今年のお正月に、私は実家へ帰省し祖母に会った。
 どんな時も明るくてお茶目だったが、昨年90歳を迎えたあたりから急に静かになった祖母。私から話しかければ笑顔で返してくれるが、彼女の方から話をしてくれることは減ってしまっていた。
 元旦、私は祖母の家でのんびりしていた。私がぼーっとしながら出してくれたお茶を飲んでいると、
「ほこりちゃんの花嫁姿、私見られるかしら」
「見たいのになあ」
 祖母はぽつり、そう呟いた。
 この一言が、私の背中を思い切り叩く。だらだらしている暇などない。彼氏を作ろう。
 2025年の開幕と共に、私はマッチングアプリデビューを果たしたのだ。

 想像よりもマッチするのは容易かった。プロフィールを設定してものの数分でいいねが数件来て、なんとなく良さそうな人にいいねを返す。早速メッセージが来た。
「いいね返してくれてありがとうございます!良かったらお話しませんか?」
 そんなメッセージに返信し、シュンと名乗る男性とのやり取りが始まった。
 彼は22歳で、大学生の傍ら自営業をしているらしい。ファッション系だというが、詳しいことはあった時に話すと濁された。
 お互いの趣味や出身地のことで会話が弾み、5日後には通話、そして会う約束もした。

 1月中旬。14時に新宿で待ち合わせ。
 彼と某チェーンカフェに入った。各々頼んだ飲み物がテーブルに置かれ、改めて自己紹介をする。年齢や名前などプロフィールに書かれていることと相違はない。そこでずっと気になっていた、彼の仕事について聞いてみた。すると、
「自営業って言ってたんだけど、実は俺さ」
 少し神妙な面持ちで話し始めた。もしかしたらねずみ講やマルチ商法なのではないかとドキドキしながら、私は次の言葉を待つ。
「インフルエンサー? 的なのをやっててさ」
「え? あ、そっちなこともあるんですね……」
 想像の斜め上の職業で戸惑う私に、彼は続ける。
「そう。動画撮ったり写真載せたり。モデルっぽいこともちょくちょくね」
 詳しく聞いてみると、友人がSNSにアップした彼の動画が少しバズり、それがきっかけでSNSを始めたという。最初は趣味の範囲内だったものの、企業案件やモデルの仕事をもらうようになって段々と本気で頑張りたいと思うようになったらしい。将来どんな風に活躍したいか、次はどういう仕事をやってみたいかなど、この日は何度も真剣に語ってくれた。
 夢があって、それに対して努力している人はかっこいい。人として尊敬できるなと感じた私は、もしかしたらアリかもなんて思いながら帰宅した。

 その日以降も彼との連絡は続き、夜にはよく電話もした。また会いたいと言ってくれた。次は私の職場の最寄り駅まで来てくれるとのことで、仕事終わりの時間で約束した。
 彼の仕事への熱い気持ちを受け取った私は、少しでも綺麗な状態で会うべきだと気合が入り、鍼灸やネイル、まつ毛パーマ、美容院など思いつく限りの美容サロンを予約。人生で初めての香水を買ってみたりもした。ジャスミンの香りらしい。

 そしてとうとう2回目の逢瀬当日を迎えた。普段はギリギリまで寝て3分メイクで外に飛び出している私が、1時間丁寧にメイクをして少し可愛い服を着て、いつもより軽やかに家を出た。
 仕事も捗って仕方なかった。パソコンのキーボードはまるでピアノの鍵盤だ。奏でるようにタイピングしながら、着々と業務をこなした。定時ピッタリに打刻を押して、颯爽と職場を後にする。
 そしてついに集合場所に到着し、ただただ彼を待っていた。
 しかし、時間を過ぎても連絡は来ない。「もう少しかかりそう?」と送ってみるも、既読はつかなかった。
 結局1時間以上待ち続けたが、そこに彼が現れることはなかった。
 仕事が忙しすぎるだけ。そう言い聞かせながら駅に向かい、帰るために電車に乗り込んだ。ただいつもよりきれいな格好をして、定時内できっちり仕事をこなしただけの一日だった。うきうきとした気持ちは、電車の発車と共に遠のいていく。家に着くまでずっとケータイを握りしめていたけれど、一度もバイブの揺れる感触は届かなかった。

 あの日から1週間は、いつもよりケータイをチャックする頻度が増えた。ただ彼から連絡が来ることは、もうなかった。たかが一度しか会ったことのない人なのに、私は私が思うよりも大きなショックを受けていた。
浮かれてサロンに行ったりパソコンを奏でていたりした自分を思い出して、あまりの情けなさと滑稽さに涙が出た。

 それでも毎日忙しく過ごしていれば、少しずつ忘れていく。3週間も経った頃にはもう彼の存在も惨めな自分のことさえも記憶から消えて、お気楽に一生懸命生きていた。

 そんなある日いつものように仕事を終えて駅に向かっていると、男性に声をかけられた。色々な理由が考えられるが、道に迷っている可能性も捨てきれないため立ち止まる。そしてふとその男性の顔を見上げた。

 シュンじゃん。
 まぎれもなく、22歳インフルエンサーのシュンだ。

 驚きのあまり固まる私をよそに、シュンは続けた。
「なんかめちゃくちゃタイプだなと思って声かけちゃいました!」
「お仕事後とかでお疲れだと思うんで、とりあえず連絡先交換してほしいっス」
 よく分からなかった。
「あの、お姉さん大丈夫ですか? もしかしてかっこよすぎてびっくりさせちゃいました? なんてっ!」
 こんな寒い日にやめて欲しいと凍えながら、私は何とか言葉を発した。
「連絡先がほしいってさっき」
「え、くれるんですか?」
 まだピンと来ていないらしく、気持ち声のボリュームを上げて言う。
「私の連絡先ならなんですけど……」
「もう既に持ってると思います」
「何言ってんのー?」
と彼は笑う彼に、私はしっかり改めて自己紹介した。
「24歳事務職のほこりです」
「新宿で1か月前に……」
 22歳インフルエンサーのシュンが、額に手をやった。やっとこさ思い出してくれたらしい。
「まじか……」
 さっきの私みたいにシュンは固まって、情けない声でこぼすのだった。
「いや、あれは」
「なんていうか、仕事が長引いて……」
 彼はもごもごする。色々と思うことはあったが、言葉を探りながら伝えた。
「仕事って大変だよね。お互いこれからも、頑張ろうね。じゃあ」
 これが私の精一杯だった。そのまま私は、駅へとぽつぽつ歩いて行った。
 帰りの電車に乗り込む。ケータイを開いて、「ブロック」を押す。そして今日はケーキでも買っちゃおうかななんて、うきうきした気持ちを抱えながら電車に揺られていた。

 あの日、彼は仕事が長引いてしまったらしい。それが本当なら仕方のないことだ。夢に向かってたゆまぬ努力を続けているみたいで、何よりだ。
 頑張れシュン。私も頑張る。
 そしておばあちゃん、花嫁姿を見せるまでまだまだ時間がかかりそうだから。どうか元気に、長生きしようね。

 マッチングアプリデビュー戦は、これにて終了。きっとこれは洗礼だ。
 私の恋人探し2025、なかなか波乱のスタートです。