君の夢をかじらせて

 私と上杉くんは時には保健室で、時には空き教室で、一緒に寝るようになった……ものすごーく語弊のある言い方だけれど、言葉通りの意味で睡眠を貪りに行っているのだ、他の者は間違っても貪ってはいない。
 でもさすがにふたりで行動することが増えたせいで、だんだん周りから生温かい目で見られるようになってきた。

「あのね、夢野さん。なつくん……上杉くん、悪い子じゃないからね。なんか厄介なこと言っても気にしないでね」
「言わないから。別に夢野さんに変なこと言わないから。いい加減その保護者面やめろよ」
「ご、ごめん……ほら、わたしにはちょっと口悪いけど、他の人にはそうでもないから」
「やめろよ」

 なんというか、これを言ったら上杉くんはものすごく怒るかもしれないけれど。上杉くんの家がドロドロの家庭内別居のせいか、両親共に上杉くんを見ていないせいで、どうしても上杉くんの保護者替わりに山下さんがなっているように見える。
 本来だったら反抗期になって八つ当たりするのは、山下さんではなく上杉くんの本当のお母さんだろうに、私が幽体離脱して何度上杉くん家にお邪魔しても、彼のお母さんを見たことがなかった。お父さんは時々帰ってきているみたいだけれど、灯さんを連れてきている。あの灯さんだけは本気で上杉くんを心配しているみたいだったけれど、あの泥沼愛憎模様を放置している時点で、両親と同罪だから、私はあの人を庇う言葉を持たない。
 そしてそんな上杉くんと山下さんをやり取りを、快活に遠山くんは見守っていた。
 山下さんが上杉くんのお母さん替わりなら、遠山くんはさながら息子に理解を示し、お母さんとの仲を取り持つお父さんなんだけれど……同級生から友達と幼馴染を両親に例えられたら彼も居たたまれないだろうなと思って、私も黙っていた。

「まあまあ、その辺で。夏輝もいいじゃないか。ようやく春が来てさ。たしかにお前はどうしても受験に打ち勝たないといけないのはわかる。だがそれだけで人生決めてしまっては、あまりにももったいない」
「なんでそんなに格言みたいなこと言うんだよ……」
「遠山くん優しいから、なつくんのこと心配してるんだよ」
「だからあ……そもそも夢野さんの気持ちをないがしろにして言うことじゃないだろ」

 そう言ってなんとか話題を私と上杉くんの関係から逸らそうとしているものの、ずっと失敗し続けている。
 多分それを真っ向から受け止めて反論するから、余計ドツボに嵌まってると思うんだけどなあ。
 私は私で、友達に取り囲まれて話を聞き出されていた。

「結局ホントーウに、上杉くんとなんともない訳?」
「本当にただ互いに睡眠不足だねって、昼寝しているだけなのに、それ以外でなんと言えばいいのか」
「まあ……最近凛生本当に具合悪そうだったもんねえ。ほんとダイジョブ? 病院に診てもらった?」
「いや、よく寝ろ以外にはなんとも」

 まさか幽体離脱で体から魂離れ過ぎてて体に悪いから、一時までには帰ってよく寝るように努めていますなんてこと、友達にもさすがに言える訳ないよね。私は取り囲まれつつ、どうにかこうにか「保健室に行ってくるね」と言って、上杉くんと一緒にすっかり慣れてきた廊下を歩きはじめた。
 上杉くんはすっかりと噂になってしまった私たちのことについて、申し訳なさそうに手を合わせてくる。

「ごめん……うちの友達が勝手にあれこれ言ってきて。夢野さんの友達だって心配してただろ」
「いやいや。私のほうこそごめん。なんかアレだね。たまたまどちらも具合悪いだけなのに、それを関連付けられてもね」
「うん。俺の場合はちょっといろいろゴタゴタしてるからだけど……その、夢野さんは?」
「私? 私の場合は、普通に体調不良だなあ。思春期はよく寝てよく食べてよく運動しろって、お医者さん言ってた」
「そっか。大変だな」

 さすがに幽体離脱のことは言えなかったけれど、それ以外は全部本当のことだし。上杉くんも人の体についてとやかく言うことはなく、私の言葉に頷くだけに留まってくれた。
 それに私は「上杉くんは」と尋ねる。

「なに?」
「睡眠不足ってどうやったら改善すると思う? 私の場合、体調の問題で、いろいろ言われたこと実行してみても、いまいちパッとしないんだけど、上杉くんはどうなんだろうと」
「そうだなあ、俺の場合も」

 同級生に、家庭環境のドロドロさを言える訳ないし、私がそれを知っていることを告げるのは憚られた。
 無責任に「元気を出して」なんて言えない。元気で家庭環境のドロドロさが改善する訳はないし。「話を聞くよ」くらいはアピールしてもいいかもしれない。まさか知っているなんてことは言えなくても。
 上杉くんは私の内心を知ってか知らずか、こっそりと教えてくれた。

「……卒業までにいろいろ決着つけないと、どうにもならないだろうしなあ」
「そっか。大変だね」
「お互いにな」

 彼の家庭の事情を知っているなんて言えず、私はどうやって彼に元気を出してと伝えればいいのか計りかねていた。

****

 私がリオとして上杉くんに会いに行くとき、少しだけ変化が生じた。
 彼はずっとベランダにいたのに、ベッドで待っていて、私が頭を撫でて子守歌を歌うまでの間、とりとめのない話をするようになったのだ。
 撫でても多分彼にはなんの感触も伝わらないし、私だって上杉くんの髪の感触を知らないけれど、それがすっかりとローテーションに組み込まれてしまっていた。

「最近さ、クラスメイトと一緒によく寝るようになったんだ」
「言い方卑猥。他の言い方ないの?」
「そこで他の感想ないのか……」

 上杉くんは少しだけガッカリした声を上げた。
 ……どうにも。上杉くんは昼間の私に対してはあくまで紳士的な態度を取っているのにもかかわらず、夜のリオに対しては若干意地の悪い態度が目立つようになった。私のことなんだと思っているんだろうなあと、漠然と思った。

「そんな意地悪なこと言ってたら、誤解されるよ」
「別にいいよ。俺のこと、誰もそこまで気にしてないから」
「天邪鬼。今時ツンデレって流行らないよ」
「いや、多分そういうの好きなところでは流行ってるだろ」
「それこそ知らないよ。なんでそんな意地悪言うの」
「んー……多分、リオが楽な相手だからだと思う。気を遣わなくってよくって、俺が適当なことを言っても下手に同情せずに返してくれるから」
「それ、誰にでもやっちゃ駄目だからね」
「だからリオにしかそんなこと言わないよ」

 ほら、すぐ誤解するようなことを言う。私は少しふよふよと浮いた。抗議のつもりだ。
 それに上杉くんはムッとした。

「今日はもう帰るんだ?」
「だって、今日のあなた意地悪過ぎるんだもん。私だってわざわざ意地悪されたい訳じゃありません」
「ならなんでうちに来たんだよ」
「あなたに快適な睡眠生活を送ってほしいからです」
「また訳のわからないことを」

 互いにお腹の中で思っていることを言えない、知っているなんて言えないし、まさか最初は上杉くんの夢をかじりたいから、なんとかして寝かしつけたかったなんて言えない。
 彼のことを知れば知るほどに、言えない言葉が増えていく。君の夢をかじらせてほしい。君の悪夢を食べさせてほしい。でも。
 ただの幽霊だと思って、戯れに私のことを傍に置いてくれている人に、本当のことを言って拒絶されるのを、今は怖がっている。
 結局私は、いつもよりも投げやりにキラキラ星を歌って、門限通りの時間に上杉くんの家から離れて、誰かの夢をかじって帰ることにした。
 人の夢は生臭い。早く上杉くんの夢が食べたい。感性はどんどん夢魔に近付いていくのに、気持ちはまるで恋する乙女みたいだ。
 まるで私は上杉くんのことを好きみたいだけれど、あまりに打算じみた感情を、そっくりそのまま伝える気にはなれなかった。