私が上杉くんの家に日の出前までいるせいだろうか。
だんだん私の体が重くなってきた。お母さんはそんな私を心配している。
「ねえ、凛生の気にしている子の夢、まだ食べられないの? こんなに体から魂離れていると、あんまり体によくないけど?」
「そうなんだけど……彼不眠症なんだ。なかなか眠れなくって、寝付くのが日の出前だから、全然夢をかじることができないんだ」
「その子……悪いけど諦めて別の子に行くっていうのは? これじゃいくらなんでも凛生の体が持たないから」
「そんなこと言われてもな……。まさか不眠症気味の子に言えないでしょ。私の体のために早く寝て夢を見てなんて。理由がわかったら不眠症になんてならないだろうに」
「だから、その子を諦められないの……って、さすがに私も、一番おいしそうな夢の匂いの子が不眠症って例は初めて聞くから、なんとも言えないけど。さすがにこればっかりはね」
「……ごめん」
「とりあえず、本当に体が無理って思ったら、一旦誰かの夢をかじって体に戻ること。さすがに日の出直前に戻るってのを繰り返してたら、いつ日の出までに帰られるかわからないからね。特に、夏が近付くにつれてどんどん日の出は早くなるんだから、そんなギリギリのタイミングで帰るってのを繰り返しちゃ駄目。体に悪いし、最悪人間辞めて一生夢魔として過ごさないといけなくなるってこともありえるんだからね」
「うん、わかった……」
寝ぼけたままで朝ご飯にオートミールを食べると、重たい体を引き摺って学校に向かった。
私が「ふわああああああ……」と大きなあくびをしていたら「おはよう」と声をかけられた。山下さんだ。
「おはよう……」
「あれ、夢野さんも眠れてないの?」
「ちょっとね……目が冴えちゃって、早朝に起きちゃって、それっきり」
「もーう、最近のわたしの周りの人たち、体に気を付けなさ過ぎ!」
山下さんはほんわかしているだけでなく、誰かの代わりに怒ることのできる思いやりのある子だなあとぼんやりと思う。誰かのために怒ることって、燃費が悪過ぎてなかなか真似できないから、それはすごいことだ。
「……なんというか、山下さんはすごいね」
「はっ! ごめんね、気を遣わせちゃって……なつくん……上杉くんにもお節介ってよく叱られるから」
「ううん。私は。なかなか人に踏み込めないからさ、そういうところ、とてもいいと思うよ」
言えないもんなあ。まさか夢魔として活動するようになってから、なかなか肉体に戻ることができずにいるなんてさ。
私がもにゃもにゃしている間も、山下さんは続けていた。
「うん、上杉くんも家でいろいろあるからさ。もし選択科目で話すことがあったら、それとなく聞いてあげてね」
「えっ、うん……わかった。そういえば山下さんは」
「はい?」
「しょっちゅう上杉くんの世話焼いてるけど、それって上杉くんと仲いい遠山くんのため?」
これはさすがに直球過ぎたかな。
そう思いながら聞いてみたら、案の定というべきか、山下さんはオーバーリアクションで顔を思いっきり両手で覆って庇っていた。
「えっと、ごめん。言いたくなかったんだったら別にいいんだけど」
「か、隠してるつもりはなかったんだよ。本当に。ただ、遠山くんはさわやかスポーツ少年だから、なつくん……上杉くんを間に挟まないとまともにしゃべれないというか」
「いや、遠山くんはいい奴とは思うけど、さわやかとは別のカテゴリーでは」
「そ、そんなことないよ! 格好いいよ! 本当に!」
そう一生懸命に力説する山下さんに、なんとなく微笑ましくなってしまった。恋している女の子だなあと。
私は「うん、わかった」と言う。
「私、ちょっと上杉くんとお話ししてみたいんだ。本当になにを話せばいいのかわからないけど。山下さんが協力してくれると嬉しい。私もなんとか遠山くんと山下さんが上手く行くよう手伝うからさ。ねっ?」
途端に山下さんはパァーッと顔を明るくさせた。
「うん、うん! 協力しよう! 頑張ろうね!」
ガバッと手を取られて、目をキラキラさせる。あまりにも恋する女の子で、私は眩しいものを見る目になってしまった。
いいなあ、山下さんは。私の気持ちは、山下さんみたいに真っ直ぐなものじゃない。
私は元の人間に戻りたい。そのためにはどうしても上杉くんの夢を食べないと駄目なのに、上手くいかないなら、また別の人を探さないといけない。そして私はそれをものすっごく嫌がっている。
多分。私は自分が思っている以上に、上杉くんの夢を欲しているんだ。
****
最初の二限目まではなんとか寝ぼけながらも授業を受けることができたけれど、三限目になったらいよいよ体が追いつかなくなってきた。
それでも移動授業だから、私は体をヘロヘロさせながらも授業に向かわないといけない。正直体がきついし苦しいし、だんだんと視界がグニャグニャになってくる。
「うう……」
幽体離脱で眠れてないなんてこと、初めて知ったなあ。
お母さんが早く体に戻らないと駄目って、このことだったんだな。とうとう廊下に座り込んでしまった。どうしよう。立てない。
「……夢野さん?」
そう声をかけてきたとき、私は口の中に唾液が溜まるのを感じた。上杉くんだった。いい匂い。でも。上杉くんからは、なぜかすえた柿の匂いがした。
あれ? りんごの匂いじゃない。どうして。口の中はただおいしそうとよだれが出てくるのに、匂いが違う。
私が戸惑っている間に、上杉くんだけでなく、遠山くんもやってきた。
「どうかしたか? わあ、夢野さん、大丈夫か!?」
「……立ちくらみで。ちょっと休めばダイジョウブ……」
「いや、顔色悪いし。ちょっと夏輝と一緒に保健室行ってきたほうがいいって」
「そりゃ夢野さんは保健室に連れて行くけど。でも俺もか」
「お前もちょっと保健室で横になったほうがいいって。全然眠れてないんだろ? 先生には体調不良って言っておくから」
遠山くんに何度も説得されたせいか、だんだん上杉くんは困った顔のまま私のほうに手を出した。
「立てる? 立ちくらみするなら肩貸すけど」
「か、肩はいい。でもちょっと荷物は持ってほしい……」
「わかった」
申し訳なく思いつつ、筆記用具一式を上杉くんに引き渡してから、私はよろよろと保健室へと向かった。
保健室に到着したら、普段だったらサボリじゃないかと警戒する保険医さんが、ふたり揃って顔色悪いのにびっくりして、一旦ポットのお湯を差し出してから「これ飲んでから寝なさい」と言ってくれた。
お湯は本当にお湯だけの白湯で、それで体を温めてから、やっとベッドに横たわった。体が温まってお湯をもらったせいなのか、私はすぐにスコンと眠りについてしまったけれど、横になってもなお、上杉くんのベッドからは寝息は聞こえない。
どうしたらいいんだろう。周りは心配していて、私だって上杉くんには眠ってほしいのに、彼は気を張り過ぎてちっとも心が安まらないんだ。大丈夫、ちょっと眠っても大丈夫。その言葉では全然足りない場合、どうしたら彼を眠らせてあげられるんだろう。
私は悶々としたまま目を閉じた。
次のチャイムまで、私はとうとう一度も起きることがなかったけれど、隣から寝息を聞くことも叶わなかった。
だんだん私の体が重くなってきた。お母さんはそんな私を心配している。
「ねえ、凛生の気にしている子の夢、まだ食べられないの? こんなに体から魂離れていると、あんまり体によくないけど?」
「そうなんだけど……彼不眠症なんだ。なかなか眠れなくって、寝付くのが日の出前だから、全然夢をかじることができないんだ」
「その子……悪いけど諦めて別の子に行くっていうのは? これじゃいくらなんでも凛生の体が持たないから」
「そんなこと言われてもな……。まさか不眠症気味の子に言えないでしょ。私の体のために早く寝て夢を見てなんて。理由がわかったら不眠症になんてならないだろうに」
「だから、その子を諦められないの……って、さすがに私も、一番おいしそうな夢の匂いの子が不眠症って例は初めて聞くから、なんとも言えないけど。さすがにこればっかりはね」
「……ごめん」
「とりあえず、本当に体が無理って思ったら、一旦誰かの夢をかじって体に戻ること。さすがに日の出直前に戻るってのを繰り返してたら、いつ日の出までに帰られるかわからないからね。特に、夏が近付くにつれてどんどん日の出は早くなるんだから、そんなギリギリのタイミングで帰るってのを繰り返しちゃ駄目。体に悪いし、最悪人間辞めて一生夢魔として過ごさないといけなくなるってこともありえるんだからね」
「うん、わかった……」
寝ぼけたままで朝ご飯にオートミールを食べると、重たい体を引き摺って学校に向かった。
私が「ふわああああああ……」と大きなあくびをしていたら「おはよう」と声をかけられた。山下さんだ。
「おはよう……」
「あれ、夢野さんも眠れてないの?」
「ちょっとね……目が冴えちゃって、早朝に起きちゃって、それっきり」
「もーう、最近のわたしの周りの人たち、体に気を付けなさ過ぎ!」
山下さんはほんわかしているだけでなく、誰かの代わりに怒ることのできる思いやりのある子だなあとぼんやりと思う。誰かのために怒ることって、燃費が悪過ぎてなかなか真似できないから、それはすごいことだ。
「……なんというか、山下さんはすごいね」
「はっ! ごめんね、気を遣わせちゃって……なつくん……上杉くんにもお節介ってよく叱られるから」
「ううん。私は。なかなか人に踏み込めないからさ、そういうところ、とてもいいと思うよ」
言えないもんなあ。まさか夢魔として活動するようになってから、なかなか肉体に戻ることができずにいるなんてさ。
私がもにゃもにゃしている間も、山下さんは続けていた。
「うん、上杉くんも家でいろいろあるからさ。もし選択科目で話すことがあったら、それとなく聞いてあげてね」
「えっ、うん……わかった。そういえば山下さんは」
「はい?」
「しょっちゅう上杉くんの世話焼いてるけど、それって上杉くんと仲いい遠山くんのため?」
これはさすがに直球過ぎたかな。
そう思いながら聞いてみたら、案の定というべきか、山下さんはオーバーリアクションで顔を思いっきり両手で覆って庇っていた。
「えっと、ごめん。言いたくなかったんだったら別にいいんだけど」
「か、隠してるつもりはなかったんだよ。本当に。ただ、遠山くんはさわやかスポーツ少年だから、なつくん……上杉くんを間に挟まないとまともにしゃべれないというか」
「いや、遠山くんはいい奴とは思うけど、さわやかとは別のカテゴリーでは」
「そ、そんなことないよ! 格好いいよ! 本当に!」
そう一生懸命に力説する山下さんに、なんとなく微笑ましくなってしまった。恋している女の子だなあと。
私は「うん、わかった」と言う。
「私、ちょっと上杉くんとお話ししてみたいんだ。本当になにを話せばいいのかわからないけど。山下さんが協力してくれると嬉しい。私もなんとか遠山くんと山下さんが上手く行くよう手伝うからさ。ねっ?」
途端に山下さんはパァーッと顔を明るくさせた。
「うん、うん! 協力しよう! 頑張ろうね!」
ガバッと手を取られて、目をキラキラさせる。あまりにも恋する女の子で、私は眩しいものを見る目になってしまった。
いいなあ、山下さんは。私の気持ちは、山下さんみたいに真っ直ぐなものじゃない。
私は元の人間に戻りたい。そのためにはどうしても上杉くんの夢を食べないと駄目なのに、上手くいかないなら、また別の人を探さないといけない。そして私はそれをものすっごく嫌がっている。
多分。私は自分が思っている以上に、上杉くんの夢を欲しているんだ。
****
最初の二限目まではなんとか寝ぼけながらも授業を受けることができたけれど、三限目になったらいよいよ体が追いつかなくなってきた。
それでも移動授業だから、私は体をヘロヘロさせながらも授業に向かわないといけない。正直体がきついし苦しいし、だんだんと視界がグニャグニャになってくる。
「うう……」
幽体離脱で眠れてないなんてこと、初めて知ったなあ。
お母さんが早く体に戻らないと駄目って、このことだったんだな。とうとう廊下に座り込んでしまった。どうしよう。立てない。
「……夢野さん?」
そう声をかけてきたとき、私は口の中に唾液が溜まるのを感じた。上杉くんだった。いい匂い。でも。上杉くんからは、なぜかすえた柿の匂いがした。
あれ? りんごの匂いじゃない。どうして。口の中はただおいしそうとよだれが出てくるのに、匂いが違う。
私が戸惑っている間に、上杉くんだけでなく、遠山くんもやってきた。
「どうかしたか? わあ、夢野さん、大丈夫か!?」
「……立ちくらみで。ちょっと休めばダイジョウブ……」
「いや、顔色悪いし。ちょっと夏輝と一緒に保健室行ってきたほうがいいって」
「そりゃ夢野さんは保健室に連れて行くけど。でも俺もか」
「お前もちょっと保健室で横になったほうがいいって。全然眠れてないんだろ? 先生には体調不良って言っておくから」
遠山くんに何度も説得されたせいか、だんだん上杉くんは困った顔のまま私のほうに手を出した。
「立てる? 立ちくらみするなら肩貸すけど」
「か、肩はいい。でもちょっと荷物は持ってほしい……」
「わかった」
申し訳なく思いつつ、筆記用具一式を上杉くんに引き渡してから、私はよろよろと保健室へと向かった。
保健室に到着したら、普段だったらサボリじゃないかと警戒する保険医さんが、ふたり揃って顔色悪いのにびっくりして、一旦ポットのお湯を差し出してから「これ飲んでから寝なさい」と言ってくれた。
お湯は本当にお湯だけの白湯で、それで体を温めてから、やっとベッドに横たわった。体が温まってお湯をもらったせいなのか、私はすぐにスコンと眠りについてしまったけれど、横になってもなお、上杉くんのベッドからは寝息は聞こえない。
どうしたらいいんだろう。周りは心配していて、私だって上杉くんには眠ってほしいのに、彼は気を張り過ぎてちっとも心が安まらないんだ。大丈夫、ちょっと眠っても大丈夫。その言葉では全然足りない場合、どうしたら彼を眠らせてあげられるんだろう。
私は悶々としたまま目を閉じた。
次のチャイムまで、私はとうとう一度も起きることがなかったけれど、隣から寝息を聞くことも叶わなかった。



