その夜、私は幽体離脱しても、即あんまりおいしくない夢をかじって、すぐに元の体に戻ってしまった。冷房の効いた部屋で転がり、私はゴロンとベッドに転がる。
元に戻りたかったはずだし、私と上杉くんを繋いでいたのは、ベランダや彼の部屋での他愛ない会話だったはずなのに。その時間が好きだった。そのときの上杉くんのいろんな感情を込めた言葉が好きだった。でも。上杉くんの家族の身勝手さを思ったら、私まで彼に身勝手なまんま感情を押しつけることもできず、足がどうしても向かなくなってしまった。
「どうしたらいいのかな……」
やりきれなくって、枕を涙で濡らして眠った。
まだ蝉の鳴き声は届かなくて、それが余計に夜の寂しさを思わせた。ひとりで寝る夜はこんなに長いんだと思い知ったんだ。
****
夏休み前に、校内の大掃除がはじまる。
私たちはジャージを着たまんま、あちこち掃除に回る。私の担当は中庭で、中庭を掃き掃除したあと、古くなった鉢植えや中身の枯れたプランターを回収していく。それらをカートに載せて、私はゴミ捨て場に捨てに行った。
「あっ、夢野さん」
別の区画の掃除に出かけていた上杉くんに声をかけられ、私はビクつく。そちらは大きめの段ボールを折り畳んで捨てに来ていた。私は気まずくなって、視線をうろうろと彷徨わせる。
「も、戻らないと……!」
「ちょっと待って。夢野さん逃げないで」
上杉くんは手を伸ばすと、私の手首を掴んでくるのに、私はまたしてもビクついた。普段から細いと思っていた彼の手は存外に大きく、私の手首に簡単に手が一周回ってしまった。逃げ出そうとしても逃げ出せず、私はわたわたとする。
「なっ、なんで……」
「ちょっと話をしよう。その……友達が教えてくれたから。君のところに、灯さんが来たこと」
「…………っ」
あんな綺麗な人がクラスメイトに声をかけていたら、そりゃ誰だってあの人誰だって騒ぎになるし、上杉くんにだって話は届くんだ。
私は観念して、カートを一旦返却してから、上杉くんに手を引かれて歩いて行った。
どこもかしこも大掃除でてんてこ舞いで、おまけに先生たちがサボッてないかとあちこちで目を光らせている。その中で一対一でしゃべれる場所はそう多くもないけれど、それでも人気のない場所はある。空き教室の並んでいる廊下は、既に掃除が終わったせいか人はすっかりいなくなっていた。窓は開け放たれていても、あまり風は通らず少し吹く風は湿気を含んで生ぬるい。
その風を受けながら、上杉くんは「ああ……」と壁にもたれかかって、天井に頭を向けていた。
「ごめん、夢野さんを巻き込んで。俺の体調の証言しろとか言ってきたでしょ?」
「言ってたね。だんだん腹立ってきて、最終的にうやむやになっちゃったけど」
「本当にごめん。勝手な人で」
「そうだね……勝手だね。上杉くんの家族も、あの灯さんも」
「……本当に、ごめん」
「だって勝手だよ。息子の体調不良すら、自分たちの裁判を有利に進めるために利用するなんてさ。本当に……上杉くん本人の心配を誰もしてない。それでもさ、灯さんは余計に感じが悪かった」
彼女は上杉くんと家族になりたい、彼のことが心配っていうのは、本当なんだろう。でも。あの人はどれだけ愛している心配していると言っても、それは上杉くんの家庭を壊していい理由にも、裁判で勝つための道具に利用してもいい訳ではない。
そして彼女の身勝手な愛は……私にも余計に突き刺さった。
なにをしても愛しているから許されるって、そんな都合のいい話はない。愛はなんの免罪符にもならない。
「でもさ……私は灯さんを最悪だと思うけれど、完全に否定はできなかった」
「夢野さん?」
「……好きだからで、心配だからで、今までの行いをなかったことにしていい訳じゃないけどさ……あの人は私に少し似てて、余計に嫌気が差したんだ」
「……夢野さんと灯さんは、別に似てなくは」
「似てるよ。すっごく。身勝手な愛を囁き続けているところなんかそっくり。私ね、上杉くんのこと、好きなんだ」
私の言葉に、上杉くんが目を見開いた。
……もうちょっとこう、告白ってときめくイベントだと思っていた。こんなに諦めるためにするものではないと、そう思っていた。
上杉くんが固まっている中、私は畳みかけるように続ける。懺悔。これは後悔を吐き出すための作業だ。
「灯さんのことはずっともやついているけれど、私はあの人のことを悪く言い続けることができない。あまりに身勝手なことばっかり言っているのは、私もおんなじだからさ。だから、私も上杉くんにこれ以上なにも言えない」
「……勝手なこと言うなよ。それ、言い逃げだろう?」
上杉くんは、まるで搾り出すように声を上げた。その声は上擦っている。私はそれに驚いて彼を見た。
「夢野さんと灯さんは全然違うだろ?」
「……打算まみれだよ。灯さんのことを私がこれ以上悪く言えないのだって、その打算まみれな言葉が、私となにひとつ違わないからで……」
「だったら俺の気持ちはどうなるんだよ」
「……上杉くん?」
「俺は灯さんのことを迷惑だと思ってる。父さんと俺の間に入ってきて、さもいい家族になれますアピールしてくる。正直鬱陶しいって思ってる。でも、夢野さんはそんなことしないだろう!? 俺のこと心配してくれて、俺の訳のわからない愚痴にも付き合ってくれて……下手な同情しないで、寄り添ってくれて……言い逃げするなよ……俺の話を、聞いてよ」
その言葉に、私は思わず喉を鳴らしてしまった。
上杉くんのご家族は、彼の気持ちをちっとも聞いてなかった。勝手に家庭内別居を進め、勝手に新しい家族をつくりはじめる。そして勝手に上杉くんは成人したら独立するものだと決めつけて、彼の弱音なんてちっとも聞かなかった。
嫌いだ嫌いだと思っていたけれど、私、あの人たちと全く同じこと言って離れようとしてなかったか。
でも。私はこの人たちとなにが違うんだろう。上杉くんの表面ばっかりなぞってて、彼の柔らかい弱音や心を踏みつけている。
「俺は夢野さんと一緒にいて楽しかったんだ。俺は君と一緒にいて、本当に楽だったんだ。そりゃ俺にも友達がいる。お節介焼いてくれる幼馴染だっている。でも……近過ぎたら迂闊なことは言えない。夢野さんがたまたま一緒にいてくれて、本当に楽になれたんだ」
「……上杉くん、それ、違うよ。私、上杉くんの思っているほどいい子じゃないよ」
「……だから、なんでそんなことばっかり言うんだよ」
「言うよ」
私は息を吸った。
嫌われるかもしれない。気持ち悪いもの扱いされるかもしれない。信じられないことを言うって、今まで築き上げた信頼を壊すことと同じだから。でも。
ここまで後ろめたいままでいるのは、もう耐えられなかった。そこで関係が壊れてしまうなら、もう壊れてしまえと、私は一気に口を開いた。
「私、人間じゃないもの」
「……ええ?」
「夢魔だって。体に合う夢を食べなかったら、幽体離脱したまんま元の体に戻れない体質。私があなたに近付いたのだって……あなたの夢をかじりたかった。それだけだったから」
当然ながら、上杉くんは黙り込んでしまった。
そりゃそうだろう。いきなり同級生にそんなカミングアウトされたとしても信じられないし、信じられない話を聞かされたら、普通に頭は拒否してしまう。
……嫌われちゃったな。私は諦めてそのまんま踵を返す。
「ごめんね。今までありがとう。もう帰るから……」
「……ずっと俺の傍にいてくれたの。君?」
思わず足が止まる。上杉くんはまたしても私に手を伸ばしていた。その手は少し汗ばんでいて、震えていた。
「俺が眠くてもちっとも眠れなくって、仕方なく空眺めてたとき、いきなり話しかけてたの、君?」
「……どうして」
「最初はどこかで見たことある顔だって思ってた。そういえば同じクラスの子と顔が似てると思ったけど、まさかクラスメイトに幽体離脱してるかなんて、聞ける訳ないし……ずっと恥ずかしい話とか、恥ずかしい真似とかしてたから、それ見られてたかと思うと……恥ずかしかった」
やっぱり。上杉くんはなにも言わなかっただけで、私がリオとして近付いてしゃべってたの、うっすらと気付いていたんだ。
元に戻りたかったはずだし、私と上杉くんを繋いでいたのは、ベランダや彼の部屋での他愛ない会話だったはずなのに。その時間が好きだった。そのときの上杉くんのいろんな感情を込めた言葉が好きだった。でも。上杉くんの家族の身勝手さを思ったら、私まで彼に身勝手なまんま感情を押しつけることもできず、足がどうしても向かなくなってしまった。
「どうしたらいいのかな……」
やりきれなくって、枕を涙で濡らして眠った。
まだ蝉の鳴き声は届かなくて、それが余計に夜の寂しさを思わせた。ひとりで寝る夜はこんなに長いんだと思い知ったんだ。
****
夏休み前に、校内の大掃除がはじまる。
私たちはジャージを着たまんま、あちこち掃除に回る。私の担当は中庭で、中庭を掃き掃除したあと、古くなった鉢植えや中身の枯れたプランターを回収していく。それらをカートに載せて、私はゴミ捨て場に捨てに行った。
「あっ、夢野さん」
別の区画の掃除に出かけていた上杉くんに声をかけられ、私はビクつく。そちらは大きめの段ボールを折り畳んで捨てに来ていた。私は気まずくなって、視線をうろうろと彷徨わせる。
「も、戻らないと……!」
「ちょっと待って。夢野さん逃げないで」
上杉くんは手を伸ばすと、私の手首を掴んでくるのに、私はまたしてもビクついた。普段から細いと思っていた彼の手は存外に大きく、私の手首に簡単に手が一周回ってしまった。逃げ出そうとしても逃げ出せず、私はわたわたとする。
「なっ、なんで……」
「ちょっと話をしよう。その……友達が教えてくれたから。君のところに、灯さんが来たこと」
「…………っ」
あんな綺麗な人がクラスメイトに声をかけていたら、そりゃ誰だってあの人誰だって騒ぎになるし、上杉くんにだって話は届くんだ。
私は観念して、カートを一旦返却してから、上杉くんに手を引かれて歩いて行った。
どこもかしこも大掃除でてんてこ舞いで、おまけに先生たちがサボッてないかとあちこちで目を光らせている。その中で一対一でしゃべれる場所はそう多くもないけれど、それでも人気のない場所はある。空き教室の並んでいる廊下は、既に掃除が終わったせいか人はすっかりいなくなっていた。窓は開け放たれていても、あまり風は通らず少し吹く風は湿気を含んで生ぬるい。
その風を受けながら、上杉くんは「ああ……」と壁にもたれかかって、天井に頭を向けていた。
「ごめん、夢野さんを巻き込んで。俺の体調の証言しろとか言ってきたでしょ?」
「言ってたね。だんだん腹立ってきて、最終的にうやむやになっちゃったけど」
「本当にごめん。勝手な人で」
「そうだね……勝手だね。上杉くんの家族も、あの灯さんも」
「……本当に、ごめん」
「だって勝手だよ。息子の体調不良すら、自分たちの裁判を有利に進めるために利用するなんてさ。本当に……上杉くん本人の心配を誰もしてない。それでもさ、灯さんは余計に感じが悪かった」
彼女は上杉くんと家族になりたい、彼のことが心配っていうのは、本当なんだろう。でも。あの人はどれだけ愛している心配していると言っても、それは上杉くんの家庭を壊していい理由にも、裁判で勝つための道具に利用してもいい訳ではない。
そして彼女の身勝手な愛は……私にも余計に突き刺さった。
なにをしても愛しているから許されるって、そんな都合のいい話はない。愛はなんの免罪符にもならない。
「でもさ……私は灯さんを最悪だと思うけれど、完全に否定はできなかった」
「夢野さん?」
「……好きだからで、心配だからで、今までの行いをなかったことにしていい訳じゃないけどさ……あの人は私に少し似てて、余計に嫌気が差したんだ」
「……夢野さんと灯さんは、別に似てなくは」
「似てるよ。すっごく。身勝手な愛を囁き続けているところなんかそっくり。私ね、上杉くんのこと、好きなんだ」
私の言葉に、上杉くんが目を見開いた。
……もうちょっとこう、告白ってときめくイベントだと思っていた。こんなに諦めるためにするものではないと、そう思っていた。
上杉くんが固まっている中、私は畳みかけるように続ける。懺悔。これは後悔を吐き出すための作業だ。
「灯さんのことはずっともやついているけれど、私はあの人のことを悪く言い続けることができない。あまりに身勝手なことばっかり言っているのは、私もおんなじだからさ。だから、私も上杉くんにこれ以上なにも言えない」
「……勝手なこと言うなよ。それ、言い逃げだろう?」
上杉くんは、まるで搾り出すように声を上げた。その声は上擦っている。私はそれに驚いて彼を見た。
「夢野さんと灯さんは全然違うだろ?」
「……打算まみれだよ。灯さんのことを私がこれ以上悪く言えないのだって、その打算まみれな言葉が、私となにひとつ違わないからで……」
「だったら俺の気持ちはどうなるんだよ」
「……上杉くん?」
「俺は灯さんのことを迷惑だと思ってる。父さんと俺の間に入ってきて、さもいい家族になれますアピールしてくる。正直鬱陶しいって思ってる。でも、夢野さんはそんなことしないだろう!? 俺のこと心配してくれて、俺の訳のわからない愚痴にも付き合ってくれて……下手な同情しないで、寄り添ってくれて……言い逃げするなよ……俺の話を、聞いてよ」
その言葉に、私は思わず喉を鳴らしてしまった。
上杉くんのご家族は、彼の気持ちをちっとも聞いてなかった。勝手に家庭内別居を進め、勝手に新しい家族をつくりはじめる。そして勝手に上杉くんは成人したら独立するものだと決めつけて、彼の弱音なんてちっとも聞かなかった。
嫌いだ嫌いだと思っていたけれど、私、あの人たちと全く同じこと言って離れようとしてなかったか。
でも。私はこの人たちとなにが違うんだろう。上杉くんの表面ばっかりなぞってて、彼の柔らかい弱音や心を踏みつけている。
「俺は夢野さんと一緒にいて楽しかったんだ。俺は君と一緒にいて、本当に楽だったんだ。そりゃ俺にも友達がいる。お節介焼いてくれる幼馴染だっている。でも……近過ぎたら迂闊なことは言えない。夢野さんがたまたま一緒にいてくれて、本当に楽になれたんだ」
「……上杉くん、それ、違うよ。私、上杉くんの思っているほどいい子じゃないよ」
「……だから、なんでそんなことばっかり言うんだよ」
「言うよ」
私は息を吸った。
嫌われるかもしれない。気持ち悪いもの扱いされるかもしれない。信じられないことを言うって、今まで築き上げた信頼を壊すことと同じだから。でも。
ここまで後ろめたいままでいるのは、もう耐えられなかった。そこで関係が壊れてしまうなら、もう壊れてしまえと、私は一気に口を開いた。
「私、人間じゃないもの」
「……ええ?」
「夢魔だって。体に合う夢を食べなかったら、幽体離脱したまんま元の体に戻れない体質。私があなたに近付いたのだって……あなたの夢をかじりたかった。それだけだったから」
当然ながら、上杉くんは黙り込んでしまった。
そりゃそうだろう。いきなり同級生にそんなカミングアウトされたとしても信じられないし、信じられない話を聞かされたら、普通に頭は拒否してしまう。
……嫌われちゃったな。私は諦めてそのまんま踵を返す。
「ごめんね。今までありがとう。もう帰るから……」
「……ずっと俺の傍にいてくれたの。君?」
思わず足が止まる。上杉くんはまたしても私に手を伸ばしていた。その手は少し汗ばんでいて、震えていた。
「俺が眠くてもちっとも眠れなくって、仕方なく空眺めてたとき、いきなり話しかけてたの、君?」
「……どうして」
「最初はどこかで見たことある顔だって思ってた。そういえば同じクラスの子と顔が似てると思ったけど、まさかクラスメイトに幽体離脱してるかなんて、聞ける訳ないし……ずっと恥ずかしい話とか、恥ずかしい真似とかしてたから、それ見られてたかと思うと……恥ずかしかった」
やっぱり。上杉くんはなにも言わなかっただけで、私がリオとして近付いてしゃべってたの、うっすらと気付いていたんだ。



