十八歳。高校三年生が、否応なしに直面する問題がある。
そう、受験だ。高校受験だけであんなにキツかったのに、何故嫌で嫌でたまらない勉強をしてまで大学受験をしなければいけないのだろう。あたしはどうしても納得がいかなかった。良い大学を出なければ良い企業に就けないとは言うが、そんなもん一昔前の話ではなかろうか。
自分は別に、政治家だの官僚だの、はたまた企業の社長だのを目指しているつもりはない。なんなら一流企業の就職とやらもどうでもいいことだ。それなりに食べられるお金が稼げれば普通の会社でいいし、というか本音を言うと退屈な事務職だの軽作業だの接客業だのをして生活するという人生自体がダルい。
もっと楽しくて、ラクに稼げる仕事はないものか。
でもってそういう仕事に、大学受験なんぞ面倒なことしなくても就くことはできないもんか。
――わかってんだけどさあ、現実逃避だってのは。
ああ、想像するだけでげんなりする。
元より、お世辞にも頭がいいとは言えないあたしだ。中堅高で、成績は下の下。なんなら留年しそうになったこともちらほらと。教師たちだってあたしが良い大学に入ることなんか期待していないのに、何で親はそれでもいい大学を目指せ勉強しろとしつこく言ってくるのだろうか。
しかも、今はまだ春。つまり、あと一年近くこの状況が続くのだ。考えるだけで疲れてしまうというものである。
――あー嫌だ嫌だ。勉強なんかさあ、得意な人や好きな人だけやってりゃいいじゃん。どーせ、ここで学んだことなんかすぐ忘れちゃうってのに。
元々帰宅部なので、部活なんでものはない。
親には週二回、塾をねじこまれてしまった。そして塾がない日も、一日中家に押し込められて監視されながら勉強しなければいけないのである。一体どこの誰だ、リビングで親が見張りながら勉強させるのがいいなんて言い出した馬鹿は。おかげでうちの親も看過されて、可能な限り家ではあたしを見張っていようとするではなか。
そんな状況で、早々に家に帰りたくなるはずがない。
ゆえにあたしは塾がない日は、理由をつけて遅く帰ることにしているのだった。理由。――親が反対できない理由など限られている。つまり。
『図書館で勉強してから帰るからー』
これである。
図書館は勉強をするところ、本を読むところ。
そういう認識が強い、ちょっと古い頭の母親はその理由で渋々納得してくれる。
まあ正直、多少疑いは持っているのだろうけど。
***
A図書館は広い。そして、何十年も前からある、地域の人が慣れ親しんだ図書館だ。
勉強は嫌いだけれど、実は本を読むこと自体は嫌いじゃない。ありがたいことにA図書館はライトノベル系の本や児童書系の本も充実していたので、子供の頃からちょくちょく足を運んでいたのである。
それに、平日の空いている時ならば、読書スペースに座ってスマホをいじっていてもそうそう叱られるようなことはない。読書をするにせよスマホでゲームをするにせよ、A図書館は時間を潰すにはもってこいの場所なのだった。
まあ、晩御飯の時間があるし、図書館は六時には閉まってしまうのでそこまで長居はできないのだが。
――今日は、本でも読もうかな……せっかくだし。
適当に書架の間を歩いていた時、ふと目についた本があった。
「あ、なつかしー……これ、あったんだ」
それは子供の頃好きだった『ハロー・マリオ!』シリーズだった。
異世界からやってきた魔法使いのマリオという少年が現代日本の学校でトラブルを起こしたり、事件を解決したりするという現代ファンタジー&学園コメディである。
全二十五巻。大人気だったので出版社はもっともっと新刊を発売してほしかったらしいが、作者が“変な引き延ばしをせず綺麗に完結したい”と強く希望して、この巻数で終了になったと聞いている。まあ、二十五巻の時点で、充分すぎるほど長さがあると言っていいが。
――サクサク読める文体だし、児童書だから文字数も少ないし、すっごく読みやすくて面白いんだよねえー。
一度全部読破したものの、あの時も図書館で借りて読んだので自分の家にはないのである。
これはもう一度読み直すべきだろう、とあたしは本を手に取った。そこですぐに、ハロー・マリオの第三巻が抜けていることに気付く。
借りられてしまっているのだろうか。あるいは、誰かが傍で読んでいるなんてこともあるかもしれない。
マリオシリーズは表紙がド派手なオレンジをしているので目立つのだ。一巻と二巻を手に取ったところで、それとなく周囲を気にしながら読書スペースへ向かう。
その人物は、思ったよりも早く見つかった。
図々しい性格である自覚はある。あたしはずんずんと歩いていき、彼が座っているテーブルの正面に座る。
「あの、すみません!」
「え?僕ですか?」
あたしが声をかけると、今まさにハロー・マリオ!の第三巻を読んでいた少年が顔を上げた。
思わず、あたしは息を呑む。
――うっわ、すっげーイケメン!
目が大きくてキラキラしていて、少し外国人の血でも混じっているのか髪の毛の色も瞳の色も明るい色をしている。肌が白くて、彫の深い顔立ちで、声も穏やかで素敵なテナーバスときている。
まさに好み。
あたしと同い年か、一つ二つ年下程度だろうか。一体どこの高校の生徒だろう。童顔なだけで、実は年上パターンもあるだろうか。
「あ、いや、その、えっと」
数秒固まってしまったあと、あたしはひっくり返った声で尋ねた。
「そ、その、あた、あたしも『ハロー・マリオ!』シリーズが好きで!」
コミュニケーション能力はそれなり、の自信があった。初見の人にもずかずか声をかけるのも得意だと思っていた、それなのに。
「ひ、久しぶりに読んでみようと思ったら三巻なかったから……あ、あなたが三巻読み終わったら、貸してくれたら嬉しいな、なーんて……!」
声が震える。これはまずい、とわかっていた。わかっていても止められない。
これは、中学生の時にやらかしたのと、同じ。いわゆる、一目惚れというやつだ。
「あなたも、この話好きなんですか?」
しかもイケメンときたら、あたしの言葉に心底嬉しそうな顔でで言うのだ。
「面白いですよね。僕、初めて読んだんですけど、今日一巻から読み始めてここまで一気読みなんです」
「そ、そうなんだ?……推しいる?」
「主人公のマリオがやっぱりかっこいいです」
「わかるう……!」
こんなキラキラのイケメンなのに、児童書が好きなんて可愛い。そんなギャップも萌える。ついでに、推しも一致している。こちとら同担拒否ではないので、同じ推しの人は増えれば増えるほど嬉しい派だ。アイドルでも架空のキャラクターでも同じである。
そのままあたし達は、ついついマリオシリーズの話で盛り上がってしまった。――あまりにも盛り上がりすぎて図書館であることを忘れてしまい、しまいには司書の人に注意されてしまうほどに。
***
その日からなんとなく、あたしはあの図書館に行くたび彼の姿を探してしまうようになった。
向こうも、あたしに探されていることに気づいているのだろう。あたしの姿を見つけると、あちらから声をかけてくれることもあった。
A図書館には、雑談できるスペースも用意されている。本を読んだ友達と好きなだけお喋りできるスペースがほしい、という要望があったから設置されたらしい。
その部屋は雑談する人が多いので少し騒がしいが、反面図書館にも拘らずちょっと大きな声で話していても叱られることはない。しかも、多少の飲食は自由。
あたし達は図書館で本を借りると、雑談スペースで待ち合わせてマリオシリーズの話や世間話をするようになったのだった。
「図書館っていいよね。本読めるし、結構自由に過ごしてても叱られないじゃん?」
真面目そうな彼のこと、こんな話をしたら非難されるだろうか。そう思いつつ、ついつい口にしてしまう。
「あたし、受験生でさあ。家にいると勉強しろ勉強しろって親がうっせーの。だからつい、監視の目から逃れるために図書館に来たってのが、ハジマリ」
「ああ、なんとなくわかります、そういうの」
あはは、と彼は苦笑いをして言った。
彼の名前が“錦戸海翔”であることは、もう既に聞いていた。もちろん、あたしの名前、“羽山里琴”もばっちり彼に伝えている。残念ながらまだ、連絡先を交換しようと言い出す勇気は出ていなかったが。
「実は、僕も来年受験生なので。……ほんと、嫌だなーって。なんで受験なんてあるのかなあ……。今からもう勉強しろってしつこく言われるんですよね」
「それそれ。勉強なんか、好きな奴だけやればいいって話よ。……あたしも受験生だから、映画見に行くのも我慢しろって言われちゃっててマジ憂鬱」
「あー、僕も僕も。映画見たいのに駄目って」
「ちなみに何見たいの?」
「ドラえもん。……後で配信で見るしかないかなーって」
「あははははははは、確かにドラえもんはいくつになっても面白いもんねえ」
どうやら、顔に似合わず可愛いものが好きらしい。実際、ドラえもんやクレヨンしんちゃん、ポケモンが好きな大人は少なくないものである。
「……まあ、でも受験もサボりも悪くなかったかもーって今、あたしは思ってるよ。一個だけね」
ドラえもんの映画は毎年やっている。
再来年あたり、一緒に見に行こうと誘うというテもあるだろうか。いや、再来年とは言わず、一日だけ今年中に息抜きをしたいとごり押しするのもありか。
「図書館に来て、マリオシリーズ見つけて……一冊ないことに気付いて。で、三巻持ってる人探したら、海翔くんがいた。……海翔くんに出会わせてくれたんだから、まさに運命の一冊ってやつだったわけだねえ。でもって、図書館は運命の場所だったわけだ」
「ちょ」
結構露骨なアピールだったので、海翔もさすがに気づいたらしい。顔を真っ赤にして、固まってしまった。
これは結構脈もあるかもしれない。あたしは決意する。
――……絶対、モノにしてやる。
前の彼氏と別れてから三年。
この可愛くて、優しくて、誠実そうな少年と絶対絶対――お付き合いするのだ、と。
***
しかし。
そんな決意は、思いがけないところで砕かれることになる。
ある日のことだ。図書館の入口で、あたしは彼を見つけることになるのだった。今日はいつもより学校が終わるのが遅かったのかもしれない。おーい、と声をかけようとして、あたしは気づいた。
「え?」
彼は複数の少年と一緒にいた。
長身な彼より、ずーっと小さな男の子達と一緒である。ランドセルを背負っているので、小学生たちなのは間違いない。弟か何かだろうか、と最初思ってすぐに違うと気づいた。
何故ならば。
「え……は、はひ!?」
楽しそうにお喋りをする少年達は、全員ランドセルを背負っていた。
そう。
海翔も、長身の背中にちんまりと藍色のランドセルをしょっていたのだ。
「え、えええええええええええええええええええええええええええええええ!?」
「あ、あれ?里琴さん?こんにちはー」
あたしに気付いてか、彼はててててて、とこちらに駆け寄ってきた。一緒に、彼の友人らしき少年たちもくっついてくる。
少年たちは海翔の服の裾をひっぱりながら言った。
「なあ、海翔、この人ってあれ?図書館でいつも話すおねーさん?」
「うん。里琴さん。里琴さんもマリオシリーズとドラえもん好きなんだって!」
「マリオシリーズ、高校生の人も読むんだー」
そうだ、あたしは彼の年齢も、学校も訊くのをすっかり忘れていた。
なんとなく見た目の思い込みで、同じ高校生だと勘違いしていたのである。
だがよく見ればフラグはあったのだ。児童書が好き。ドラえもんが好き。受験も――大学受験だなんて、一言も言っていない。
「え、えっと、来年受験っていうのは……」
「中学受験です。親がやれってうるさくて」
あはは、と彼は頭を掻いて言った。
「あ、やっぱり誤解されてました?僕、今小学校五年生なんです」
当たり前のことだが。
小学生に、十八歳が下手に手を出したら犯罪である。いや、こっそりお付き合いしているだけならバレないかもしれないが、当然デート以上のことをしたら倫理的に問題ありまくりだろう。
案の定、海翔はハーフだった。父親がすごく大きいので、彼もぐんぐん背が伸びて、声変わりもものすごく早く来たというのである。
――どうしよう、諦められん。
まさか、自分の恋にこんな障害が立ちはだかろうとは。
相手は小学五年生、セックスのセの字も知らないであろういたいけな子供である。少なくとも真っ当な恋愛を理解できるまで、あと数年はかかるだろう。
そして彼が十八歳になった時、自分は二十代も半ばの立派な大人になっているわけで。否、なっていなければいけないわけで。
「……海翔くん」
数日後。いろいろ決意を固めたあたしは、彼に言うのだった。
「これからも、図書館で会ってくれる?」
「もちろんです!いっぱいお話したいです!」
「うんうん、そっか」
あと何年かしたら、ちゃんと気持ちを伝えよう。でもって、その時胸を張って彼を迎えられる人間になっておかなければ。
――勉強、しなきゃな。でもって、ちゃんと仕事、できる人間にならなきゃ。
勉強は大嫌いだけれど、でも。
それが、恋のためであるのなら。
そう、受験だ。高校受験だけであんなにキツかったのに、何故嫌で嫌でたまらない勉強をしてまで大学受験をしなければいけないのだろう。あたしはどうしても納得がいかなかった。良い大学を出なければ良い企業に就けないとは言うが、そんなもん一昔前の話ではなかろうか。
自分は別に、政治家だの官僚だの、はたまた企業の社長だのを目指しているつもりはない。なんなら一流企業の就職とやらもどうでもいいことだ。それなりに食べられるお金が稼げれば普通の会社でいいし、というか本音を言うと退屈な事務職だの軽作業だの接客業だのをして生活するという人生自体がダルい。
もっと楽しくて、ラクに稼げる仕事はないものか。
でもってそういう仕事に、大学受験なんぞ面倒なことしなくても就くことはできないもんか。
――わかってんだけどさあ、現実逃避だってのは。
ああ、想像するだけでげんなりする。
元より、お世辞にも頭がいいとは言えないあたしだ。中堅高で、成績は下の下。なんなら留年しそうになったこともちらほらと。教師たちだってあたしが良い大学に入ることなんか期待していないのに、何で親はそれでもいい大学を目指せ勉強しろとしつこく言ってくるのだろうか。
しかも、今はまだ春。つまり、あと一年近くこの状況が続くのだ。考えるだけで疲れてしまうというものである。
――あー嫌だ嫌だ。勉強なんかさあ、得意な人や好きな人だけやってりゃいいじゃん。どーせ、ここで学んだことなんかすぐ忘れちゃうってのに。
元々帰宅部なので、部活なんでものはない。
親には週二回、塾をねじこまれてしまった。そして塾がない日も、一日中家に押し込められて監視されながら勉強しなければいけないのである。一体どこの誰だ、リビングで親が見張りながら勉強させるのがいいなんて言い出した馬鹿は。おかげでうちの親も看過されて、可能な限り家ではあたしを見張っていようとするではなか。
そんな状況で、早々に家に帰りたくなるはずがない。
ゆえにあたしは塾がない日は、理由をつけて遅く帰ることにしているのだった。理由。――親が反対できない理由など限られている。つまり。
『図書館で勉強してから帰るからー』
これである。
図書館は勉強をするところ、本を読むところ。
そういう認識が強い、ちょっと古い頭の母親はその理由で渋々納得してくれる。
まあ正直、多少疑いは持っているのだろうけど。
***
A図書館は広い。そして、何十年も前からある、地域の人が慣れ親しんだ図書館だ。
勉強は嫌いだけれど、実は本を読むこと自体は嫌いじゃない。ありがたいことにA図書館はライトノベル系の本や児童書系の本も充実していたので、子供の頃からちょくちょく足を運んでいたのである。
それに、平日の空いている時ならば、読書スペースに座ってスマホをいじっていてもそうそう叱られるようなことはない。読書をするにせよスマホでゲームをするにせよ、A図書館は時間を潰すにはもってこいの場所なのだった。
まあ、晩御飯の時間があるし、図書館は六時には閉まってしまうのでそこまで長居はできないのだが。
――今日は、本でも読もうかな……せっかくだし。
適当に書架の間を歩いていた時、ふと目についた本があった。
「あ、なつかしー……これ、あったんだ」
それは子供の頃好きだった『ハロー・マリオ!』シリーズだった。
異世界からやってきた魔法使いのマリオという少年が現代日本の学校でトラブルを起こしたり、事件を解決したりするという現代ファンタジー&学園コメディである。
全二十五巻。大人気だったので出版社はもっともっと新刊を発売してほしかったらしいが、作者が“変な引き延ばしをせず綺麗に完結したい”と強く希望して、この巻数で終了になったと聞いている。まあ、二十五巻の時点で、充分すぎるほど長さがあると言っていいが。
――サクサク読める文体だし、児童書だから文字数も少ないし、すっごく読みやすくて面白いんだよねえー。
一度全部読破したものの、あの時も図書館で借りて読んだので自分の家にはないのである。
これはもう一度読み直すべきだろう、とあたしは本を手に取った。そこですぐに、ハロー・マリオの第三巻が抜けていることに気付く。
借りられてしまっているのだろうか。あるいは、誰かが傍で読んでいるなんてこともあるかもしれない。
マリオシリーズは表紙がド派手なオレンジをしているので目立つのだ。一巻と二巻を手に取ったところで、それとなく周囲を気にしながら読書スペースへ向かう。
その人物は、思ったよりも早く見つかった。
図々しい性格である自覚はある。あたしはずんずんと歩いていき、彼が座っているテーブルの正面に座る。
「あの、すみません!」
「え?僕ですか?」
あたしが声をかけると、今まさにハロー・マリオ!の第三巻を読んでいた少年が顔を上げた。
思わず、あたしは息を呑む。
――うっわ、すっげーイケメン!
目が大きくてキラキラしていて、少し外国人の血でも混じっているのか髪の毛の色も瞳の色も明るい色をしている。肌が白くて、彫の深い顔立ちで、声も穏やかで素敵なテナーバスときている。
まさに好み。
あたしと同い年か、一つ二つ年下程度だろうか。一体どこの高校の生徒だろう。童顔なだけで、実は年上パターンもあるだろうか。
「あ、いや、その、えっと」
数秒固まってしまったあと、あたしはひっくり返った声で尋ねた。
「そ、その、あた、あたしも『ハロー・マリオ!』シリーズが好きで!」
コミュニケーション能力はそれなり、の自信があった。初見の人にもずかずか声をかけるのも得意だと思っていた、それなのに。
「ひ、久しぶりに読んでみようと思ったら三巻なかったから……あ、あなたが三巻読み終わったら、貸してくれたら嬉しいな、なーんて……!」
声が震える。これはまずい、とわかっていた。わかっていても止められない。
これは、中学生の時にやらかしたのと、同じ。いわゆる、一目惚れというやつだ。
「あなたも、この話好きなんですか?」
しかもイケメンときたら、あたしの言葉に心底嬉しそうな顔でで言うのだ。
「面白いですよね。僕、初めて読んだんですけど、今日一巻から読み始めてここまで一気読みなんです」
「そ、そうなんだ?……推しいる?」
「主人公のマリオがやっぱりかっこいいです」
「わかるう……!」
こんなキラキラのイケメンなのに、児童書が好きなんて可愛い。そんなギャップも萌える。ついでに、推しも一致している。こちとら同担拒否ではないので、同じ推しの人は増えれば増えるほど嬉しい派だ。アイドルでも架空のキャラクターでも同じである。
そのままあたし達は、ついついマリオシリーズの話で盛り上がってしまった。――あまりにも盛り上がりすぎて図書館であることを忘れてしまい、しまいには司書の人に注意されてしまうほどに。
***
その日からなんとなく、あたしはあの図書館に行くたび彼の姿を探してしまうようになった。
向こうも、あたしに探されていることに気づいているのだろう。あたしの姿を見つけると、あちらから声をかけてくれることもあった。
A図書館には、雑談できるスペースも用意されている。本を読んだ友達と好きなだけお喋りできるスペースがほしい、という要望があったから設置されたらしい。
その部屋は雑談する人が多いので少し騒がしいが、反面図書館にも拘らずちょっと大きな声で話していても叱られることはない。しかも、多少の飲食は自由。
あたし達は図書館で本を借りると、雑談スペースで待ち合わせてマリオシリーズの話や世間話をするようになったのだった。
「図書館っていいよね。本読めるし、結構自由に過ごしてても叱られないじゃん?」
真面目そうな彼のこと、こんな話をしたら非難されるだろうか。そう思いつつ、ついつい口にしてしまう。
「あたし、受験生でさあ。家にいると勉強しろ勉強しろって親がうっせーの。だからつい、監視の目から逃れるために図書館に来たってのが、ハジマリ」
「ああ、なんとなくわかります、そういうの」
あはは、と彼は苦笑いをして言った。
彼の名前が“錦戸海翔”であることは、もう既に聞いていた。もちろん、あたしの名前、“羽山里琴”もばっちり彼に伝えている。残念ながらまだ、連絡先を交換しようと言い出す勇気は出ていなかったが。
「実は、僕も来年受験生なので。……ほんと、嫌だなーって。なんで受験なんてあるのかなあ……。今からもう勉強しろってしつこく言われるんですよね」
「それそれ。勉強なんか、好きな奴だけやればいいって話よ。……あたしも受験生だから、映画見に行くのも我慢しろって言われちゃっててマジ憂鬱」
「あー、僕も僕も。映画見たいのに駄目って」
「ちなみに何見たいの?」
「ドラえもん。……後で配信で見るしかないかなーって」
「あははははははは、確かにドラえもんはいくつになっても面白いもんねえ」
どうやら、顔に似合わず可愛いものが好きらしい。実際、ドラえもんやクレヨンしんちゃん、ポケモンが好きな大人は少なくないものである。
「……まあ、でも受験もサボりも悪くなかったかもーって今、あたしは思ってるよ。一個だけね」
ドラえもんの映画は毎年やっている。
再来年あたり、一緒に見に行こうと誘うというテもあるだろうか。いや、再来年とは言わず、一日だけ今年中に息抜きをしたいとごり押しするのもありか。
「図書館に来て、マリオシリーズ見つけて……一冊ないことに気付いて。で、三巻持ってる人探したら、海翔くんがいた。……海翔くんに出会わせてくれたんだから、まさに運命の一冊ってやつだったわけだねえ。でもって、図書館は運命の場所だったわけだ」
「ちょ」
結構露骨なアピールだったので、海翔もさすがに気づいたらしい。顔を真っ赤にして、固まってしまった。
これは結構脈もあるかもしれない。あたしは決意する。
――……絶対、モノにしてやる。
前の彼氏と別れてから三年。
この可愛くて、優しくて、誠実そうな少年と絶対絶対――お付き合いするのだ、と。
***
しかし。
そんな決意は、思いがけないところで砕かれることになる。
ある日のことだ。図書館の入口で、あたしは彼を見つけることになるのだった。今日はいつもより学校が終わるのが遅かったのかもしれない。おーい、と声をかけようとして、あたしは気づいた。
「え?」
彼は複数の少年と一緒にいた。
長身な彼より、ずーっと小さな男の子達と一緒である。ランドセルを背負っているので、小学生たちなのは間違いない。弟か何かだろうか、と最初思ってすぐに違うと気づいた。
何故ならば。
「え……は、はひ!?」
楽しそうにお喋りをする少年達は、全員ランドセルを背負っていた。
そう。
海翔も、長身の背中にちんまりと藍色のランドセルをしょっていたのだ。
「え、えええええええええええええええええええええええええええええええ!?」
「あ、あれ?里琴さん?こんにちはー」
あたしに気付いてか、彼はててててて、とこちらに駆け寄ってきた。一緒に、彼の友人らしき少年たちもくっついてくる。
少年たちは海翔の服の裾をひっぱりながら言った。
「なあ、海翔、この人ってあれ?図書館でいつも話すおねーさん?」
「うん。里琴さん。里琴さんもマリオシリーズとドラえもん好きなんだって!」
「マリオシリーズ、高校生の人も読むんだー」
そうだ、あたしは彼の年齢も、学校も訊くのをすっかり忘れていた。
なんとなく見た目の思い込みで、同じ高校生だと勘違いしていたのである。
だがよく見ればフラグはあったのだ。児童書が好き。ドラえもんが好き。受験も――大学受験だなんて、一言も言っていない。
「え、えっと、来年受験っていうのは……」
「中学受験です。親がやれってうるさくて」
あはは、と彼は頭を掻いて言った。
「あ、やっぱり誤解されてました?僕、今小学校五年生なんです」
当たり前のことだが。
小学生に、十八歳が下手に手を出したら犯罪である。いや、こっそりお付き合いしているだけならバレないかもしれないが、当然デート以上のことをしたら倫理的に問題ありまくりだろう。
案の定、海翔はハーフだった。父親がすごく大きいので、彼もぐんぐん背が伸びて、声変わりもものすごく早く来たというのである。
――どうしよう、諦められん。
まさか、自分の恋にこんな障害が立ちはだかろうとは。
相手は小学五年生、セックスのセの字も知らないであろういたいけな子供である。少なくとも真っ当な恋愛を理解できるまで、あと数年はかかるだろう。
そして彼が十八歳になった時、自分は二十代も半ばの立派な大人になっているわけで。否、なっていなければいけないわけで。
「……海翔くん」
数日後。いろいろ決意を固めたあたしは、彼に言うのだった。
「これからも、図書館で会ってくれる?」
「もちろんです!いっぱいお話したいです!」
「うんうん、そっか」
あと何年かしたら、ちゃんと気持ちを伝えよう。でもって、その時胸を張って彼を迎えられる人間になっておかなければ。
――勉強、しなきゃな。でもって、ちゃんと仕事、できる人間にならなきゃ。
勉強は大嫌いだけれど、でも。
それが、恋のためであるのなら。