あっという間にその日は来てしまって――

 正月ならまだしも、夏祭りに浴衣を着るタイプの男子高校生はあまりいないから、俺は当たり前のように私服で来ていた。
 それでも多少着飾った方がいいと思って、小遣いを使ってそれらしい服を買った。
 後になって姉から「出してあげたのに」と言われたけれど、これはその、何というか、男の意地とかプライドみたいなもので。
 好きな人と出掛けるのに、親なら最悪百歩譲っても姉にたかるというのは。

(…………は?)

 いやいや、そうじゃない。
 好きじゃない。好きな人とか、そんなんじゃない。
 先輩は友達で、彼女にとっても友達第一号で、そう、それだけの関係だ。
 好きな人とか、そういうんじゃ……。

「…………はぁ」

 なんでこんなに息が上がってしまうんだろう。
 ここ最近、ずっとこの調子だ。
 交換日記だなんだ、友達だなんだって言ってた時はまだ、普通に当たり前に、スラスラと喋れていたのに。
 あの人のことを思っても、何ともなかった筈なのに。

「なんで……」

 なんでこんなに、胸が苦しいんだろう。
 知らない。こんな感覚。
 初めてだ……。

「…………でも」

 早く来ないかな――そんなことを思っても、いや違う、そうじゃない、とはならなくなっていた。
 会いたくなってる……。
 会ったら話せなくなってしまうのに、早く話したくて仕方がない。
 話したくて仕方がないのに、会ったらきっと話せなくなってしまう。
 あぁ……。 もう、本当に。
 この感覚の正体が『恋』ってやつなら、本当に……本当に、心底厄介なやつだ。

「あ、あの……」

 まだ心の準備なんて、ひとかけらも出来ていないのに。
 その声が聞こえたことが嬉しくて、俺は思わずそちらを振り返る。

「ぁ……」

 見惚れる、というのは正に、今の俺のようなことを指す言葉なんだろうと思う。
 水色を基調とした浴衣、カロカロと弾む下駄の音、小さな巾着袋、お団子に纏められた髪――
 仄かに染まった頬。

 ……もっと、遅い時間帯に待ち合せれば良かったな。
 まだ陽も落ち切っていない今の時間帯、その姿がはっきりと見えてしまう。
 嬉しいことだ。嬉しいことだけれど――それは、俺の方も同じことだろう。
 口を開けたまま呆けた顔が、彼女の眼には映りこんでいる筈だ。

「お、お待たせ、しました……」

 そう言いながらも恥ずかしくなったのか、両手で持った巾着で口元を隠しながら、先輩は目線を逸らしてしまう。
 俺はその姿を見たまま――いや目を離せないまま、あ、え、と声にならない声ばかりを零す。
 その姿を、声を、目に耳に入れただけでもう、呼吸困難になりそうな程なのに――

「い……いい、行き、ましょう、か……」

 小さく細く、高い声に返せない内に、

「あっ……」

 隣に並んだ先輩が、つま先だけ触れた俺の手を、そのまま離さずキュッと握って来た。
 当たったとか、たまたまとかじゃない。
 意図して触れて、握られた……。

「せん、ぱ……」

「き、今日だけ……今日だけ、ですから……」

「ぁ……え、ぁ、はい……」

 俯いたままでそう言う先輩に引っ張られるまま、俺たちは人混みの中へと入ってゆく。
 周りに聞こえる喧しいまでの話し声も、遠くの方で響く太鼓の音も、全部全部意識の外側で繰り広げられること。
 握った手から伝わる、先輩の熱と、これでもかというくらいの緊張感ばかりに気を取られながら、俺は暫く、ただ足を回し続けることしか出来ないでいた。