君の夢をかじらせて

 私は冷や汗を悟らせないように、上杉くんを説得する。

「せめて部屋に戻って横になりなよ」
「コーヒー飲み過ぎてちょっと眠れない」
「カフェインレスのコーヒーにしなよ。体に悪いよ」
「幽霊に体に悪いって言われるの、多分俺だけだと思う」

 そうからかい混じりに言われて、私は「そういえば」と思う。あんまり体から魂が離れ過ぎると体に悪いからと、しばらくの間は一時までに帰らないといけないんだ。
 私はもじもじしながら言ってみる。

「私ね、しばらくの間、早く帰らないといけないんだ」
「……幽霊ってどこに帰ってるの?」
「あの世とかね、うん。いろいろ」
「それって言っちゃ駄目なことなの?」

 言えないでしょ。幽体離脱が体に悪いからしばらく控えているなんておかしいこと。私はダラダラ冷や汗掻きながら「そうなの!」と必死に訴えた。
 上杉くんはしばらく私をじぃーっと見たあと、尋ねてきた。

「いつ帰るの?」
「一時くらいかな」
「ちょっとしかいられないんだ。ならさ、部屋に戻る替わりに、歌を歌ってよ」

 そう甘えてきたことに私は拍子抜けした。
 私はじぃーっと上杉くんを見つめた。彼は昼間多少なりとも休んだせいなのか、前見たときよりも目の落ちくぼみが解消され、若干顔色がよくなっていた。気が緩んでいるならば、全然眠れなくって寝ようと考えれば考えるほど余計眠れなくなる無限スパイラルから抜け出せるかもしれない。
 私は上杉くんについていきながら、彼が電気を消してベッドに入るのを見守っていた。

「ちゃんと布団被った?」
「もうこの時期だったらそろそろ布団被らなくっても風邪引かないと思うけど」
「そんなこと言わないの。お腹壊すかもしれないから」
「はいはい。普通のお母さんってこういうもんなのかな」

 それを聞きながら、私はずっと聞きそびれいたことを聞いてみた。

「あのう……この間いた灯さんは? あの人はあなたのお母さんじゃないの?」
「全然。あの人は俺のこと引き取りたがっていたけど、父さんは全然俺を引き取る気がないから。それは母さんもだけれど」
「あれ……あの人誰?」
「父さんの恋人」

 あっさりと教えられた言葉に、私は思わず仰け反りそうになった。

「それって、不倫では……」
「ううん。うちは既に籍を入れているだけで、家庭内別居しているから。母さんも父さんも、互いのことを探り入れていかに多く慰謝料取るかって、弁護士や探偵使っていろいろしているおかげで、うちに全然帰ってこないんだ」
「滅茶苦茶じゃない。誰もあなたのこと、考えてないんじゃ……」
「そう。傍から見ると滅茶苦茶。でも世間体って金で買えるから」

 そりゃそうか。普通に考えてこれはどう見繕ってもネグレストだけれど、お金持ちの家に行政はなかなか介入できない。だから取りこぼされた上杉くんは、こんなだだっ広い家で放置されていた訳で。
 そりゃあ心配した山下さんが口やかましく食事の面倒を見ようとするし、遠山くんだって彼の家の事情を吹聴しない訳だ。

「だから俺は家を出ることもできないし、体裁のために俺が大学進学するまでは離婚しないから。成人したら、どっちも俺を引き取る義務はなくなるから、どうもそれを狙ってるらしい。俺は一浪したらその時点で人生終わるから、絶対に落ちることができないんだ」

 そのきっぱりとした物言いに、かける言葉が見つからない。でも。
 私は上杉くんの頭に手を伸ばした。スカッスカッと手が空ぶるけれど、それでもなんとか頭を撫で回そうと試みる。

「私はさ、あなたがちゃんと眠れるところに行けたらいいなと思うよ」
「リオ?」
「私、実は獏なんだ」
「バク? バクって、悪夢をもしゃもしゃ食べるあの?」
「知ってたんだ。うん。あなたがちゃんと眠れたらいいな。そしたらあなたの悪い夢を私が食べるよ。それであなたはよく眠って、そして健康になるの。私はあなたの家のことにはなにひとつ口出しすることができないけれど、あなたが健康になったら、変わるものもあると思う」
「体が元気になっただけで、そんな変わるものなのかな」
「なにもしないよりは、なにかが変わるんじゃないかな」

 この間リクエストされたキラキラ星を、私は一生懸命歌いはじめた。
 彼の家の問題は、きっとこの家から出ない限りなにひとつ変わらない。でも。彼が元気にこの家を出ることができたら。なにかが大きく変わるかもしれないんだ。
 私は上杉くんの夢をかじることしかできないけれど、それで彼が元気になれるんだったら、いくらだってかじるから。
 だから眠ってよ。
 一生懸命歌っても、私の門限の時間が来ても、まだ目が冴えてしまっている上杉くんは、とうとう眠ることができなかった。私は名残惜しくなりながら、ただ上杉くんの頭を撫でた。

「……また来るからね。ちゃんと寝てね。おやすみなさい」
「おやすみ」

 そう名残惜しくなりながら、私は誰かの夢をかじりに出かけた。
 彼の心配だけはできない。私だって、誰かの夢をかじらない限り人間に戻ることができないんだから。せめて誰かの悪夢を見繕ってかじるようになったら、どうも苦くて生臭くて後味げんなりするものばかりに当たるようになったけれど。
 上杉くんが眠れますようにと祈っていたら、人の悪夢をかじらずにはいられなかったんだ。

****

 下手な正義感は駄目なんだろうか。
 夜中に上杉くんを一生懸命寝かしつけようとしては失敗して帰り、帰る途中で悪夢を見ている人の夢をかじって元の体に戻る。それを繰り返しているせいで、だんだん目の下の隈が取れなくなってきた。夢の善し悪しも体に影響するらしい。夢魔って面倒臭い。
 目の下の隈は、一生懸命コンシーラーで消して誤魔化したものの、肌色を誤魔化そうと粉をはたけばはたくほど、顔色が白く幽霊みたいになっていく。
 これどうしようと思いながら学校に行ったら、あまりにもの顔色の悪さに山下さんに悲鳴を上げられた。

「どうしたの夢野さん! まさか夢野さんも不眠症?」
「ちょっと違うけど……体の疲れが抜けないというか……」
「病院に行ったほうがよくない!? ああ、でも寝ても疲れが取れないってどこに行けばいいんだろう。内科なのかな、普通に内科に行って相談がいいのかな」
「大丈夫。そこまで心配しなくっても……」
「だって、なつく……上杉くんも全然寝てくれないし。体に悪いから……」

 山下さんにはあまりにも申し訳ない。上杉くんの心労のことを考えて、せめて寝ろ以外に言えることない上に、同級生まで原因不明の顔色の悪さで。私の場合は、解決方法はわかっていても、どうしたら解決するかがわからないっていうのだから、上杉くんとはちょっと違うんだけどなあ。
 どう言ったものかなと思っていたら、「おはよう!」と元気に遠山くんが上杉くんと一緒に教室に入ってきた。上杉くんは私がたびたび合いに行くたびになんとかベッドに押し戻すんだけれど、やっぱりなかなか眠れないらしく、顔色の悪さはなかなか取れない。それでも前よりも目の落ちくぼみは大分軽減されたんだから、横になるっていうのは重要なんだ。
 そう思いながら、私は「おはよう」とふたりに挨拶していたら、いつも快活な遠山くんがあからさまに顔をしかめた。

「夢野さん……ちょっと顔色悪過ぎないか?」
「いや、大袈裟。化粧失敗した」
「学校に失敗した化粧で来ないほうがよくないかな!?」
「あんまり大声出さないで、耳がキンキンするから」

 私が思わず耳を塞いでいる中、上杉くんは一瞬私を驚いた顔で見たのに気付いた。

「うん? 上杉くん?」
「いや……なんでも。あんまり具合悪いなら保健室にまた行く?」

 そう尋ねられると弱い。私だって上杉くんにちょっとは眠ってほしいから。私は友達に「ちょっと保健室行ってくるー」と手を振ったら、皆が皆「ちゃんと寝ろ」「最近マジ具合悪そうだから」と言われた。そりゃ今まで日付変更までに寝るってことなかったから、異常に見えるだろうな。
 私たちは並んで保健室へと向かっていった。