その日、私はなんとはなしに友達に上杉くんについて聞いてみた。

【この間、上杉くんと遠山くんに安眠チョコパチられたけど、このふたりについてなんか知ってる?】

 すぐに返事が来た。私は席順が遠過ぎてほぼほぼ縁もゆかりもなかったけれど、掃除当番なり日直なりで一緒になっている子たちはパラバラと情報を持っている。

【上杉くん、マジで頭がいいよ。前にノート写しきれなかった分見せてもらったことあるけど、書き込み部分の先生の補足部分、なんとなく一緒にノートに写してたらテストに出た】
【上杉くんの頭のよさって、出席点とかに頼らない実力部分のが大きいんだよねえ】
【性格は無茶苦茶悪くはない。普通にいい人】
【いわゆる「モテてないけど私は好き」って、ファンじゃなくってガチ恋勢を増やすタイプだよね】

 上杉くんの評価は、概ねこんな感じ。私が知っていることとほとんど遜色ないけど。
 私は何気なく聞いてみる。

【上杉くんが頭いいのは知ってるけど、あの人が頭いい理由ってなにかあるのかな?】
【知らない】
【別に医者の家系ではないよね。ただお父さんは銀行の人とは聞いたことがある】

 あれ、その話は初耳だと、私は目を通してみる。
 でもよくよく考えると、上杉くんの住んでいるマンションって、私が住んでいるファミリーマンションじゃなくって、もっと金持ちが住んでいるマンションだよなあと、思い返した。誰もいないだだっ広い家だったけれど、よくよく考え直すと、あの家上杉くんしかいない以前に無茶苦茶広いよな。お金持ちだって考えれば納得なのか。
 でもそうなったら尚のことわからない。なにがそこまで上杉くんを追いつめているのか。
 そこまで考えていたら。

【遠山くんは無茶苦茶暑苦しいね。ただ異様にファンが多い】
【上杉くんとは全く違うタイプの子たちだよね。あっちはガチ恋勢に対して、こっちはミーハーな子に囲まれてる感じ】
【でもたしか、しょっちゅう山下さんと一緒に行動してなかったっけ?】
【三人でよくつるんでるよね。どっちかと付き合ってるのかな、山下さんは】

 そこまで聞いて、私はようやく気が付いた。
 あれだ。山下さんがずっと一線引いて「上杉くんは幼馴染」と言い張ってた理由。遠山くんに「上杉くんのことが好き」と勘違いされたくないからだ。
 普通に幼馴染の上杉くんは不眠症なのを心配しているのは本当なんだろうけれど、同時に好きな人である遠山くんに誤解されたくなかったんだな。でも上杉くんのことを名前で呼んでるってことは、三人揃って幼馴染ってところか。
 となったら、遠山くんに話を聞いてみるのもありなのかもしれないな。
 と、そこまで考えて、そろそろ日付が変わることに気付いた。幽体離脱しちゃう。私は慌ててメッセージを書き込んだ。

【ごめん。そろそろ寝る。体調悪いから早く寝ろって言われてるの】
【あらら、大丈夫?】
【最近凛生早寝だよね。日付変更前には寝てるし】
【おやすみー】

 そう皆に見送られながら、私は幽体離脱した。魂でふよふよ跳びながら、上杉くんの家に向かう。
 上杉くんの不眠症についてなにができるかわからないけど、せめて話を聞くくらいならできるのかな。
 そう思っていたら。

「あれ?」

 いつもはベランダで眠たそうな顔で黄昏れている上杉くんが、今日はベランダに出ていなかった。私は思わずベランダから中に入ると、珍しくリビングに明かりが点いて人がいることに気付いた。
 貫禄のある灰色の髪の人が、女の人と一緒に食事を摂っているところだった。

「夏くんまだ納得してないんですか?」
「あれももう男ですから」
「そうですか……」

 変だなと思うのは、灰色の髪の人はどことなく上杉くんの面影があるから、間違いなく彼は上杉くんのお父さんなんだろうけれど、その女の人からは、なぜか既婚者の香りがしなかった。最近は共働きも珍しくないし、結婚していてもバリバリ責任者として働いている女の人も大勢いるはずなのに。なんでだろうと思ったけれど、その人が異様に髪が綺麗なんだと気が付いた。綺麗に伸びた髪は、一か月に一度ストレートパーマを当てないとそんな綺麗な髪にはならず、主婦業しながら働いている人であったとしても、そんな一か月に一度もストレートパーマを当てに休みの日の半日を削るなんてこと、滅多にない。
 この人誰だろうと思いながら、私は上杉くんの部屋に飛んでいった。
 上杉くんの部屋は珍しく灯りがついていなかった。彼は布団を頭から被ってベッドに横になっていたのだ。
 胡椒とローズマリーとりんごの匂いが充満していて、私のお腹はキュルキュルと鳴る。口の中もよだれでいっぱいになる。でも。上杉くんが寝ていないせいで、私は彼の夢をかじれない。

「上杉くん、起きてる?」

 私が声をかけると、驚いた顔でこちらのほうに振り返った。そのあと、本当に気まずそうにそっぽを向いてしまった。

「……なにも今晩も来なくってもよかったのに」
「ごめん。なんか知らない人がいたから、心配になって……あの人たち誰?」
「お父さんと、灯さん」

 その言葉に、私は次はどこまで聞いていいのか困ってしまった。
 あの人は、上杉くんのお父さんの愛人ですかとか。それとも再婚相手ですかとか。上杉くんのお母さんですか、そうじゃないんですかとか。それ以上のことを聞き出すことができず、ただ私の口から漏れたのは「ごめんなさい」だった。
 それに上杉くんは苦笑する。

「そこ、リオが謝るところじゃないよね? なんでうちにしょっちゅう来るのか知らないけど」
「いや、言い出しにくいことってあるよね。それを無理矢理聞き出そうとしたから、それは駄目なことじゃないかと」
「そうだね……友達とか腐れ縁とかには心配かけてるとは思う。俺もしょっちゅう彼方を予備校に付き合わせて、ギリギリ時間までハンバーガー屋に足止めしたりしてるからさ」
「……家に帰りたくないんだ?」
「わがままだと思うけどさあ。勝手だと思うけどさあ」

 その言葉は、なんだか泣きたそうに聞こえた。
 上杉くんからしてみれば、この家はどれだけ大きくって裕福であったとしても、居心地が悪いんだろう。だから帰りたくないし、寝たいのに眠れない。彼の心身がどれだけ削られていっているのかは、今は身内以外は心配してないみたいだけど、いずれ表立ってくる。
 それはあんまりにも、息苦しい。

「なんかリクエストある?」
「えっ?」
「子守歌。眠たくなるまで、私が歌を歌ってあげる。私もあんまり歌上手くないけど、君が気晴らしになるなら」
「……君、お節介な幽霊だね」

 そう言われてしまうと、こちらも困る。

「だってさあ、なんか嫌じゃない。自分が悪くないことで、ずっと悩まされるのってさ」

 少なくとも、上杉くんがお父さんと灯さんとやらの関係を見て見ぬふりしないといけない時点で、この関係は不健全だ。それをずっと強いているこの家はおかしい。それが原因で息子が不眠症になっているのに、気付きもしない親は絶対に間違っている。
 でも。ただの夢魔の私では、そんな理不尽でも社会的地位もお金も持っている大人に真っ向から立ち向かうことはできない。ただ、それで苦しんでいる上杉くんの薬箱になるくらいしか、役割がない。
 私の言葉に、上杉くんは一瞬困ったように視線を揺らしたあと、心底申し訳なさそうに声を上げた。

「あんまり最近の歌知らない……」
「まあ、最近は全部ネット配信だし、街中で流れている曲もタイトル知らないの多いよね。ならきらきら星歌おうか」
「じゃあ、それで」
「オッケー」

 私は上杉くんの枕にもたれかかって、一生懸命歌った。
 彼が眠たくなってくれないか。どうか寝かせてあげられないか。胡椒とローズマリーとりんこの匂いが充満していて、お腹はずっと減っているのに、彼はちっとも眠りについて夢を見せてくれなかったけれど。彼が少しだけ嬉しそうに目を細めた頃には、私は帰らないといけなくなってしまった。
 近所の子供の夢をかじって、私は自分の家へと帰る。今日もギリギリ過ぎた。
 私は天井を見ながら、目を閉じた。

「……私、歌うこと以外にできることないのかな」

 彼になにができるんだろう。
 そもそも私がなんとかしようとするのはおこがましいんだろうか。わからないまま、朝起きる時間までのギリギリまでを寝て過ごした。