。
ずっとモヤモヤしていた。
不安もあった。
それでも……と。
分っていたけど、考えないようにしていた。
もしかしたら空太も私を……なんて期待していた。
バカだな……そんなことがあるわけ無いのに……。
空太は私を好きなんかじゃ無い。
それに気づいて目の前が真っ暗になった。
空太が好きなのは今だって……。
ひゅっと喉が詰まって、鼻の奥がツンと痛くなると、瞳に集まった涙がポタポタと落ちてくる。トイレは音が響くから、口を両手で覆って強く押し当てた。
「……つっ……くっ……っ……ふっ……」
強く押し当てた口元から、くぐもった声が漏れる。必死で声を抑えると呼吸が乱れて苦しくなった。それでも必死に口元を押さえて声を抑える。
苦しい……。
胸が苦しいのか、息が苦しいのか分からなくなってきた。
押さえた手を緩めて、一気に肺に酸素を送り込むと、ボロボロと涙がこぼれ落ちてくる。
溢れ出した涙は、止めることは出来ない。
「……うっ……っ……くっっ……ふっ……っ……」
私はこれからどうしたいい?
どうすればいい?
空太の隣にいていいの?
全てがネガティブな思考になってしまう。
ダメだ。
一旦外に出て、頭を冷やそう。
涙を拭い、顔を見られないように俯きながら校舎を出た。
*
防波堤に腰を下ろし、茜色に染まった空と海を眺めた。少し前まで毎日のようにここに来て、涙を流していたというのに、ここに来るが久しぶりに感じる。
こうして茜色に染まった空を涙を流しながら見ていると、自分の名前が嫌いになりそうだ。
茜色は涙の色。
失恋の色。
悲しみの色。
苦しみの色。
空太を想っていた色。
恋の色。
私の青春の色。
もう終わりにしなければいけないのかもしれない。
空太を縛り付けてはいけない。
私は空太の弱みにつけ込んだ。
振られて悲しみに暮れる空太の心に入り込んで、隣にいさせて欲しいとワガママを言った。『私にしなよ。私を利用していいから』あんな言葉……。
後ろめたさはあった。
それでも空太の隣にいたくて、空太が私の隣にいてくれるのならと、自分の気持ちを優先させた。
そのつけが来た。
潮風に揺れる髪をそのままにして涙を流す。
これから自分が取らなくてはならない行動を考えると、涙が後から後から流れ出す。
空太への想いを断ち切り、別れる……。
違う……大丈夫……元に戻るだけ。
幼馴染みという、本来の私達の位置に戻るだけ。
悲しむ必要なんてない。
大丈夫……大丈夫……。
私は何度も自分に言い聞かせる。
大丈夫……大丈夫……大丈夫だと……。
*
「昨日どうして先に帰ったんだ?」
空太にそう言われて私はハッとした。
「ごめんね。お母さんに頼まれてたことがあって」
「そっか……茜?」
名前を呼ばれて空太を見ると、目の下をそっと撫でられた。
「どうした?目が赤い……少し腫れてるし」
「あっ……昨日ドラマ見てたら感動して泣きすぎちゃったんだ」
「そうか、ならいいけど……」
そう言った空太の視線が、少し離れた場所に向いていた。
あれは……瑠璃と和哉先輩……。
また瑠璃か……。
前を見つめる空太の顔を見ることが出来ず、私は俯いた。
「茜どうした?」
「…………」
唇が震えて声が出せない。
「……茜?」
空太に無理矢理顔を上げさせられ、私は無理矢理笑顔を作る。そんな私の顔をは泣き笑いの表情になっていて、それを見た空太の顔が不安そうに歪む。
「茜……」
「ごめん……」
私は空太から逃げるようにその場から走り去った。
*
最近茜の様子が変だ。
元気だけが取り柄のあいつが、時々顔を曇らせる。
どうしてそんな顔をするんだ?
あいつがそんな顔をすると調子が狂う。
小さい頃から茜は俺の側にいた。兄弟みたいに育って、最早空気みたいな存在で、いないとしっくりこない。だから告白されたときは驚いた。茜が俺に好意を抱いていることは分かっていたが、そこまでとは思っていなかったからだ。
あの日公園で、瑠璃のキスをする姿にショックを受けた。俺は瑠璃に惹かれ始めていたから、目の前の状況に脳が追いつかなかった。しかし茜が側にいたから……側にいてくれたから、そんなに落ち込まずにすんだ。
そんな茜からの告白を俺は利用した。
茜がそうしていいって言ったから。
悲しみを少しでも和らげるために、茜と付き合うことにした。それだというのに茜は従順に、俺を好きだと言ってくれる。屈託の無い笑顔で、キラキラした瞳で俺を見る。
こいつ……こんな顔をして笑うんだな。
忘れていた。
茜の顔を久しぶりに見た気がした。
夏祭り、足を痛がる茜のためにハンカチを濡らしてベンチに戻ると、茜が男達にナンパされていた。
ウソだろう。
ちょっと目を離した隙に……。
もやりとした感情と共に、怒りが湧く。
「あんたら何?そいつ俺の連れだから」
俺の口から自分の声とは思えないほどの低い声が出た。
驚きだった。
男達は俺に気圧されたのか、すぐにその場から立ち去ってくれた。フーッと息を吐き出すと、茜も安堵したように俺を見た。
「怖かった……」
その言葉を聞いて俺は思わず茜を抱きしめた。
こいつこんな可愛い格好して、無防備すぎるだろ。
あんなナンパ野郎なんかに連れ去られてたまるか。
「少し目を離した隙に……心配させんな。焦るだろうが」
「焦ったの?」
「当たり前だろ。連れて行かれるかと思った」
「あはは、私も連れて行かれるかと思った。怖かった」
「怖い思いさせてごめん。もう俺から離れるなよ」
俺の気持ちを伝えると、茜が嬉しそうに笑った。
「私は空太から離れない。約束したから……私はずっと空太の隣にいるよ。ずっと、ずぅっと、空太の隣は私の場所だよ」
そう言いながら茜がニッコリと笑ってきた。
その笑顔と言葉を聞いてブワッと俺の中に、何かが流れ込んでくる。心臓がドキドキと大きく音を立てて、全身を駆け巡る。
体が熱い。
茜に対してこんな感情……初めてだ。
俺はこの感情をごまかすために、素っ気ない態度をとってしまう。
「お前そう言うことよく言えるよな」
「本当の事だから」
素直に表現する茜が羨ましい。
俺はホント素直じゃ無いから。
こんな俺でも態度で示せるだろうか?
俺は茜を見つめてからゆっくりと茜の唇を奪った。唇が重なると、ふにっと柔らかくて、いい匂いがして、愛おしさが込み上げる。
もう隠せない……。
認めるしか無い。
俺は茜が……。
*
空太と別れる話をしなくては……そう思いながら数週間が過ぎた。
「茜?お前ホントにどうした?」
「えっと……何が?」
「いつもの元気は何処行った?」
「私は元気だよ」
私は空太に空元気を見せて笑うが、見透かされたように空太が眉を寄せた。
「俺に相談できないこと?」
「えっと……」
「何?」
「ごめん……」
*
「ごめん……」
茜は最近俺に謝ってばかりだ。
口を開けば最後にごめんと謝ってくる。
何だこの違和感は……。
嫌な予感しか無い。
茜……お前は何を考えているんだ?
部活の帰り道。
茜の名と同じ茜色の空を見つめながら帰っていると、防波堤の上に茜の姿を見つけた。
「あか……」
俺は茜に声を掛けようとして、それを止める。
茜色に染まった茜の横顔は悲愴に染まり、涙を流していたからだ。
何でそんな顔を?
茜の泣いている姿を見てから、俺達の間にぎこちない空気が流れていた。俺達の間でこんなことは初めてだった。茜もそれに気づいているのか、居心地が悪そうにソワソワとしている。そして何かを言いかけては口を閉じるを繰り返す。
何だ?
俺に何か言いたい事でもあるのか?
いい加減ハッキリしてもらいたい。
「お前何がしたいの?そういう態度ムカつくんだけど?」
苛立ちから強い口調でそう言うと、茜の体がビクッと跳ねた。
茜を見ると、あの日見たような悲愴に染まった顔でこちらを見ている。クリッとした大きな瞳に涙が溜まり、今にもこぼれ落ちそうな顔でこちらを見ている。
違う……。
こんなことを言いたかったんじゃない。