外は猛暑を通り越して酷暑で、少し歩いただけで汗腺という汗腺が湿気で塞がれ、逃げ場のなくなった体温が体の中をもうもうと駆け巡っている気になる。つまりは暑くて死にそうってことだ。
私はしんどいしんどいと思いながらも向かったのは、お母さんと一緒にファミレスだった。服は普段の夏の格好であるTシャツにデニムという楽な格好ではなく、比較的おしゃれなセーラー襟のワンピースで、頭に麦わら帽子、日傘装備でどうにか酷暑をやり過ごしていた。お母さんもまた、普段だったら同窓会や舞台観劇でないと着ないようなアンサンブルを着て日傘を差している。
私が裁判に出かけないといけないってことで、保護者権限で待ったがかかり、そのままファミレスで話し合いとなったのだ。
ファミレスに行くと、硬い顔をした上杉くんと、上杉くんの保護者面をしている灯さんがいた……どうしてここで上杉くんのお父さんもお母さんも来ないんだろうと、一番最悪な人が一番まともに保護者している現状にげんなりとする。上杉くんは灯さんのことを複雑に思いながらも歯に物が挟まったような言動しかできない原因は、きっとそこだろう。
私たちは日傘を折り畳んで鞄にしまい込むと、そのまま目的の席に出かけた。
なにやら察したらしい店員さんは、私たちにお冷やを出すと、私たちからコーヒーの注文を取り付けてさっさといなくなった。
店員さんが立ち去ったあと、灯さんが頭を下げる。
「本日はご足労願いありがとうございます」
「いえ。娘が証言しないといけないというのが気にかかりまして。たしか夏輝くん、でしたね? 体調は大丈夫ですか?」
お母さんが気を遣って上杉くんに声をかけると、上杉くんは少し驚いたように目を見開いてから、小さく頷いた。
「心配かけて申し訳ありません。最近は日付が変わるのと同時に眠たくなって、よく眠れています。最近はカフェインなしでも快調ですから」
「そうですか。若いうちはあんまりカフェインに頼りっきりもよくないからいいことです。それで、娘が裁判で証言しないといけないという話ですが」
お母さんは灯さんをじっと値踏みするように睨む。
上杉くんはラフなポロシャツにカーゴパンツという、品はあれどもシンプルな服なのに対して。灯さんは一見するとシンプル過ぎるくらいにシンプルな模様のないワンピースを着て、その上に薄手の日除けカーディガンを羽織っている。そのワンピースは前にネットで値段を見て、即買うのを諦めた有名ブランドのものだ。
彼女が何者なのかは私もあまり知らないけれど、あの高級マンションを買える上杉くんのお父さんとお付き合いできるレベルの人だから、多分高給取りなんだろう。
でもお母さんは、私の話を聞いた時点で、既に灯さんのこと嫌いだからな。どうする気だろうと思いながら、私は静かに話を聞いていた。
灯さんは淡々と口を開いた。
「はい。夏輝くんのお母様から親権を取り上げるため、ぜひとも娘さんに証言をと思いまして」
「それがおかしな話だと思いました。夏輝くんはあと数年もすれば成人。その間に親権を取ると?」
「はい。家族として付き合いたいと思います」
「……野暮な話で申し訳ございません。夏輝くんを息子にして、どうなさるおつもりですか?」
「……それは、どういう意味ですか?」
お母さんは普段の朗らかさがすっかりと抜けきっている。上杉くんに関しては、娘の友達というか娘の好きな人という感じで、娘のお母さんみたいな親しみやすい感じの雰囲気を醸し出していたのに、灯さんに関しては、さながら弁護士と検察官みたいに、とにかく相手に隙を見せずに舌戦に打ち勝とうとするような、ナイフのような切れ味を隠そうともしない。
「家族というのは、契約でなるものではありません。少しずつ話をして、その中で互いを許し合うことで成り立つものです。一方的に甘える、一方的に負担をかける。それは親子であってもしてはいけないことです。ましてやあなたと夏輝くんはいくら伴侶の連れ子、父の後妻という関係であっても赤の他人。本当の本当に、夏輝くんと一度でもお話ししましたか?」
「……充分にやってきたと思います。あの方は、家庭内別居をしてからほとんど家には帰ってきていませんから」
「それは理由になりますか? ましてや裁判にその伴侶の息子の級友を巻き込むことに抵抗がない時点で、浅はかだと娘の親としては思いますが」
「お母さん、お母さん。その辺で、その辺で」
お母さんが言い切ったことは、常日頃から私が上杉家に対して思っていることであり、それを上杉くん本人にも伝えていたが。それをお母さんの口から聞かされると、途端に自分の家の歪さを第三者……とはちょっと違うけど……から言われた上杉くんは大丈夫なのかと心配になる。
いくら怒っていても、自分以外が怒ったら途端に冷静になる奴だ。それにお母さんはいつもの朗らかさでクスリと笑った。
「ここで大人の話を聞かせても仕方ないわね。もしよかったら、夏輝くん。悪いけどうちの娘と遊んであげてくれませんか?」
「え……?」
上杉くんは驚いた顔でお母さんを見た。そこでようやくずっと作り笑いを浮かべていた灯さんの表情が歪んだ。
「ちょっと……困ります」
「困るのはそちらだけでしょう? 一度私とじっくりお話ししましょう。私も娘が裁判に巻き込まれそうなので必死なんです」
店員さんが運んできてくれたコーヒーを急いで飲むと、私と上杉くんは慌ててファミレスを後にした。
壁一枚向こうは冷房が効いて蝉の鳴き声だって入ってくる隙がなかったものの、空気だけは異様に重かった。そこから解放された外は、大気が重くて暑くてせいろ蒸しにでもなっている気分になるけれど、空気だけは本当に軽やかだ。
「夢野さんのお母さんってすごい人だったな」
「ごめんね。私が裁判に呼ばれたことは、やっぱりちゃんと言わないと駄目だと思ったらこんな形になっちゃって」
「ううん。むしろ。親ってこういうのを言うんだよな、やっぱりって思ってさ」
「そこだけどさあ」
これについては、私もどうなんだろうと思ったけれど。一応話をしてみた。
「夏休みの間だけでも、うちに泊まりに来ないって話があるけど」
「……さすがに、まだ付き合ってもいないのに、泊まりに行くのはまずいって」
「ただの夏休みのお泊まりだけど。親戚の家に夏休みの間帰っている感じ。どう?」
「んーんーんーんー……」
上杉くんの家はあれだけ壊れているのに。上杉くんは遠山くんとか山下さんとかまともな友達が周りにいたおかげで、かろうじて普通の人の感性に踏みとどまっている。
きっと「それはおかしいよ」「それは変だよ」って言うのは普通に躊躇するけれど、それがなかったらどこまでもどこまでもエゴイストモンスターになってしまうんだろうな。
それが個性の問題だったら、個性を抑圧する必要はないと思う。でも。社会性。家族をひとりの個人として取り扱う。誰かを誰かの所有物にしない。そんな社会性って、きっと誰かとかかわらなかったらわからないもので、ひとりになってしまったら気付くことができない。
やがて上杉くんは湿気を多く含んだ空を仰いだ。
「さすがに夏休み全部は無理だよ。でも。お盆のときに泊めてくれたら嬉しい……でも、夢野さんのお母さんはともかく、お父さんは許可するの?」
「多分してくれると思う。お父さんもお盆のときには普通に家にいるし」
「悪くない?」
「多分大丈夫。聞いてみる」
私たちは互いに告白をしても、まだなにも変わらなかった。ただ少しだけ一緒にいる機会が増えて、一緒にいてもいいよという人がいて、少しだけ同じ空気を吸える。
ただ、それが異様に心地よかったんだ。
「暑いね、どこか安いコーヒーショップでコーヒー飲もうか」
「今の時間帯でカフェイン摂るの脱水症状になるよ。麦茶くらいにしときなよ」
「アハハハハ……ならコンビニ探そうか」
私たちはコンビニ探して歩きはじめた。
その距離感が心地よかった。
私はしんどいしんどいと思いながらも向かったのは、お母さんと一緒にファミレスだった。服は普段の夏の格好であるTシャツにデニムという楽な格好ではなく、比較的おしゃれなセーラー襟のワンピースで、頭に麦わら帽子、日傘装備でどうにか酷暑をやり過ごしていた。お母さんもまた、普段だったら同窓会や舞台観劇でないと着ないようなアンサンブルを着て日傘を差している。
私が裁判に出かけないといけないってことで、保護者権限で待ったがかかり、そのままファミレスで話し合いとなったのだ。
ファミレスに行くと、硬い顔をした上杉くんと、上杉くんの保護者面をしている灯さんがいた……どうしてここで上杉くんのお父さんもお母さんも来ないんだろうと、一番最悪な人が一番まともに保護者している現状にげんなりとする。上杉くんは灯さんのことを複雑に思いながらも歯に物が挟まったような言動しかできない原因は、きっとそこだろう。
私たちは日傘を折り畳んで鞄にしまい込むと、そのまま目的の席に出かけた。
なにやら察したらしい店員さんは、私たちにお冷やを出すと、私たちからコーヒーの注文を取り付けてさっさといなくなった。
店員さんが立ち去ったあと、灯さんが頭を下げる。
「本日はご足労願いありがとうございます」
「いえ。娘が証言しないといけないというのが気にかかりまして。たしか夏輝くん、でしたね? 体調は大丈夫ですか?」
お母さんが気を遣って上杉くんに声をかけると、上杉くんは少し驚いたように目を見開いてから、小さく頷いた。
「心配かけて申し訳ありません。最近は日付が変わるのと同時に眠たくなって、よく眠れています。最近はカフェインなしでも快調ですから」
「そうですか。若いうちはあんまりカフェインに頼りっきりもよくないからいいことです。それで、娘が裁判で証言しないといけないという話ですが」
お母さんは灯さんをじっと値踏みするように睨む。
上杉くんはラフなポロシャツにカーゴパンツという、品はあれどもシンプルな服なのに対して。灯さんは一見するとシンプル過ぎるくらいにシンプルな模様のないワンピースを着て、その上に薄手の日除けカーディガンを羽織っている。そのワンピースは前にネットで値段を見て、即買うのを諦めた有名ブランドのものだ。
彼女が何者なのかは私もあまり知らないけれど、あの高級マンションを買える上杉くんのお父さんとお付き合いできるレベルの人だから、多分高給取りなんだろう。
でもお母さんは、私の話を聞いた時点で、既に灯さんのこと嫌いだからな。どうする気だろうと思いながら、私は静かに話を聞いていた。
灯さんは淡々と口を開いた。
「はい。夏輝くんのお母様から親権を取り上げるため、ぜひとも娘さんに証言をと思いまして」
「それがおかしな話だと思いました。夏輝くんはあと数年もすれば成人。その間に親権を取ると?」
「はい。家族として付き合いたいと思います」
「……野暮な話で申し訳ございません。夏輝くんを息子にして、どうなさるおつもりですか?」
「……それは、どういう意味ですか?」
お母さんは普段の朗らかさがすっかりと抜けきっている。上杉くんに関しては、娘の友達というか娘の好きな人という感じで、娘のお母さんみたいな親しみやすい感じの雰囲気を醸し出していたのに、灯さんに関しては、さながら弁護士と検察官みたいに、とにかく相手に隙を見せずに舌戦に打ち勝とうとするような、ナイフのような切れ味を隠そうともしない。
「家族というのは、契約でなるものではありません。少しずつ話をして、その中で互いを許し合うことで成り立つものです。一方的に甘える、一方的に負担をかける。それは親子であってもしてはいけないことです。ましてやあなたと夏輝くんはいくら伴侶の連れ子、父の後妻という関係であっても赤の他人。本当の本当に、夏輝くんと一度でもお話ししましたか?」
「……充分にやってきたと思います。あの方は、家庭内別居をしてからほとんど家には帰ってきていませんから」
「それは理由になりますか? ましてや裁判にその伴侶の息子の級友を巻き込むことに抵抗がない時点で、浅はかだと娘の親としては思いますが」
「お母さん、お母さん。その辺で、その辺で」
お母さんが言い切ったことは、常日頃から私が上杉家に対して思っていることであり、それを上杉くん本人にも伝えていたが。それをお母さんの口から聞かされると、途端に自分の家の歪さを第三者……とはちょっと違うけど……から言われた上杉くんは大丈夫なのかと心配になる。
いくら怒っていても、自分以外が怒ったら途端に冷静になる奴だ。それにお母さんはいつもの朗らかさでクスリと笑った。
「ここで大人の話を聞かせても仕方ないわね。もしよかったら、夏輝くん。悪いけどうちの娘と遊んであげてくれませんか?」
「え……?」
上杉くんは驚いた顔でお母さんを見た。そこでようやくずっと作り笑いを浮かべていた灯さんの表情が歪んだ。
「ちょっと……困ります」
「困るのはそちらだけでしょう? 一度私とじっくりお話ししましょう。私も娘が裁判に巻き込まれそうなので必死なんです」
店員さんが運んできてくれたコーヒーを急いで飲むと、私と上杉くんは慌ててファミレスを後にした。
壁一枚向こうは冷房が効いて蝉の鳴き声だって入ってくる隙がなかったものの、空気だけは異様に重かった。そこから解放された外は、大気が重くて暑くてせいろ蒸しにでもなっている気分になるけれど、空気だけは本当に軽やかだ。
「夢野さんのお母さんってすごい人だったな」
「ごめんね。私が裁判に呼ばれたことは、やっぱりちゃんと言わないと駄目だと思ったらこんな形になっちゃって」
「ううん。むしろ。親ってこういうのを言うんだよな、やっぱりって思ってさ」
「そこだけどさあ」
これについては、私もどうなんだろうと思ったけれど。一応話をしてみた。
「夏休みの間だけでも、うちに泊まりに来ないって話があるけど」
「……さすがに、まだ付き合ってもいないのに、泊まりに行くのはまずいって」
「ただの夏休みのお泊まりだけど。親戚の家に夏休みの間帰っている感じ。どう?」
「んーんーんーんー……」
上杉くんの家はあれだけ壊れているのに。上杉くんは遠山くんとか山下さんとかまともな友達が周りにいたおかげで、かろうじて普通の人の感性に踏みとどまっている。
きっと「それはおかしいよ」「それは変だよ」って言うのは普通に躊躇するけれど、それがなかったらどこまでもどこまでもエゴイストモンスターになってしまうんだろうな。
それが個性の問題だったら、個性を抑圧する必要はないと思う。でも。社会性。家族をひとりの個人として取り扱う。誰かを誰かの所有物にしない。そんな社会性って、きっと誰かとかかわらなかったらわからないもので、ひとりになってしまったら気付くことができない。
やがて上杉くんは湿気を多く含んだ空を仰いだ。
「さすがに夏休み全部は無理だよ。でも。お盆のときに泊めてくれたら嬉しい……でも、夢野さんのお母さんはともかく、お父さんは許可するの?」
「多分してくれると思う。お父さんもお盆のときには普通に家にいるし」
「悪くない?」
「多分大丈夫。聞いてみる」
私たちは互いに告白をしても、まだなにも変わらなかった。ただ少しだけ一緒にいる機会が増えて、一緒にいてもいいよという人がいて、少しだけ同じ空気を吸える。
ただ、それが異様に心地よかったんだ。
「暑いね、どこか安いコーヒーショップでコーヒー飲もうか」
「今の時間帯でカフェイン摂るの脱水症状になるよ。麦茶くらいにしときなよ」
「アハハハハ……ならコンビニ探そうか」
私たちはコンビニ探して歩きはじめた。
その距離感が心地よかった。



