「無事にゲット出来ましたね」

 例の本が入った袋を片手に、隣で大事そうに同じものを抱える先輩に話し掛ける。
 早々に目的の物を手に入れた後、何となく他の本も見て歩き、小一時間程経った後だ。

「ええ。でもまさか、サイン本まで入荷しているとは思いませんでした」

「残り二冊だけだったのも驚きましたね」

「ふふっ。早く来て正解でしたね」

 ふわりと、先輩はとても自然に笑った。

「――ですね」

 それだけのことでまた、胸の辺りがキュッとなって。
 俺はすぐに、気の利いた返しなんて出来なくなってしまう。

「少し、お腹が空きましたね……どこか、入りましょうか」

 先輩が尋ねる。
 三階の本屋から何となく下り、一階の、飲食が並ぶ区画へとやって来ていた。

「どうしましょうね……」

 そう返しながら、俺は先輩の方を窺う。
 あちらこちらへと目を向け、その度、客入りを見てか渋い顔をしている。

「――少し歩きますが、先輩は疲れてませんか?」

「え……? え、ええ、私は問題ありませんけれど……」

「良かった。なら一旦出ましょう。いい所を知ってます」



 ビルを後にし、歩くこと約二十分。
 休日の丁度お昼時、無駄足だったらどうしようかとも思ったけれど、運よく席が空いていて助かった。

「へぇ、こんなところが……」

 やって来たのは、よくあるメニューの他、あまり見ない珍しい食事も提供しているような、ちょっとだけ特別な大衆レストラン。
 他の飲食と同様、座席は仕切りで区切られているタイプながら、その仕切りは高く隣は見えず、全席通路側にカーテンまで下ろせるようになっている。
 疑似的に、個室を有せるようになっているのだ。

「全席個室の軽い飲食って、この辺りにはなくて……せめてここなら、先輩もあまり緊張しなくて良いのかな、と」

「あ、ありがとう、ございます……」

 口ではそう言うけれど、まだ何か落ち着かない様子。

「どうかしました?」

「えっ…!? あ、えっと、その……お、男の人と二人きりで食事、なんて……は、初めてなので、ちょっと緊張してしまいます」

 困ったように、でもどこか少し照れくさそうに、先輩が言う。

「あー……本、本…! 読んでて良いですから…! お、俺も読んでよっかな…!」

 傍らに置いていた袋を取り上げて言う俺に先輩は、

「……いえ。それは、帰ってからの楽しみに取っておきます。今は、その……榎さんと話したい、かな、なんて……思うんですけれど……」

 顔を伏せ、背中を丸め、恥ずかしそうに小さく言う。

「駄目、でしょうか……?」

 頭は下げたままで、視線だけこちらへ寄越して。

「ぁ……っと、その……はい……き、気の利いた話とか、あんま出来ませんけど……」

「だ、大丈夫、です…! ほら、気の利いた会話をしないのが友達って、榎さんが」

「そう、でしたね……あ、そうだ、俺が言ったんだ、それ……」

 上手く言葉が出て来ない。
 喉が渇いて仕方がない。

 それを察してなのか、先輩は、二つ並べられていた水の入ったコップを一つ、俺の方へと滑らせた。
 それを一口――一気に全部飲み干して。

 迷った挙句、『新刊の展開予想』なんて無難な話題から話し出した。