そろそろチャイムが鳴るし、いい加減戻らないといけないけれど。
私たちは生ぬるい風を受けながら、腕を掴まれながら、ポツンポツンと話を続けていた。
「……話を聞いてくれて嬉しかったんだ」
「詐欺じゃん。幽霊だと信じて話してた内容を全部同級生が知ってるって、詐欺じゃん」
「それはそう思う。夢野さん、夢魔でうろうろしてて、俺の夢が食べたかったってなに?」
「ああ、うん……」
私はどこから説明したらいいものかと悩みながら、一応お母さんから受けた説明をしてみる。
「大昔は、人の夢をコントロールしたり、悪い夢をわざわざ食べたりしてたらしいけど、今はただおいしい夢を食べるくらいしかできることないって」
「……夢魔ってそういうのだったっけ?」
「私も本当に詳しいことは知らない。ただ、一番おいしい夢を食べないと、幽体離脱体質は治らないって言われたから、おいしそうな夢を探してた。そこで……上杉くんを見つけた」
「……もしかして、俺のことしきりに寝かせようとしてたのは」
「夢を食べたかったからです……ごめん」
「いや、幽体離脱したまんまうろうろするのは、不安だろうから、まあいいとして。で、体調不良で倒れかけてたのは?」
「幽体離脱して、長いこと体から魂が離れてたら体に悪いって。だから人の夢を誰のでもいいから食べないと元に戻れなかったの」
「……ごめん」
途端に上杉くんに謝られて、私はあわあわとする。
「いやいやいや、それっておかしくない? どう考えても、一番大変なのは上杉くんだよね? 私が打算込みで近付いた挙げ句、勝手に体調不良になっただけで」
「いや、俺がちゃんと眠れてて、夢野さんに夢を食べてもらってたら、多分夢野さんが具合悪くなることはなかった訳で。知らなかったとはいえごめん」
「知らないのに、気を付けることってできないんじゃないかな!?」
私たちは互いに謝り合っていたら、途端に話題を引き裂くように、蝉の鳴き声がこだましはじめた。
あれだけいつになったら蝉が鳴くんだろうと思っていたのに、今鳴くんだ。
その声を聞いていたら、だんだんと馬鹿らしくなって、とうとう私たちは、背中を丸めて笑いはじめた。
汗まみれになって、人気のない廊下で謝罪合戦。本当に馬鹿馬鹿しいにも程がある。
「戻ろうか。そろそろ」
「うん。あと夢野さん」
「なに?」
「ちゃんと食べに来てよ。俺の夢を食べたら、元の体に戻れるんでしょう?」
そう言われて、私はギクリとする。
そもそも上杉くんには言ってないことがまだある。
……元の体に戻す人は、夢魔にとっては運命の人になるなんて。そんなこと、重い話を聞かせていた彼に言えるんだろうか。
「……眠れる?」
「頑張る。そもそも夢野さんに話を聞いてもらったおかげで、春先よりは大分眠れるようになったから。だから大丈夫」
「だといいんだけど」
私たちはそれぞれ更衣室に向かうと、着替えてから教室へと向かった。
本当に。本当の本当に、上杉くんの家庭の事情がなんとかなればいいのに。そもそも私は離婚裁判でなにかしら話をしないといけないのだから、そこで彼にまつわる証言をしないといけない。
****
私が離婚裁判で証言をしないといけないという話をしたら、途端にお母さんは顔をしかめた。
「上杉くんの家、常識がないのかしら。ひとり息子に負担ばっかりかけて。しかも同級生に睡眠不足の証言を取りたいって」
「そうだね。本人もそんなこと言ってた。上杉くんのこと気にしてるの、お父様の恋人だけだって」
「その人も元凶のひとりでしょうが。ええっと、凛生の食べたい夢の持ち主ってその子だったわね?」
「うん。上杉くん、高校卒業したら独立するってさ」
「そう……」
夏休み中、いきなり裁判で呼び出されたらびっくりするよなと思って事前に言ったら、とんでもないことになったなと私が思っている中、お母さんは額に手を当ててから続けた。
「上杉くんが不眠症気味だった原因、どう考えてもその家庭環境が原因ね?」
「うん。本人もそんなこと言ってたから」
「自覚あるのね……わかりました。もし本当に上杉くんの夢が無事に食べられるようになったら、一度うちに呼びなさい」
「え……? そりゃお母さんが認めてくれるのは嬉しいけど、でもなんで?」
「あなたが選んだ以上、いずれは結婚するんでしょうからね」
それに私は慌てた。まだ婚約の話なんて、当然ながら出ていない。
「あのね、お母さん。まだ上杉くんと結婚とか、そんなのは早いよ。そもそもまだそんな話出る訳ないでしょ」
「それはもちろん。まだ高校生だから早いとは思います。だからこそ」
お母さんはキリッとした顔で言った。
「まだ被保護対象の子を、中途半端に大人扱いして放置するのは、それはただのネグレストでしょ。せっかく満足に眠れるようになった子が、またストレスで眠れなくなるようなのは駄目。せめて夏休みの間だけでも、うちに泊まって眠りなさい」
これはつまり。
上杉くんの家はどう考えても壊れているけれど、表向きにはそんなこと見えないから、普通の方法だったら介入できない。でも。
彼氏を夏休みの間彼女の家に呼ぶって方法ならば、あの家から引き離すことができる。
私はお母さんに頭を下げた。
「ありがとう……ありがとうお母さん。上杉くんのこと……」
「そうしたいんだったら、ちゃんと夢を食べてらっしゃいね。それに上杉くんも普通に凛生のこと気にしてるんでしょう?」
「多分」
「まあ、気を許してなかったら、そもそも夢を食べさせようなんて思わないでしょうしね。行ってらっしゃいね」
「うん」
私は少しだけベソをかいてから、頷いた。
どうしたら上杉くんを助けることができるんだろう。なにもできないってことに悩んでいたけれど、保護者が許可した上での避難だったらできるんだという当たり前のことに気付いたことが大きかった。
その日、私は夜になった途端に、上杉くんの元に急いで飛んでいった。今まで見に行ったとき、どれだけ待ってもちっとも眠れてなかったのに。上杉くんは部屋にいて、ベッドに横になっていた。でもやっぱり寝付くことができなかったらしく、空調の効いた部屋でゴロゴロとしていた。
「お待たせ。来たよ」
「……夢野さん」
それに上杉くんが気恥ずかしそうにはにかんだのに、私も照れが伝染する。
「どうして照れるの!」
「……今まで、こんなに情けない姿をずっと見せ続けてたのかと思うと」
「情けなくなんかないでしょ。弱ってるときに弱音を吐くのは普通だから」
「それ言ってくれるの、多分夢野さんくらいだよ」
「そんな寂しいこと言わないの」
私の言葉に、上杉くんはごろんと仰向けになって寝転んだ。そして私のほうを見上げる。
「今日も歌ってくれる?」
「キラキラ星?」
「……なんだか子供に戻ったみたいだ。ごめん」
「謝らなくっていいよ。ひとりで夜に取り残されたら、寂しいと思ったって仕方ないよ」
この家は壊れている。そんな中にずっといるのがやり切れなくなって、星空を見て自分を慰めていた上杉くん。私はそんな彼でなかったら、見つけ出すことはできなかったかもしれない。
私は上杉くんの前髪を梳こうとするものの、相変わらず体は透けてしまう。その中、私は上杉くんに囁いた。
「歌ってあげるから眠ってよ。そして君の夢をかじらせてよ」
彼が見るのがうんと怖い悪夢でありますように。私がその夢を食べてあげるから。
キラキラ星を歌い、彼がとろとろと眠りについた頃、やっと彼の夢をかじることができた。ひと口食べればりんごのように甘酸っぱく、咀嚼をしたらローズマリーのような青々とした苦味が広がる。最後に胡椒のツンとする辛み。
私は彼の夢を全部かじり終えた頃、体に魂が引き寄せられていくのを感じた。
やっと人間に戻れたんだから、ここからは人間の私で戦わないといけない。
私たちは生ぬるい風を受けながら、腕を掴まれながら、ポツンポツンと話を続けていた。
「……話を聞いてくれて嬉しかったんだ」
「詐欺じゃん。幽霊だと信じて話してた内容を全部同級生が知ってるって、詐欺じゃん」
「それはそう思う。夢野さん、夢魔でうろうろしてて、俺の夢が食べたかったってなに?」
「ああ、うん……」
私はどこから説明したらいいものかと悩みながら、一応お母さんから受けた説明をしてみる。
「大昔は、人の夢をコントロールしたり、悪い夢をわざわざ食べたりしてたらしいけど、今はただおいしい夢を食べるくらいしかできることないって」
「……夢魔ってそういうのだったっけ?」
「私も本当に詳しいことは知らない。ただ、一番おいしい夢を食べないと、幽体離脱体質は治らないって言われたから、おいしそうな夢を探してた。そこで……上杉くんを見つけた」
「……もしかして、俺のことしきりに寝かせようとしてたのは」
「夢を食べたかったからです……ごめん」
「いや、幽体離脱したまんまうろうろするのは、不安だろうから、まあいいとして。で、体調不良で倒れかけてたのは?」
「幽体離脱して、長いこと体から魂が離れてたら体に悪いって。だから人の夢を誰のでもいいから食べないと元に戻れなかったの」
「……ごめん」
途端に上杉くんに謝られて、私はあわあわとする。
「いやいやいや、それっておかしくない? どう考えても、一番大変なのは上杉くんだよね? 私が打算込みで近付いた挙げ句、勝手に体調不良になっただけで」
「いや、俺がちゃんと眠れてて、夢野さんに夢を食べてもらってたら、多分夢野さんが具合悪くなることはなかった訳で。知らなかったとはいえごめん」
「知らないのに、気を付けることってできないんじゃないかな!?」
私たちは互いに謝り合っていたら、途端に話題を引き裂くように、蝉の鳴き声がこだましはじめた。
あれだけいつになったら蝉が鳴くんだろうと思っていたのに、今鳴くんだ。
その声を聞いていたら、だんだんと馬鹿らしくなって、とうとう私たちは、背中を丸めて笑いはじめた。
汗まみれになって、人気のない廊下で謝罪合戦。本当に馬鹿馬鹿しいにも程がある。
「戻ろうか。そろそろ」
「うん。あと夢野さん」
「なに?」
「ちゃんと食べに来てよ。俺の夢を食べたら、元の体に戻れるんでしょう?」
そう言われて、私はギクリとする。
そもそも上杉くんには言ってないことがまだある。
……元の体に戻す人は、夢魔にとっては運命の人になるなんて。そんなこと、重い話を聞かせていた彼に言えるんだろうか。
「……眠れる?」
「頑張る。そもそも夢野さんに話を聞いてもらったおかげで、春先よりは大分眠れるようになったから。だから大丈夫」
「だといいんだけど」
私たちはそれぞれ更衣室に向かうと、着替えてから教室へと向かった。
本当に。本当の本当に、上杉くんの家庭の事情がなんとかなればいいのに。そもそも私は離婚裁判でなにかしら話をしないといけないのだから、そこで彼にまつわる証言をしないといけない。
****
私が離婚裁判で証言をしないといけないという話をしたら、途端にお母さんは顔をしかめた。
「上杉くんの家、常識がないのかしら。ひとり息子に負担ばっかりかけて。しかも同級生に睡眠不足の証言を取りたいって」
「そうだね。本人もそんなこと言ってた。上杉くんのこと気にしてるの、お父様の恋人だけだって」
「その人も元凶のひとりでしょうが。ええっと、凛生の食べたい夢の持ち主ってその子だったわね?」
「うん。上杉くん、高校卒業したら独立するってさ」
「そう……」
夏休み中、いきなり裁判で呼び出されたらびっくりするよなと思って事前に言ったら、とんでもないことになったなと私が思っている中、お母さんは額に手を当ててから続けた。
「上杉くんが不眠症気味だった原因、どう考えてもその家庭環境が原因ね?」
「うん。本人もそんなこと言ってたから」
「自覚あるのね……わかりました。もし本当に上杉くんの夢が無事に食べられるようになったら、一度うちに呼びなさい」
「え……? そりゃお母さんが認めてくれるのは嬉しいけど、でもなんで?」
「あなたが選んだ以上、いずれは結婚するんでしょうからね」
それに私は慌てた。まだ婚約の話なんて、当然ながら出ていない。
「あのね、お母さん。まだ上杉くんと結婚とか、そんなのは早いよ。そもそもまだそんな話出る訳ないでしょ」
「それはもちろん。まだ高校生だから早いとは思います。だからこそ」
お母さんはキリッとした顔で言った。
「まだ被保護対象の子を、中途半端に大人扱いして放置するのは、それはただのネグレストでしょ。せっかく満足に眠れるようになった子が、またストレスで眠れなくなるようなのは駄目。せめて夏休みの間だけでも、うちに泊まって眠りなさい」
これはつまり。
上杉くんの家はどう考えても壊れているけれど、表向きにはそんなこと見えないから、普通の方法だったら介入できない。でも。
彼氏を夏休みの間彼女の家に呼ぶって方法ならば、あの家から引き離すことができる。
私はお母さんに頭を下げた。
「ありがとう……ありがとうお母さん。上杉くんのこと……」
「そうしたいんだったら、ちゃんと夢を食べてらっしゃいね。それに上杉くんも普通に凛生のこと気にしてるんでしょう?」
「多分」
「まあ、気を許してなかったら、そもそも夢を食べさせようなんて思わないでしょうしね。行ってらっしゃいね」
「うん」
私は少しだけベソをかいてから、頷いた。
どうしたら上杉くんを助けることができるんだろう。なにもできないってことに悩んでいたけれど、保護者が許可した上での避難だったらできるんだという当たり前のことに気付いたことが大きかった。
その日、私は夜になった途端に、上杉くんの元に急いで飛んでいった。今まで見に行ったとき、どれだけ待ってもちっとも眠れてなかったのに。上杉くんは部屋にいて、ベッドに横になっていた。でもやっぱり寝付くことができなかったらしく、空調の効いた部屋でゴロゴロとしていた。
「お待たせ。来たよ」
「……夢野さん」
それに上杉くんが気恥ずかしそうにはにかんだのに、私も照れが伝染する。
「どうして照れるの!」
「……今まで、こんなに情けない姿をずっと見せ続けてたのかと思うと」
「情けなくなんかないでしょ。弱ってるときに弱音を吐くのは普通だから」
「それ言ってくれるの、多分夢野さんくらいだよ」
「そんな寂しいこと言わないの」
私の言葉に、上杉くんはごろんと仰向けになって寝転んだ。そして私のほうを見上げる。
「今日も歌ってくれる?」
「キラキラ星?」
「……なんだか子供に戻ったみたいだ。ごめん」
「謝らなくっていいよ。ひとりで夜に取り残されたら、寂しいと思ったって仕方ないよ」
この家は壊れている。そんな中にずっといるのがやり切れなくなって、星空を見て自分を慰めていた上杉くん。私はそんな彼でなかったら、見つけ出すことはできなかったかもしれない。
私は上杉くんの前髪を梳こうとするものの、相変わらず体は透けてしまう。その中、私は上杉くんに囁いた。
「歌ってあげるから眠ってよ。そして君の夢をかじらせてよ」
彼が見るのがうんと怖い悪夢でありますように。私がその夢を食べてあげるから。
キラキラ星を歌い、彼がとろとろと眠りについた頃、やっと彼の夢をかじることができた。ひと口食べればりんごのように甘酸っぱく、咀嚼をしたらローズマリーのような青々とした苦味が広がる。最後に胡椒のツンとする辛み。
私は彼の夢を全部かじり終えた頃、体に魂が引き寄せられていくのを感じた。
やっと人間に戻れたんだから、ここからは人間の私で戦わないといけない。



