それから私と上杉くんは、図書館で勉強をしては、遠山くんが部活上がりに上杉くんを予備校行くのに迎えに来るまではしゃべっているようになった。
 そのときは上杉くんが席を外していて、私と遠山くんだけが彼が帰ってくるのを待っていた。

「夢野さん、なんというか、ありがとうな」
「はい?」

 いきなり遠山くんにお礼を言われ、私は意味がわからなくって、変な声を上げた。遠山くんは屈託なく笑う。

「夏輝のこと。オレや山下さんだったら近過ぎるせいで、逆に夏輝に踏み込む隙がなかったからさ」
「……もしかして、上杉くんの家庭の事情のこと?」
「夢野さんは夏輝からどこまで聞いてる?」
「……法律関係の介入が入らないとままならないってことまでは、一応」
「あはははは……本当そういうのって、ネットとかドラマとか映画の世界みたいだもんな。夏輝はその中で、頑張って頑張って頑張り過ぎて、とうとう体まで壊してさ。オレたちみたいな近過ぎる奴の話って、身内に迷惑かけてるってわかってる分甘えが入ってなかなか聞き入れにくいんだよな。でも言うしかないじゃん」
「うん」
「そこでたまたまとはいえさ、夢野さんが話聞いてくれてよかった。あいつ、最近調子よさそうだろ? オレたちが何度口酸っぱく言っても寝てくれなかったのにさ、夢野さんと保健室に行くくらいにはなってくれたし。うん。本当にありがと」
「そんな……私、大したことしてないよ」
「夏輝の場合はさ、解決策を一緒に考えても意味ないだろ。高校生って一応親の保護下ってことになってるから、行政に言ってもなかなか動いてくれないし。だから愚痴聞く相手じゃなきゃ駄目だったんだよ。それになってくれて、嬉しい」

 あまりにも遠山くんが真っ直ぐに褒めてくれるのに、私はチクチクと後ろめたい気分になってくる。違うんだよ。私は上杉くんに近付いた理由、最初は人間に戻りたかった。彼の夢をかじりたくってしょうがなかっただけなんだよ。それが、まさかこんなことになるなんて、私だって思ってもいなかっただけなんだ。
 気まずくなって、私は広げたまんまのノートと参考書を閉じ、筆記用具と一緒に鞄にしまい込む。チクチクチクチク、針のむしろ状態。

「……そこまでのこと、してないよ。本当に」
「そう?」
「こら、彼方。夢野さんを困らせるな」

 そうこう言っている内に、上杉くんが戻ってきた。それに遠山くんは「お帰り」と軽く手を振ってから弁明をする。

「いや、困らせてないって! 夢野さんはオレらにとって恩人だって話をしてただけで!」
「お前なあ……そういうのは大袈裟って言うんだよ。ごめんな、夢野さん。こいつ、なんでもかんでもすぐオーバーにするから……」
「ううん、私は本当に別に……ああ、ふたりとも予備校でしょう? 私のことは気にしないで行って行って」
「うん……まだ日は高いけど、真っ直ぐ帰りなよ?」
「ありがとう」

 ふたりを見送ってから、私もやっと帰路に着く。

「はあ……」

 まだ日の入りは遠い中、私は伸びた影を眺めながらトボトボと歩く。
 好きだと気付いてしまったものの、どうすればいいのかがわからない。そして、上杉くんの夢をかじらないと、私だって人間に戻れないはずなのに。
 なによりも。なんとなく誤魔化せているから黙っているけれど、私は幽霊のリオとして、上杉くんの家の事情についてだいたい把握しているんだ。そのことを上杉くんが知ったらどう思うんだろう。

「はあ…………」

 何度目かわからない溜息をついた中、ガサッと音がして、思わずビクッと肩を跳ねさせる。こちらを見ている人がいる。
 えっ、誰。ストーカー? いや、私は特にストーカーされるような言動はしちゃいない。だとしたら……変質者……。
 全身に鳥肌が立った。どうしよう、このまんま家まで帰ったら、家の場所教えてしまう……うちのマンションはオートロックでも、人が出入りしたら突破されてしまうし、最悪家の番号教えてしまう……。
 どうしよう。どうしよう。この道は完全に住宅街で、コンビニなんてない。
 私は脇目も振らずに走り出した。その視線はこちらをずっと見ているけれど、走っては来なかった。嫌な汗を掻きながら、私はぜいぜいと息を切らして外灯に手を突く。汗を拭いながら、先程の人がいなくなったのを確認した。
 もう、大丈夫なんだよね。私は何度も何度も確認してから、家に帰った。

****

 その日、私がリオとして上杉くんの家に行ったら「どうかしたリオ?」とひどく心配されてしまった。幽体離脱してもわかるくらい、私の顔が強張ってたのか。
 私はどう言ったものかと悩んだ。まさか「知らない人に監視されてた、怖かった」なんて言えないだろう。もし私が幽霊じゃないってバレたら、もうこうやって一緒にはいられないんだから。
 私が腕を組んでいたら、上杉くんは「んー……」と一緒に腕を組んだ。
 最近はずっと上杉くんの部屋で話をしていたのに、今日は久々にベランダに出ていた。というのも。
 今日は上杉くんの家に、珍しく両親が揃っていたからだ。
 居心地が悪いからと、本当だったら暑くてしんどくて仕方がないベランダに出ていたのだ。本当だったら空調だって家の中のほうが効いているだろうに、上杉くんは「空気が淀んでて嫌だ」ときっぱりと言い切ってしまった。
 どれだけ嫌われているんだろう、あの両親は。

「久々にご家族揃っているけど、会わなくっていいの?」
「会いたくない。あの人たち自分のこと以外に興味ないから」
「……灯さんは?」
「俺は俺の面倒を見るので精一杯で、どうしてあの人の家族ごっこにまで付き合わないと駄目なのさ」

 上杉くんからは、心底疲れた声が吐き出された。
 気まずくなった私は「ちょっとだけ覗いてきていい?」と尋ねた。それに上杉くんは「どうぞ」と素っ気ない。
 本当だったら禁じ手ではあるけれど、私はふたりがどんな会話をしているか気になって、そっとふたりがしゃべっているリビングまでふよふよと飛んでいった。
 私が壁を透かして見に行った上杉くんのお母さんは、ひとり息子がいるとは思えないほどに若々しい上に美人な人だったけれど、同時の全身から刺々しいオーラを放っていた。ときどき昔美人女優だった人が、年を取った途端に全身から意地の悪いオーラを醸し出していることがある。あれみたいな雰囲気が彼女からは漂っていた。

「夏輝、ずいぶんいい子に育ったじゃない」
「そりゃな。君と一緒にいなかったらそうなるだろ」
「あなたに似なくってよかったわ。家に彼女を連れ込むこともないだろうし」
「彼女?」
「あら知らなかったの? あの子付き合っている子がいるみたいよ」

 そうお母さんが言っているのに、私は自分を付けていた人について思い返す。
 ……予備校でもし彼女ができたんだったら、嘘が全くつけない遠山くんがなにかリアクションすると思う。それがないってことは。
 まさかと思うけど、私ご両親の中で上杉くんと付き合ってる彼女ってことになってる? だとしたら、私のこと付けてた人って、上杉くんが前に言っていた、互いの弱みに付け入るために雇った探偵かなにか?
 なんて親だと、私は鼻息を立てた。自分が怖かったのはただの勘違いだったからよかったけれど、息子の今後のことよりも、息子の素行調査をするなんて、こんな自分のことばっかり考える人たち知らない。
 戻ってきたとき、落ち込んでいたはずの私がプリプリ怒っていたことに、上杉くんはぎょっとしてこちらを見てきた。

「大丈夫?」
「私あの人たち嫌い! なんだか自分語りしかしないんだもの!」
「……だよなあ。リオ」
「なに?」
「ありがとうな、俺の代わりに怒ってくれて」
「君が怒ってもいいところだけど」
「わかってる、怒りたいとも思ってるんだ。たださ、今怒ってもどうしようもないよなと思ったら怒りにくいんだ。俺の気持ちを聞いてくれたことなんて、あの人たち一度もないからさ」

 そう悟ったように言う上杉くんは、なんだか寂しそうだった。
 やり切れなくなった私は、少しばかり彼にもたれる。当然ながら体重はかからないし、体温だって伝わらない。ただ霊感のある上杉くんは、もしかすると夏場でひんやりとはしているかもしれない。

「リオ?」
「そんな思いつめたこと言わないでほしいって思っただけ」

 私の言葉に、彼は少しだけ破顔した。その気持ちだけは大切にしてほしいと、私は心から祈ったんだ。